上野発言を弁護しようと思って

書いてみたが、弁護にならなかった。
この文章の趣旨は、
1,人口1億人の維持
2,出生率1.8の実現を 安倍氏は目的に掲げる
このことを、全力で否定するためにこの文章は書かれている。

1,人口を維持するためには、自然増と社会増。
自然増は見込めない(3)
移民の受け入れについて考える。
移民を受け入れると、社会的不公正に悩む国になる(4)
移民を受け入れず、人口の減少を受け入れて、衰退する(5)

4か5かを選ぶしかない。(5)を彼女は選ぶ。
安倍の掲げる1と2がいずれも空語であるのであるから、大量移民がなければ自動的に5を選ぶしかない。
「みんな平等に、緩やかに貧しくなっていけばいい。」(6)
問題はそんなことができるのか?である。現在生活保護をはじめとした福祉予算は増える一方、一方税収はどんどん減る。極端な再分配政策を取らなければ「みんな平等に、貧しくなる」ことなどできない。
(6)の文章は、みんなが貧しさを甘受する覚悟さえあれば可能であるかのようだ。しかしみんなが貧しさを甘受する覚悟があっても、ネオリベ思想を弾圧し極端な再分配政策を取る、ということがなければ、それは不可能だろう。
NPOなど、「協」セクターに期待するのはけっこうだが、再分配についての大きなデザインなしには、NPOにも何もできないだろう。

移民の流入が社会的不公正と抑圧と治安悪化をもたらすといった文言が批判されている。まあもっともだ。
ただ、移民を多少受け入れようとも「人口減少なら衰退」という常識を覆さない限りにおいて、「みんなが貧しくなる」といった結論は避けがたいのではないか。
人口の半分近くが餓死線上といった事態を避けたければ、再分配について正面から考える必要があるのではないか。

ただ、私も上野さんと同じでこの日本国家が極端な再分配政策を取る可能性はないだろうと考えている。であればどうするか?

追記:ツイッターから

「みんな等しく貧しくなる」というフレーズは面白いとも考えられますね。貧しい人は貧しいままで、大金持ち、金持ちが富を全部吐き出すという意味なら。
革命になります!

〈みんな〉〈平等に〉〈貧しくなる〉、を考えたい。上野とその異端の弟子ともいえるイダヒロユキはそれぞれ「ひとり」をタイトルにした本を出している。そのような「ひとり」を思想の根底から再検討することが必要。端的には自分がなぜ子供を持てなかったのか考える。
〈平等〉についてはものや関係を濃く共有していく、グレーバー(負債論)がいうコミュニズムが大事。〈貧しさ〉については、シェアルームのようにプライバシーを一部切り捨て別のものを獲得する方法が大事。〈みんな〉については国民国家のごく一部の人たち(貧者中心)が
連帯する仕組みを作りたい。
身体の脱資本主義化だがこれのためには途上国やイスラムに学ぶ必要がある。上野批判派が声高に叫ぶ「多文化共生」は観念的な理想論でしかなく敗北するしかない。そうではない自己身体の変容による〈多文化共生〉を、獲得するチャンスだ。(2/14)