無力をみつめる

今朝の毎日新聞で毛利甚八という人のコメントが、印象的だったのでメモしておこう。不正確だが。

「子供を威嚇することを教育と思いこむ大人をあざ笑うような事件だと思う。」「「少年犯罪の凶悪化」云々97年の神戸事件以来のキャンペーンがいかに無意味なことであったかを思い知らされる気がする。」「事件の原因探しに夢中になるのはもうやめにしたらどうだろう。」

「まず大人が悩みながら道を探し、子供の世界にそうした文化を浸透させる努力を続けるべきだ。」

人間は時として殺意を抱いたりする。自分(たち)にだけはそんなことは決してないと思っているような馬鹿が人を教え導くことなどできない、予算の無駄遣いである。でも毛利氏はそういう風には語らず、悩むことと努力を続けることを語るので立派な人である、と思った。

朝鮮総連は在日収奪機関

金賛汀『朝鮮総連』新潮新書を読んだ。isbn:4106100681

紹介が以下にあります。私も良い本だと思う。

http://www.asiavoice.net/nkorea/archives/000041.html

以下、総連以前についてのメモ。1945.8.15以来、総連結成までには色々な動きがあった。

45年10月在日本朝鮮人連盟(朝連)結成。

48年の阪神民族教育闘争、同年8月大韓民国、9月人民共和国樹立

49年9月朝連解散させられる。

50年6月朝鮮戦争勃発。51年1月「民戦」発足。

51年9月講和条約発効により、朝鮮人は外国人となる(国籍選択権は奪われた、北朝鮮籍や日本籍を選ぶことを韓国、日本両政府が嫌ったからだ)。(当時在日朝鮮人は約57万人、韓国籍主張者はその13%。)

53年7月朝鮮戦争休戦。

1955年5月朝鮮総連の結成。会場正面には金日成の大きな肖像画。

 

2004年、約65万人の在日のうち、朝鮮籍は10万人を切っていると推定されている。「当然のこととして在日大衆の支持を失った朝鮮総連は解散すべきであろう。そして新しく誕生する組織が在日の星となることを願い、この原稿を書いてみた次第である。」(同書 はじめに p10)

金日成の肖像画

 水滸伝のような講談で、在日朝鮮人戦後史を語るなら、この大きな金日成の肖像画の登場が丁度真ん中辺に当たる。そして後半はひたすらうっとうしく本国からの指令と組織内の権力闘争だけがチマチマと続いていくことになる。以下はまあわたしの勝手な妄想なのだが、わたしたちは戦後約60年間を間違ったパースペクティブにおいて見ていたのではないか。戦後の最初の十年は飢えと暴力に表象される混乱期だった、と切り捨てられてきた。確かに飢えと暴力の時代だっただろう。しかしその裏面には真実の希望(日本人においては反省)もあった。五十五年体制。反体制派が社会においてそれなりの地位を占め慣性力を得たということは、「金日成の巨大な肖像画」に相当するものを自己のうちに育て始めたということなのだ。九十年代から左翼が退潮し右傾化したと言われているが本当は、五十五年の金日成の肖像画が歴史の転換点でそれ以後その<肖像画>は目に見えず、すり切れながら執拗に存在し続けてきたのだ。(6月11日追加)

自信

わたしは、自分に自信を持たなければならない。

できるだけ簡明な文章を、ストレートな文を書くべきだ。

アテルイとモラィ

西暦802年8月13日、捉えられた土着民の指導者、アテルイとモレ(モラィ)は京へ連行され、河内国杜山で斬首された。

それがどうした、ということはないが、メモ。*1何も考えないことは、自分が殺した側の系譜だけを引いていると考えることに等しい(かもしれない)。

*1:参照『概念集・4』p8

わったん基金

わったん基金にわずかですがカンパしました。

「渡辺修孝さんの支払い拒否と提訴を支持し、裁判を支援する意思を表明しておきます。」という意志においてです。実はそれほど内発するものはなかったのだが、今井さんたちに対しちょっと前に下記のようなメールを出したので、その都合上「支払い拒否」支援はせざるをえないか、と思ったのでした。(訴訟の趣旨は変わったのか?)

 わたしの第一の問題意識は、外務省が金払えと言ったとしても、内容証明が来るまで払う必要はない、という実用的見地に立ったものです。下記サイトのように、反対なのに内容証明が来る前に自発的に払うのは馬鹿げたこととも思われますが、当事者の周辺には別の事情もあったのかもしれない。

ちょっと前の話になるが、(5/1)http://ac-net.org/honor/  というサイトに対し、次のようなメールを出した。

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高遠さんほかに対するバッシングに大きな怒りを持つものです。

ところで(無責任な質問)といわれるかもしれませんが、次のような意見をもったので参考までに送付します。特に回答を求めるものではありません。

              野原燐

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外務省からの請求について

払わない方が面白い、のではないか?

