JR西日本は何のために戦っているのか?

その路線(福知山線)は阪急電鉄と競合している(梅田-宝塚間)。というかわたしのような昔の人間にとっては阪急のイメージの方がかなり勝っている。これはJRの関係者にとって不愉快な事態だろう。だとしてもJRはなぜ勝ちたいのか?株主の利益のためか。

 率直に言って、あまり意味がないことに近視眼的心情を燃やしているのではと思う。鉄道は利用者の為にある。JRは勝とうとするために無駄なエネルギーを使うべきではない。

大和魂で列車を走らせていた

nagacyanさんは過去を振り返り、「昭和38年11月9日に発生した「横浜市鶴見区、東海道貨物線脱線事故」についての記事でした。この事故の犠牲者は、死者61人、負傷者120人。」を発掘しておられる。

「鶴見事件のときは『また、やったか』と思った。列車はどんどん増発されているのに、保安設備や線路増設は後回し。人間の力は無限だと旧海軍並みの猛訓練で補い、大和魂で列車を走らせていた。

(当時「鉄道労働科学研究所」次長であった斉藤雅男氏のインタビュー記事より)

http://d.hatena.ne.jp/nagacyan/20050425#p3 から孫引き

「赤心」という言葉がある。「唯一箇の赤心これわが神道の教なり。此赤心天地の道なり。神明の教なり。*1

儒教の基本的教えである「仁、義、礼、智、信」に対しそれを一箇にまとめた強力な原理である。「嬰児も母に親しみ父を敬う。生まれしままの直心なり。此こころ、成長にしたがい増長せば、聖賢の地位にも至るべきなり。」うまれたままの赤ん坊のこころで、絶対的真理に辿り着けるのだから大安売りみたいな思想である。

「君に対せば忠なり、父に対せば孝なり」。「会社への帰属意識を高めること」によって、「時間厳守と安全の両立」という困難を「自然に」達成することができる、という奇妙な信念。しかしながらそれは頭から馬鹿にして良いものではない。最初の引用によれば、「大和魂」は旧海軍や国鉄では何らかの効果を挙げることができた、ということだ。大和魂の主要な力は、わたしというものがその持てる力の全てを自発的に国家(組織)の方に差し出すという、心のそこからの自発性の動員にあった、はずだ。そう考えると、今回のJRの教育システムは大和魂システム的にも失敗だったことになろうか。

(この文章は飛躍が大きすぎて読むに耐えないと言われるでしょう。野原の発想の構図を示す意味でUPしておきます。)

*1:慈雲『神儒偶談』、p289『近世神道と国学』より

誇り

事故の核心にあるのは、専門職への尊敬を失った社会という問題です。

(冷泉彰彦)

秩序の真の姿

  〈スト〉に入る契機自体よりも、一ケ月以上にわたるスト持続によって、一切の大学構成員と機構の真の姿がみえはじめ、同時に、自己と、その存在基盤を変革する可能性がうまれていることの方が、はるかに重大なのだ。(松下昇)

http://members.at.infoseek.co.jp/noharra/matu1.htm 情況への発言

 百人を超す死者たちを生んだ惨事は、わたしたちに少しの間、<秩序の真の姿>=おぞましいイジメでしかないものを公務と言いつのって恥じない倒錯 をかいま見させた。

貧乏人の連休の過ごし方

子ども二人家族4人、ふだんは多いとも感じませんが家族旅行にでも行こうものなら4万円単位でお金は飛ぶように出ていくので行けるものではありません。まして連休は混んでるし。だからといってべったり家にいても普段と同じではあまりにも単調です。どこかに日常性を離脱する契機が欲しいもの。“うちのおかあさん”はおとといからさっさと一人で友人宅に泊まりに行ってしまいました。家事労働全般を子どもと3人でやらなければいけません。ゴミ出し、洗濯物干し、食器洗い、ほんの少しでも普段はうちの子はやらない。今回も嫌がるので「やらないとおかあさんに(子どもの自立を助けるため)帰ってくるなと言うぞ」と脅して無理矢理やらした。

更新履歴

http://members.at.infoseek.co.jp/noharra/

の更新履歴です。

050503

2)indexファイル: 「掲示板についての原則」のテーブル化

3)indexファイル:「松下昇への接近」の案内文の最初「ここを開始してから2年以上経ち、惰性で継続しているという批判は免れがたい。」の削除、など。

(訂正前の文章)

ここを開始してから2年以上経ち、惰性で継続しているという批判は免れがたい。

「故人」の完成したテキストを公開~広告していくのではなく、いまここに突き出される提起としても提出したいと思ってきました。それはいくらかは実行できた、と自負するものです。しかし、<松下昇の~わたしの原告団>の全体像を開いていくだけのプランの力強さが欠けていたと反省せざるを得ません。現在試行中。松下のテキストを読みたい方は下記野原までメールしてください。20030812~1005

4)「刊行リスト」での「スペースAK」へのリンクが切れていたので繋ぎ直す。

http://members.at.infoseek.co.jp/noharra/matu992.htm

5)

 現在までうちのサイト(インフォシークnoharra)、及びhatena(ここの1100年のところ)(htmlファイルを白紙から作るべきだが面倒なのでとりあえずhatenaを利用している)にUPした、松下昇の表現は数えると10個あった。(洩れているものもあるかもしれない。)

あんかるわ版表現集から、「私の自主講座運動」と「情況への発言など」、あとの8つは概念集シリーズ(全14冊+α)からだ。下記に目次掲載した。

http://d.hatena.ne.jp/noharra/11000110#p1

indexファイル(表紙)には、「私の自主講座運動」「情況への発言など」「「概念集」から」と、三つに分けて表示し、最後のに上記をリンクした。

050502

1)概念集3の目次 テーブル化やっとできた。

http://d.hatena.ne.jp/noharra/11000111#p4

(エクセルでいうセル結合を、tableでどうやってやるのか、まだ分からない。)

