石垣りん死去

 詩人の石垣りん(いしがき・りん)さんが26日午前5時35分、東京都杉並区の病院で死去した。84歳だった。

 20年、東京・赤坂生まれ。34年に高等小学校を卒業して日本興業銀行に入り、75年の定年まで勤めた。

http://www.asahi.com/obituaries/update/1226/003.html

 ひたすらに心に守りし弟の

 けさ召さるるとうちひらく

 この姉の掌(て)に照り透る

 真珠(まだま)ひとつのいつくしさ。

(石垣りん「眠っているのは私たち」・ちくま文庫『ユーモアの鎖国』p265)

昭和一八年七月、彼女の弟に召集令状が来た時の詩。

彼女は当時そうしなければならなかったとおり「おめでとうございます」と言って彼を送り出した。

この発語は彼女が生きている限り、過去のものとならなかった。

 とうぜんの義務と思ってあきらめ、耐え忍んだ戦争。住んでいた町を焼かれても、人が死んでも国のためと思い、聖戦も、神国も、鵜呑みに信じていた自分を、愚かだった、とひとこと言えば、今はあの頃より賢い、という証明になるでしょうか。私の場合ならないのです。

 戦争当時とは別な状況。現在直面している未経験の事柄。新しい現実に対して、私は昔におとらずオロカであるらしいのです。

 もう繰り返したくないと願いながら、繰り返さない、という自信もなく。愚か者が、自分の愚かしさにおびえながら働き、心かたむけて詩も書きます。

 ………………

 戦争の記憶が遠ざかるとき、

 戦争がまた

 私たちに近づく。

 そうでなければ良い。

 八月十五日。

 眠っているのは私たち。

 苦しみにさめているのは

 あなたたち。

 行かないでください みなさん どうかここに居て下さい。(「弔詩」より)

(同上 p267)

2004年自衛隊はイラクに派兵された。小泉首相の態度は最悪の無責任だ。死者たちはいまも、「苦しみにさめている」のだろうか。死者たちの言葉を聞く者たちは死に絶えつつある。大義のない戦争は継続している。

金文紹介のサイト

http://e-medicine.sumitomopharm.co.jp/e-medicine/komiti/

金文(青銅器などに刻まれた古代中国の漢字)甲骨文などを画像付きで親しみやすく解説しているサイトでとても面白い。

例えば、懼の字。この甲骨文のように鳥が目を左右にくるくる回して天敵の襲来を恐れる形。白川静系。

http://e-medicine.sumitomopharm.co.jp/e-medicine/komiti/kokoro_2/main.html

(提供、住友製薬らしい)

漢字袋

というサイトを見つけた。

だいたいどんな漢字でも出るようだ。簡単な意味もついている。すごい。

(コピーアンドペーストはできないが。)

http://kanji.zinbun.kyoto-u.ac.jp/~yasuoka/kanjibukuro/

# 漢字袋は安岡孝一と安岡素子が共同で製作中の「コンピュータ異体字典」です。

# 日本・中国・台湾のコンピュータで常用される漢字とそれらの異体字を、異体字群ごとに各ページにまとめています。

# 日本の漢字は音訓で検索可能です。 JIS X 0208のひらがなで入力して下さい。

# 中国の漢字(簡化字)は音で検索可能です。声調符号や「¨」は除いて、ASCIIの英小文字で入力して下さい。

# 台湾の漢字は総画数で検索可能です。 ASCIIの数字で入力して下さい。

http://kanji.zinbun.kyoto-u.ac.jp/~yasuoka/CJK.html

Character Tables by Koichi Yasuoka

こちらを見ると膨大な漢字をただひたすら眺めることができる。

ところで中華人民共和国の文字コード、GBコードは2001年から(GB18030)になっている。漢字27,484字、で現在中国国内での情報機器への搭載が義務付けられているらしい。

http://www.dynacw.co.jp/dynafont/oemWeb/psgi/g1/gb18030.htm

GB18030 font information

(参考)文字コード入門

http://www.shuiren.org/chuden/teach/code/index-j.html

ご挨拶

 (おくればせながら)新年のご挨拶を申し上げます。

カウンタも5ヶ月で16,000を越え、初めてからは3万前後という計算になります。更新のない日も平均して一日百人来てもらっているわけでスゴイ。分かりにくい文章で恐縮です。もしご質問、ご批判などあれば、遠慮なく下記までメールください。

