日本にとって一番大事なこと

 1937年7月8日北京郊外の廬溝橋で銃撃戦があった。7月11日午後8時停戦協定が成った。ではなぜ、日本軍は8年間も中国大陸全体に兵を展開し続けたのだろう?「中国軍は弱すぎてとうてい日本の敵ではない、廬溝橋で事件が起こったそうだが、ちょいとおどしてこらしめてやるか、華北一帯を完全に日本の支配化におくという年来の希望を達成するいい機会だ、という程度の」決意をもって、北支出兵を決定した。それだけなら良かった。中国軍が弱いというのはおおむね嘘ではない。それから8年の間、兵を退く(停戦する)機会がなかったわけではない。だが一度も退却は選択されなかった。

 どういう条件になったら止める、という条件を明確にせずに兵を出兵させることが最悪のことである。この反省は日本人にとって最低限の、だが決定的に重要な反省である。

 「イラクにおける人道復興支援活動及び安全確保支援活動の実施に関する特別措置法」はこの反省に基づいて作られている。

2条3項 対応措置については、我が国領域及び現に戦闘行為(国際的な武力紛争の一環として行われる人を殺傷し又は物を破壊する行為をいう。以下同じ。)が行われておらず、かつ、そこで実施される活動の期間を通じて戦闘行為が行われることがないと認められる次に掲げる地域において実施するものとする。

8条5項 対応措置のうち公海若しくはその上空又は外国の領域における活動の実施を命ぜられた自衛隊の部隊等の長又はその指定する者は、当該活動を実施している場所の近傍において、戦闘行為が行われるに至った場合又は付近の状況等に照らして戦闘行為が行われることが予測される場合には、当該活動の実施を一時休止し又は避難するなどして当該戦闘行為による危険を回避しつつ、前項の規定による措置を待つものとする。

8条4項 防衛庁長官は、実施区域の全部又は一部がこの法律又は基本計画に定められた要件を満たさないものとなった場合には、速やかに、その指定を変更し、又はそこで実施されている活動の中断を命じなければならない。

 現在自衛隊はひきこもっている。8条5項に該当すると思う。サマワ周辺は非戦闘地域でなくなったと思う。もう少し危険に成らなければそこまでは言えないとする判断もありうる。だが<日本で一番大事なこと>は「客観的にみてある条件を満たさなくなったときは兵を退く!」という一点にある。いかに困難であろうとその決断を貫くことが、戦死者たちから委託された神聖な任務なのだ。

「自己責任」論批判

http://www1.jca.apc.org/aml/200404/38896.html に小倉利丸さんからの「自己責任論」批判がでています。2ちゃんねらーに悪のりした形で、政府や一部マスコミは「自己責任」論を唱えている。要するにこれは、ヴォランティアやジャーナリストを「戦争遂行」という目的に対するノイズとしてまずもって捉える、という戦争主義の言説である。例としては、「自己責任の自覚を欠いた、無謀かつ無責任な行動が、政府や関係機関などに、大きな無用の負担をかけている。深刻に反省すべき問題」(読売社説)など。

一部引用します。

わたしたちは、イラクにおける人質事件以降、政府および一部のマスコミが今回の人質事件の原因を危険なイラクに出向いた被害者たちやその家族にあると批判しはじめていることに大きな憤りを感じています。このような「自己責任論」による世論形成が、人命を軽視した安易な武力行使にむしびつき、今後のNGOなどによる海外での活動を大きく制約しかねないという危機感を大変強く持っています。政府や一部マスコミの主張する自己責任論は間違っています。

ところでわたしは自衛隊員が死んでもそれは自己責任だから国民は悼む必要はない、と主張している。自衛隊派兵は合法性の元に行われた。しかし非戦闘地域が無くなった今活動を続けるのは、違法である。*1また、その法律自体正当性が疑わしいものであって、今回の派兵には正義は存在しない。正義に沿わない職務遂行は形の上で「公務」であるだけだ。

海外における邦人保護について、彼/彼女が戦争遂行に沿わない行為を取っているときに差別的取り扱いをすることには反対である。

*1:「イラクにおける人道復興支援活動及び安全確保支援活動の実施に関する特別措置法」2条3項 対応措置については、我が国領域及び現に戦闘行為(国際的な武力紛争の一環として行われる人を殺傷し又は物を破壊する行為をいう。以下同じ。)が行われておらず、かつ、そこで実施される活動の期間を 通じて戦闘行為が行われることがないと認められる次に掲げる地域において実施するものとする。 テロ対策特別措置法と間違えていた。

