象徴天皇制の終わり

(1)

 9月号の『現代思想』(特集 家族とは何か)で関曠野氏が、「皇太子が言つたこと  一つの注釈」という文章を書いている。5月にあった皇太子発言については、わたしも http://d.hatena.ne.jp/noharra/20040511#p1

でふれました。関氏の文章の冒頭と結びの部分を引用して考えてみたい。

(冒頭) 徳仁皇太子は去る五月の訪欧を控えた記者会見の場で雅子妃の病状に関連して「雅子のキャリアや人格を否定するような動きがあったのも事実です」と、皇室の一員としては異例の発言をした。天皇制という問題がまともに論じられなくなって久しいこの国では、世論はこの発言に戸惑うばかりのように見える。皇太子の発言は、宮内庁という世界にも類のない妖怪的官庁を批判したものと受けとれるが、そのあたりの事情をここで詮索するつもりはない。皇太子が言及した雅子妃の窮境は、これまでにも外部に薄々知られていたことだ。我々を驚かせるのは発言の内容ではなく、いずれは皇位を継承する人物が記者会見という公的な場で妻の自由と幸福に責任をもつ「たんなる夫」として発言したことである。皇室の歴史においてこのようなことはあったろうか。一見会見の場で口にした片言隻句にみえても、私見では皇太子の発言は敗戦直後の昭和天皇の人間宣言に比較して人格宣言と呼ばれてもいいものである。天皇制が今後も形の上では存続するとしても、これで戦後の天皇制は終わった。このことを以下一連の注釈で明らかにしたい。

 本人がどこまで意識していたかは別にして、皇太子の発言は「婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により維持されねばならない」という憲法二四条なしには考えられない。そしてこの二四条が日本国憲法に明記されたのは、必ずしもGHQの総意によるのではなく、GHQに勤務するうら若いユダヤ系の女性ベアテ・シロタ・ゴードンの創意と努力の賜物だったことはよく知られている。ピアニストの父と共に少女時代を戦前の日本で過ごし日本の女性の無権利状態をつぶさに見聞きしていたことが、シロタの使命感を燃え立たせた。二四条の文言は、旧ソ連憲法(これは美辞麗句の傑作である)とワイマール憲法を参考にしたという。しかし二四条が表明している思想には、さらに古い来歴がある

(結び)

 しかし人間宣言や民間人との結婚は、皇室の転換点として一度なされてしまえばそれで終わりの出来事である。徳仁皇太子の場合は、本人の意向はどうであれ初めから市民結婚をするしかなかった。そして外交官としてのキャリアの延長線上で皇太子との結婚を選んだとされる雅子妃にも、雲の上に引きあげてもらったという意識は全くないに違いない。そして二人の結婚が否定しがたく市民的なものである以上、二人に究極の国家に統合された家族を演じさせようとする宮内庁という醜怪な振付師との間に当然あつれきが生じてくる。宮内庁に抗して自分の結婚が市民結婚であったことを確認している皇太子は、皇族の身分に制約されたがゆえの一周遅れのトップランナーなのかもしれない。しかしその結果として彼の抗議は、思わぬ形で憲法二四条を改めて喚起し、この条文を骨抜きにしてきた戦後日本の家族の歴史を問いただす効果を生んだ。

 マッカーサー御手製の象徴天皇制は、天皇を唯の人にしながら同時に天皇が引きずる国家神道の残像を利用しようとした矛盾した試みであり、こうした試みには耐用年数がある。かくて徳仁皇太子は公の場でたんなる夫として発言し、たんなる人間なればこそ皇族にも人格があることを確認したのである。このささやかな出来事をもって戦後の象徴天皇制は終わった。そしてへーゲル的、倫理(ジッテ)としては死んだものが、外形的な制度としては今後とも長期的に存続しうるとは考えにくい。してみれば憲法調査会などがだらだらと下らぬ議論を重ねている間に、歴史は意表をつく転回によって我々に共和制の採用を強要するかもしれない。(3行略)

