訴状

訴状
原告 野原燐
被告 兵庫県
損害賠償事件
請求の趣旨
1,週3日(一日7時間15分)の勤務形態を認めず、
週4日(一日6時間)の勤務形態に就かせたことを、期待権に反した、不利益変更であることを確認する。
2,右記不利益変更にともなう、実際の拘束時間増にかかる経費 (金 円)の金員を支払え。
3,訴訟費用は被告の負担とする。
との判決を求める。

請求の理由
1,私は1975年22歳で兵庫県に就職して以来、38年間(2013年2月末まで)兵庫県職員として勤務してきました。定年後はいままでの週5日に代わり週3日で勤務する制度が長い間あったため、その制度を利用して、雇用延長してもらうつもりでした。ところが、2013年4月からの兵庫県による「被災地支援任期付職員」の募集がありそれに応募、合格したため、2013年4月から2014年3月まで東北大震災被災地(宮城県塩竈市)において市役所職員として勤務しました。2014年4月からは退職職員の「再任用制度」で雇用して貰えるとの内諾は東北に行く前に得ていました。「被災地支援任期付職員」においても雇用者は兵庫県、窓口は人事課であり、「再任用」と同じです。塩竈市にいた時に「再任用の申込書」を提出しました。2013年4月からの「再任用」においては存した「週3日(一日7時間15分)の勤務形態」が、用紙ではなくなっており、「週4日(一日6時間)」を選択するようになっていましたが、様式を二重線で消して週3日(一日7時間15分)と書き入れて採用希望しました。しかし塩竈市役所に兵庫県(復興支援課)から電話があり、「週4日(一日6時間)」しかだめだからそう直しておくと強く言われ、再検討を願いましたが、ダメと言われたので、しかたなく「週4日(一日6時間)」を受け入れ、2014年4月から再任用として働き始めました。4月1日から勤務開始で、当日兵庫県職員労働組合に再加入し、当日所長との断交を分会長(池上氏)とともに行ないました。しかし所長からはその要求には答えられないと回答がありました。
2014年年末にも申込書を、「週3日(一日7時間15分)」と書いて提出したところ、人事課から電話があり「週4日(一日6時間)」と書き直し申込書を再提出するように指示があり、しかたなく従いました。その結果2015年4月からの1年間雇用週4日(一日6時間)が決まりました。

2,以上のようにこの2年間、契約に従い週4日(一日6時間)で勤務してきました。しかしその契約において私の意志(希望)が週3日(一日7時間15分)であり週4日(一日6時間)でないことは明らかであり、雇用者(兵庫県人事課)もまたそれを知っていたものです。したがって、これは「心裡留保」の法理により無効なものです。

3,したがって、3日勤務を4日勤務に不利益偏向したことによる、拘束時間の増加(通勤時間1時間半×2、および昼休み1時間、計4時間)に相当する金員を支払え。

4,政府が平成19年に定めた「仕事と生活の調和(ワーク・ライフ・バランス)憲章」には次のような文章があります。「働き方や生き方に関するこれまでの考え方や制度の改革に挑戦し、個々人の生き方や子育て期、中高年期といった人生の各段階に応じて多様な働き方の選択を可能とする仕事と生活の調和を実現しなければならない。」
現在、60歳ないし65歳で定年(あるいは雇用延長の終了)を迎えそれ以後は労働しないといった生き方が主流であるようです。しかしこれからの高齢化社会においては、報酬を貰える貰えないに関わらず、定年後も働く、学ぶ、教える、介護する、家事する、農業するなどの社会的活動を積極的に行って行くべきと、憲章は考えていると読み取れます。週のうち3日しか雇用しないことは、労働を中心とする世界観においてはマイナスであり、(賃金さえ貰えれば)4日も5日も働きたいという方が多かったでしょう。しかしワークライフバランスを重視する社会に変化させて未来を開いて行くためには、週のうち2日(週休日と合わせて4日)を上記のような現役時代の延長の労働以外の営みに積極的に費やしていくことが必要とされていると思います。
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以上、訴状VER1.0 です。差し替え予定。

裁判提訴してみたい!

「ひるね通信(紙版・7号)」        2016.1.16
 裁判提訴してみたい!