消したり書いたり

4/11日の記事に下記の2項目を書いたが、一旦削除しました。高遠さんたちがかえってきてから再UPしようと思ったのですがまだですねー。

馬鹿であることが最高の価値であるというバタイユ的価値転倒の立場に立った文章ですのでご容赦ください。という註釈付きで再UPしておこう。ご迷惑おかけしました。

馬鹿な顔(再掲載)

 馬鹿な顔をしてイラクの子供たちといつまでも遊び続ける高遠さんの映像が日本中に流れた。(アルジャジーラでもたぶん流れた、彼女の友人がバクダッドで歩いて持っていったらしいから。)*1彼女は援助者として子供たちと一緒に楽しんでいただけだ。国境を越えて彼女と子供たちの間にはすでに信頼関係があり、彼女は安心して楽しむ(自己放棄する)ことができた。そのときは。その時といってもそれは(たぶん)去年であり、日本の政府関係者などはイラク民間人との接触において逆立ちしてもそんなリラックスした時間を楽しむことはありえなかった時期だ。国家の論理においては、無価値と評価される子供をあやしたり、子供と遊んだりする時間。正義とはそうした時間を守ることにある。

(高遠菜穂子さんの行為を私は熱く支持したい。)

*1:「馬鹿な顔」というのは失礼な表現だ。許してください。真善美を価値の基準として立てる発想をいくらか転倒したいという思いで書いているのだが・・・

自己責任(再掲載)

http://d.hatena.ne.jp/seijotcp/20040409 とかを見ると、「自己責任」という言葉を使い、被誘拐者3人の問題への積極的な関与を政府はしなくてよいという意見が予想外に多かった、ということだ。

 自己責任についてはもっともだ。というか、“アンマンのクリフホテルからのタクシーでバグダッドに向か”うと決めたとき、バグダッドに着くことなく拘束される可能性や死の可能性を彼らは充分考えた上で行為したに違いない。死んでしまえば何処に怨みを残そうが詮方ないのであって、どのような気持ちをもって、あるいは惰性で決断したにしてもそこにはやはり、死を覚悟した決断があったとはいえるだろう。「死を覚悟した決断」というフレーズは、なにか過ちの方へ私たちを導くかも知れないという危惧もある。だがまあヘーゲル-バタイユからの流れがあるので一応使っておこう。

「ほとんどの書き込みが単なるルサンチマンの表出としてしか読めません。」という2ちゃんねらーまがいの発言が多かったらしいが、そこ(決断)に<至高性>の臭いをすばやく嗅ぎつけ、それにヒステリックに反応する、野原ふうに言えば“奴隷”の心性を持った人が大量発生しているということだろう。

ブッシュ大統領の入植地容認発言を糾弾する!

http://www.mainichi-msn.co.jp/kokusai/mideast/news/20040415k0000e030062000c.html

毎日新聞によれば、「 米国はイスラエルがガザ地区からの撤退を約束する代わりに、ヨルダン川西岸について、イスラエルが必ずしも1949年の休戦ライン(第3次中東戦争の占領地外)まで撤退する必要はない、との言質を与えた。」とのことである。

入植地は今まで一貫して国際社会から違法とされてきたものだ。イスラエルはイラク国内を無茶苦茶にした責任の一部を負っているのにかかわらず、なぜこの時期にご褒美を貰えるのか?中東の平和に永続的な危機を与える、今回の容認発言を直ちに撤回せよ!

ファルージャの目撃者より:どうか、読んで下さい

http://www.jca.apc.org/~kmasuoka/places/iraq0404d.html

http://www.onweb.to/palestine/siryo/jo-fallujah.html

ジョー・ワイルディングさんという(たぶん)英国人が書いた4月11日ごろのファルージャの様子です。「停戦下」です。ごく一部を下に貼ります。上記のurl(どちらでも内容は同じ)で全文を読んでください。

   ○○ 

アッザムが運転した。アフメドが彼と私の間に座って道を指示した。私は外国人として、私自身とパスポートが外から見えるように、窓側に座った。私の手のところで何かが飛び散った。救急車に銃弾が当たったと同時だった。プラスチックの部品が剥がれ、窓を抜けて飛んでいった。(略)

心底、頭に来ていた。私たちは、何の医療処置もなく、電気もないところで子供を産もうとしている女性のところに行こうとしていたのだ。封鎖された街の中で、はっきり救急車であることを表示しながら。海兵隊は、それに向かって発砲しているのだ。一体、何のために?