(2)

 関氏は、徳仁氏の発言が憲法24条(両性の合意のみによる婚姻)という思想に立脚していると論じる。この思想は「結婚の双方の当事者は神の前で平等であり、双方の自由な同意に基づく結婚だけが正当とされる」という中世欧羅巴のキリスト教の信条に由来する。そして実は「自由意志による結婚契約」が先にあり、それをモデルとして「自由意志による契約」という思想が広がり社会契約論に繋がっていく。「婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立する」とは、国家や共同体の曖昧な意志の外側にでも二人の意志一致さえあれば極小の共同体を成立させえることを告げている。「既存の社会構造から相対的に自由な形で誕生する」結婚契約型の家族に依拠することで、絶対君主制に対するロックのラディカルな批判は可能になった。*1ところで、ヘーゲルのアンティゴネー論においても国家から相対的に独立した領域としての家族が現れる。しかし関氏によれば、ロックにおける家族の自然法的自由という論理は、ヘーゲルにおいては“家族という領域に固有の宗教”に貶められてしまった。*2 即ち国家に統合されるべきものとしての家族がヘーゲルにおいては強調されることになる。そして明治41年の皇室令以来人間宣言を経て現在まで、そうしたヘーゲル的家族を国民のお手本として示す最適なモデルとして近代の皇室は機能してきた。歴史をこのように考えるかぎり、徳仁氏発言は、ヘーゲル的家族から家族の自由(ロック)の思想への回帰(前進)を告げるものである。「このささやかな出来事をもって戦後の象徴天皇制は終わった。」というのは決して大袈裟な修辞ではない。

(3)

しかしである、論旨をはっきりさせるために省いた3行で関氏の文章は閉じられていた。ここで引用すれば次の通り。「しかし共和国の創設には、共和制的家族という習俗上の確固たる基盤が必要である。今の日本にそうした基盤がどこまで広く深く存在しているだろうか。私はきわめて懐疑的である。」

ヘーゲル的家族か(ここでいう)ロック的家族かという差異は具体的にはどのようなことか。いわゆるダンナが*3会社人間で過労死寸前まで働き続けているとする、妻はなぜ止めないのか?それは、働くことは会社という共同体への忠誠であるという共同体主義を拒否できていないというレベルを示していよう。わたしたちの現実はそうしたレベルを越えているとは決して言えない、と関氏は判断している。わたしもそう思う。

 そうした問題に最もシビアな認識を示すのがフェミニストだろう。フェミニストは、家族の自由とか、対幻想とかしゃらくせえことをいうんじゃねえ!と怒る。家族が美化されることによる付けは、すべて女性だけが支払わせられることを知っているからだ。(まあそれはもっともなのだが) というわけでフェミニスト岡野八代はいっぱいの不安を押し殺しながら書く。「「家族」は、わたしたちが自分を生き抜くために、「とりあえず」は自分の欲望は自分のものであると、自認できる存在となる「なる」ために、その形を変えながらも、わたしたちが必要としているひととひとの結びつきではないだろうか。」*4

自分の欲望は自分のものであると自認すること、には二つ(以上の)の意味がある。一つは消費主体としてや国家の構成員としての既成社会から与えられた欲望を自らのものとすること。もう一つは他者の欲望やことばがうずまくなかで、与えられた欲望から微妙にずれていく自らの欲望に言葉を与えていくという希望である。雅子さんの「皇族としてであっても外交官としての仕事を継続する」という希望は、なんだか変だと言えば変なものなのだが、逆に言えば、わたしたちこそ雅子さんたちの企みに学ばなければならないのではないか。少なくとも彼女たちは企みを必要とするほど追いつめられていた。

