東アジアの未来

mkimbaraさんに教えて貰った古田博司氏の本が図書館にあったので借りてみた。『東アジアの思想風景』isbn4-00-001917-1。面白かった。

「とにかくバラバラであり、バラバラであるにもかかわらず運命共同体とみなされる東アジアに我々は今住んでいる。そして、その宿命から逃れることは決してできないのである。安易に「儒教文化圏」を謳い、各々独りよがりの「中華」に耽溺していた時代は明らかに終わった。

 これからは、各々が謙虚に他者について考える時代である。近代化という山を登りつづけてきた我々は、実はそれが無理な西洋化であり、「苦難の行軍」であったという事実に思いをいたすべきなのではないか。これからは一途に進むだけではなく、退く視点も重要であろう。」

 小さな本とはいえ一冊、すでに消え去った東アジアの情緒をさまざまに経巡った後、これを読むと感慨がある。中国/朝鮮(韓国)/日本を併せて語る語り口をわれわれはまだ持っていない。(儒教文化圏言説というものは安易なものだ、という古田氏の判断を受け入れておく。)日本人は中国のことも朝鮮のことも何も知らない。まず知ることから始めるべきだという古田氏に同意する。現在、相互排外主義が増加している、これに敵対し抑圧していかなければならない。

1億人の名前のない国

『ダッカへ帰る日--故郷を見失ったベンガル人』という新刊本が図書館にあった。しげしげ見たのは、「ダッカ」「ベンガル人」という言葉がよく分からなかったからです。知らない言葉に惹かれる性癖がある。それで駒村吉重氏著のこの本isbn4-08-781300-2 を読んだのだが、なかなか良い本でした。日本で不法残留していたバングラデシュ人の兄弟が、職場とのトラブルや裁判に巻き込まれたりしつつ母国に帰るまでを書いている。「母国に帰る」といっても、金時鐘さんのようなものすごい思いこみは皆無だ。彼らはすでに日本で10年以上過ごしてきた。なるほどそれは、いつ強制送還されるか分からない不安定な生活であり、またそもそも金のための出稼ぎにすぎなくもあっただろう。だか12年だけ日本で暮らした彼は言うえええ「おれはいまなにか考えるとき、半分日本人の考え方なの。どうしてもそうなる。だから、家の人にどんなに自分の気持ちや考えを話しても分かってもらえない。でも、日本人のあなたならわかるでしょう」と。

 工場労働などと違い、わたしたち都会の消費者のすぐ隣、外食産業で彼らが沢山働いている(いた)ということは知らなかったので驚いた。それと当たり前の事ながら、不法残留の疑いは感じながらなぜ経営者が彼らを雇うのかというと彼らの方が日本人よりよく働くからだ、ということ。決して外国人だからより安い賃金で使いつぶせるから、といった理由ではないということだった。

ビラぐらい受け取れよ

 今日夕方雨はなんとか上がったもののそれでもかなり寒かった。大阪駅でビラを撒いてきました。ビラの裏側は「STOP THE APARTHEITD WALL!!」と壁の写真があり、「Gates are for animals, not for people.」とある。表は「イスラエルはパレスチナ占領地からの即時撤退を!」とある。<パレスチナ平和を考える会>のビラです。わたしがよくビラとか撒いていたのは20年以上前で、その時は時と場所にもよるが渡した人の8割近くが受け取ってくれたようにも思う。今日ビックリしたのは受け取ってくれる人がほとんど居ないことだ。20人か15人に一人くらいしか受け取らない。半分以上の人は会釈してくれるので礼儀正しい方なのだが・・・ ビラは受け取るものだと私の中ではそれが当たり前だと思っていたので、大袈裟に言えばショックでした。民主主義の基礎は言論の自由だとか言っても、だれもそんなことは信じていないのか。建前としてであっても民主主義を支持している以上、ビラくらい受け取るべきだ、と私は思う。

 イスラエル-アメリカ-日本の情勢がどこにあり、そのなかに「イスラエル政府は占領地から即時撤退せよ!」という(極端なと言われてしまうだろう)スローガンを提出することが適切なのかどうか、という疑問はありうるだろう。わたしはこのスローガンで良いと思うが。