マスカルポーネ

大晦日には、下記のレシピを参考に、マスカルポーネ・チーズを利用して、レアチーズムースのようなものを作りました。

元旦に皆と(お雑煮ほかのご馳走のあと)なんとか美味しく食べることが出来て嬉しかった。真っ白でとても軽く仙人の食べ物みたい。

(アジア人にならなければならぬ、なんて言ってる割に言行不一致。)

http://www.geocities.co.jp/Foodpia-Olive/1340/rea-cheesemu-su.htm

インドネシア・アチェへの支援を

 スマトラ沖地震については、Pナビ経由で、下の二つの記事を読んでください。

http://0000000000.net/p-navi/info/news/200412311924.htm P-navi info : スマトラ沖地震 インドネシア・アチェへの支援を

http://www.nindja.com/ ■スマトラ島沖地震:アチェの被害者への緊急カンパのお願い

http://www.jca.apc.org/~kmasuoka/places/aceh0412.html 「アチェ:津波と占領の犠牲」

自然災害の被災者には純粋の善意をもって援助したいが、現地の政治対立の一方に肩入れしたくはない、というのは一見もっとものようだがそれでいいのだろうか。

日本政府はインドネシアに対する最大の援助国だそうです。

ところが「インドネシア軍は、アチェの自由アチェ運動(GAM)を「テロリスト」と呼び、アチェ民間人に、超法規的処刑、拷問、不法拘留などを加え続けてきました。」

現在世界は史上はじめてアチェに目を注いでおり、もしかすると今後二度とこんなに熱心にアチェに目を注ぐことはないかも知れません。けれども、今回の自然災害で5万人あるいは6万人がアチェで死んだことは劇的で恐ろしいことですが、けれども、それは、アチェでここ数年、貧しい状況のため、餓えや栄養失調、下痢などで主に子どもに出た死者の数よりははるかに少ない死者数なのです。(アラン・ネアン)

http://www.jca.apc.org/~kmasuoka/places/aceh0412.html

インドネシア軍がなぜインドネシア国民を抑圧し殺害しなければならないのか、わたしは勉強不足でよく分かっているわけではない。だけども上記二つのサイトに書いてあることはおおむね正しいのだろうと判断する。

遺体により感染症が蔓延する怖れは少ない

http://www.asyura2.com/0403/jisin11/msg/931.html

インド洋津波:「遺体で感染症まん延しない」 WHO(毎日新聞) ZUMA

 同事務局(WHO)の専門家によると、感染症の原因細菌やウイルスなどの病原体は、生きた人や動物の体内でよく増殖する。仮に風土病などに感染していても、死亡後は体温が急激に下がるため病原体の多くは死滅。遺体の血液などに直接触れない限り感染の恐れは小さく、感染症を広げる恐れは、非衛生的な環境に置かれた生存者の方がはるかに大きいという。

毎日新聞 2005年1月5日 18時40分

http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20050106k0000m030022000c.html

母親の怒った顔

『新潮』200501月号に載った短編「雀」から部分引用。

 彼女は手が震えていたか、さもなければ集中力を失っていた。理由はどうであれ、テイーカップを運んでいるときに倒れ、カップが砕けてしまった。カップとともに彼女の心も砕けた。ガップには甘い紅茶が入っていた。

 廊下に母親の怒った顔があらわれた。怒っているとき母親の顔は恐ろしかった。

(略)

 母親は廊下の端からまだみていた。見続けるほどに歯を強く食いしばっていくようにみえたし、こぶしを握りしめ、腕の毛を逆立たせていた。

 母親がまたぶちに来るようにみえた。髪の毛を引っぱり、嫌というほどつねりに来る。どうしてお母さんは飽きもせずわたしをぶつのだろうと彼女は思った。それどころか、ぶてばぶつほど、お母さんは気持ちが強くなり、ほっとできるみたい。まるでわたしに、わたしのやせた小さなからだに当たり散らすことで、誰かに仕返しをしているかのよう。いったい誰に仕返しをしようとしているの?