(追記)「おとなり日記」といっても全然おとなりじゃない場合が多いのだが、お隣で知ったoffer-57さんの文章には(テーマが同じだけじゃなく)とても親近感を感じたので引用させてもらいます。この部分はユーモラスな口調が面白い。

http://d.hatena.ne.jp/offer-57/20040905

 ようよう、浩宮よ、お前さんも男ならここで引き下がってはいけないよ。

 浩宮よ、お前さんこそ嫌がる彼女を無理無理天皇家に引き入れた張本人だし、惚れた大事な嫁さんを守るためここは、自分が天皇家から出るぐらいの覚悟で、あるいはそれをカタに天皇家=宮内庁=内閣を相手に現在の皇室外交のあり方を、自分達が(というより雅子妃が)考える外交に一切口出しをしないという約束、大幅な譲歩引き出すぐらいの大芝居を打つ覚悟がなければ、恋女房に逃げられるよ、逃げないまでもこの先、少なくとも嫁さんに同衾はしてもらえないだろうナァ。

*1:同書p75

*2:同書p78

*3:この表現自体が変だが

*4:同書p130「家族の両義性」岡野八代

チェチェンに対する無知

ジャーナリスト常岡浩介氏のブログの■2004/09/03 (金) 17:31:42 ザカエフ・インタヴューというところから引用する。

http://www2.diary.ne.jp/user/61383/

これまでチェチェンに関して日本で報道されてきたことは、わずかなフリーランサーの例外を除いて、ことごとくロシア当局の主張のトレースに徹してきました。一秒たりとも、独立運動の当事者の声を大手メディアが伝えたことはありませんでした。対立する当事者双方を取材するのは、報道の基本中の基本であるにも拘らずです。

だから、その不作為の当然の帰結として、この10年間に、チェチェン民族全人口の25パーセントが、残虐極まりない方法でロシア軍と諜報機関に殺されてしまったこと、生き残った人々が、死ぬよりも過酷とすらいえる虐待の渦中にあることなどについて、日本では一切、伝えられてこず、市民が事実を知る機会もありませんでした。

わたしはチェチェンに対して無知だから正しさに近づいていけるかどうか分からない。<<ある事実ではなくその事実が(マスコミによって)取り上げられる基盤が(決定的に)歪んでいるのではないか?>>について、この文章は疑問を突きつけている。そのような主張は検証が困難だ。だがどんな場合もまずそういった問題意識を持たなければいけないのだということを、わたしたちはこの間学んできた。

追記1:天神茄子さんのブログのリベラシオンの翻訳からの引用。かたよったところだけ引用しているので、元のブログの方もみてください。常岡さんについても同様。

http://d.hatena.ne.jp/temjinus/20040905#1094310455 samedi 04 septembre 2004 (Liberation – 06:00)

最後に西欧社会のプーチンに対する物分りのよさにも疑問を持たねばなるまい。プーチンに反テロ努力の支援者を見るあまり、西欧はチェチェンにおけるプーチンの過誤を許している。

追記2:下記では、学校に突入したロシア軍の兵器が対戦車誘導弾など強力すぎるという指摘。

http://d.hatena.ne.jp/q-zak/20040905

追記3:

http://d.hatena.ne.jp/takapapa/20040906 経由で

http://chechennews.org/chn/0429.htm チェチェンニュース から

どうしても、繰り返して書かなければならないことがある。チェチェン戦争が「対テロ戦争」だというのは、ロシア当局のプロパガンダに過ぎない。その内実は、たった100万人弱のチェチェン共和国に対して、人口2億の大国ロシアが、常時10万人の軍隊を送り込んでおこなっている侵略戦争だ。そのために、この地域は今までにないほど不安定になっていて、どんな事件が起こるか見当もつかない。

 チェチェン戦争は、「対テロ戦争」ではなく、91年に宣言されたチェチェンの独立を挫折させようとする戦争だ。だからこそ、住民の虐殺が放置され、石油資源は略奪され、親ロシア派の傀儡政権によってチェチェンの人々の政治的権利も剥奪されている。8月29日に、さまざまな事件に紛れて行われた傀儡政権の大統領選挙では、こっけいなほどの不正が横行した。

