私は学校で、万葉の講義をしているが、時々、なぜこんなに、すらすらと平気に、講義をすることが出来るか、と不思議に思うことがある。先達諸家の恩に感謝する事は勿論であるが、此処に疑いがある。教えながら、釈きながら居る人の態度として、懐疑的であるというのは、困ったものであるが、事実、日本の古い言葉・文章の意味というものは、そう易々と釈けるものではなさそうだ。時代により、又場所によって、絶えず浮動し、漂流しているのである。然るに、昔からその言葉には、一定の伝統的な解釈がついていて、後世の人はそれに無条件に従うているのである。私は、これ程無意味な事はないと考える。
(p149-150折口信夫「神道に現れた民族論理」『全集3巻』isbn:4122002761)
切断と現前のマジック
どんなことでも、我ながら「すらすらと平気に」どんどん出来てしまうのは幸せなことだし、そこに“ある真実”があることも疑えない。しかるに、上記折口の文章ではそのことに対し「不思議に思う」とされている。
凡庸な解釈では、行為する自己/意識する自己 の対立において後者の優位を信じるのは愚か、ということになるのだが、ここでは置いて、折口に従う。
「上つ代は、意(こころ)も事(こと)も言(ことば)も上つ代、後の代は、意(こころ)も事(こと)も言(ことば)も後の代」と宣長は言った。*1そうだとすると、わたしたちは現代人でしかありえず、古は理解しえないことになる。しかし宣長の主張はそうではなく、古事記は「いささかもさかしらを加えずて古より言い伝えたるままに記されたれば、その意も事も言も相かなって皆上代の実(まこと)なり。」わたしたちが求めている真実はすでにここ(古事記)に「古の語言(ことば)」として在る!「上つ代の言の文(あや)も、いと美麗しきものをや」!
宣長は上つ代を後の代から切断しながら、古事記に感動する宣長という回路だけに於いては、古はいままさに現前すると考えた。単に理解できるだけはなく現前し感動を与えるのだ。*2
宣長による切断と現前のマジックは、弟子たちにはもはや何のパラドクスとも感じられず、だたただ古言(伝統)が勉強され研究されつづける。その流れの中で、万葉が「すらすらと平気に」読めるようになってきたのだ。
「すらすらと平気に」のまっただ中で、ひとはそれに異和を感じることはできないはずだ。なぜ折口だけが「なぜこんなに、すらすらと平気に」という疑問符を提出することができたのだろうか。
*1:http://d.hatena.ne.jp/noharra/20040913#p1
*2:この<感動>が現在の靖国問題にまでつながってきた。
直ちに其の神に成る
えっと折口を読もうとしていたのに宣長まで出してきたので話が別の方向へ転回しわけがわからなくなってきたぞ。
我が国には古く、言霊の信仰があるが、(略)
それよりも前に、祝詞には、其の言語を最初に発した、神の力が宿っていて、その言葉を唱える人は直ちに其の神に成る、という信仰のあったために、祝詞が神聖視されたのである。そして後世には、其事が忘れられて了うた為に、祝詞には言霊が潜在する、と思うに至ったのである。
だから、言霊という語の解釈も、比較的に新しい時代の用語例に、あてはまるに過ぎないものだ、と言わねばならぬ。
(p165 折口信夫「神道に現れた民族論理」『全集3巻』)
たかだか8世紀前半にまでしか遡れない古事記の言語をもって「古の(こころ)=事(こと)=言」がそこにある、とする宣長の方法論には明らかに無理がある。当然、「それよりも前」の時代の人々は違う論理で生きていたはずだからである。
神がもっと身近にいた太古を折口は自身に近づける。「直ちに其の神に成るという信仰」云々と折口は言うのだが、それは畢竟彼の詩的直感による構成物ではないのか。であれば凡人にはなかなか近づけなくとも当然か、という感想が起こる。
どうも話が全然まとまらないのですが、少し分かってきた。
<古(いにしえ)>を読む、再現前させる二つの方法があると。
一つは、昔からの一定の伝統的な解釈にそのまま乗っかって「すらすらと平気に」語る方法。
もう一つは、宣長、折口それぞれやり方は違うが、常人離れした努力の果てにどこかで神懸かり的に、いまここに直接<古(いにしえ)>が降りてくるというパフォーマンスを行うこと。
この二つの異質な物をむりやり同一化したものが「靖国」的な、日本=日本の同一律であり、それは最強であり最悪だ、と。
祇園に行きました
