閔妃殺害事件(1895年10月)は、前に書いた「1894年7月23日の朝鮮王宮占拠
https://666999.info/noharra/2019/10/22/miya/」の約1年後の事件である。
閔妃(明成皇后)は韓国で124話もあるドラマになっているので、韓国では人気があるのであろう。(https://www.lisbo.jp/detail/7184)しかし日本の戦前には、ひどく悪く言われていた。当時朝鮮には3つの政治勢力があった。興宣大院君(1821-1898)と閔妃(1851-1895)と「東学党」であった。「東学党」は匪賊扱いであるが、閔妃もまた古く否定されるべき勢道政治(親族を政府の要職に登用する)の代表者として低く評価された。その場合、近代化が絶対善でありそれに反対するのは悪とされる。それにしても日本が殺したのだとすれば、自分で殺しておいてその後貶しつけるというのは、自己合理化にしても説得力がなく醜いと思う。
以下に閔妃殺害事件の概要を簡単にまとめて見る。
1, 1895.10.8の早朝、朝鮮の王宮景福宮(キョンボックン)の奥深く、王の家族の居室となっていた場所で、侵入してきた日本人たちに王妃閔(ミン)氏が殺害された。
つまり、日本が明成皇后を殺した。
でそれ以外に知る必要があることは何だろうか?
2,当時の状況は、金文子の本で簡単にまとめられている。
「1895年4月、清国が日本に降伏して日清戦争は終結し、講和条約が締結された。ところが、講和条約で決められた遼東半島の日本への割譲に対し、露・独・仏の三国が異議を唱え、日本政府に遼東半島半島の返還を求めた。」日本はそれを受け入れる。日本政府が最も恐れていたのは、三国の要求が朝鮮問題に及ぶこと。「日本政府は朝鮮に対しては干渉しないということを何度も公言した。」p357
電話線の朝鮮返還論を唱える井上馨が更迭され、三浦梧楼が1895.9.1に着任。三浦は朝鮮に駐屯する日本軍の指揮権を要求し、10.5付けで承認された。
その三日後に閔妃殺害が行われた。
3,三浦悟桜がなぜ王妃を殺したのか?
「筆者は三浦悟桜は大本営から与えられた使命を遂行しようとしたものと考える。その使命とは、釜山から義州まで朝鮮半島を縦断する電信線を日本軍の管理下に置き続けるために、それを守備している後備兵を現役兵と交代させることである。」p350
当時の大本営の意思決定の中心にいたのは川上操六。「三浦梧楼のソウル着任後、外務省を無視して川上と三浦が通信を始め、後備兵の撤収と常備軍の派遣について電信が往来したこと、その電信中で川上が義州までの電信線確保を明確に表明している(第Ⅱ章4節)」p350 当時は、無線通信が可能になった日露戦争時と違い電信線は必須のもの。
朝鮮半島に対する日本の影響力を確保しておくため「三浦梧楼が、その障害になる王妃ーーロシアと結んで日本に対抗する姿勢を見せていた王妃ーーを除去し、親日政権の確立をめざして、京城守備隊という日本の軍隊を使って引き起こした謀略事件である。」p359
「訓練隊という日本人士官が訓練する朝鮮軍が大院君を擁して起こしたクーデター」を装った。遼東半島半島の返還に関する交渉が露独仏との間で妥結し、95.10.7に通知があった。事件の前日である。
(川上操六は日清戦争後まもなく死去したらしい。そのせいもあって、その役割の大きさがあまり認識されていない、と金文子は言う。p362)
4,「宮内大臣李耕植を狙撃し、王妃に最初の一刀を振るって致命傷を与えたのは、京城守備隊長馬屋原少佐に付き添って、直接命令を受けて行動していた宮本竹太郎少尉であったことは、関係者の間では周知の事実であったのではなかろうか。」p257
5,「三浦が企てた謀略は、王妃殺害の目的は達したものの、日本人の関与を隠す点において大きく破綻した。」p359 国際的非難は高まり三浦らは帰国させ裁判を受けることに。反日感情は高まり、親日派政権(金弘集)は短命に終わる。
一国の王妃を日本人がなぶり殺しにしたというのは絶対にあってはならないことであり、事件の企画段階から秘められていた。事件の後は真相を隠すためのフェイクを含む史料が大量に作られた。公文書である電報など一次史料でさえ。
「大院君が三浦梧楼と共謀したという証拠は何ひとつない。従来証拠とされてきたものは、すべて捏造されたものである。
本事件を「歴史上古今未曾有の凶悪」事件であると外務省に報告した京城領事内田定槌でさえも、「日本の名誉」を守るため、日本の官吏と軍人の関与を隠蔽しようと、関係者の口裏合わせに積極的に関与していき、原敬への私信には書かなかった三浦と大院君の共謀説を交信報告書に残した。」
以上は金文子『朝鮮王妃殺害と日本人』2009年の内容を(主に357-360)を中心に簡単にまとめたものだ、つまりさして、価値のあるものではない。。(学会ではこの本の内容に別に異論は出ていないのではないか)
金文子氏の本は良い本なので読んでみてください。
ただnetでは、歴史学的には確定しているところの以上の事実を、ことさらに疑がってみる勢力がある。それに反対するために、標準的見方のサンプルとして掲載してみた。