健常者の喜び

 去年8月に踵に小さな魚の目ができた。魚の目って今まで体験してなかったので我慢していたら、大きくなりいつまで経っても痛む。体重が掛かるから歩くときけっこう痛む。市販の薬を貼ってみたりしたが直らない。仕方ないので医者に行った。3回行ったがまだそれは完全には取れずまた復活してきた。市販の貼り薬と自分でその部分をこそぎ取ることにより、最近やっと魚の目から解放されたようだ。嬉しい。

 わたしたちは自分の身体が支障無く動いている時、それを当たり前に思う。障害や欠損は、それがないのだから、考えようがない。直ったすぐ後は覚えているがすぐ忘れてしまう。次ぎにどこが悪く成るのかは決定不可能だ。(若く運が良ければ何十年も出会わないこともある。)わたしたちにとって何が一番大事か、わたしたちは意識することができない。

戦後日本のゆがみなど

http://d.hatena.ne.jp/indow/20040224 で、犬童知遠さんが応答してくれた。

 注疏書というスタイルが江戸時代には普遍的だった。例えば儒学ではない国学の

『古事記伝』などもそういうスタイルで書かれたのだ、とのこと。なるほど。戦後の学問も内容的には、マルクスとウェーバーなどの原典への註釈に他ならないのに、そういうスタイルは取らなかった。*1いっぺんやってみても面白いかもしれない。

 それから、「戦後日本の自画像と鏡像」ついて。

大東亜戦争を支えたはずの「近代の超克」の思想は、敗戦によって否定された。論理的に検証していくといった手続きはとられず、そうした発想自体がタブーとされた。*2戦後は<民主主義>とともにゼロから出発し普遍的に世界平和に向かって進んで行くものだとされた。支那事変は、それを指す言葉さえ失われ、なかったものになっていった。1945年以降も戦争や混乱の続く東アジアへの関心は失われた。

 ここでイデオロギー的には右翼であるはずの自民党が、経済発展を至上とするためアメリカべったりとなる<ねじれ>がおこる。この問題も複雑な経過を辿ったはずだが、小泉首相におけるイラク戦争追随において、矛盾は全面的に開花した。アメリカのために死ぬことが愛国心なのか?世論はイエスと答えそうだ。

「近代の超克」については今子安さんの本を読んでいるので次ぎに書きます。ところで宮台氏が北一輝論書いているって?それはいいことだが、やはり全体的右傾化は心配。

*1:ところで、ウェーバーといえば、Ririkaさんのブログhttp://d.hatena.ne.jp/Ririka/20040211で知ったのだが、http://www.econ.hokudai.ac.jp/~hasimoto/Orihara%20Hiroshi%20Essay%20Mirai%20200401.htm で折原浩さんの文章を読むことができた。お元気そうでなによりだとほんとに思った。ニーチェの言う僧侶的人間の完成体みたいに感じたが悪口ではない。

*2:だいぶ前に本屋で見た石原莞爾が戦後に書いた本今度見つけたら買ってみよう。

「近代の超克」

「近代の超克」とは、昭和17年7月(日米開戦の半年後)に文学者・哲学者などで行われた座談会である。それに先立ち、S16.11.26(日米開戦の直前)、いわゆる京都学派の4人の学者*1が集まって「知的な饒舌をもってしゃべりまくった」のが、「世界史的立場と日本」である。

「東洋は近代というものをもたない。ところが日本が近代をもったということが、東亜に新しい時代を喚び起こす、それが非常に世界史的なことだ」(鈴木)*2

 彼らは現状をこう認識する。「日本はアジアにおいて唯一例外的にヨーロッパ近代の受容に成功し(略)西洋先進国に伍しうる強国となった」。日本が近代化したなら、それは普遍的な立場に近づいたということで結構なことじゃないか、戦後的にはこう考える。近代は自明の前提となりそこで思考は終わり、近代は問い返されない。 彼らの座談会に特徴的なことはヨーロッパという言葉が頻出することだ。自明の前提であるがゆえに対象化不可能である「ヨーロッパあるいは近代的なもの」を、目の前に見据え語りきろうとしている。といえばサイードの遙かな先輩とではないかと言えば、決してそうではないと決まった訳ではない。