050501

http://members.at.infoseek.co.jp/noharra/itbe1.html Let it be

誤字訂正 4ヶ所

(訂正前)・至らしめ、、

・とこかで

・この対応への耐えがたさか

・・・・

040811

・概念集の1項目の「批評概念を変換し…」を追加。索引から入ってください。きっかけは、掲示板で「無意味と言葉」について話がでたため。

参考:

040509

・『表現集・1』より「わたしの自主講座運動」を追加。表紙から入れます。

040429

・・ 野原燐の頁「いま非国民カードを引こう」に「天皇あるいは言説について」を追加。

040427

・概念集の1項目の「連続シンポジウム」を追加。索引から入ってください。きっかけは坂本守信氏の学友会裁判の最高裁判決がでたため。

参考

040307

・トライポッドからライコスへの移行に伴い、壊れていたカウンタを再作成。リセットされた。ちなみにはてなの野原日記は、短期間で現在1345。

・更新履歴が「新しいものが下」になっていたが「新しいものが上に」置き換える。

0402某日

・「noharra(野原の日記)」を「彎曲していく日常(野原の日記)」に変更。

031124

・「掲示板」の上に「noharra(野原の日記)」を追加。

いままで掲示板に(平均週1回程度)野原は書き込みをしてました。

11月から「はてなダイアリー」というところで、日記というか文章をUPすることにしました。現在、こちらの方によく書き込んでいます。。

031011

・「Let it be」の文章の行間を開けて読みやすくするために、

スタイルタイプの記述を入れてみた。

(そのtagをここに書くとhatenaではここまでしか表示してくれない)

スタイルシートというものだそうだが上手くいくのか。

・「更新履歴」を作成、UP。

031005

・タイトルを「O<<   >>O」から、

「<<<<<<   >>>>>>」 に訂正。

・「表紙」訂正:メインコピーの1行目に、

「全ての問いを、その極限まで展開しうる状態の中に存在せしめよ!」を追加。

・更新履歴を追加。(中身はなし)

・概念集の1項目「Let it be」をUP。(上記「存在せしめよ!」からリンク)

・「バリケードと松下(写真)」を追加。(中身も)

・「掲示板」自由に書き込んでくださいの下に下記を追加。

|(今頃言うのもおかしいが原則を定めます) 1.公開

|2.参加者の自由な討論ですべてを決定する

|3.このゼミで討論され考察の対象となった事柄は、参加者が

|  各人の責任において、以後あらゆる場で展開していく。

030812

・「表紙」訂正:下記メインコピー二つを削除。

「…… 告発し、占拠する、関係としての原告団をつくろう。」を追加。(松下氏のフレーズ)

・「一旦縮小」の文章追加。

ここを開始してから2年経ち、惰性で継続しているという批判は免れがたい。

故人の完成したテキストを公開~広告していくのではなく、いまここに突き出される提起としても提出したいと思ってきました。それはいくらかは実行できた、と自負するものです。しかし、<松下昇の~わたしの原告団>の全体像を開いていくだけのプランの力強さが欠けていたと反省せざるを得ません。2週間以内に再出発する予定で、一旦縮小します。松下のテキストを読みたい方は下記野原までメールしてください。 20030812

・「亡くなりました」訂正:(蛇足)で何が書いてあるのか を追加。

030717

・「表紙」訂正:メインコピーを二つ。(いずれも松下氏の文)

「 いま自分にとって最もあいまいな、ふれたくないテーマを、闘争の最も根底的なスローガンと結合せよ。そこにこそ、私たちの生死をかけうる情況がうまれてくるはずだ。」

「汝はなぜここにいるのか。もはや、ここから脱出することはできない。ここに集中してくる全てのテーマを一人でも生涯かけてひきずっていく力を獲得するまでは。」

2001/07/24ごろ このサイト開設(掲示板「北海」も)。

・・・・さらにその前史。hi-hoとあと一つの場所で開始を試みる。2年ほどはやっていたような気もします。内容はここと大体同じ。

「存在様式の変革」とは?

 松下昇は模索した。「自己が依拠してきた発想や存在の様式を変換する*1」ことを。「任意の位置ないし関係相互の間における発想や存在の様式の矛盾を止揚する原則を模索する*2」という明確なヴィジョンを持って。

 「大学闘争は、たんに、虚偽にみちた大学の機構や当局者たちだけを批判してきたのではない。もっと巨大で、無意識のうちに私たち全てをつつみこんでいる矛盾の総体と格闘してきたのである。これまでのあらゆる革命運動が見落としてきた領域を、現在まで人類史が累積してきた諸幻想領域との関連で把握し止揚の道を切り開くこと。*3

“もっと巨大で、無意識のうちに私たち全てをつつみこんでいる矛盾の総体”。わたしは矛盾に包まれている。わたしたちは矛盾と闘うすべを知らないが、それがあることだけはありありと感知している。わたしたちの平穏な日常は一瞬にして、出口の見えないホラー映画のごとき暗鬱に包まれる。松下に近づこうとすることはそうした体験であるのだろうか。

 ・・・・

松下昇は私に最も近い思想家、テキスト作家であるはずである。であるがまた同時に〈ひどく遠い〉タブーの存在でもあるのだ。彼に接近する事に対する障壁は無いはずなのに、どこかでそれをむしろ作っているわたしがいる(ようだ)。わたしの問題はちょっとおいておいて、とりあえずすることができる(しなければならない)ことがあるので、していきたいと思う。*4