革命的法創造の営為

田島正樹氏のもう一つの論点は、法創造的営為の必要性である。

3)今般問題となってゐるのは、権力自体の機能不全・戦後処理をめぐっての問題解決能力の欠如・ならびにそれに伴ふ権力の権威の崩壊に、いかに対抗し、補填するのかといふことである。

 それは、権力の空白を放置すれば、そこを必ず恣意的なマフィア的暴力が横領してきて、自然状態の荒廃を回帰させてしまふからである。この空白(法の203高地)をめぐってマフィア的暴力と革命的(法創造的)左翼が、常に陣地争ひをしてゐるのだといふことを自覚せねばならない。

http://alicia.zive.net/MT/mt-comments.cgi?entry_id=152

おおやにき: Comment on 法廷と手続的正義・続々々

既存の中立的制度を形式的に守っていこうとする、常識的に正しい態度は、「すでに右翼的なのである。」

むしろわれわれは「当面の政治状況が左右の敵対性に引き裂かれていることをすすんで承認」しなければならない。

「むしろこの視座からは、既存の制度の中に広がる空洞化・無政府状況に抗して、公共性を奪取し更新することによってのみ、それを保守し救済する事ができると考へられるのである。」

 正義のために法を創造して行くべきであるという発想には力づけられる。

1/29の日記では、国境を越え民衆が自前で実力で審理の場を形成したという点を大きく評価した。どのような主体性、公開性、デュープロセスにおいて公開審理の場を作っていくべきなのか、わたしたちは本気で考える。考えられることはいろいろあるだろう。

「何の問題もない」といえる人がどれだけいたのか?

# botaro 『

(略)

まず冒頭の「慰安婦制度は犯罪であった」というのがよくわからんです。それそのものは別に違法な制度ではなかったでしょう。正当な対価が支払われ、納得の上で応じたのなら何の問題もないはず。問われてるのは、軍による強制連行等の事実であるはずです。

私は「素顔の慰安婦たちの本音に近づくことが善であるという立場に」必ずしも立っていません。mojimoji氏の論述より、学究的に意味のあることである、という認識は持ちました。学究の徒でないのならば、「救済にかなうならば」という条件が付きます。「そっとしておいてほしい」という人にあえて近づくのは、むしろ悪である、と考えます。

お察しの通り、私は一次資料にはあたっていません。ですが、聞きたくないわけではありません。どっちかといえば聞きたいです(一番の関心事ではないことは確かですが)。1/25と2/3の引用部分は読ませていただきました。』

「まず冒頭の「慰安婦制度は犯罪であった」というのがよくわからんです。それそのものは別に違法な制度ではなかったでしょう。正当な対価が支払われ、納得の上で応じたのなら何の問題もないはず。」

「国際法廷」に提出された数十名のケースでは、契約解除の自由がなく、逃亡すれば死の危険すらあり、また「労働」の内容も内地の娼家に比べても一日数十人の相手をするのなど、実質的に人間の尊厳と自由を奪われた奴隷状態だったと思われます。

納得の上で応じた形がかりにあったとしても契約の一方が銃を持った占領者であった場合、自由意志による契約というには瑕疵があると言える余地は充分あると思いますが。

「正当な対価が支払われ、納得の上で応じたのなら」そういうことがあったとしても、対価といっても実際には払われなかったり軍票で払われたりで家に現金を持った帰れた人などいるのかしら。

「「そっとしておいてほしい」という人にあえて近づくのは、むしろ悪である、と考えます。」彼女たちが「そっとしておいてほしい」と思っただろうとなぜ思うのですか。彼女たちが日本に来たのは自らの意志ではなかった、と推測しているのでしょうか。であればその根拠は?

その発言は「素顔の慰安婦たちの本音に近づくことが善であるという立場に」立っているわけではないのですか?

(2/13 18.49追加)