追記4.もひとつリンク  http://d.hatena.ne.jp/Gomadintime/20040908

・・もいっこ。

http://d.hatena.ne.jp/junhigh/20040906#p1「はてなダイアリー – 迷路の地図」さんの文章を利用して。野原の感想を考えてみた。

「国家による暴力の行使は、国民の安全を保障するためのものである」というたてまえがある。当為である。これを逆転して「国家による暴力の行使を、自らの安全を保障するものと考えてしまう」国民も少なくない、というか大部分に近いかも。

イスラエルの存在の許容

 イスラエルのシャロン首相がプーチン大統領に電話した、というニュースは興味深い。結局のところ21世紀初め世界*1が血なまぐさくなった原因を作ったのはこの二人とそれに対し宥和した私たち自身にある、というのが真実だ、と将来の歴史家は判断するでしょう。

http://www.asahi.com/special/040904/TKY20040

 「イスラエルの平和を考える会」機関紙のミスターフvol8が今日は郵送されてきた。パレスチナ人政治学者アッザーム・タミーミーさんへのインタビューから引用。

ハマースがイスラエルに言うのは、「まず何よりも前に、あなたが泥棒であることを認めなさい」ということです。パレスチナ人に「あなたの土地を取ってごめんなさい。とても悪いことをしました。新しい生活を始めましょう。私たちはあなたたちと一緒に住めますか?」と。

もし彼らがそうすれば、南アフリカのアパルトヘイトが解決したように、私たちは「一緒に住めます。解決しましょう。」と言うでしょう。

 野原のブログは読者を向いていないが、ここだけは、どうしても読んで欲しいので引用した。だがわたしの真意は伝わらないだろう。「1917年のバルフォア宣言云々かんぬんそのことをいつまでも言い続けにないといけないのか。そうしたら北海道はアイヌに返さないといけないのでないか」、とわたしも数ヶ月前まで反応していたと思う。つまりここはリラックスしてゆっくり考えないといけない。土地を返せ、とここで「ハマース」は言っていないのだ。にもかかわらず、「土地を返せ」と言われたかのように反応してしまう。わたしの生活がその土地の上の数十年であるとき、そこはわたしにとって「私の土地」である。そのことの真実を他者は奪うべきでない。だが(わたしは第三者だから言えるわけだが)パレスチナ人が私の土地だ、と主張するとき、その主張は否定されるべきということになるだろうか?

 満州や朝鮮に生まれ数十年そこに育ってしまった日本人にとってそこがわたしの「故郷」であるのは事実であり、彼自身にとっての真実である。だが個人のレベルの実感と、国家間の調停の結果は違う。そしてこの問題は立場によって答えが違うといっても、わたしはわずかな勉強の成果として一応の答えを持っている。20世紀は帝国主義の時代だった。だが帝国主義を否定する価値観もあった。後者の価値観に立つかぎり「イスラエルは泥棒である」という表現は不当でないとわたしは思う。「満州国は泥棒国家だった」とわたしたちは認めたではないか。

*1:アフガニスタンやスーダンなど広い地域においてはそれ以前もそれ以後と同様血みどろだった!?

スーダン・ダルフールの悲劇

 わたしはチェチェンに対して無知だ、と先日書いたがダルフールについてはそれ以下だ。

極東ブログさんがスーダン問題について発言されており、スーダン・ダルフール危機の情報を共有していくためにWikiを作成されたことを(たぶん昨日)知った。

http://wiki.fdiary.net/sudan/

今日、「スーダン 虐殺」で グーグルしてみた。

「国境なき医師団」の頁にたくさん記事があるので読んでみてください。

http://www.msf.or.jp/news/news.php?id=2004071603&key=sudan

ちょっと引用します。「まだ大人にならない14‐15才の少女が身の回りのものをすべてもち、ロバに乗って丘を越えていくという信じられない光景を見ます。彼女たちは、きっと殴られ強姦されるであろうことを知っています。しかし彼女たちは『他に選択肢はない』と言うのです。」