 世界史とは「ヨーロッパの膨張」によって世界が一つになったことを指す。すると、次ぎに来るべき「世界史の転換点」を展望するためには、「ヨーロッパ的なもの」とは別の文化原理が必要になるはずだが彼らの議論はその点では弱い。*3(彼らの議論自体に当たっていないから断言できないが。)「アジアにおける日本の近代国家化の事実は世界史的意義を有する重大な事件であると評しなければならぬ。(高山岩男)*4」とそればかりが強調される。教師に与えられた価値観によってのみ「優等生」であるものがそのプライドによって教師に反抗しても敗北は必至である。・・・つまるところ、東アジアと太平洋地域を席巻したあの大戦はそう総括されるべきものだ。と言うことになる。というか、戦後日本の右翼というものの根本にもこのパラドックスがある。小泉首相において大きく開花している。

 対抗原理としては次の二つがあげられる。(1)総力戦において、市民的、資本主義的秩序そういう構造をもった国家が崩潰する。近代の世界観が崩潰する。*5(2)共栄圏を建設するとか世界に新しい秩序を建てるとかいうこと。 これが本当かどうかは、当時続いていた<支那事変>によって良くも悪くも検証される。そのことは彼らにもよく分かっていた。

(西谷)今までの支那に対する行動が、外観的には或る程度やはり帝国主義的に誤り見られる外形で動いていた。政策的にもそういう風に見られる形をとっていたかも知れないが……

(鈴木)つまり不透明さがあったんですね。

(西谷)一種の不透明があったと思う。*6

事実は帝国主義であった。つまり共栄圏の実質は存在しない。「そう認めたくない」という気持ちだけが良く現れているこの対話からはそれがよく分かる。

*1:高坂正顕、西谷啓二、高山岩男、鈴木成高

*2:p189子安宣邦『日本近代思想批判』isbn4-00-600110-Xより孫引き

*3:「レトリック以外のどこで「近代」が超えられているのか。(子安)同書p198」

*4:p190 同書

*5:同書p194

*6:p195 同書より

網野善彦氏が亡くなられた。

「日本は日本である」といった同一性の神話に対して闘い続けた偉大な先達である、網野氏は、私にとって。哀悼の意を表したい。

 といっても不勉強なわたしは彼の本をよく読んでいるわけでもありません。『日本中世の民衆像』という岩波新書が出てきた。冒頭で、日本人単一民族説と「日本人の生活の中心は水稲耕作だ」二つの考えを挙げ、それは「やや極端にいうならば(略)この日本列島に住み生活をしてきた庶民にとって決して真実とはいいがたいの ではないか」と書いています。

いくらいってもわたしたちは日本とか朝鮮(あるいは韓国)という、たった一つの言葉でありながら世界を僭称する共同幻想以上のもの、から逃れられない。だから同一性の神話とは絶えず闘い続けなければいけない。

王は外来者だ

1915年生まれ2002年亡くなった宋斗会氏の『満州国遺民』isbn4-8331-0522-5 を買った。p21から引用する。

紀元前1世紀ごろ、扶余(プヨ)が朝鮮北部から中国に高句麗を建設する。後に3世紀朝鮮南部に百済が建国される。彼らは自ら扶余の分かれと称していたらしい。

「ただ、一般的には、ある地域にもともと住んでいたものたちの中からは王はでない。これは決定的とはいえないけれど、一般的にはいえる。

日本でもそうだ。神話に出てくる王というのは、縄文人の末ではないのだから。縄文人は歴史のはるか彼方のほうにかすんでしまって、歴史に登場するのは、外来者だ。朝鮮半島でも同じことだ。」