一昨日。四条河原町から観光客用の窓がずっと並んだ道を少し行ってつき当たりに階段があり登ると祇園さんです。最初に蘇民将来の社がある。手を合わせた。*1行灯の沢山灯ったところの向こうにメインの神社がある。ここの祭神は牛頭天王だったな、と思って説明書きを見るとスサノオになっている。あとから考えるに、これはやはり明治の廃仏毀釈期に訳の分からない神を記紀の神に整理し直した影響だろう。その向こうは円山公園。戦争と基地強化のための日米首脳会談反対! 11・15-16京都行動 というのに参加するためわざわざ電車に乗ってきたのだ。誰からも誘われず誰にも言わずに。京都15日(火): 午後6時30分~ 場所 円山公園 ラジオ塔前 というメモだけをたよりに。時計を持っていなかったがまだ予定の時刻より1時間近く早いかなと思って行くと灯りのまわりにそれらしき人々が十数人居た。公園が広いので人数少ないなあという印象。自販機の灯りをたよりに本を読みながらそこでじっと待っていたがかなり寒くなってきた。月がとてもきれいだ。…やっと始まる。沖縄や座間、韓国など現地の反基地運動との連帯のアピールが主だった。鳴り物を鳴らしているのが面白い。デモ出発。人数がだいぶ増えている。数が多かったせいか、一列3人とか4人とかの規制はされずいい加減に広がって歩く。わたしは大きな横断幕の端を持つことになった。通行人の反応は余りないが良かった方だろう。デモとは歩くことと怒鳴ることだ。アーンポ フンサイ、トーウソウショウリとシンコペートする二拍子はジグザクデモの時か。まあそれの変形が主流だが単調になりがち。ここは開発の余地が大いにあると思った。
<反ブッシュ>の意志表示をしました。という報告。
*1:八坂神社の境内摂社である疫神社は、疫病除けの神、蘇民将来を祀っている
デモに行くことは市民の義務だ。
というのはもちろん、「投票に行くことは市民の義務だ」のパロディである。
いままで多くの良心的知識人が投票に行くことを本気で勧めてきた。そこになんらかの真実が有ることは否定しない。しかし投票とはその装置(投票所を設置する者、つまりは国家)への信頼を前提にするものであることをはっきりさせずに、投票の勧めだけを唱えることは国家に包摂されることを自覚的に肯定することにもなりかねない。*1
デモに行くことは市民の義務だ。というのもおかしいといえばおかしい。義務というのは誰かによって課されるものだから、市民が主権者であるならそれより上位の権威は存在しない。しかし民主主義とは、一たりえない多者が一になれるとする逆説である。その構成要素としの意志は議会に於いてだけではなくて可視化されなくてはならない。そしてわたしの一個の意思がそれに直結することが可能でなければならない。このように書いてみると、デモを支える思想というのはわたしたち普通の市民には共有されていないという情況が明らかになる。わたしたちは制度として与えられた民主主義をもっているがそれはいまや陽炎のように消えてゆこうとしているのだ。
まとにかく消えてゆくのが市民の意思ならしかたない、私は嫌だが。
ところでデモとは私一個が参加するものだろうか。そうだと思う。誘い合って参加しましょう、とたとえそうであってもデモとは<意思>表示であり、その意思とは私一個と国家との関係である。我々が堅く手を組んだからといってそこに<我々>なるものが成立したと考えるのは誤りである。たまたま共通のスローガンを叫ぶ群衆としてそこに歩いて行くだけだ。
デモが忌避されるのはそれが余りに誘惑的だからかもしれない。一瞬であっても我々が成立したかのような思いというのは奇跡であり、それを基準に生きようとする誘惑にさらされる。
オタクはデモを忌避しなければオタクであり続けられない。彼らはいつでも自己を守るために必死である。たかだか一時的なスローガンの唱和でしかない物に対し、それは同一性への拝跪(はいき)だとヒステリックな批判を差し向ける。彼らの根拠は自己の肯定である。彼らの自己はデモという交通形態にさらされることができないほど弱い。
*1:ちょっとあやういな
反米という退廃
デモはスローガンを叫ぶことで成り立っている。みんなが納得するスローガンを選ぶのはなかなか難しい。だからスローガンの一字一句にこだわって納得できないとか主張するのは大人気ない。このデモの場合は、アメリカのイラク占領とそれに追随する小泉政権に反対することと、急速に再編強化される日米安保(そのための憲法改正)への危機、という二点に同意できれば充分だ。
というわけでデモが終わった後で細かいことをちょっとだけ言ってみたい。というかまあ小さなことではないが。
米軍は日本から出てゆけ~!