漢字の数

当用漢字というものは、1946年内閣から告示された1850字をいう(らしい)。今小学校では約千字習う、残りは中学で覚えなさいということか。ところで外国ではどうかというと、と中国と台湾はほぼ同じで、小学校約2500字、中学校約1000字である。台湾の方が漢字重視というイメージがあるが数は同じくらい。韓国は小学校ではなし、中学で約900とのこと。*1

漢字(あるいは漢字とコンピュータ)については下記参照。

http://kanji.zinbun.kyoto-u.ac.jp/~yasuoka/kanjibukuro/japan.html

日中台で、元は同じ字だったはずなのに今は違ってしまった場合にユニコードでどうなるのか疑問でした。下記で少し分かった。ユニコードは「元同じ字だったかどうか」は考えていない。似たような字体がある場合に同じコードをふる場合と違うコードをふる場合がある、ということか。

http://kanji.zinbun.kyoto-u.ac.jp/~yasuoka/kanjibukuro/unicode.html

*1:9/9朝日新聞夕刊「漢字めぐり国際シンポ」より

新しいものを認識する

私たちの思考において本質的なことは、新しい素材を古い範型のうちへと組み入れるはたらき(=プロクルステスの鉄床)、新しいものを同等のものにでっちあげるはたらきである。(ニーチェ)*1

 「抑(そもそ)も意(こころ)と事(こと)と言(ことば)とは、みな相(あい)称(かな)える物にして、上つ代は、意(こころ)も事(こと)も言(ことば)も上つ代、

後の代は、意(こころ)も事(こと)も言(ことば)も後の代、

漢国は意(こころ)も事(こと)も言(ことば)も漢国なる」*2

私たちは私たちが予め持っている範型(パースペクティブ)によって、考え言葉を使っている。そこで宣長がいうように、古代とか外国のような他の文化、あるいはニーチェが言う<新しいもの>はわたしたちの持っている何かに直ちに翻訳されてしかわたしたちのもとにやってこない。アポリアですね。

*1:p40『権力への意志・下』ちくま学芸文庫 原佑 訳

*2:本居宣長 『古事記伝』一之巻・総論p26岩波文庫

死刑を望むのは甘えではないか

1.グアンタナモの収容者を米軍は即時解放せよ。

参考  http://www.asyura2.com/0406/war58/msg/991.html

2.さて宅間某(宅間守氏)に対し、死刑が執行されたそうです。

わたしは死刑廃止論です。肉親とかが殺されたら犯人を憎悪するのは当然だと思う。だがその思いを国家が私に代わって晴らしてくれるべきだ、などという発想はおかしい。殺されたということは絶対的な不条理であり、宗教によって被害者の気持ちが救われることはありえても、国家はそうした問題には関与しなければいけないわけではないし関与することは不可能である。第三者が被害者感情がどうのこうのと口を出すのもおかしい。被害の絶対性に思いを致すならば、そこにひたすら立ちつくす被害者を放っておくことしかできない。

泥としての子供の擁護

http://barairo.net/ のhippieさんの下記の文章に

http://barairo.net/UStour2004/archives/000031.html

次の通り、コメントを付けました。

hippieさま

 日比野さんのパレスチナ関係の講演とかを、1、2回聴きに行ったことのある野原燐(ハンドルネーム)(男性)と言います。関連したことを最近少し考えたので少し反応させていただきます。