クリスマス休暇

guldeen 『ところで「慰安婦」証言の中の「日本軍の“クリスマス休暇”の時期」ってなんですか?』

えっ。わたしの引用の中には「クリスマス休暇」という言葉はないですよね。下記がソースかな。

http://tmp4.2ch.net/test/read.cgi/asia/1101741339/ 祝★朝鮮人元売春婦の金よこせ請求を棄却

88 :日出づる処の名無し :05/01/17 22:05:34 ID:wm7v9Do8

405 名前: 名無しさん 投稿日: 02/12/27 19:44 ID:UoVjc+9Y

「日本軍のクリスマス休暇には1日数十人の相手をさせられました。

今でもクリスマスが近づくとあの地獄の瞬間瞬間を思い出します。」

「精液をかけられ過ぎて、今でも牛乳やバターを受け付けれません。 」

「食べ物がないって言ったらこの死体の人肉を煮て食え」

「行為を拒否するとヘビでいっぱいの水溜まりに落とされた」

「性病にかかったと言ったら「無菌化する」と言って秘所に焼けた鉄棒をつきさされた」

「女の首をはね大鍋で煮てその煮汁を飲まされた」

「妊娠したら腹を裂かれ胎児を引き出された」

「精液を浴び過ぎて今でもマヨネーズが食べられない」

「ある占領地では74歳の老女まで強姦された。 」

参考HP

アジア女性基金 推奨 http://www.awf.or.jp/06.html

「従軍慰安婦問題」再考

http://www.mediajapan.com/ocsnews/96back/542b/542/542ianhu.html

「9時から6時までは一般の兵士、6時から10時は下士官、10時以降の泊まりは将校と、寝る間

も与えられなかった慰安婦たちは、男の腹の下で食事をした」

戦時中の日本にはクリスマス休暇やぶっかけもののAVがあったらしいです(藁

山田盟子著「女性たちの太平洋戦争」より。なのかな?

慰安婦たちの太平洋戦争―秘められた女たちの戦記:山田 盟子 ISBN:476982078X のことかな。ソース位ちゃんと書けよ。

慰安婦というのはどこの国の人か分からないけど、その人(あるいは通訳)がクリスマス休暇と表現したということでしょう。日本軍にはクリスマス休暇というものはなかったのかもしれませんが。

(2/13 20.58追加)

2/2東アチェ県で妊婦が射殺された

インドネシア民主化支援ネットワーク <http://www.nindja.com> に一度だけカンパしたら毎日のようにメールが来る。

そのうちの一つ [nindja:0092] アチェの状況( 05/02/08 )、に衝撃的出来事が載っていたので、転載する。

タイトル部分。

   ========================================================

◆スマトラ島沖地震:アチェの被害者への緊急カンパのお願い

◇振替口座 00190-8-76398 アチェ人道支援キャンペーン

==================================================

o 本日の記事

●東アチェ県で人権侵害つづく

●自由アチェ運動(GAM)現場レポート

●国軍、いまだ人権を尊重せず

「妊婦を射殺」部分だけ抜き出す。

●東アチェ県で人権侵害つづく

*以下の特別リポートはアチェの地元人権団体ボランティアによる報告である。安全のために団体名は伏せる。

掃討作戦、所持品没収、誘拐、殴打、射殺(2005年2月2~3日)

事件発生地:東アチェ県東プルラック郡スヌボック村

攻撃者:国軍突撃隊クマラン2第312師団、機甲大隊3アダカ・サクティ

事件発生時刻:18時30分~19時45分

○妊婦を射殺

 18時15分、一組の夫婦がプルラック・ラヤ郡ババ・クルンのドルスン・スカ・マクムル・アルー・オンからラント・スラマット郡スンゴー・ラヤに向けて出発した。彼らは妊産婦検診のため23km離れたクリニックを訪れるつもりだった。ニラワティ・ビンティ・アッバスは妊娠3ヶ月の身だった。

 約15分走ったクデ・アルー・ニローで、この夫婦は地元の人から止められ、国軍がこの付近で大規模な検問をおこなっており、多くの人が殴られたり、所持品を没収されたりしているので、これ以上先に進まない方がよいと警告された。夫婦はこの警告に謝辞を述べたが、住民証明書を所持しており、ただクリニックに検診に行くだけなので大丈夫だろうということで、そのまま目的地を目指した。

 しかし、夫は心配になり、ニルワティの両親の家に立ち寄った。ニルワティの父親トゥンク・ムハンマド・アッバスは自分が娘をクリニックに連れて行くと言った。ニルワティの妹が熱を出していたので、薬を買いたいということもあった。こうして父と娘はオートバイに乗ってクリニックを目指した。

 アルー・ニロー通りスヌボック村の検問所に着くやいなや、 5人の突撃隊兵士から止められ、住民証明書と行き先をチェックされたのち、通過を許可された。しかし、最初の検問所から145mしか行かない地点で父と娘は機甲隊の兵士から止められ、威嚇発砲された。最初のチェックポイントで何も問題がなかったため、父アッバスはオートバイを止めず、ただスピードを落としただけだった。突然、機甲第3部隊駐屯地にいた兵士が一発放った。撃てという命令は基地司令官ルビ・イスワディ中尉(NKP: 11010026970679)が発した。

 ニルワテ(21歳)は瞬く間に地面に落下し、父親アッバスは咄嗟にオートバイを止めた。犠牲者ニルワティは耳の真上の頭部をぶち抜かれた。彼女の耳は銃弾によりふたつに引き裂かれ、頭蓋骨からぶら下がっていた。数人の兵士が父親を取り囲んで、罵声を浴びせた。「停止しようとしなかったからこういうことになったんだ。さあ、子どもの死体を持ち帰って、埋葬しなよ」(Tapol, 05/02/07)

