国家とアイデンティティ(2)

homoinsipiensさん

下のコメントを受けて考えてみました。

「批判者を気取る私たちが現体制の下、なんだかんだよろしくヌクヌクやっているのはこの悲惨の上に乗っかってでもあります。」という文章の、「この悲惨」というものが一体何を指しているのか?は下記コメントを読んでも依然として不明です。

「自衛隊が派遣されているから起こった事件か? 否。」

「イラクでは米軍に協力するイラク人はおろか、派兵していないフランス等の国民も誘拐されているのである。」

http://d.hatena.ne.jp/homoinsipiens/20041029#1099030289

イラク国内の混乱の原因は戦争を仕掛けそして現在占領者である米英にある。日本はアメリカとに媚びを売るために自衛隊まで出した。自衛隊派兵と香田さんの誘拐が正の相関関係にあることは間違いない。「否。」といって見得を切るのは安っぽいデマゴーグのやり口だ。

私は文脈を外れた自己責任論の醜悪とともに、この醜悪を生み出した他己責任論者(のちに多数が反・自己責任論にも加わる)の無自覚ぶりに怒りを覚えました。

他己責任論者の無責任っていったいどういうことなのかついての説明がありませんね。

「noharraさんによる自己責任論者の「悲惨」を突き放す態度」について説明します。

人生は不条理なものでありそこにおいて、神とか(儒教的な)天とかそのようなものへの祈りはたぶん必要だと思います。ところがそこに日本国家というものを置くことは、馬鹿げて悲惨なことです。日本国家は最初から普遍とは全く違う存在だからです。有限の存在であり魂の問題には関わることができません。<普遍>から<日本精神>へのこのすり替えは教育勅語のころ起こりました。当時は日本が何が何でも近代国家に成らなくてはいけない時代だったのです。(それでもそこに色々な意見があるでしょうが。)21世紀にもなって「日本国家と自らを同一視する以外に確固たるアイデンティティを持てない人」を作ろうとする勢力がありそれに応じる形でそうした人々が沢山出てくるとしたら、それは私にはとても悲惨な事態だと思われます。

同一化という強迫

人類が「身元確認」同一化(イエンティフカツイオーン)という形で現に自分の身に加えられている強迫を逃れたいと思えば、人類は同時に人類の概念との同一性を獲得しなければならない。(略)

交換原理、あるいは人間的労働の平均的労働時間という抽象的普遍概念への還元は同一化原理と同根である。(略)

さりとて同一化原理を抽象的に否定しても、何物にも還元できない質的なものを大いに尊重して、もう万事を千篇一律に扱わないと宣言してみても、それは古い不法状態に戻るための口実を造り出すだけの話である。

p179 アドルノ『否定弁証法』isbn4-87893-255-4

わたしは最近、普遍とか(「天」とか)良く口にするが、それでいいのかという疑問もある。ただ「現に自分の身に加えられている強迫(=愛国心の強要)を逃れたいと思えば」、とりあえず、それは「普遍」ではないということは口にする方が良いと思われる。

こんなことをするのは日本人ではない

# F 『先日はありがとうございました。

新潟を中心に起きた今回の地震後、最近「火事場泥棒」的行為が頻発しているとのニュースが報道されていますが、先日夕方のニュースを見ていたら、どこぞのアナウンサーが、「(ATMを荒らしたり、家屋に盗みに入ったり)こんなことをするのは日本人ではない、と思いたいですね」と発言したことに愕然としました。「こんな悪いことをするのは(たとえ「日本人」であっても)善良なる日本人の範疇には入らない」ということなのか、単純に悪意から「これは外国人(三国人)のやったことである」といいたいのか、とにかく、石原などを好き勝手言わせている状況が、この様な発言をしても許されると思っている輩を生み出しているのでしょうね。

 折りしも、同じ職場の人々が同じような話題をしながら「阪神大震災の時の長田区の火事は、誰かが放火したのだ」と話しいるのに接して、こういう連中が関東大震災の時に「朝鮮人が井戸に毒を撒いた」というデマに惑わされて虐殺をしたのだろうと思い、ぞっとしました。

 李良枝は小説の中で、「日本人」に殺されるかも知れないという脅迫観念から自傷自罰を繰り返す人物を描いていて痛ましかったのですが、「善良なる日本人」にいつか殺されるかもしれないという恐怖は日々増してきていると思います。』

# 思わずカキコミ 『こんにちは。いつも更新を楽しみにしています。ところで「先日の夕方のニュース」私も見ました。「日本人ではない、と思いたいですね」の後に《日本人ではないと思いますが。》と付け加えたことも。抗議のMAILを送ったわよ。この件についてあまり触れているブログ等がないので、思わず書き込んでしまいました。』