『新潟』ノート2

 詩集『新潟』を読むはずが全然進んでいません。でも3月25日に3行だけで処理した詩行たちに、いまではもっと親しめるようになった、とは言えます。

 第2部「海鳴りのなかを」は、「河口に土砂に埋まった丸木船がある。」*1という挫折を確認するところから始まる。故郷へ海を渡ることを強く思いながら、それはついにかなわないものとしてあるのだ。「海をまたいだ船だけがぼくの思想の証ではない。またぎきれずに難破した船もある。」*2「ぼくが沈んだ幻の八月を明かそう。」*3 ここで、<挫折>は“更に深く穴ぐらを掘らねばならない”そういった営為だと言われる。 ところが比喩だったはずの<穴ぐら>は、「ひしめきあいせめぎあったトンネルの奥で盲いた蟻でしかなくなった同胞が出口のない自己の迷路をそれでも掘っていた。」*4と日本の戦争中の実際の穴ぐら掘りに転換する。ここには註がないが、(約七千人が動員されたという)松代大本営の掘削のことをイメージして良いだろう。「山ひだを斜めに穿ち蛇行する意志がつき崩すショベルの先に八月は突然と光ったのだ。」*5「なんの前触れもなく」輝かしい解放が突然やってきた。その輝かしい八月の光の裏には、原爆の光も焼き付いているだろう。「人が流れとなりはやる心が遠い家郷目ざして渚を埋めた。」*6故郷への熱い大きなベクトルが描かれる。だが「袋小路の舞鶴湾を這いずりすっかり陽炎にひずんだ浮島丸が未明。夜のかげろうとなって燃えつきたのだ。」*7日本の敗戦の直前二五〇万人近くいた朝鮮人のうち半数以上が帰国した。だが浮島丸事件のように帰国の意思が無惨にも中断させられた人々もいた。<ぼく>は彼らと同じように海の底でうずくまったままだ。*8

 2章。「常に故郷が海の向こうにあるものにとってもはや海は願いでしかなくなる。」*9 ところが次ぎに転換がある。「待ち侘びて渚に彫像となった少年のものうい記憶へ終日波がくずれる。」*10海辺で佇んでいる少年は済州島に居るようなのだ。<海の底でうずくまったまま>という比喩が再度現実化される。「測りようのない底へにうずくまる父の所在へ海と溶けあった夜がしずかに梯子を下ろす。」*11「黄ばんだ網膜に古いネガとなって生きている父。数珠つなぎにしばられた白衣の群があぎとを開いたままの上陸用船艇へ間断なく呑まれてゆく。帯のないバジを両手で合わせもち動くコンベアーにでも乗せられたような父が背のびし振り返りそのつどつんのめりつ船艇へ消える。」*12おそらく押さえつけるような沈黙の中で、白衣の群は少しづつ船艇に呑まれてゆく。そして沖へ運ばれる。「日が暮れ日がたち錘の切れた水死人が胴体をゆわえられたまま群をなして浜に打ち上げられる。」*13「この期間虐殺された済州島民の数は73,000人を越える」といわれる被害者たちだ。「潮は満ち退き砂でない浜の砂利が夜をついてごうごうと鳴る。」*14「亡霊のざわめきにもふやけた父を少年は信じない。二度と引きずりようのない父の所在へ少年はしずかに夜の階段を海へ下りる。」*15蜂起とか内戦とかテロリズムとかいくらどぎつい言葉を連ねても足りないほどの動乱。作者は実際その渦中に在った。だが体験したことは書けない、と金時鐘は言う(かもしれない)。金石範が書けるのは体験してないからだ、とは言っていた。金時鐘が書くのはすべてが終わった後の屍体、海の底から浮かびあがり夏のせいで相貌さえ定かでないほど速やかに腐乱してゆく屍体たちだ。だが阿鼻叫喚はない。すべては無言のうちにすすむ。ところで<梯子>(あるいは階段)とは何か?海深く沈められたのは屍体だけではなく、対象化しきれずにその血の滲む肌を無理矢理幾重にも梱包し意識の奥深くに抑圧した時鐘自身の記憶たちである。魔法の階段を通らなければそこにはたどり着けない。

*1:p372『原野の詩』

*2:p375同書

*3:p376同書

*4:p379

*5:p380

*6:p380

*7:p382

*8:p383

*9:p383

*10:p385

*11:p386

*12:p388

*13:p390

*14:p391

*15:p393

儒教??

古田博司氏は「私は儒教が好きである。」と言った上で、次のような言葉を挙げる。「長幼の序」「父子に親あり」「朋友に信あり」「夫婦に別あり」。*1「朋友に信あり」には反対しないが、それ以外はどうも嫌だなと思ってしまう。要するに儒教が大事にするものは、家族、親族、小共同体といったものであるが、わたしはそれらから離脱した単独者でありたいと思っているのだ。

一方欠点として「労働蔑視、職業差別感、身内偏愛、女性蔑視などは儒教が本来的に背負うものであり」が挙げられる。このうち面白いと思うのは「労働蔑視」である。西欧近代は、立岩氏が格闘したように労働(と所有)を価値の源泉とみなしてきた。今日それは金銭、ヴァーチャルマネーとして最後の形態を迎えている。ギャンブル資本主義に明日がないのは自明であり、次の時代を支える思想が要求されているが未だ至らない。それを考えるヒントになるのではないか。

*1:p134『東アジアの思想風景』

脱北支援の野口さん起訴=中国当局、NGOに連絡

 北朝鮮からの脱出者を支援する非政府組織(NGO)「北朝鮮難民救援基金」に6日までに入った連絡によると、同基金メンバーで脱北者支援中に中国公安当局に拘束、逮捕された野口孝行さん(32)が5日に起訴された。起訴先は南寧市の人民法院(裁判所)とみられるという。

 この情報について、外務省邦人保護課は「確認中」としている。 (時事通信)

[4月6日18時1分更新] (ヤフーニュースより)