>>日本の一定のフェミ業界では大きな危機感が抱かれ、「憲法の男女平等を守れ」と強く主張している人がいます。

   「危機感」というのはわたしも少しいぶかしい気がしました。わたしの感覚では男女平等というのは法のアプリオリに組み込まれていると感じており、戦前的パラダイムに本気で戻せるのか、え?え? と突っ込めば法的常識の範疇では答えられないと思うのですが。こういう動きは侮蔑してやるという感覚を広げていけばよいのではないでしょうか。

>>また第一章の天皇制の規定は全て削除して、君主制国家としての日本のあり方を共和制国家に変えるべきです。

   同意します。

>>「現在の私たちの生活」は、守るべきものなのではなく、変わるべきもの、変えるべきものです。

   同意します。

さて、24条改正論ですが、

>>「大人になれば結婚すること」を自明視する社会自体を変えるべきだし、結婚しない人が何の不自由なく生きることのできる社会をつくるべきです。

 まあいちゃもんつけになるかもしれませんが、「結婚しない人」というカテゴリーはちょっとあやしい、と感じる。とりあえずわたしは、未婚の母から生まれた子供が増加し幸福に暮らしていける社会を作っていくべきだと考えています。子供を作らない自由は認めます。人間存在とはその過半が泥のようなものではないでしょうか。仏教で言う「生老病死」とは泥のような対象化しにくいエリアです。そうしたエリアを敬遠し生きていく方向に流していこうとするベクトルがわたしたちの世界には流れているのではないでしょうか。そうであるとすれば子供を作らない自由を行使したとしても、同時に子供を育てる自由を行使した方が良いのではないでしょうか。

 日比野さんは子供について一言も触れていないので過剰反応になりますが。子供をどのようなイメージで見ているのかが問題です。子供は愛の結晶ではありません。不定形で不安定な他者です。

護憲派批判という文脈で書かれていたので、別の文脈でのちょっとした違和感について書いてみました。もちろん批判未満であることは自覚しております。

とりとめのない文章ですみませんでした。

関連表現が下記にあるので、よかったら併せて読んでください。

http://d.hatena.ne.jp/noharra/20040905#p1

はてなダイアリー – 彎曲していく日常

                   野原燐

女童べの言葉

本居宣長『石上私淑言(いそのかみのささめごと)』を新潮古典文学集成isbn:410620360XC0310 で読んだ。この全集は文章の半分くらいに現代語訳でふりがながふってあり、現代語訳を読みながら原文を読んだ気持ちだけは味わえるという私にとってはありがたい本です。

和歌についての問答形式で書いているので論点が明快で読みやすい。

「歌はひたすらに物はかなくあだあだしう聞えて、ただ女童べ(をんなわらはべ)のもてあそびにこそしつべけれ、まことしういみじきものと見えぬにや。」*1

女や子供のもてあそびものでたいしたもんじゃないだろう?ととても失礼な問いかけからある節は始まる。宣長答えていわく「まことにさることなり(そのとうりである)」(漫才ならコケルところ)でも結局は彼は次のように力強く言う。

「詩はもと人の性情を吟唱するわざなれば、ただ物はかなく女童べの言めきて(言葉みたいで)あるべきなり。」その背後には「大方人は、どんなに賢しきも、心の奥を尋ぬれば、女童べなどにもことに(特別には)異ならず」という人間観がある。その通りだと思う。今からおよそ250年ほど前の発言として非常にラディカルなものだ。唐の人の書いたものなど、「誰でもみな己賢こからんとのみするゆえに、かの実の情の物はかなく女女しきをば恥ぢかくして言にもあらわさず」「まして作り出る書などは、うるわしく道々しきことをのみ書きすくめて、かりにもはかなだちたる心は見えずなんある。」*2全然書いていないものを読みながら、あなたの心の奥には女童べと同じものがあるのだと断言する。なかなかすごい。

*1:p406同書

*2:p409同書

モルデハイ・バヌヌ

オノ・ヨーコがジャーナリストのシーモア・ハーシュとイスラエルの核の内部告発者のモルデハイ・バヌヌに平和助成金を授与した。(ニューヨーク)