えーっと、だいぶ前の話だが、下記で引用してもらった。
http://d.hatena.ne.jp/spanglemaker/20050103#p3
生きているかどうか分からないめぐみさんなるものに大騒ぎするわりには、半年以上中国に拘留されながら野口さんに対しては何故国民的救出運動が盛り上がらなかったのか。(略)
これもねぇ.日本に住む中学生が帰宅途中に北朝鮮に誘拐されることと,中国に行って向こうの国にとっての反体制運動して拘留されることがどうして同列に語れるのだろう.覚悟しなければならないリスクが全く違うではないか.
野口氏には自己責任があると。
<略>横田めぐみさん、拉致された日本人を北朝鮮から奪還せよ、というストーリーばかりが叫ばれるが、めぐみさんはまだ帰ってこない。帰ることが大事なのか。そうではなく大事なのは移動の(国境を越える)自由だろう。一人でも多くの脱北者に保護を与えることに積極的に成るよう、わたしたちは日本政府と中国政府に働きかけるべきだろう。
「帰ることが大事」に決まっている.
北朝鮮人民に移動の自由を与えることや脱北者の保護を主張するのはかまわないが,なぜあえて拉致被害者を奪還することが<大事ではない>というような不穏当な発言を一緒にするのだろう.自説の説得力を下げるだけではないか.
北朝鮮による拉致被害者を奪還することと北朝鮮人民を抑圧から解放することは二者択一の問題ではない.朝鮮人民を救うために拉致被害者の救済を後回しにしなければならない理由があるならぜひそれを聞きたいものだ.
だいたい「不穏当な発言」とは何を意味するのだろう。a=Bという意見に対し反論があるのは当たり前だ。ある意見に対してそれは「不穏当だ」ということが応答になりうると考えるのは、「風通しの悪い会社」のような閉鎖空間でしか生きた(考えた)ことがないという証拠だ。
「北朝鮮による拉致被害者を奪還することと北朝鮮人民を抑圧から解放することは二者択一の問題ではない.」そのとうりですね。わたしのどこが不穏当かあなたは表現できていないが。