10/26までに三人の方からコメントいただきました。ありがとうございます。
(1)
# 通りすがり 『匿名失礼します。上記1~3のような反フェミ/フェミの水掛け論は耳にタコの世界ですね。もっとこう、プラグマティックで議論の土台になりうる、「遺伝的に違ったらどうなんだよ。抑圧しても差別してもいいのかよ」という、止揚を目指した議論が(一般に)広まることを期待します。』
(2)
# dennouprion 『統計的に男女差があっても個人差があるわけだから、差別は正当化できないはず。遺伝的なさがあるかないかを議論しても無意味だと思います。http://www3.ocn.ne.jp/~gthmhk/dskrmnc.html#kagaku』
上記で紹介いただいたサイトから一ヶ所だけ引用すると次のようです。
だから私には、仮に女性の方が男性よりも生物学的適性により子育てとか家事に有意な差において適しているという証拠がいくら「科学的」に提出されたところで、果たしてそれが女性に子育てと家事を担当させることを正当化する理由にはならないと思うのです (*)。
http://www3.ocn.ne.jp/~gthmhk/dskrmnc.html#kagaku
男女に統計差があるなら役割分担すべきか
(3)
# Cman 『統計的な男女差が人為的な差別によるものかどうかを識別するために、遺伝的な要因があるかないかが問題なのだろうに。』
以上、野原は(1)(2)の方の意見に賛成です。(3)の意見は山形さんに近いのかな。
(3)の問題設定は、(1)(2)及び野原に理解されていないし、理解すべきかどうかという問題意識すらないようだ。したがってCmanさんは、もし議論したいなら、その問題設定の妥当性を私たちに対し教育しなければならないみたいだ。