 ああ、と彼女は破片を片づけながら思った--たぶんみすぼらしいからだに仕返ししているんだわ。なぜ?

 お母さんがわたしをぶてないときは、部屋中を歩き回り、誰かをののしっている。何かが欲しくてたまらないのに、手に入れられないみたい。お母さんは何が欲しいの?と彼女は考えた。破片を片づけているとき、尖ったガラスで手を切ってしまい、血が流れてきた。

 母親は離れたところからしばらく跳めてから、深呼吸した。ぶちたいとは思っていないようだ。たぶん疲れていたか、たぶん手の血をみて怒りがおさまったのだろう。

「怪我をしたのかい?」と母親はいつものようにそっけなく冷たい口調できいた。

 彼女は震えながら立ち上がり、スカートで破片を包んで台所にもっていった。歩いているとき、母親の憎しみのこもった言葉が矢のように感じられた。もうひとつの部屋にいるときにも、同じ矢をいつも彼女に放っていた。母親は自分の部屋に座り、怒りながら黒いタイプライターを打ち、キーを打つ音ひとつひとつが、母親が彼女を狙って発射する弾丸のようだった。

 母親は夢のなかでも彼女を撃った。うなりをあげる戦車のような黒いタイプライターに乗り、彼女を礫いていく。タイプライターのキーを押して、彼女のからだを濾し器のように穴だらけにする。それから彼女のからだをみて、それを貫いているのが弾丸ではなく、タイプライターから飛んできた苦悩の言葉であることに気づく。彼女から隠れるために走って行くが、からだじゅうには同じ言葉。

 彼女はスカートで破片を包み、膝をすり合わせるようにしながら台所に向かった。そこでゴミ入れのふたを開けて、破片をなかに流し入れ、耳を廊下のほうに向けた。米粒ほどのガラスの破片を捨てた。破片をスカートから手のひらに注いだ。

id:noharra:20041218に続き「文学アジア」という特集からもう一つの、部分引用。

 アゼルバイジャンの女性作家、1957年バクー生まれ。アファグ・マスードの短編「雀」から、はじめの部分。「アゼルバイジャンの」女性作家という紹介を後に持ってきたのは、紹介がなければそうは読めないテキストだからだ。タイプライター(今だったらパソコンのキーボードだろうからちょっと古い感じはするが)を打つ母親が子どもを虐待するという情景は、途上国というより先進国に似合うといった意識。それは私だけではなく広く共有されているのではないか。

“アゼルバイジャンの女性というだけで彼女は二重のサバルタンであり、彼女の役割は二重の抑圧を突破して被抑圧者の悲惨と(自然とともに生きる)祈りを表象代行することだ。彼女の役割は、自身が持つ加害性を摘出することなどではない。*1”そう主張する人は、結局のところ、自分がすでに持っている世界解釈の枠組みが歪むことを嫌い、文学の可能性である、世界と初めて触れあうときの痛みを忌避する人に他ならない。

*1:南アの白人男性クッツェーと場合とは違うから

釜ヶ崎、稲垣さん不当逮捕事件

先日、AJさんから釜ヶ崎炊き出しの会の機関紙「絆通信・号外」の写しを送ってもらった。

その会の代表の稲垣さんという方が、12月20日不当逮捕されたという。

不当な事後逮捕という点では、id:noharra:20040228#p5で触れた「立川市の自衛隊官舎ビラ入れに対する逮捕」に似ている。だがネットではそれに比べると、ほとんど言及されていないと言える。そこでここに(も)ちょっと紹介してみよう。

