『少年が来る』という小説は傑作だと思う。光州事件を題材にしている。
書いたのは、ハン・ガンという1970年光州生まれの女性作家だ。彼女は10歳の時に光州事件に遭遇した勘定になるが、彼女の一家はその直前にソウルに引っ越している。
光州事件のことをよく知らないので復習する。
1979.10.26 朴大統領暗殺、キム・ジェギュ(金載圭)による。(『KCIA 南山の部長たち』に描かれている。)
79.12.12 全斗煥が軍の実権を握る。
80年春、ソウルの春 三金が政治の主役に。(光州は金大中氏の根拠地)
80.5.17 非常戒厳令全国に。
80.5.18 光州で無差別発砲事件が起こる
80.5.27 戒厳軍は武力鎮圧を強行。道庁内に留まっていた多数の市民の決死隊員を殺害した。
この市民決死隊のなかには、多くの若者、大学生、高校生、あるいは中学生までいた。この小説は少年、一人の中学生を中心に語られる。トンホ。
死体置き場になった尚武館。混乱のなかでここに迷い混んだ少年は、病院からどんどん運びこまれる棺を整理する係りになってしまう。死者の名前と棺の番号をノートに記入する係りだ。
チンス兄さんが50本入りのろうそく五箱とマッチ箱を置いていった朝、君は道庁の本館と別館を隅から隅まで回りながら、ろうそく台にする飲料の瓶を集めてきた。入り口の机の前に立って、一本ずつろうそくに火をつけてガラス瓶に挿しておくと、それを遺族が持っていって柩の前に置いた。
ろうそくの数にはゆとりがあり、遺族が寄り添っていない柩と身元が未確認の遺体の枕元にも漏れなくともすことができた。P25
静かで美しい文章だ。実際には惨たらしく悪臭のする死体の山を、なんとかそれを並べてあげて、「悼む」形を整えた主人公の少年と二人の「姉さん」。かれらが並べたろうそくについて、それが悪臭を消すかのように美しく描写している。
彼がひとつ、不思議に思ったのは、短い追悼式で、遺族が愛国歌を歌うことだった。軍人が殺した人々にどうして愛国歌を歌ってあげるのだろうか?
君がそう訊くと、姉さんはかえって驚く。軍人が反乱を起こしたのだ、と。「君も見たじゃないの。真っ昼間に人々を殴って、突き刺して、それでも足りないみたいに銃で撃ったじゃないの。そうしろって彼らが命令したのよ。そんな彼らを私たちの祖国の人たちだと、どうして呼べるのよ。」(P22)
少年はいままで教えられていたとおり、愛国歌は国家とその軍を褒めたたえるものだと思っていた。軍人の独裁が終わり民主主義の時代がやってきたのに、それを逆転し、銃口で人をどんどん殺して権力を奪おうとしているのは、軍だ、彼らは何の誇りも持てない反乱者にすぎない。本来の国、ネーションは私たちの側にある、と姉さんは説明する。しかし、少年は容易にはその説明が理解できない。
これはこの小説にとってはトリビアルな部分に過ぎないかもしれない。しかし一方で、日本人はまだこの国歌=国家の問題を解決できていないという気が強くする。
(天皇の歌である君が代を戦後日本の国歌にしたのは少しまずかった。
でもそれ以上にまずかったのは、解決したはずの「慰安婦問題」をいつまでも問題にし続け、「徴用工」にまで問題を広げ、自由貿易の原則まで破って見せて、まだ落とし所を見出し得ない安倍政権のやりくちだろう。)
「恐怖のために集会の規模が急速に小さくなっていると彼は真剣な顔で言った。」
「あまりにも多くの血が流れたではないですか。その血を見なかったふりなどできるはずがありません。先に逝った方たちの魂が、目を見開いて私たちを見守っています。」
「魂には体がないのに、どうやって目を開けて僕たちを見守るんだろう。」(P28)
少年はまだ幼いので、ぼんやりと考える。しかし少年は間違ってはいない。死者は死んでしまっており、彼らはどのようなベクトルも指示しはしない。すべては生きているこの私が決めることしかできない。
「軍人が圧倒的に強いということを知らないわけではありませんでした。ただ妙なことには、彼らの力と同じくらいに強烈な何かが私を圧倒していたということなのです。
良心。
そうです、良心。
この世で最も恐るべきものがそれです。
軍人が撃ち殺した人たちの遺体をリヤカーに載せ、先頭に押し立てて数十万の人々とともに銃口の前に立った日、不意に発見した自分の内にある清らかな何かに私は驚きました。もう何も怖くないという感じ、今死んでも構わないという感じ、数十万の人々の血が集まって巨大な血管をつくったようだった新鮮な感じを覚えています。その血管に流れ込んでドクドクと脈打つこの世で最も巨大で崇高な心臓の脈拍を私は感じました。大胆にも私がその一部になったのだと感じました。(p140-142)」
このような〈良心〉は最も大事なものであるのに、めったに語られることはない。言うまでもなく、代わりに語られるのは〈愛国〉であり、ある場合には〈革命〉だ。愛国は現在の体制・秩序・軍事組織への愛情・従順と区別するのが難しい。革命は運動の指導部あるいは前衛党への忠誠と区別するのが難しい。
「しかし今では何も確信することができません。(p142)」
といっても、この発言者四章「鉄と血」の主人公の「確信」が崩壊した原因は、明確に存在する。「モナミの黒のボールペン。それで指の間を縫うように挟み込みました。(p129)」以後10ページくらい詳細に語られる拷問の連続がそれだ。
敗北に続く拷問。
それが終わっても、日常生活がふつうに返ってくることはないのだ。生きることは存在の根っことともにしか営めないが、幸存者たちはみなそこに大きな欠損をうけてしまった。
271頁の小さな本だが、一つの軍事的弾圧の一面をクリアーに描いている。
(2023.8.11 ver.2)