   ○○ 

私たちは米軍兵士に向かって再び叫び、赤三日月のマークのついた白旗を揚げた。二人が建物から降りてきた。ラナはつぶやいた:「アッラー・アクバル。誰も彼らを撃ちませんように!」。

私たちは飛び降りて、海兵隊員に、家から病人を連れ出さなくてはならないこと、海兵隊が屋根に乗っていた家からラナに家族を連れ出してもらいたいこと、13人の女性と子供がまだ中にいて、一つの部屋に、この24時間食べ物も水もないまま閉じ込められていることを説明した。(略)

私たちが、銃火の中を安全に人々をエスコートするのではないかと期待して、人々が家からあふれ出てきた。子どもも、女性も、男性も、全員行くことができるのか、それとも女性と子どもだけなのか、心配そうに私たちに尋ねた。私たちは、海兵隊に訊いた。若い海兵隊員が、戦闘年齢の男性は立ち去ることを禁ずると述べた。戦闘年齢? 一体いくつのことか知りたかった。海兵隊員は、少し考えたあと、45歳より下は全員、と言った。下限はなかった。

ここにいる男性が全員、破壊されつつある街に閉じ込められる事態は、ぞっとするものだった。彼らの全員が戦士であるわけではなく、武装しているわけでもない。こんな事態が、世界の目から隠されて、メディアの目から隠されて進められている。ファルージャのメディアのほとんどは海兵隊に「軍属」しているか、ファルージャの郊外で追い返されているからである[そして、単に意図的に伝えないことを選んでいるから]。私たちがメッセージを伝える前に、爆発が二度あり、道にいた人々は再び家に駆け込んだ。

(結論)

これは犯罪である。そして、私たち皆にとっての恥辱である。

※ジョー・ウィルディングさんは、イラクの子どもたちにサーカスを見せようという活動をしている外国人のグループ(アーティストと活動家の集まり)である、「Circus2Iraq」というグループのメンバーです。

新たな拘束

http://www.jvja.net/  安田さんと渡辺さんの拘束について、日本ビジュアルジャーナリスト協会から「イラクの友へのメッセージ」が上記に載っています。

「 4月14日、イラクでフリーランスのフォトジャーナリスト安田純平(やすだじゅんぺい)さん(元信濃毎日新聞記者、イラクでの「人間の盾」活動に参加)と、渡辺信孝(わたなべのぶたか)さん(「自衛隊派兵に反対するホットライン」所属)が、拘束されました。」

誘拐された日本人家族に口枷

http://bbs2.otd.co.jp/mondou/bbs_plain?base=26685&range=1

上記に次のような翻訳が出ました。最初の部分は次の通り

南ドイツ新聞記事の翻訳:2004年4月15日9面

タイトル:誘拐された日本人家族に口枷(くちかせ)

  ヘンリック・ボルク記者 (梶村太一郎訳)

「 東京発・だれがどのように彼らを黙らせてしまったのだろうか?彼らイラクで誘拐されてた日本人の家族たちは、かれらの日本政府に対する批判に、突然口を閉ざしてしまった。三日前には家族たちは大声で日本軍のイラクからの撤退を要求していたのである。」

国家の退場

再度確認したいが、今回の解放は、アルジャジーラと被誘拐者の家族、「いわゆるテロリスト」の反米トリオの一方的な成果である。国家というプレイヤーは何も果たせませんでした。彼らに対し税金を使うなという世論もあり、中東に放置してもらってもよいですよ。

http://bbs2.otd.co.jp/mondou/bbs_plain?base=26720&range=1

さて、上記に「コリン・コバヤシさんからの声明6と声明7ならびに声明7付記」が転載されている。

下記の2点について共感するので引用したい。

・・・庇護権について

緊急時に、国民は国に保護してもらう権利と、国は国民を保護しなければならない義務があります。その点が欧米でははっきりしているから、欧米の記者たちは拉致された家族がなぜ謝らねばならないのか、理解に苦しむわけです。拉致事件の場合は、どう考えても緊急時です。福田官房長官、川口外相の発言がおかしいのは、この点です。

・・・また、私たちは、ファルージャ周辺で、イラクの罪のない普通の市民たちがハエのように叩きつぶされ殺戮されている最中に、日本人だけ<助けて!>とどうしていえるでしょうか?私たちはその殺戮を犯しているアメリカと肩を組んで歩いているのです。