 この事件は日本ではもちろんインドネシアでも報道されていない。現地のボランティアの一人が事件を調査しようとした。しかし村は立ち入り禁止で住民以外入ることができない。「ボランティアも威嚇されており、国軍はもしこの事件に取り組む、またはメディアや国際グループに知らせれば、彼らを誘拐するか殺すと警告している。」仮にそれが事実であったとしても、報道する価値がないものだ、という判断がなされるかもしれない。

 で、ここまでの文章でこの「事実」というものはこのブログでは一定の重量を獲得した。だけれどもそれはどういうことか。

 下にP-navi info から、パレスチナのガザで20歳のパレスチナ男性が殺された記事を引用した。この事件は日本の大新聞にも載ったので事実である。しかるべき文脈と共に出来事は「事実」になり、わたしたちに提供される。

 イスラエルに同情的にしろそれに反発するにしろ、その男性の死を解釈する枠組みをわたしたちは持っている。(そうでないひとも多いかも知れない。今一人のパレスチナ人が死んだことには誰も興味を持っていない、と言う方が正確だろうが。)その男性の死をわたしは驚かない。

 ところが上のニルワティについてはどうだろう。まず事実のレベルで、その死は日本の大新聞に載ることなど絶対ないので、不確定である。それになぜインドネシア国軍が自国民を殺さなければならないのか。ニンジャのHPにも的確な答えは見あたらない。ブックレットでも買えばいいのだろうがまだできていない。ニルワティが死んだのが確かであったとしても、それが私にとって持つ意味はない、ような気がする。お父さんと一緒にオートバイに乗っていて頭を打ち抜かれた、可哀相である。・・・

 <素顔との出会いは、単に人間学的事実だけではない。根本的に言えば、それは存在するものとの関係である。たぶん人間だけが実体なのであり、それゆえにこそ人間は素顔である。(レヴィナス)> ニルワティとわたしは出会わない。ただ一通のメールに書いてあっただけであり明日になれば忘れるだろう。他者はつねにその線のすぐ外側にいるが、その線を越えることができると思うべきではない。とわたしは言いたいのか。

・・・

「ハマス停戦を破る」報道の虚偽

昨日の毎日新聞に 停戦合意後、初の死者 ガザ地区 という小さいベタ記事が載った。ガザのグッシュカティーフ植民地(入植地)付近で20歳のパレスチナ人男性がイスラエル軍に殺されたというものだ。*1

今朝の毎日新聞にはかなり大きい見出しで「ハマスがガザ地区で迫撃砲攻撃再開」という記事が載っている。(ウェブ版は数行だが、紙版は相当な紙幅を使っている)。ハマスが「停戦」を破り、迫撃砲をイスラエル植民地に放ったというものだ(建物への被害のみ)。よく読むと、イスラエル軍の攻撃でパレスチナ人の犠牲者が先だって出ていることがわかるが、パッと見の印象では「また、ハマスか!」と思わせられる。

http://0000000000.net/p-navi/info/news/200502111438.htm

P-navi info : 変わらない現実 ラファで青年殺される

*1:9日、パレスチナ人男性が入植地側からの銃撃で負傷し、その後、死亡した。

どういう法廷を創るのか

松井やよりさんの名前のブログができている。

Yahoo!ジオシティーズ – 「女性国際戦犯法廷」とは何か -松井やよりー

http://geocities.yahoo.co.jp/gl/matsuiyayori/

以下ちょっとだけ紹介。

「「法廷」を開くといっても、どういう法廷か、非常に議論がありました。」というようなところから率直に書いている。

処罰よりも和解を中心にする南アフリカ方式か、刑事裁判形式かで後者を選んだ。「この法廷を開く最大の目的は「慰安婦」制度が犯罪であるということを明らかにすることにある。」からである。

そして、そのためには、法廷の憲章(Charter)をつくって、どういう法廷を開くのか、どのような犯罪を対象にするのか、誰を訴追するのか、などを盛り込む、つまり、規則をつくらなければならないわけです。

それで、VAWW-NETジャパンがまず、法律家など専門家の意見を聞いて、何回もみんなで議論をして草案をつくった。そのときに参考にしたのは東京裁判憲章、旧ユーゴとルワンダの国際戦犯法廷規程(statute)、それと国際刑事裁判所の規程です。それをもとにしてつくったんですけども、何回も何回も練り直して様々な議論がありました。

参加者の内訳

海外からの参加者は、被害国からだけで390人で、被害者は8カ国から64人(韓国が220人のうち被害者が21人、北朝鮮が11人、そのうち被害者が2人、台湾が63人で被害者が12人、中国が28人のうち6人が被害者)ということで、

「戦時の性暴力に関してはこれまでも日本の「慰安婦」問題が裁かれなかっただけではなくて、世界の他の地域での武力紛争や戦争でも、性暴力は不処罰だったんですね。」という常識を打ち破ったのが、「旧ユーゴ国際戦犯法廷」だったと。