紹介がないと言ったが全くないわけではなく、下記のアート系掲示板では紹介されている。そこで一部そこからお借りしつつ要約してみる。

1.11月25日西成警察署で二人の労働者が暴行を受けた。

http://www.009net.com/tlo/bbs/apeboard.cgi TLO BBS

まず11/25夜に、西成市民館の前でKさんとその場で知り合ったAさんとのあいだにちょっとした金銭トラブルが起こり、通りがかりのIさんが間に入り解決しようとしたが、らちが明かないため、「それなら警察へ行って話をつけよう」ということになり3人で目の前にある西成警察署の一階受け付けにいきました。

出て来た私服警官がKさんを階段、Iさんをエレベーターでそれぞれ上にあげ、別々の取り調べ室に入れました。そしてKさんは、目にいきなりスプレーを吹き掛けられました。痛くて目が開かない状態のなかで、踏まれ、蹴られ、靴等で頭をたたかれ、逆エビ固めをされ、全身打撲を負い、本人の記憶にないままに調書をとられ、指印を押したということです。

一方、Iさんもやはり取り調べ室に入れられたとたんに倒され、踏んだり蹴ったりされました。私服警官が同乗の救急車で杏林病院に運ばれ治療を受けました。全身打撲、左の眉毛の上と額を合わせて6針も縫う怪我でした。右の頬には私服警官に踏まれた靴のあとが残っていました。

2.この件で相談を受けた稲垣さんを中心に、西成署への抗議行動が行われた。

 西成署への抗議行動は、12月2日から5日まで連続4日間行われました。「暴行をはたらいた警察官は本人に謝罪せよ」というものです。初日から多くの釜ヶ崎の労働者が西成署前に集まり、事実経過をマイクで話す稲垣さんの説明に聞き入りました。時間と共に抗議に参加する労働者は増え、一時騒然となりました。稲垣さんはマイクを握って「手を出したらあかんよ、殴ったり蹴ったりしたら西成署の暴力と一緒になる」と声を張り上げ、混乱の収拾に努めていましたが、その混乱の中で一人の労働者がケガをしたのです。このケガについて、西成署は「稲垣が教唆した傷害事件」だと言うのです。

「絆通信・号外」より

3.

12/20に「稲垣浩が暴行を扇動した」として稲垣さんを逮捕しました。

労働者Aさんも、その労働者にケガをさせた一人だとして逮捕された。

4.

12/28に大阪地方裁判所で稲垣氏の勾留理由開示公判があった。

裁判所は警察の言い分をそのまま採用した。

5.

「2人に対するまったく不当な逮捕ですが、大阪府警と西成署は「メンツ」にかけて起訴に持ち込むものと予想されます。」

「家宅捜査で押収されたものが、西成署で暴行を受けた労働者の診断書やその時聞き取ったメモ類だった」ということからも、この逮捕の第一の目的は「1」に書いた【警察が市民を暴行した】という犯罪をないものにしようとすることだと思われる。

わたしたちが注目しなければ、彼らが敗北するのは間違いない。だいたい彼らはボランティアであり彼らを抑圧することは私たちにとってメリットはなくデメリットだと思われます。

碁を打つ女

 シャン・サの『碁を打つ女』isbn:4152085851(平岡敦訳) はなかなか名作だと思う。

 霧氷につつまれ、千風広場で碁を打つ人々は、まるで雪だるまのようだった。鼻から口から、白い息を吐き出している。縁なし帽の端から、小さな氷柱が地面にむかって伸びていた。空は真っ赤な夕日に染まり、螺鈿細工の輝きを放っている。沈みゆく太陽の墓場はどこにあるのだろう?