へーえ、そんなことを言う日本人が、(アナウンサーが)、いるのですか。困ったものですね。

まあわたしなども日頃つい無意識で「日本人」という言葉を使ってしまうことはあるのですが、これはひどすぎますね。

人はひとりで生きているのではないのにそれを忘れている、というのは正しいと思います。ですがそれを「きみは日本という伝統と共同体、国土に包まれた存在なのだ」というのはマチガイ。世界で最大の間違いです。日本人はつい60年前にひどい目にあった(自分自身も)のにまだこりないのか。ばかちゃうか!、と思ってしまいますね。

(Fさん、“思わずカキコミ”さん コメントありがとう。読んでくれて嬉しいです。今後ともよろしく。)

(Fさん 金時鐘をめぐる討論会行きませんか?上に案内書きました。)

聖人でなければ孤独である

詩に、悠々たる大空*1は父母だとある。とすれば、四海の内は皆この父母の子の兄弟だ。だが、この兄弟たちのつきあい(相友愛する)方を見ると、なかには性命(本性や天命)を以てつきあう者もあれば、表面的なつきあいにとどまる者もあり、またたがいに縁のない人たちもいる。熊沢君と私とのつきあいは性命を以てするつきあいであった。「徳は弧ならず必ず隣りあり」(『論語』里仁篇)と言われ、自分は孤立しないような徳をもっているとはいえないが、昨秋、有徳の隣人の訪問を受けた。(後略)*2

この文章で興味深かったのは、「徳は弧ならず必ず隣りあり」を逆に読んでいるところ。(わたしは絶対的で絶望的な孤独のなかにいる)つまりわたしは未だ徳をもってはいない。というふうに。わたしたちは幾人かのあるいはたくさんの人々に囲まれて生きる。だが、恋愛といい家族といい同志といい国家といいそれらはすべて「表面的なつきあいにとどまる」のではないか。(このわたしの孤独をわたしはどうすることもできない。)

病弱で絶えず死を意識しながら生きた中江藤樹の無意識にはそうした孤独感があったのかもしれない。であればこそ毎朝着飾って礼拝を捧げたのだろう。だが絶望感を語ることは無意味である。友人との関係を喜び、日常生活の些事に喜びを見出すこともできる。ひとはポジティブにしか生きられないものなのだ。意識など切り捨てても生きていける。

*1:コウ天

*2:p230『中江藤樹』山住正己 朝日新聞社

金時鐘・素顔の在日50年

金時鐘のことば(在日朝鮮語)をめぐって座談と討論

金時鐘・松原新一・細見和之・倉橋健一

11月7日(日曜)

午後1時から開場

場所 在日韓国基督教会館(KCC)

大阪市生野区中川西2丁目6-10

電話 06-6731-6801

地下鉄千日前線今里 2番出口を出て今里筋を南へ、近鉄線高架をくぐって徒歩7分。

会費 千円

ブッシュの勝利

今朝のリベラシオンの社説 jeudi 04 novembre 2004 (Liberation – 06:00)

革命 Révolution(略)

21世紀初めのアメリカは反動的(réactionnaire)だ。9.11で生まれた恐怖の念にかられて超反動的(ultra)で攻撃的になることもあり得る。共和党派は今やすべての権力を掌握している。...

http://d.hatena.ne.jp/fenestrae/20041104#1099612952 はてなダイアリー – fenestrae

fenestraeさんの日記からほんのちょっとだけ引用させてもらう。アメリカのこともヨーロッパのことも*1全然しらないわたしが言うのもおかしいが。ultra(ユルトラ)というのはちょっと特殊な語感の言葉らしい。かって富も権力も有り余るほど持っていた老婦人が亡命先で老いさらばえてその命の全てを掛けて過激な(反動的な)ことを口走る、みたいなイメージがある。つまり世界最大の権力者には最も似合わない、形容詞のはずだ。

 ところで、彼らの貧弱な神学においてはevilとはchoasを神とする者を指す。ところで私たちの祖先こそchaosを神とするものであった。

日本書紀冒頭より。

 昔、天地が未だ分かれず、陰陽も分かれていなかった時、混沌(ぐるぐると回転して形体が定まらない様子)としている状態は鶏子(卵の中身)のようであり、ほのかに芽生えを含んでいた。その澄んだものはたなびいて天となり、重く濁ったものは積もって地となった。済んだものが合わさるのはまとまりやすく、重く濁ったものが凝るのは固まり難かった。そこで、天がまず形成され、地はその後に定まった。

http://www.dai3gen.net/http://nihonsinwa.at.infoseek.co.jp/type/gensi-konton.htm より引用させていただきました。