そこで、「アフリカ系黒人のアメリカ人で旧ユーゴ国際戦犯法廷の所長さんを一昨年までやっておられたガブリエル・カーク・マクドナルドさん」に裁判長を頼んだと。

下記 VAWW-NETジャパン のサイトとブログより読みやすいので、継続していってください。熱湯浴さんがさかんに宣伝してくれてるし。

http://www1.jca.apc.org/vaww-net-japan/index.html

http://blog.livedoor.jp/vawwnetjapan/

追記:「やより」さん下記にて継続している。(3/5追加)

http://blog.goo.ne.jp/yayori2005/

女性のためのアジア平和国民基金(アジア女性基金)

 について考えてみよう。

http://www.awf.or.jp/

女性のためのアジア平和国民基金(アジア女性基金)

アジア女性基金は1995年、政府の決定により設立されました。「慰安婦」とされた方々への道義的な責任を痛感した日本政府が、国民と協力して、償い事業など以下の各事業を行うために発足させたものです。

基金はまた、「慰安婦」問題に関する歴史資料の収集と編集、公刊に力を尽くし、募金活動の中でも「慰安婦」問題についての認識と理解を社会に広める活動を行ってまいりました。募金活動へのみなさまの積極的な参加もあり、「慰安婦」問題についての認識と理解を高めることに寄与することができたと考えております。

「慰安婦」問題についての認識と理解は日本社会に広まったか。この十年間で慰安婦たちも皇軍兵士たちもその多くの部分が亡くなった、残っているのは1割くらいかもしれない。そうした絶対的忘却に加えて、id:noharra:20050205#p1 で引用した星野氏の文章にもあるように、「戦時中に日本が朝鮮や中国に対して行った行為についても、なかったことと見なす人が増えている。」ナルシスティックな歴史歪曲だ。慰安婦のことを自分が知らないという初期条件を無視して、NHK問題を語りうるとする鈍感さが当たり前のものとされている。NHK問題という論争的言説の根拠にはそうした倒錯があるように感じられた。そこで、慰安婦の証言をコピペしてみたわけである。id:noharra:11001201 に再掲してみた。

 慰安婦の請求が法的に認められるべきかどうかという議論にはわたしは興味はそんなにはなかった。その前段階での、慰安婦の声を聞くこと、顔を見ることが大事だと思った。

「慰安婦」問題についての認識と理解を社会に広めることは、国家に準ずる団体である平和国民基金の趣旨である。したがってわたしのコピペもその方向にそったものである。ところが、下記を読むと慰安婦が強制的に送り出されたものなのかをめぐって、2003年まで長い間議論になったなんて書いてある。まあそれでは「慰安婦」制度の根本を押さえずに創った制度として、慰安婦本人たちに忌避されても当然だろう。「責任を痛感した」といくら言っても本人たちに忌避されざるをえないような向き合い方では謝罪にはならない。償いとは何かよく分からない。金をやっときゃあ良いだろうという金持ちの傲慢さと受け取られる。

 id:noharra:20050211#p5 でも書いた戦争責任をどう取るかという根本が確立できず、謝罪を形にしなければならないときに答えを出そうとすると常に右よりのナルシズムによって答えの形成が妨げられてきた長い長い戦後があったわけである。「答えの形成が妨げられてきた長い長い戦後」とは右翼も言いそうなフレーズではあるのだが、でも60年の歴史を省みてみれば妨げていたのは体制派の方だ。反省の代わりに憲法9条=平和主義を全面に押し出す形で、答えの形成を先送りしたまま今まで来た。

バカロレア

フランスでは、高校生の10万人デモがあり、

“「生徒にやさしい総合評価」を取りいれ12ある試験科目を半減させる案”が、撤回された。「総合評価」というもののうさんくささ、良い家の子が有利という点が嫌われた。

デモの側に賛成。

山の女たちの「聖戦」

わたしが初めて読んだ慰安婦関係の本は、『台湾先住民・山の女たちの「聖戦」』という本でした。これに触れた4年前に書いた文章が出てきたので自己引用します。ISBN:4768467709

00379/00379 VYN03317 野原燐 RE:加害の再現( 1) 00/12/12 07:51

えっと、一昨日見た映画は「パンと植木鉢」、監督はモフセン・マフマルバフ。パラダイスシネマにて、彼の他の3作品とともに12月15日まで上映中。

1996/イラン+仏/1時間18分/出演 ミハルディ・タイエビ

<AがBを刺す>の再現前についての映画だったはずが、第三項が導入され、この映画の最後の構図は<少女C>が中心になる。

客体であったはずのBはCに植木鉢を差し出す。Bの反対側画面の右にいるAはBを刺そうとパン(の下に隠されたナイフ)を突き出す。ナイフのベクトルと丁度同じだけのスピードで植木鉢が差し出される構図である。(パンと言ってもイランのそれはお盆の様に平たい)

ここで愛とも呼ばれるであろう植木鉢とは何か、問うべきだろうか。ナイフは単にナイフであることが出来ず貧しい人たちを救うためという大義を掲げてパンを仮装する。監督が再度大義を肯定した理由は明らかだろう。そこに大義などなかった100パーセント過ちだったと認めることは決着を意味するそれでは再現前を目指す必要はない。同様に被害者も100パーセントの被害者で在ることはできず必ず主体(ベクトルを持つ者)でなければならない。何故か。何故表現は必要とされるのか?

