間違いは訂正すればよい!

モヒカン族とやらが流行っているという。世捨て人が流行りものに手を出すのも恥ずかしい。だけどまあ面白いかもしれないので引用して見よう。

http://mohican.g.hatena.ne.jp/keyword/%e3%83%a2%e3%83%92%e3%82%ab%e3%83%b3%e5%ae%a3%e8%a8%80

モヒカン族 – モヒカン宣言

■ 宣言

1. 発言者の社会的地位を気にせず、言説だけに注目する

2. 事実のやりとりに、余計な装飾語はいらない

3. 間違いは、きちんと認めて修正すればいい

だいたい賛成です。特に3. 「余計な装飾語はいらない」というのが理想ですが、私は意味なく相手の気分を害していることが多いのではとも思う。

■ モヒカン族5つの価値

校正

間違いを訂正してくれる人を我々は尊敬して評価します。よけいな裏読みをして「人格攻撃している」とは思いません。

共有

アイディアに校正の機会を与えることが生みの親の義務です。「理由が無いけど、これはこれでいいんだ」というエレガントではない開き直りはくだらない。

ツッコミビリティ

校正、反論しやすいエレガントな言説が価値ある言説です。その為には、冗長にならない範囲で、ソースと推論過程を明確化し他へ示します。

(1項目略)

差異

お互いの違いを確認することで、我々はつながります。「自分らにとって良いから他の人にも良いはずだ」とは思いません。(同上)

正しい、というか反論しにくい。あえて言えば、読みとりにくい文体で書かれた文章をどう評価するか、という問題が考察されていない。

文学的には、文章とは伝達可能性と不可能性のバランスにおいて成立する。文章を書くとき、ツッコミビリティを高めるという意識を持って書くべきだというのは賛成だ。だが一方では他者には“全然分からない”といわれるそうした文章を書く権利も人は持つ。それは「詩」であり、文章(論説文)は自ずから別だろう、と言われるかも知れないが私はそうは思わない。例えば磯部浅一のように反逆罪で訴えられたらそれに対する反論は、論理=合法性を離れ詩に近づくだろう。だからといってそれを揶揄することしかできないものは、自らえらんだわけではない東条英機を許しながらあと千年生きることになる。

「その為には、冗長にならない範囲で、ソースと推論過程を明確化し他へ示します。」わたしの文章にはソースの提示はあるが推論過程の提示がないな…

ちなみに、<野原燐 気付 自主ゼミ実行委員会>の原則は下記の通り。

1.公開。

2.参加者の自由な討論ですべてを決定する。

3.このゼミで討論され考察の対象となった事柄は、参加者が各人の責任において、以後あらゆる場で展開していく。

考えてみればわたしたちの社会も、すべての市民の「自由な討論ですべてを決定する」というラディカルな原則を“原則としてだけは”とっくの昔に採用していたのだった。その場合、モヒカン宣言に類する心構えは当然必須ということになるべきだったろう。モヒカン宣言なるものがけっこう新しく見えるのは、「自由な討論ですべてを決定する」を真面目に押し進めようとする勢力がごく少なかったことを意味しよう。したがって、上記のような留保は付けつつも、モヒカン宣言に賛成し発展を祈りたい。

ハッピー=より高次の水準への訂正

上記「5つの価値」のうち省略したのは下記の1項目。

全体最適化

たくさんの人がハッピーになれるエレガントな方法を見つけた時、我々は最もハッピーになります。

抽象的すぎてピンとこなかったのだ。「間違いの訂正」といっても何が間違いかはについて他人と同意するのは時として困難だ。したがって何を目指すのかをイメージとしてだけでも提示しておかなければいけないと思って書かれた規定だろう。希薄だがポジティブである。

「スパゲッティな」プログラムは悪い、その反対はエレガントで良い、そのような価値観を文章や人間関係、社会関係にも敷衍しうるみたいな感覚が基礎にあるのだろう。

掲示板*1などへの表現は、全当事者に向かって等距離に開かれている。したがって「幻想性のエネルギーの量と質を、関わりをもつ全当事者が認識し解放していく度合で、より高次の水準ヘ〈訂正〉しうる。」わけである。

松下昇氏の文章の一部を引用しておく。

一 執筆~印刷~配布の全過程に関わろうとすること、全ての人がそうしうる情況をつくろうとすること、その試みが極めて困難であるが不可能でないことまでは視えてきた。訂正についても、具体的な作業を行う人の内的な意識を共有しつつ、この意識や労働対価の疎外形態の止揚をめざしている。

二 ①〈黒板〉~〈壁〉への直接表現や話体の言葉も、それらが影響を及ぼした幻想性のエネルギーの量と質を、関わりをもつ全当事者が認識し解放していく度合で、より高次の水準ヘ〈訂正〉しうる。

②権力の表現所有~訂正に関する構造は、基本的には権力構造の打倒~解体によって〈訂正〉しうるが、権力が無視しえない、別の〈同一〉表現をつくりだし対置する作業が、拘束されている表現を固定化させないためにも必要である。

