ラファの動物園の破壊

人権侵害の持続

http://www.asiavoice.net/nkorea/ の5月23日より

kazhik氏の論説の一部

周辺諸国が積極的に北朝鮮を支える状況になってきたことで、金正日体制の危機は過去のものになりつつある。その一方で、強制収容所や「出身成分」制度に象徴される北朝鮮の深刻な人権状況はなんら改善されていない。中国にいる脱北難民は放置されたままで、支援団体の活動もままならない状況になっている。そして今回、新たに日本の拉致被害者も切り捨てられることになった。曽我さんのケースは先行き不透明、安否不明の拉致被害者の問題は事実上の棚上げだ。

東北アジアの平和は人権と民主主義に基づくものでなければならない。しかし現在確定されようとしているのは単なる現状維持、人権侵害の現状維持でしかない。このような「平和」をいったい誰が支持できるのか。

減税を喜んではいけない

 今日自動車税の通知を開けると、なんと去年までの約半額だった。2月に新車を買ったので、「低燃費車」かつ低排出ガス認定車、に該当し約半分になるという。まけてもらえるのは嬉しい。排出ガスを低くしたいという公益のために誘導するという税制なのだろう。だからといって、50%も軽減するというこの制度が正しいのかどうか議論の余地はあろう。

だがそれより一般的に考えると、減税というのは喜んではいけないのではないか。確かに今日1万円まけてもらえば嬉しいのだが、その結果全国では0.001%ほど税収が減り、来年以降にまた別の形で増税になるのだ、とも考えられる。自分が適用を受ける制度は認識するが、日本には自分以外の人が受益者である減税制度が無数にある。したがってそうした制度も一切止めれば、実は将来の本当の減税につながるかもしれない。税金を払わないために努力を惜しまないのは当然の態度だが、それと同時に分かりにくい税制をシンプルで公平なものにしていくべく監視する、そのための勉強もしていくべきだ。(私が止めていくべきではと思う控除制度は、所得税では定率減税、住宅ローン減税、配偶者控除などだ。)もちろん廃止するだけでは損するからどこかで取り返さないといけない。

 軽減の対象に当たったことを喜んではいけない。対象者とそれ以外の格差が本当に必要なものなのかどうか考えて見よう。

男子を購買するの自由

「資本家階級の女子が堂々として待合いに出入りし以て、吾人男子階級の者を快楽の犠牲として取り扱いつつあることの完き自由なる」

(北一輝『国体論及ぶ純正社会主義』みすず第一巻)

人質航空運賃裁判

http://www.mkimpo.com/diary/2004/wattan_fund.html

「 5月13日、外務省邦人保護課は、渡辺修孝さんに対し今回の「拉致・拘束」に関して下記のような請求をしてきました。

1、バグダッド―アンマン間の航空運賃165ドル                

2、3、(略) 総計229ドル13セントを至急支払え。」

この渡辺修孝さんの支払い拒否と提訴を支持し、裁判を支援する意思を表明しておきます。

本名とは何か

地村夫妻という人たちがどういう方なのかさしたる興味はない。なら書かなきゃいいのだが。今日新聞の一面に載っていた。22歳から16歳のわが子に対し日本名を付けたという。いままでの名前は偽りのものだったのか。その子への愛情といままでの名前への愛情は切り離せるものなのか。親子を取り巻く政治的社会的関係が(今にして思うと)不本意なものであったとして、20年の歳月はリセットなどできない。今までの名前を変える必要などない。家庭内のことだから勝手にすればいいのだが、私が書いているのは、おそらく逆の作用(日本名に改名するのが自然だとする意見)が家族に働いた可能性があるに違いない、と思ったからだ。日本は北朝鮮に負けないぐらい不自由な国である必要はない。

無力をみつめる

今朝の毎日新聞で毛利甚八という人のコメントが、印象的だったのでメモしておこう。不正確だが。

「子供を威嚇することを教育と思いこむ大人をあざ笑うような事件だと思う。」「「少年犯罪の凶悪化」云々97年の神戸事件以来のキャンペーンがいかに無意味なことであったかを思い知らされる気がする。」「事件の原因探しに夢中になるのはもうやめにしたらどうだろう。」

「まず大人が悩みながら道を探し、子供の世界にそうした文化を浸透させる努力を続けるべきだ。」

人間は時として殺意を抱いたりする。自分(たち)にだけはそんなことは決してないと思っているような馬鹿が人を教え導くことなどできない、予算の無駄遣いである。でも毛利氏はそういう風には語らず、悩むことと努力を続けることを語るので立派な人である、と思った。

朝鮮総連は在日収奪機関

金賛汀『朝鮮総連』新潮新書を読んだ。isbn:4106100681

紹介が以下にあります。私も良い本だと思う。

http://www.asiavoice.net/nkorea/archives/000041.html

以下、総連以前についてのメモ。1945.8.15以来、総連結成までには色々な動きがあった。

45年10月在日本朝鮮人連盟(朝連)結成。

48年の阪神民族教育闘争、同年8月大韓民国、9月人民共和国樹立

49年9月朝連解散させられる。

50年6月朝鮮戦争勃発。51年1月「民戦」発足。

51年9月講和条約発効により、朝鮮人は外国人となる(国籍選択権は奪われた、北朝鮮籍や日本籍を選ぶことを韓国、日本両政府が嫌ったからだ)。(当時在日朝鮮人は約57万人、韓国籍主張者はその13%。)

53年7月朝鮮戦争休戦。

1955年5月朝鮮総連の結成。会場正面には金日成の大きな肖像画。

 

2004年、約65万人の在日のうち、朝鮮籍は10万人を切っていると推定されている。「当然のこととして在日大衆の支持を失った朝鮮総連は解散すべきであろう。そして新しく誕生する組織が在日の星となることを願い、この原稿を書いてみた次第である。」(同書 はじめに p10)

金日成の肖像画

 水滸伝のような講談で、在日朝鮮人戦後史を語るなら、この大きな金日成の肖像画の登場が丁度真ん中辺に当たる。そして後半はひたすらうっとうしく本国からの指令と組織内の権力闘争だけがチマチマと続いていくことになる。以下はまあわたしの勝手な妄想なのだが、わたしたちは戦後約60年間を間違ったパースペクティブにおいて見ていたのではないか。戦後の最初の十年は飢えと暴力に表象される混乱期だった、と切り捨てられてきた。確かに飢えと暴力の時代だっただろう。しかしその裏面には真実の希望(日本人においては反省)もあった。五十五年体制。反体制派が社会においてそれなりの地位を占め慣性力を得たということは、「金日成の巨大な肖像画」に相当するものを自己のうちに育て始めたということなのだ。九十年代から左翼が退潮し右傾化したと言われているが本当は、五十五年の金日成の肖像画が歴史の転換点でそれ以後その<肖像画>は目に見えず、すり切れながら執拗に存在し続けてきたのだ。(6月11日追加)