沈黙は加害者の勝利の平成を意味するからだ。

がらっと話は変わるが、台湾というのは日本ではとてもマイナーな主題だが、図書館で検索すればまあ数十冊は出てくる。その中の一冊を偶然借りてみた。おどろいたことにそこにも<50年後の再現前>のテーマがあった。

<AがBを刺す>のかわりにあるのは<AがBを犯す>だ。そう

この『台湾先住民・山の女たちの「聖戦」』というもって回ったようなタイトルの本はあきらかに一つの仮装を隠している、パンがナイフを隠したように。「聖戦」に付けられたの「」の意味は聖戦=性戦、である。そう、誰もが知っているが誰も近寄らない<従軍慰安婦>の再現前の困難という問題に取り組んでいるのだ。

性や慰安婦という言葉を避けたのは、作者柳本通彦氏が男性であることと関係がある。従軍慰安婦テーマでも多くの本が出ているが作者はだいたい女性である。<AがBを犯す>を逆転させて、<BがAを告発する>という構図になる。ところが、柳本氏は、男性日本人しかも当時のAと同じぐらいの歳格好(40前後)である。どうしてもAと自己同一化せざるをえない。

(つづく)

00380/00380 VYN03317 野原燐 RE:加害の再現( 1) 00/12/15 07:34 00379へのコメント

『台湾先住民・山の女たちの「聖戦」』という本についての(続き)。柳本通彦著、現代書館、2000年1月刊行。

この本は4章とあとがきから成る。1章は、タイヤルの女たち、

アキコ、キミコ、ケイコ、サチコ。2章は、タロコの女たちⅠ、ナツコ、ヒデコ、フミコ。3章はタロコの女たちⅡ、サワコ、カズコ、ミチコ。4章は、ブヌンの女、マサコ。となっている。

台湾には現在も人口の2パーセント弱の少数民族がいる。9つ以上のいわゆる山岳民族がいる。北部山地を支配していたのがタイヤル、南部及び東部の山地で大きな勢力を持っていたのがブヌンの人たち、タロコはタイヤル(セイダッカ)系の一部族だそうである。戦後支配者になった国民党外省人に親しむ素地を持たなかった彼らは、今でも日本人及び日本語に大きなシンパシーを持ち続けている。わたしは残念ながら行けなかったのだが、たった半日強のオプショナルツアーでもタイヤルの村を訪ねるというのが用意されており、観光化されきったその村を訪ねた私の友人は、コースから外れた場所を歩いているとある婦人に出会い、きれいな日本語をしゃべるその婦人(50台)に自宅に招待してもらい、ケーキとお茶をご馳走になったということだ。「これだけ日本に親しみを感じてくれる異民族というのは、世界中を見回してもこの人びと以外にないだろう」と柳本氏も書いている。

さて、最初の「アキコ」という章を読んでみよう。お生まれは、と聞かれて昭和3年ですと答えている(わたしの母とほぼ同じだ)。生まれた村はと問われて、日本時代はチンムイ社、いまはウメゾノ村、と答えている。戦後かえって日本風の名前になっているのが不思議だ。「昭和3年」というのも日本語で彼女自身が言っている言葉だ、つまり外国の山奥で少数民族の老婆に出会いながらかの女は日本人でもある、のだ。教育所(小学校)を出てから彼女は結婚するはずだったが、相手は第三回高砂義勇隊員として南方の戦地に向かった、昭和17年秋。昭和19年12月頃、「警察の部長が来て、戦争が激しいから、女も男でも、総動員法で準備しなければいけないといって、わたしたちを呼んで、あんたらの許嫁とか主人が兵隊に行っているから、いい仕事与えてあげますからと。それをきいて、これだったら行きますからと、わたしたち返答してやった。」最初は、兵隊たちの着物を洗濯したり破れた着物を縫ったりお茶をいれたりしていた。が一ヶ月もしないうちに<夜の仕事>を与えられる。宿舎の外れに小さな竹の家があった。夜そこに連れて行かれ、兵隊が毎晩三、四人来て・・・ 「まだ十六歳、子供でしょう。(略)まあ、いいから我慢して、わたしたちは死ぬなら死んでもいい。運命が悪かったら死んでもいいというくらいの気持ちをもって、もうそのまま、言われるままにじっとしました。昼間は布を縫って、洗濯して、これだけの仕事は楽だけど、夜は死んだ、死んでるんです、死んでる気なんです。」p18