③人間~社会の行動軌跡~様式の対象的〈訂正〉の組織論の萌芽は、前記①、②を具体化する際に、モンテーニュのとった〈空虚〉への対し方の対極で〈 〉を媒介して出現しつつある。

松下昇『概念集・2』p28「訂正」より

*1:ブログとかも他者に強制的に開かれた表現であるという点では従来のHPより掲示板に近い

<新しい事物>を世界へ投げ入れる可能性

http://d.hatena.ne.jp/using_pleasure/20050706/1120590416 記識の外 – モヒカン族のために。

から、「ハッカー宣言」 * 作者: マッケンジー・ワーク, 金田智之 * 出版社/メーカー: 河出書房新社 の一部の一部。

004 ハッカーは新しい事物を世界へ投げ入れる可能性を創り出す。しかし、それは常に偉大な事物であるとは限らないし、良き事物であるとも限らない。だが、とにかくそれは新しいのだ。

(略)

我々は我々が生産する何ものかを所有しない。その何ものかが我々を所有するのだ。

130 情報はコミュニケーションを上回っている。ドゥルーズによれば、「私たちはコミュニケーションを欠いていない。対照的に、私たちはコミュニケーションを持ちすぎているのだ。私たちは創造することを欠いている。私たちは現前するものに抵抗することを欠いているのだ」。情報とはこの意味での抵抗であり、情報の死んだ形態であるコミュニケーションに対して抵抗をおこなうことなのだ。

133 情報の、反復するコミュニケーションへの従属化は、情報生産者の情報所有者への奴隷化を意味している。

 コミュニケーションについて一般的な理解は俗流ハーバマス主義ともいうべきものである。彼らは、物事を常にある人*1が予め理解している地平に回収してしまう。つまり彼らにとって<新しい>ことは起こらない。私たちが理解し合うとき<差異>は私たちの手により殺されている?のかもしれない。 

つねに「情報の死んだ形態であるコミュニケーションに対して抵抗をおこなうこと」が為されなければならない。

つまり、モヒカン族ブームの核心は、一見ポスコロ的PCに反するかに見える「ハンドアックス」という比喩の過剰さにある。

*1:大衆?

人々を幸せにする力があると考えます。(7/13追記)

更に言えば、僕はもしリンクについて管理人と対話して、リンクを拒否された場合にも、きちんと深く考えて本当にそのリンクによって生じる不利益より利益の方が多かったら、例外的にリンクして良いと言ってるのです。何故か?結局殆どの人間は、例えどんなに自分で「真剣に考えた」と言っても結局一人で考えているときはその思考は浅い水準に留まります。しかしリンク先と直接対話することによって、自分がやろうとしているリンクは本当に人々を幸せにするのか等のことを深く考えられるのです。これはむしろ研究者、いやリンクを含む様な記事を書こうとする全ての人にとっては天啓であると言っても良いでしょう。その意味で、僕はむしろ「無断リンク禁止」という言葉には対話を促進させ、人々を幸せにする力があると考えます。

http://d.hatena.ne.jp/rir6/20050713/1121198432

rir6さん、はじめまして。無断リンクTB引用します。

申し訳ないけどrir6さんの文章斜めに読んだだけです。またわたしにモヒカン族というものが分かっている訳でもありません。したがって、あなたはモヒカン族を批判しているがモヒカンというものは本来そういうものでは全然ない、などと言おうとするわけではありません。

ただモヒカン族は「たくさんの人がハッピーになれるエレガントな方法を見つける」ことを目標にしており、rir6さんはある発想には「人々を幸せにする力があると考えます」と述べておられます。文章の内容を問わずに形式だけ見るととても似ている。しかもあからさまにポジティブで関係構築的志向を持っている。

そういうところはとても(両者とも)良いのではないか、と思った。

上では野原は、ドゥルーズを借りて“コミュニケーションなるもの”への懐疑を書き留めた。ここでrir6さんは、むしろ〈話が通じないという体験〉をすることが、思想を深めることがあると言っている。とても興味深いと思った。

モヒカンチェック(7/16追加)

http://ryak.net/fun/mohicancheck.html モヒカンチェック!

あなたはイロコイ族的刹那主義だそうです。

でもイロコイ族とは?? エンゲルス『家族・私有財産・国家の起源』ではイロクォイ族です!

■タイプ7になっちゃった方

[あなたはイロコイ族のようです]

あなたの行動指針は[快楽]です。何より、毎日が楽しい場所を望みます。

反面、厳しい現実から逃避して自分を甘やかしがちです。

楽しいことは共有できても、この人とは苦しみは共有できないかも、そう思われてることがありますよっ。

[タイプ7のあなたならこんなことはしない]

最後まで自分の記事に責任を持つ

毎日毎日、変化のない日常を記事にする

[たまにはこんなことをすれば吉]

一度に書き上げる記事を絞ってみましょう。

最後まで自分の記事に責任を持つ、意志はあります!