わたしたちは自己の内なる<混沌>をいつでも参照できるわけではない。だが、その感触を全く忘れ去ってしまってはいないはずだ。わたしたちは未開人のしっぽをひきずっていることを誇るべきだ。そして貧弱な神学を頑なに信じ他者に暴力を振るうことを是とする者たちを軽蔑しなければならない。

参考:野原過去表現 http://otd9.jbbs.livedoor.jp/908725/bbs_plain?base=157&range=1

*1:日本のこともだが

男の暴力

怒りにかられた男に楽屋に引きずりこまれる。先ほど渡した名刺はクシャクシャにして投げ捨てられた。拳で4、5発殴ったうえ、男は私の髪をつかんで頭を壁に打ちつけた。私のリュックサックとバックを奪い、床に打ちすて、ふみつけにする男。男はリュックを拾いあげ、ふりかざされたリュックは凶器となって私の頭部を直撃した。持ち物が壊れ、メガネがゆがむ。そして、男は私の顔面に唾を吐き捨てた。(*1)

http://shibuya.txt-nifty.com/blog/2004/11/index.html ゆるい日記: November 2004 Archives 2004.11.01

「お笑い界は感覚がマヒしている」という言葉は正しくない。「オトコ界は感覚がマヒしている」と言うべきなのだ。「お笑いの世界は……」という時、人は自分の世界のことを棚にあげている。「まったく芸人はしょうがないね」なんて言ってりゃ、自分のしょうがなさに目をむけなくて済む。(同上より)

社会学者・渋谷知美さんのサイトから一部だけ引用させてもらいました。

id:eirene:20041101経由)

―島田紳助の暴力事件というニュースを聞いたとき、何の興味も持たず、テレビも見ないので忘れていた。今も詳細には興味がない。

うちの職場では、女性の課長が1割強しかいないから(そのうち)3割に増やすべくプロジェクト会議を開いたりしているようだ。平和な話である。もちろんセクハラ事件があって云々という話もあるのだがそれほど身近に感じていなかった。それで上記の暴力描写にちょっと驚いた。それだけ。

(追記)

野原燐が「それだけ」と書いているのはちょっとおかしい。

論点は少なくとも二つ在る。

この問題には、殴った側がベテランタレント、殴られた側が入社4、5年の社員という非対称性、そして殴った側が男性、殴られたのが女性という地位とジェンダーをめぐるふたつの非対称性がある。(同上)

という権力関係の不均等が、露骨な暴力シーンの表現を(マスコミにおいても、ブログにおいても)抑圧しているという問題。

それとわたしの身体に暴力性はある、という問題。

北朝鮮は飢餓へ

http://renk-tokyo.org/modules/news/article.php?storyid=107 RENK東京 – ニュース

9/29の李英和講演会について上記で三浦氏が書いてくれています。

幾つかあげると。

まず、モンゴル国境で妹をかばって中国国境警備兵に銃殺された少年(RENK里子)について、李代表がテレビの報道番組のビデオを流しながら報告。この一家は当初からRENKが保護しようとしてきたが、残念な結果に終わったこと、しかし、今父親と妹は韓国におり、中国で行方不明になった母親を何とか救出するという責務が残っている事などが報告された。

さらに、李代表は、もちろん逃げる難民に対し銃を水平で乱射する行動は許せるものではないが、現場の証言によれば、中国の兵士はさらに銃剣で倒れた少年の遺体を突く行為にまで及んだ。しかも、中国政府はまるで殺された少年がテロリストでもあったかのような(武器を持っていたとか銃を奪おうとしたとか)虚偽を平然と述べており、あらゆる意味で許し難い姿勢であることを強く批判。

代表によれば、脱北者の多くは、何とか年内は持つかもしれないが、来年からは食糧事情は再び90年代危機に匹敵する飢餓が訪れると考えていると言う。この予想には数字的根拠があると李代表は言う。

北朝鮮における米の値段の推移

2003年7月1日  この時期金正日が経済の自由化、改革を発表する

           米1キログラムはこの時点で40ウオン

     9月                 180ウオン

2004年1月                 300ウオン

     3月末                400ウオン

     7月                 500ウオン

     8月初めから           700から900ウオン

     9月                 1400ウオン

最後に、「現在の中国の対難民政策に、多くの人達が抗議の声を挙げることを呼びかける」と結ばれている。

わたしも彼の意見を強く支持したい。