そういう生活が昭和21年3月頃まで続く、兵隊がみんな日本へ帰るまで。

それから50年間の沈黙が続く。

「今年(1996)の9月頃、台湾全部の義勇隊の会議があって、わたしたち夫婦で行ったんです。そしたら、慰安婦の者は政府から援助があるから申請しなさいと言われて、話したんです。主人に。主人に許してくださいと言ったら、そうか、おまえもそういうことがあったか。それはしようがない。戦争だからそれはしようがない、と言ってくれたから、わたしも頭を下げた。」

この話でもっとも強い印象を受けるのは、このアキコさんが50年間、夫にも他の家族にもこのことを一切言わず沈黙を持続し続けたことだ。

「わたしは昔、悪いことをしましたから」と彼女は述べた。なぜ被害者である彼女が<悪い>と自己を規定し続けなければならないのだろうか。

「良いと悪いのニーチェ的逆転」のそのまた逆転をここに発見すべきではないのか。それこそがパトリアーキー(家父長制)なんだ、という断言は間違っていないとしても、それで分かってしまうことはできない。先住民社会も日本や漢民族に劣らずパトリアーキーが存在していた、と確認しておくことは必要としても。

50年間の日本統治は多くの少数民族の文化(たましい)の核心を破壊し、そこにテンノウヘイカ、ニッポンセイシン、ソードーインをつぎ込んだ。敗戦と同時に日本人はそのことを一切忘れ、逆に彼らは新しい支配者国民党への反発からいつまでも日本へのシンパシーを失わなかった。これはわたしがはじめて知った民族の崩壊に関わる分厚い分厚い物語の最初のかけらであり、とても何も知らないわたしが何も書けはしません。

ただ、わたしは<被害/加害という倫理の軸>からは不真面目と思われるだろうところの表現(再現前)に関わる逆説を、確認しておきたいと思う。

この本は2000年1月出版された。1996年3月29日に最初の女性に出会ってから3年以上が経過している。この<遅れ>の意味を考えなければいけない。

「わたしは本を出すために、彼女らを訪ね歩いたのではない。たまたま知り合い、親交を重ねるうちに、他人とは思えないような関係が育ち、それだけに簡単には出版に踏み切れなかった。すでに最初の女性との出会いから3年の月日がたった。この間に、二人の女性が亡くなった。」p236

「わたしはこの3年間、彼女たちの家を幾度も訪ね歩いた。泊めていただくこともしばしばだった。孫たちが来ていて部屋がないと、老婆と同じベッドに眠ったこともある。平気ですぐにゴワーっといびきをかく人もいれば、緊張して眠れませんでしたよ、と恥ずかしそうに笑ううぶな人もいる。」p204

                   野原燐 00381/00381 VYN03317 野原燐 RE:加害の再現( 1) 00/12/30 08:59 00380へのコメント

(続き)———–たまたま同じベッドに休ませて貰っただけと言っても、この本の主題から言って十分に刺激的である。その点には自覚的に著者もあえて書きつけたのだろう。フェミニズム風に意地悪くみれば、夫の属領下から自己の属領下への移動を(無意識のうちに)宣言しているということだろうか。夫は彼女に沈黙を強いることに荷担したが、柳本は沈黙を開くことに荷担した。だからといって、それが解放と正義に通じているという単純なオプティミズムの立場に著者が立っているわけではない。

「婚約者や亭主がニューギニアでトカゲ一匹でなんとか命をつないでいたとき、女たちは近隣に駐屯した台湾守備隊の餌食になっていた。そうした夫婦は一緒に「サヨンの鐘」(戦争中の国策映画)を唱っている風景というのは、日本人ならいたたまれない気持ちになるだろう。

それに唱和しているわたしなどは世間の非難を免れないだろうが、そうした現実を咀嚼しない限りはこの台湾先住民の悲哀も日本が犯した罪も本当に理解することはできない。」p204

幾重にも倒錯した現実を丁寧にときほぐしていこうとしても<わたし>自身生身の男であり、加害性があらかじめ無いという主観的前提によっては、現実と接触しえない。正義を自認する者は現実を平板化する。(それによって現実をかえって混乱させることもある。元従軍慰安婦に対する台湾政府の対応は朦朧としてると批判されている。)<わたし>を非難したければすればよいと、著者は逆に世間の方にリトマス試験紙を渡した。