… … …

これを三点リーダ というのでしょうか。

わたしはトロワポワン(trois-points)というのだと思っていた。

今辞書を引くと、trois-pointsというのは、フリーメーソンの印で、…ではなく、数学の「故に」のように3点を三角形に並べたもののようだ。…

アパルトヘイト・ウォールは国際人道法違反!

Stop the Wall !!実行委員会からのメールより。賛成なのでコピペします。

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     「壁」に関するICJ勧告から一周年

  私たちは「壁」建設の即時中止と原状回復を求めます

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2004年7月9日、国際司法裁判所(ICJ)は、イスラエル政府によるパレスチナ占領地域・ヨルダン川西岸地区における「壁」建設に関する勧告的意見を出しました。一周年を迎える今日、私たちは、イスラエル政府、日本を含む各国政府、国連機関、世界銀行などの諸機関がこの勧告を尊重し、その内容を実行に移すことを求めます。

 ICJは、2003年12月8日の国連総会(総会決議ES-10/14)に応じ、東エルサレムを含むパレスチナ占領地域におけるイスラエル政府の「壁」建設の法的な影響について、一年前の7月9日に以下のような勧告的意見を出しています。

・「壁」の建設は、パレスチナ占領地域での財産の破壊あるいは接収を伴っており、1907年ハーグ規則やジュネーブ第4条約(文民条約)などの国際人道法に違反する。

・「壁」の建設は、占領地域の住民の移動の自由を実質的に制限するものである。これは農業などの生産活動、医療、教育、水などの資源へのアクセスなどに深刻な影響を与えており、ジュネーブ第4条約などの国際人道法、国際人権規約、および関連する国連安保理決議に違反する。

・「壁」は、「グリーンライン 」と「壁」との間の区域に、イスラエル人入植地の大多数が含まれるよう湾曲した経路で建設されており、事実上の領土併合である。これは武力による領土の取得を禁じる原則に反しており、パレスチナ人の領土的主権と自決権を侵害している。

・イスラエルは、現在進行中の「壁」の建設作業を即時中止しなければならない。 また、イスラエルは「壁」建設のために接収した不動産を返還し、それらの原状回復が不可能な場合は当該被害者に賠償する義務を有する。

・この問題は、イスラエル・パレスチナだけでなく、国際社会全体の平和と安全に関わるものである。すべての国には、これら「壁」建設とそれにより引き起こされた事態の維持につながる援助をしない義務があり、これらの違法状態を終らせる努力をしなければいけない。

 同年7月20日には、国連総会が決議を採択し(ES-10/15)、これらのICJの勧告的意見を支持しています。

 また日本の原口国連大使は同年7月16日の国連緊急特別総会において、「壁」建設の継続を遺憾であるとして、イスラエルに適切な行動をするよう呼びかけています。

 しかし、過去一年間、「壁」の建設は中止されることなく続いています。さらにこの「壁」以外にも、イスラエル人入植者や軍のための道路が建設され、占領地域の人々の居住地域は分断され、互いから隔絶されています。これは、農民が彼らの土地や水源から切り離され、家族と家族が切り離され、子どもが学校から、また病人が医療施設から切り離されることを意味しています。私たちは、これらの政策がパレスチナ自治区の住民にさらなる困窮を強いていること、そして和平プロセスを形骸化させていることを憂慮します。

(略)

          2005年7月9日 Stop the Wall!! 実行委員会

6枚の金貨

(問い)6枚の金貨のうち、1枚が偽貨で重さが違う(重いか軽いかは分からない)。天秤を2度使い、偽貨を当てなさい。

(答・1)

1.6枚の金貨をA1,A2,B1,B2,C1,C2 とする。始めにA1+A2とB1+B2を比べる。

2-1.A=Bの場合。偽貨はC1かC2。

C1と例えばA1(A,Bのうち任意の一枚)を比べる。

2-1-1.C1=A1の場合。偽貨はC2。

2-1-1.C1=A1でない場合。偽貨はC1。

2-2.A<Bの場合。C1C2は正貨。

(A1+B1)と(C1+C2)を比べる。

2-2-1.(A1+B1)<(C1+C2)の場合、偽貨はA1かB1のどちらかだが、2-2より軽いのはA1の方。つまり偽貨はA1。

2-2-2.(A1+B1)>(C1+C2)の場合、偽貨はA1かB1のどちらかだが、2-2より重いのはB1の方。つまり偽貨はB1。

2-2-3.(A1+B1)=(C1+C2)の場合、偽貨はA2かB2どちらか。

この答では、最後の場合に偽貨は確定できない。ほかに正解はないのかな?

(この問題は私がつくったものなので、正解があるのかどうか分からない。)

(えー、どこかで、13枚を天秤3回で、という問題を見た。難しくて分からない。その答えはまだ見ていない。その準備として考えてみた。)