 私は現在62歳です。60歳で定年退職し、年金の受給権と退職金をすでに貰いました(60歳の次の年度からすぐ年金貰えた最後の年)。さらにその上に38年間勤めた会社(兵庫県)で「再任用」してもらっています。世間一般から言うと恵まれた身分のようで、この上雇用者(兵庫県)に文句を言うなんて、非常識だということになるかもしれません。確かに役所及び今まで私を支えてくれた同僚に対して感謝の気持ちもあります。しかし、40年以上兵庫県で働くなかで、組織の上の人の常識に従い仕事をしていくことが本当は市民のためになっていない、むしろ組織のなかで組織のオカシイところを追求し声を上げていくことの方が正しいのではないかと、私は気付きました。
 しかし兵庫県のなかでそれ(例えば人事課)と闘うのは、不利益が予想されるため難しいことです。本当に具体的な不利益が予想されるというよりも、やはり「いわば非国民に」なっていくことへの恐れがあった、と思います。しかし現在私は「再任用・3年目」です。おとなしくしていても月15万円の仕事があと2年間得られるだけなのです。失うものが少なければ臆病者にも、「たたかう」ことは可能なはずです。このように考え私は「たたかう」ことを決めました。

 定年退職後、2013年4月から同じ兵庫県で週3日勤務の「再任用」雇用に入る予定でした。ただちょうど、2013年度から「被災地支援任期付職員」というものを兵庫県が初めていて、兵庫県が雇用者になり東北大震災被災地(宮城県)のそれぞれの市役所に1年間の任期付職員として勤務する制度(ただし継続雇用あり5年まで)が作られたので、それに応募・採用され1年間宮城県塩竈市の市役所で勤務しました。1年後には「再任用」として戻って来ることに内諾を得た形で1年間だけ行っていたのです。2013年の暮れ、来年度の希望調書提出の時に、私にとって衝撃的な事実を知らされました。
 それまで「再任用」は週3日勤務でした。これは私が知る限りずっと(20年ほど前から)です。ところがそのような一日7時間45分×3日という勤務形態は2013年度からなくなった、来年度からは一日6時間×4日という勤務形態しか認めなくなったと言われました。苦情を言おうとしましたが譲歩の余地なしと言われたので、仕方がないので、一日6時間×4日を承認し2014年度は雇用して貰いました。2014年の暮れも同じことを繰り返し、一旦一日7時間45分×3日という希望を出したが撤回し一日6時間×4日に訂正して2015年度は雇用して貰いました。
 週3日ではなく週4日勤めろ、しかも(一日あたりの)勤務時間は減らして、(週合計で)概ね同じ時間だから良いだろう、とする提案は、私には「納得してはいけない」ものを感じました。
 多くの人は60歳まで週5日間勤務を当然のこととして何十年も過ごします。(私の場合は61歳までそうだったわけですが。)辛くても辛くなくてもとにかくそれが当たり前であったわけです。だから、62歳から週4日と言われても受け入れられないわけではなく、週3日より逆に受け入れやすい可能性もあります。しかしそのような発想、週5日フルタイムで働くのが当たり前であり、そうでなくても出来る限りそれに近づける方が良いという発想は、あまりにも労働中心主義的ではないでしょうか?
 それにいずれにしても、「再任用」が認められるのは最大で65歳までであり、終わりがあるわけですね。仕事や収入だけが人生の目的と中身であるのなら、それが終わった時点で人は人生の抜け殻の時間に向き合わないといけなくなる。そうならないように完全退職までの5年間の準備期間において人は、仕事以外の人生を開発していかなければいけない。これまで週3日勤務、4日休みであったので、趣味であれ勉強であれボランティアであれ地域活動であれそれぞれ自分を発揮していく分野を発見できていた、と思います。しかし今回週4日制の強制というのは、当局と職場に都合が良い働き方しか認めないことであり、それを納得するのは当局と職場に合わせて生きるという今までと同じ生き方を肯定することです。
 これはどうしても納得できないことでした、私には。

 もともと仕事はお金と引き換えに時間を売るだけの行為のはずです。しかし何十年も雇用関係が続くと、しごと自体が人生であるかのような勘違いが、働いている側ににも雇っている側にも生じてしまいます。定年後短時間勤務において、それは半分は解除されるべきであるのに、そうならず、逆に労働者として弱くなった分だけ、雇用者のいうがままの条件を受け入れないと雇ってもらえないことになる。
 人事課の若い職員の態度には、自分がこちらに押し付けている価値観に対し私が反発してくる可能性とか、そういう発想がありうる事自体を一切考えたことがないといった「素直な傲慢さ」といったものがありました。それが私にはガマンできないことでした。

 裁判提訴する事自体はそれほど難しいことではありません。(裁判を継続的に展開してくのは難しい)損害賠償の民事訴訟の形を取れば裁判として成立させることはできるはずです。(弁護士なしで訴訟したいと思っています) ただ、私の境遇と問題意識がすこし特殊なため、みなさんの理解と支援を得られにくいのではないかと思ってそれが心配で、ビラ作成などできずにいました。
 こんな私ですが、いくばくかの関心を持っていただければ幸いです。