                   野原燐

ナターシャさん母子の行方

 慰安婦問題をどのような視点から見ていくのかに関連して、現在*1の日本の底辺で売春機構に拘束され犯罪者となるに至ったある女性についての松下氏の文章を掲載する。

ナターシャさん母子の行方

 東南アジア、特にタイの女性が、仕事を求めて日本へ多数きているが、かなりの部分がパスポートを奪われたまま売春機構に拘束され、抵抗すると身体的な暴行を受け、売春を強要されている。日本社会はこの現実を構造的に作り出しているにもかかわらず放置している。しかし、無数の虐待の過程からタイの女性による反撃の行動が生起しつつある。このページ右に転載した記事は一例に過ぎないけれども、刑事事件になることを怖れない、というよりも、そのような配慮を超える切迫した行動によって、はじめて問題の重要性を私たちに広く認識させていくことになっている点を含めて、かの女らは意識している、いないにかかわらず、名づけがたい不可避の闘争の最前線の戦士たちであり、私たちは何らかの方法で支援~共闘していく責任があるだろう。

 大阪地裁においても、ナターシャさんが同僚のホステスを刺し殺したとして審理がおこなわれており、私も94年2月4日の公判で検察官・裁判官の質問と被告人の応答を傍聴した。いま私が痛感している問題点を列記してみると、

①多くの他の例と同様に、この事件も、加害者・被害者の双方がタイの女性である。いわば抑圧された女性同士の内ゲバであり、かの女らの怒りが真の敵に届かないままに味方を死なせていることが残念である。かの女らの情況は、経済的な侵略戦争における従軍慰安婦の位置である。本来ならば、かの女らにとってこそ反日闘争や(タイを含む)男性主導社会への闘争が必然であるにもかかわらず、少なくとも事件までは意識されてきていない経過の中に、この問題の真の悲劇がある。それは同時に、東アジア反日武装戦線の爆弾闘争の意味に共感しつつも、より存在的に複雑なこの問題へ引継ぎ応用していくことを直ちにはなしえていない私たちの悲劇でもある。

②言語の壁-ナターシャさんは、後半の一部の発言を日本語でおこない、次のぺージ右に転載したような日本語の文章を書くことができるようになってはいるが、これは2年近い獄中での学習の結果であり、取り調べや裁判や面会は日本語を強制されてきた。勿論通訳はいるのだが、それぞれの機関に属するか嘱託されている人であり、被告人の立場をくみとりつつ言語交通の媒介になるというわけにいかない。通訳の人員も研修も、法廷での休憩時間も不充分であり、公判を傍聴していたタイ語の判る人は、閉廷後に、通訳は要約・省略が多く、検察官の長すぎる文体の質問が、それを加重していた、と指摘していた。この状態に対する批判の声を裁判官は強権的に無視している。

③ナターシャさんは日本人男性との間に二人の娘(現在4才と2才)が生まれたが、父親に相当する男性の認知がないため無国籍のまま幼児院と養護施設で(年令区分により分離されて)過ごしてきた。弁護人の努力でタイ国籍がとれるようになったものの今度は不法滞在で強制送還されそうである。母親が(実質的にはせいぜい傷害致死、本質的には正当防衛であるが)殺人罪で裁かれ、長期の服役が予測されるので、今後ずっと出会うこと、まして一緒に暮らすことは不可能である。日本人の場合よりも何重にも困難な運命をしいられているにもかかわらず、これまでの東南アジアの人々への判決の先例は日本人に対するよりも重く、これは日本の支配層の差別政策を象徴している。

 私は、この問題を機関誌(例えば前ぺージに記事を転載した「救援」)によって知ることはできたが、実際に法廷まで出かける気にはなっていなかった。法廷まで出かけたのは93年末に〈ふしぎな機縁で出会った人〉の中にナターシャさん母子を支援する女性がいたからである。まことに、ふしぎな機縁であると思うが、そのようにして微かに関わり始めているに過ぎないことの自己批判をこめて、そう思うのである。私には私なりの関わり方しか今はできないとしても、その偏差自体にこめられている意味を正確に把握し、深めつつ応用していくつもりである。

 私なりの関わり方という場合、必ずしも前記の三点に示されているようなテーマとの格闘だけではない。より自由な視点、いや聴点を媒介していきたい。なぜ視点というよりも〈聴点〉がふさわしいか…。今年2月4日の法廷で初めて出会ったナターシャさんの発語の意味を私は全く理解できなかったが、発語や姿勢の総体からあふれてくる繊細な音楽性が印象的であった。これは勿論かの女の資質や、獄中での内省による成長にも関連しているであろうが、言語としての特性によることも、閉廷後に読んだタイ語の本から判った。