現在朝鮮人と呼ばれている人間の数は世界中で6千万を超すらしい。ただ周辺部になるとぼけてしまって境界がはっきりしない。宋斗会とは誰か。在日朝鮮人だ、という答えは間違ってはいないとされる。が彼はあえてそれを拒否し、満州国遺民を名のった。彼についてはまた書きたい。

はてなダイアリーに圧力

http://d.hatena.ne.jp/yasulog/20040207 で見て面白いと思ったので貼っておきます。

○はてなダイアリーに圧力?

http://slashdot.jp/articles/04/02/02/095240.shtml?topic=19

ニュースソース:こせきの日記 2004-02-01

http://d.hatena.ne.jp/koseki/20040201#1075628304

情報操作といえば、アメリカの民主党大統領候補ディーン氏の凋落は、マスコミが一致してディーン排除に動いた結果だそうですね。

自衛隊監視テント村が弾圧を受けた

下記サイトによれば3名の事後逮捕があったということです。大衆が、行った者はしかたない元気に帰ってきて欲しいという「しかたない」意識に傾いているので舐められた、ということでしょう。

2月27日早朝、私たち立川自衛隊監視テント村は「イラク反戦」を理由に全面的な弾圧を受けた。逮捕者3名、事務所・個人住宅の家宅捜索6ヵ所。これは小さな反戦市民団体としては大きな打撃である。令状には、1月17日に自衛隊官舎に反戦ビラを配ったことが住居侵入にあたる、とあった。 団地のポストにチラシ広告を投函する全ての行為がこの弾圧の対象になりうる。はてなダイアリー – 隔離される私と相互監視社会

わたしたちはその偽善性が気に入らない

「限定経済学から一般経済学へ」のレジュメを書かないといけないのに、他のことに気を取られてばかりだ。ところで、バタイユはやっぱり良いね。

「19世紀に、人間の知性が高度に研ぎすまされ、自分を世界の中心であり極致であると見ることができなくなった瞬間が来た。無限の尊厳という感情のあとに、悲嘆と孤絶との感情がつづいたのである。皮肉が尊厳を切りくずし、飢えと激情とが尊厳を憎むべきものとしていった。*1

「ヘーゲル以前の古い観念論は、たしかにわたしたちの、がさつで、おちつきのない精神にはきわめて無縁な哲学大系である。わたしたちはその偽善性が気に入らない。マルクス主義や実存主義にあっては、いずれの場合にも、仮借のない唐突さと「確固とした決断」とが、永遠の諸観念にわたしたちを対立させてくれている。」*2

「マルクス主義の立場は必ずしも実存主義の立場と対立するものではない。思考に対する生の優位性は双方の理論に共通である。」

 実存主義とは何か?この文章「実存主義から経済の優位性へ」ではそれは「わたしたちが自分自身と世界とについて抱いている概念を変革しようとする」*3一流派と捉えられている。

 これは1947~48年に書かれた文章だが、戦後、<新しい地平に向かって解放された>時期の空気をよく伝えている。わたしはいまもって実存主義というものがよく分からないが、生きることが問題なのであれば生きればいいから別に実存主義は必要ないか。

こうした実存主義を甘やかすような時代の雰囲気を対しバタイユは無批判なわけではない。「それは必ずしも立派なものではない。苦悶する感動へのしまりのない欲求や感傷的な悪趣味」を指摘できる。しかしそれは、「<生のどろどろした深み>にのめりこむ自在性」の裏面でもあるのだ。<新しい地平に向かって解放された>かのような時期は1968~69年以後にもあった。ここで指摘されている感傷性(短絡性)と自在性の二面性ということについては、わたしもすこしかいま視た。わたしはわたしが思っているより自由である、これが真実である瞬間は存在する。

*1:このテーマを深く面白く展開しているのはドストエフスキーですね。

*2:p259『戦争/政治/実存』

*3:「自己と、その存在基盤を変革する可能性」という松下昇氏の表現を思い出させる。

木製知恵の輪“一帆順風”