 碁を楽しむ人たちが、いつからこの場所に集まるようになったのかはわからない。御影石の小卓に刻まれた碁盤は、幾千もの対局を経て、いつしか沈思と祈りの表情を宿していた。

 わたしはマフのなかで青銅の懐炉を握りしめながら、血の巡りが鈍らないように足踏みをした。対戦の相手は、駅からまっすぐにやって来た外国人の男だった。戦いが白熱するにつれ、わたしの体もほんのりと熱を帯びてきた。迫り来る夕闇に紛れ、碁石が見えなくなってくる。唐突に、誰かがマッチをすった。男の左手に蝋燭が握られていた。(後略)

 匪賊はいくら追っても捕まらない。おかげでわれわれは、狼や狐たち相手に新年を迎えるはめになった。

 新雪が昨日の雪を覆いつくしている。敵が食糧と弾薬を使い果たすまで追い続けるのだ。

 支那北部の冬の厳しさには、筆舌に尺くしがたいものがある。あたりでは風がうなり声をあげ、凍りついた雪の重みで木々が折れた。樅の木は、まるで墨絵に描かれた墓碑のようだ。ときおり、斑点模様のある鹿がそっと姿を見せた。びっくりしたようにこちらを見つめ、逃げ出していく。

 一時間も歩くと、暑くて息苦しいほどになる。けれどもひと休みすると、たちまち寒さが外套のなかまで疹み入り、手足が凍えてきた。

 狡滑で土地勘のある敵は、奇襲を仕掛けてはすぐに身を隠した。わが軍は被害を受けながらも、持久戦をもちこたえた。

 疲弊に耐えた側が、この戦いを勝利者として終えることになる。

12

 新たな指令が届いた。匪賊たちの物資補給を絶つべく、村という村の納屋を焼き払うのだ。

 略奪にあった集落は、墓地のように陰鬱としていた。黄色い炎と黒い煙に包まれた家の前で、打ちひしがれた農民たちが泣いている。その声に混じって、ひゅうひゅうという風の音が聞こえた。

 この三ヵ月、われわれは雪に覆われた森にこもったまま、外部から閉ざされていた。兵士たちのあいだに、日々暴力が膨れあがっていく。みんな酒に酔っては、些細なことで喧嘩を始めた。どこまでも続く白と灰色、照り返し、果てしない歩みが、徐々にわれわれの精神を蝕んでいった。おととい、ひとりの伍長が服を脱いで逃げ出し、小谷のなかで気を失っているのが見つかった。われわれは伍長を縛り、首に縄をかけて引っぱらねばならなかった。かん高い笑い声と呪いの言葉を繰り返し聞かされ続けているうちに、私の頭まで同じ思いで共鳴し始めた。

 やがて狂気に取りつかれるまで、雪のなかを、雪にむかって、ひたすら歩き続けねばならないのだ。

 主人公は清の宮廷に仕えた家柄の少女。古い町の広場で男たちに混じって碁を打つ。それだけではなく、出口のない退廃の中で反日本軍国主義の幼い蜂起に傾斜しようとする若いブルジョアたちと恋もする。もう一人の主人公は侵略者、日本の若い軍人だ。彼は厳しい軍事行動のなかで暴力にむかって自己崩壊してゆく戦友たちをみながら、崩壊しない自己を持ちこたえる。

 女、男変わりばんこに短い断章が並ぶことにより物語は進行する。囲碁のようにこの進行は最後まで乱れない。*1主人公にとってたった一つの外部との通路は広場での碁だった。もう一人の主人公もここに引きつけられ、二人は碁をはじめることになる。

 戦いは上記のように簡潔に美しく書かれる。カフカのようでもあるが、フランスや中国文学の伝統にも負っていよう。匪賊(今で言えばテロリスト)と名指すことにより困難な戦いは始まる。「疲弊に耐え」戦い続けなければならない。周辺住民は付随的に家を焼かれ拷問される。満州での討伐はやがて中国全土に広がっていく。60年前に終わった戦争だが日本はまだそれを総括できずにいる。一方中国では、匪賊という言葉を使うことは、つまり現在の権威に通じる解放勢力としての位置づけを明示せずに使うことは承認しえないことであるだろう。ただいつまで経っても政治的話題であることはそのようにしか話題に出来ないことであり、多様な現実の一面だけを捉えることになってしまう。

 私と情況を越えた不可能を求めようとする者たちは恋を演じてしまう事もある。

*1:章数=奇数は女性の語り、章数=偶数は男性の語りとなる。