自衛隊撤退せよ

小泉首相さま

イラクから自衛隊を即時撤退してください。

「ヤシン師を暗殺したイスラエルを激しく非難しないブッシュ大統領」を批判してください。

イラク人の住宅地を空爆するアメリカ軍を非難してください。

自衛隊即時撤退せよ(続き)

バクダッドのリバーベンドさんのブログから少し引用させてもらいます。http://www.geocities.jp/riverbendblog/

「2004年4月4日日曜日」の一部 バグダードとナジャフでは、アル・サドル支持者のデモが続いている。バグダードでは、グリーン・ゾーンとシェラトン・ホテルの近くに何千人も集まっている。怒りにみちた黒衣の大群衆。ナジャフでは、デモの群衆は、スペイン軍駐留地のすぐ外にいて、スペイン軍兵士は彼らに向けて発砲した。少なくとも14人が死亡、数十人が負傷と伝えられる・・・ (略)

 これだけははっきりさせておきたいのだけれど、私は、アル・サドルの支持者では”ない”。イラクを第2のイラン、サウジアラビア、クウェートにしようとしている聖職者たちは嫌いだ・・・だが、デモに対し、軍隊が銃弾と戦車で応じているのを見ると、心底激しい怒りがこみ上げてくる。集まった人々に向けて発砲するつもりで、デモを許可したってわけ? デモの人々は、武装していなかった、ただ怒っていただけ__最近ブレマーとその一派がアル・サドル派の新聞を発行禁止した。また、サドルの側近ナンバーツーが南部でスペイン軍に拘束されていると言われている(スペイン軍は否定しているが)。サドルの信奉者たちは憤激している。そして、(ちゃんと聞いてね)__その信奉者たるやほんとに半端な数じゃないのだ。(略)

そして、ラムズフェルドたちはアブサドル一派をアルカイダ並の主要敵に位置づけてしまった。自衛隊は「復興支援のために」イラクに存在する、なんていう理屈はいまやびしょぬれになったティッシュのように崩壊した。イラク人の集団と闘い彼らを殲滅する自衛隊を望む人たちだけが、自衛隊即時撤退に反対するだろう。

リバーベンドさんのブログ(の翻訳)によれば、かっては女性たちでにぎわっていた市場は今や女性たちにとって危険な場所になり、ほんの少数の女性たちしか見かけなくなった、とのことです。しかも女性たちは例外なくヒジャブを被っている。米軍はアフガンでは女性をヒジャブから解放したと宣伝された。1年間の米軍主導による統治はその逆をもたらした。つまり失敗したのです。

見捨てられた死者

「生きていても死んでいても」と書くと囂々たる非難がやってくる可能性があるがとにかくイラクの3人の日本人は日本中の注目を集め続ける、しばらくの間は。それに対して死んでしまったり囚われているイラク人には日本人は誰も注目しない。人の命は地球より重いというが、その重さのコロニアルな落差は百倍を越えていよう。<三人>の方はその落差を埋めようと志し自らの存在を駆り立てた方たちのようにも聞いている。もし三人が殺害されたら世界はより暗くなる。

すでに日本は戦時下にあるのだ。

 Fumiiwaさんへ 問題を「誘拐者の要求に応えるのかどうか?」だととらえるとどうしてもテロリストをつけあがらせるな、というふうに流れてしまうかもしれません。そうではなく、「現在の自衛隊のイラクでの存在に正義があるかどうか?」が問題で、それは「米軍のあり方が正義を最終的にもたらすことができるものなのかどうか?」に依存します。少なくとも数日前のアブサドル一派との戦闘関係の開始以後、後者の答えは残念ながら限りなくゼロに近い。だから国益から判断すると「撤退」が良い。ということになります。わたしの根拠は意外と微温的なもので、左翼では全くない JMMの冷泉彰彦氏の意見とほぼ同じです。彼の意見は「第四の選択肢は撤兵です。今回の派兵はあくまで「戦後の破壊されたインフラを整備する人道支援」という目的のものです。その「戦後」が改めて「内戦」に事態が変わるのなら、そして今日付でイラク国内からの日本人民間人の退避勧告が出たように、人道支援などできる条件が失われたのなら、自衛隊は駐留を続ける理由すら失ったと言えるのです。」というものです。イラク人との血みどろの戦闘を戦い抜く決意も無しにイラクにいても無意味に人が死んでいくだけです。とにかく自己なりの正義の基準において、判断すべきだろう、どちらにしても人は死ぬのだから。そして明日私が死なない保証もない。

 「すでに日本は戦時下にあるのだ。」とマエストロ鏡玉という人が書いていましたが、いまならまだ1割、2割の隙間はあると信じたいものです。「戦時下としての判断」であれば、日本人でも劣化ウラン弾問題を叫びたがる活動家は利敵分子であり、助けてわざわざ英雄として迎えるなどとんでもない、ということになりますが。

 民俗クッ「済州島四・三事件」の紹介ありがとう。面白いかも知れませんね。できれば行ってみたいです。済州島旅行いいですね。わたしはたかだか一冊の本のわずかな頁を読んだだけなのに、金時鐘が語るその当時の海のなかの屍体の群がわりとリアルに感じられています。・・・