少なくとも(2週間程度の期限を定めた)法的な請求書を出させることは誰からも文句を言われる筋合いのないことであり、ぜひ実行して欲しい。(法的請求書であれば不服申立の権利についての記述があるはず。)おそらく役人としてはその書類を作るだけの根性はないのではないか。(つまりはいはいといって払ってしまえばその瞬間問題は消滅するので、外務省に充分な合法性がなくとも検証できない。)

最後まで払わず裁判するのが面白いと思うが、3人及び家族が日本中からのバッシングに耐え、裁判闘争を続けるという意志を獲得した場合、しか実際にはできないでしょう。(払ってもバッシングは続くとすれば同じかも知れない。)

外務省の金の使い方についてどの程度まで公開できるのか?という問題に、従来から国民の広い関心が集まっているので、それとも関連して、外務省の言い分を検証するのも面白いと思う。

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弟が兄を伐ってもよい

允恭「登か」*1するや、皇太子淫虐にして、衆の棄つる所たり。安康、弟を以て兄を伐ち、過乱を■定す。衆の推す所、天命これに帰す。

日本思想体系48『近世史論集』というのが古本屋で1700円だったので買ってみた。このごろ大日本史とかに少しだけ興味があるが、これは大日本史自体ではないが、前期水戸学派の学者の史論二つが中心の本。p22には例えば上記のような文章がある。万世一系という原理があくまで正しいとした場合、次の天皇が淫虐にしてどうしようもない奴だった場合はどうする、という疑問が発生する。戦前だったらこのような問いはタブーであり、日本にはそんな天皇~皇太子はいないと強弁されたのではないか。現在の(何の根拠もない)愛国主義者もたぶんおなじだろう。実際には記紀によっても上記のようなことがあった。どうしようもない奴は大衆の意志において棄てられる、それが天の意志でもあるのだ、と元禄のころの儒者、安積澹泊は考えた。

*1:天にのぼる、帝の崩御について言う。

えびす三郎

今日の引用。

「――君は僕の気を悪くしようと思っているのか。そう言えば君の顔は僕が毎晩夢のなかで大声をあげて追払うえびす三郎に似ている。そういう俗悪な精神になるのは止し給(たま)え。(「海 断片」梶井基次郎) http://www.aozora.gr.jp/cards/000074/files/2384_13826.html

源平盛衰記に、成経、康頼、俊寛の鬼界が嶋に流されてある事をいえる段に、かの嶋に「ラン」岳という山有りて、その山に、夷(えびす)三郎殿と申す神を、いはひまつりて、岩殿と名づくといへり、神祇官年中行事にも、戎三郎殿とあり、この神のこと、いといふかし、神に殿と申すも、めずらしき称なり。*1

 小さな島の小さな岩殿。そこが夷三郎殿と名付けられたこと(の無意味に近い意味)に注目した宣長はやはりすぐれた感受性をもっていた、といえるだろう。(えらそうに言うな) 菅田正昭氏の古神道論の先駆者として、みたいな意味で。(菅田氏のurlはここ http://www.yoyo.ecnet.jp/SUGATA/index.html

(前半はまったく関係ない。でも印象的な断片でしょう?)

*1:「玉勝間」日本思想体系40 p151

概念集・2 ~1989・9~ 目次

概念集(2への序文の位相で)  1

概念と像の振幅     2

技術          3

無力感からの出立    5

自主講座        7

自主ゼミ        9

連続シンポジウム    11

大衆団交        13

一票対ゼロ票      14

参加          15

瞬間          17

表現手段(過程)    19

年周視差        21

生活手段(職業)    22

華蓋・花なきバラ    24

メニュー        25 

訂正          27

六甲あるいは〈 〉空間の方法  29

学童保育の映画

今日は、「ランドセルゆれて」 http://ransel.com/ という映画を見た。つき合いといえば、つき合いで見たのだが、思ったより良かったので書いておきたい。学童保育とは、働く親を持つ子どもたちの豊かな放課後を守り続けるためのシステムです。そうした子供たちを集めある時間だけ居住する空間を確保し保護者の代わりとしての指導員が見守り一緒に遊ぶ、といったことをしています。

http://ransel.com/arasuji.htm(あらすじ)より、

 今、さつき学童のみんなが夢中になっているのは三年のダイキとユウマの二人が校庭のはずれの池で見つけてきたトンボのヤゴ (名づけてダイマ) です。ダイマがトンボになる日が待ち遠しく、みんなは心待ちにしています。

トンボのヤゴの映像がたびたび挿入されるのだが、この映像が良い効果をあげていた。ヤゴは泥や有機物のもやもやしたものを身にまとってしまい、そこにいるのだがいっこうにはっきりしないのだ。そのはっきりしなさを映像的に定着しておりなかなかのものだと思った。子供たちのなかにあるいじめや登校拒否や反抗といった問題、親たちの失業や失踪、暴力といった問題、指導員自身親でありながら、仕事にエネルギーを吸い取られわが子に当たってしまうという問題、そういった諸矛盾の象徴としてヤゴの不鮮明さがあるわけだ。

http://d.hatena.ne.jp/noharra/20040518 でラファでの寺畑さんのボランティア活動を「学童保育」と書いてみた。日本では学童保育は多くは小学校3、4年までこの映画のように長くて6年までなので、中学生を相手にする寺畑さんのプロジェクトをそう呼ぶのはちょっと違うのだが。でも今日の映画の小さなクライマックスシーン。我が儘な子がいて、いつもブドウのゼリーしか食べない。その子が皆の説得とかによりついにミカンゼリーを食べる。第三者から見ると馬鹿かと思われるだろうが、彼がそうする一瞬を指導員たち、学友たちは息をつめて、見守っているのだ。反抗的なパレスチナ人の少年がその頑なさに隙を見せたときの喜び、を寺畑さんは話してくれたのだが、あれと同じだなと思った。

 パレスチナのことに関われるのに国内問題には関わりがない、といった場合もあっても良いと思う。(そういうことがあるのだ。)ただ自分の子供のことを考えることが同時により大きな問題にもつながるというのは喜ばしいことだろう。