私は語学のセンスは乏しいし、ましてタイ語に関しては幼児以下であるが、それを前提として、あえてタイ語の特性を記すと、a-タイ語は韻および声調を基本としている。声域には(音楽の5線譜のように!)5段階あり、同じ表記でも高低の変化によって全く異なる意味をもつ。例えば maaは、高低なしに発音すれば「来る」、高い声域で発音すれば「馬」、低部から高部に移行する声域で発音すれば「犬」である。(日本語にも「ハシ」のように発音によって「橋・箸・端」などに意味を分岐させる例はあり、関東と関西でアクセントが逆になるのも面白いが、タイ語の場合は、より総体的な特性といえる。)b-タイ語は西欧の文法体系から判断すると語形の変化がなく、性・数・格・人称・時制を示す標識もなく、さらには品詞という概念さえない。(へブライ語の助詞には時制がなく、完了形と未完了形しかないことを預言の実現度との関連で印象的に聞いたことがあるが、タイ語はより徹底している。)aの韻および声調との関連における語順だけが判断の手掛りになると聞いて驚くが、タイ語を話す人々が、こういう文法体系の判断を越えて自由に意思を交通し合えていることに、もっと驚く。これは文法だけでなく文明の突破方向にも示唆を与えてくれる。

c-タイは〈微笑みの国〉といわれているが、言葉より(存在的な声を聴きとりうる他者への)微笑みの方が重視され、日本人のように無表情で形式的な美辞麗句をひけらかすことは失礼であるという。背筋が寒くなるような指摘である。

 これらのa~b~cを基軸とする特性から受ける衝撃を、ナターシャさん母子のテーマについてだけではなく、さまざまのテーマの追求に生かしたい。

註-ナターシャさん母子のテーマを普遍的に論じるとすれば、以上の提起で、とりあえずはよいといえるかもしれないが、この提起によってナターシャさん母子が具体的に力づけられることは殆どないであろう。むしろ、支援グループの人々とスケジュールを組んで、養護施設から子どもを連れていって面会したり、差し入れたり、タイの父親と連絡をとったり、判決が少しでも軽くなるように弁論を構想したりする方が、ずっとナターシャさん母子にとって具体的なプラスになるであろうことや、その作業に関わる人々こそが重要であり、不可欠であることは判っている。私も必要ならぱ、いつでもピンチヒッターになる用意はある。しかし、あくまで自分の不可避の闘いを展開する過程での空想上のピンチヒッターでしかないことを自覚しつつ以上を記してきた。その上で次のことを記しておきたい。

①〈タイ女性〉を媒介する刑事事件を把握する基本軸は多くの例について共通であるとして、個々の例は、より複雑な陰影をともなっているはずであり、とりわけナターシャさん母子の場合にはそういえるという気がする。あえていえば、この事件に関心をもつ全ての男性が自分をかの女と関係のある位置に置き、全ての女性がかの女の位置を生きていると仮定し、かの女らが日本で暮らした数年間に潜った条件や感覚の中で、どのように振る舞うかを考え、事件と対置してみる作業が必要であると考える。それによって事件を法的レベルで裁こうとする枠や、これまでの事件把握の傍観者性を突破しつつ、かの女らへの本質的な提起をなしうるのではないか。

②前項は、本文でのべた反日武装戦線レベルの方法だけでは真の反撃は不可能ではないかという内省にも関わる。東南アジアへの侵略企業は爆破される理由がある。しかし、買売春に関わる男(女)をどのように〈爆破〉するか。このいい方がいくらか短絡していると感じられるならば、原子力発電や家畜制度の粉砕の質の差を媒介させてみるのがよい。(*)これらは具体的な粉砕の現実的困難さだけでなく、自分の生活や存在が粉砕すべき対象に依拠し、同質の構造に組み込まれているという、より深い困難さを開示している。ナターシャさんたちの問題に限らず、各人が位相差はあるとしても日々無縁ではありえない内在性の問題との対決の方法が、今後ますます問われていくであろう。

③ナターシャさんの娘の他に、事件で死亡した女性にも娘がある。今は幼いこれらの娘たちが次第に成長していく段階で、自分の母と自分を軸とする世界把握をしていく場合の不安定さ~絶望をいかに支えうるか、という視点を今から準備しておく必要があるだろう。かの女らこそが、今回の事件の最大の犠牲者であり、それ故に最も審判者の位置にふさわしい。かの女らの行方を見守り、共闘する人々がたくさん現われること、それらの人々が、今回の事件を引き起こした全ての要因の爆破~解体へ突き進んでいくことを心から願う。

(*)武器~弾薬の製造・使用への反対、自衛隊・機動隊粉砕と、原発用燃料の輸送・使用への反対、授業・入試粉砕を比較してもよい。

参考:ナターシャさん自筆手紙(上)http://members.at.infoseek.co.jp/noharra/Tai1.jpg

(下)http://members.at.infoseek.co.jp/noharra/Tai2.jpg   「ナターシャさん母子を見守る会」通信第3号(93年4月)より

『概念集 10』(~1994.3~) p16~18 より

*1:10年前だが