三浦しおん『仏果を得ず』

三浦しおん『仏果を得ず』を読んだ。
文楽の義太夫語りの若者を描いた小説で面白かった。

女殺油地獄、日高川入相花王、ひらかな盛衰記、本朝二十四孝、妹背山婦女庭訓、仮名手本忠臣蔵 など、の演目を各章の題にしている。
これらの演目は、歌舞伎と共通しているものも多いから、名前くらいは知っている人は多い。しかし、中身にまで入っていこうとしてもけっこう難しい。
というのは、あらすじを聞いても、ピンとこないというか、違和感ばかりでそれ以上共感できないといった話も多いのだ。三浦は熱心な文楽ファンになったのだが、そうなるためには、自分なかで多くのそうした難問を解かなければならなかった。これはそのプロセスを小説という形に展開したものでもある。

「世話物の男は優柔不断で、見ていて腹のたつようなやつばかりだ。登場する女たちが、それでも主人公の男に惚れている理由は?」
三浦はずばりと問題点を指摘する。

人間はおろかなものだ。それは私にも分かる。しかし、わざわざそんなことを芝居にまでして何が面白いのだろうか。それを現在によみがえらせるために必死で芸を磨く。
おろかさにそれだけの値打ちがあるのだろうか?

主人公健太夫は、小説の前半、芸にだけ打ち込むストイックな生活をしている。しかし後半、不思議にも、二人の女性から愛され、愛し、自らおろかさをとことんさらさざるをえなくなるのだ。そしてそのおろかさは感動的でもある。
この小説は、文楽案内を小説の体裁にしてみたものというより、文楽の力を借りてそれを分かりやすく展開してみた、優れた小説だ。