浪花節のCDを買いにダイソーに行ったら、「魔法のロープ 帆」(一帆順風)という木と紐でできた頭脳パズルを売っていた。パズルとしては割と大きくしっかりしているので、子供のおもちゃ程度のものでもいいやと(百円ですから)買ったみた。結び目に閉じこめられたリングを解放してやるといったパズル。ところがこれが解けない。子供には1日考えて分からなければ明日回答を見ても良いと言ったので回答をみて分かったようだ。わたしは回答を見るのもくやしくかといって全然できないのだった。しまいにはこんがらがって元に戻せなくなってしまった。“古代中国の智将たちが互いの知力を競い合う遊び”として始まったものだというが、なるほど奥が深い。トポロジーの勉強とかすると解けるのだろうか。うーん。なおそこには三種類あったけど、No2がこれ。あとNo3“指点迷津”は買ったがNo1は買わなかった。皆さんもやってみてください。

検索してみると http://www.neodevice.com/hp/puzzle/rope/ に写真があった。

「一帆順風(イィ・ファン・スン・フォン) 難易度:★★ 帆船のパズル。一番簡単かなぁと思われるパズル。」とあった。私にとってのヒントもあった。「「ザ・頭脳パズル」という木製パズルシリーズの中の、NO.1~NO.5がロープパズルです。」

<決裂>にわたしの本源はある

 私は存在する--わたしのまわりには空虚がひろがり、現実の世界の暗闇がひろがっている--私は存在する、不安のなかで、盲目のままに。*1

「<私は存在する>は必然的に真理だ」とデカルトは言う。それは間違っていないが、どのように存在するかは論証していない。上記のような<暗闇のなかでの存在>にも同等の権利があるのにそんなことに気付きもしない、という著しい偏差を持つ。*2

 私がついに逃げ場を失い、自分の本性をなしているあの決裂を、私が「在るもの」を超越するための場としたあの決裂を認めるに至るのは、まさに私が死につつあるときであろう。生きているかぎり、私は往復運動や妥協で満足することになる。何をどういってみたところで、私が一種族の一個人であることは分かりきっている。そして大ざっぱに見れば、私は万人共通の現実性と協調して生きている。私は、まったき必然性からして在るもの、どのようにしても除去できないものに加担している。「死にゆく自我」はこの協調を捨てるのである。それは、嘘いつわりなしに、自分のまわりにあるものを一個の空虚とみなし、自分自身をこの空虚へのひとつの挑戦とみなすのである。*3

「生きているかぎり、私は往復運動や妥協で満足することになる。<だがわたしは満足したくない>」“現実”というものがあってそれはわたしがそこに属するべきものだ、そうしなければ生きていけないことは分かっているが、その論理を自明のものとしてその上で生きていくのは嫌だ、出来ない!という悲鳴。それを力強く言表してくれる思想家。全共闘時代の直後バタイユは日本の若者に非常に人気があったが、難解さ訳の分からなさ*4を乗り越えて、どこに共感していたのかといえば、そうしたところだったのだろう。

わたしというものは<決裂>、かいま見るだけでも大きな衝撃を受けてしまうそうした危険な超越とともに存在する。将に存在/未存在する。だからといって“現実”というものが、社会人になるのを怖がる大学生にとってのように平板に否定されるべきものとは限らない。わたしの内に<決裂>があるのなら、その外側“現実”の方にも<決裂>があると考えることもできるはずだ。だがそれはバタイユの道ではない。バタイユは雄々しくもわたし(自我)だけに立脚し考え続けるのだ。

<決裂>が否定しがたいのは、「まさにわたしが死につつある」ときだ。それはそうかもしれないが、でも死の直前に何かを視たとしてもすぐ死んじゃったら無意味でしょ、と俗人は考えるがバタイユはその一点に執拗に関わり考え続ける。この持続力はすごい、私も学びたいものだ。

*1:p160バタイユ『内的体験』現代思潮社版

*2:永井均存在論はこの偏差の上で偏差を丁寧に展開したものであり冗談ぽい。?

*3:p165 同書

*4:その原因の過半は、翻訳者と本人の力量不足にあると酒井健氏は言っている。