米軍はアジアから出てゆけ~!
とかたまに言ったりしていたがそれで良いのか? 米軍という悪を憎みそれを除去しようとするだけで良いのか。北朝鮮人民を抑圧している金正日は、反米勢力には(彼が)できる限りの援助をしてくれるぞ。
わたしたちは反米反スタという原点に立ち返り、スターリニズムを延命させないという問題意識をも持ち続けなければならない。
靖国はブッシュを許さないぞ~!
東条有罪?
ポツダム戦争受諾によって長い戦争が終り、廃墟と困窮のなかで戦後生活の第一歩を踏み出そうとしたとき、復員*1)戦士も銃後の庶民も、男も女も老いも若きも、戦争にかかわる一切のもの、自分自身を戦争協力にかり立てた根源にある一切のものを抹殺したいと願った。そう願うのが当然と思われるほど、戦時下の経験は、いまわしい記憶に満ちていた。
(吉田満「戦後日本に欠落したもの」*2
「東条有罪。」というタイトルは適当ではないかもしれない。
男も女も老いも若きもが、戦争中の自分の根源にある一切のものを抹消したいと願った、と上の吉田の文章は言っている。
その願いは性急なものであった(ように書かれている)。自己/他者の戦争責任を追求するという困難な課題に取り組もうとする姿勢につながるものではない。
ただ、「戦時下の経験は、いまわしい記憶に満ちていた。」という巨大な共通体験だけが存在した。したがって「戦争はいけない」という文言は単なる美しい言葉ではなく、巨大な共通体験に裏打ちされたものであった。
しかし即自的な体験はいくら巨大なものであっても、60年経ったらすみやかに崩壊する(ことも多い)。
「戦争協力にかり立てた根源にある一切のものを抹殺したい」という切迫あったのなら、「東条有罪。」が求められたことになる。
自己の戦争責任から逃れるために東条を犠牲にした、と語りうる場合もあるかもしれない。自己の戦争責任にあらためて真摯に向きあうのだという決意を持つ場合は。
「戦時下の経験は、いまわしい記憶に満ちていた。」という体験自体を歪曲しようとする勢力が大きくなっているのが現在である。わたしは途方に暮れる。
しかし、戦争にかかわる一切のものを抹消しようと焦るあまり、終戦の日を境に、抹殺されてはならないものまで、断ち切られることになったことも、事実である。断ち切られたのは、戦前から戦中、さらには戦後へと持続する、自分という人間の主体性、日本および日本人が、一貫して負うべき責任への自覚であった。
(略)
日本人はごく一部の例外を除き、苦しみながらも自覚し納得して戦争に協力したことは事実であるのに、戦争協力の義務にしばられていた自分は、アイデンティティの枠を外された戦後の自分とは、縁のない別の人間とされ、戦中から戦後に受けつがれるべき責任は、不問にふされた。戦争責任は正しく究明されることなく、馴れ合いの寛容さのなかに埋没した。
(同上の続き)
*1:福音。野原註
*2:p9『鎮魂 吉田満とその時代』isbn:4166604368
バヌヌさん逮捕
2005年11月18日 ハーレツ・コム
ハーレツ特派員:ジャナサン・リス、ニール・ハッソン
エルサレム近くの検問所で、核の内部告発者、バヌヌが逮捕される
金曜日、エルサレムの北にあるアッラム検問所でバス点検が行なわれた際、国境警察によってモルデハイ・バヌヌが逮捕された。
エルサレムへ行く途中のバスの乗客だったバヌヌは釈放条件に違反した疑いがある。
エルサレム警察は、エルサレムを発つ計画がある時はいつでも法執行官に告知すると誓約していたバヌヌを、当局が国際犯罪課に引き渡すつもりであると述べた。
バヌヌは、ディモナのイスラエルの原子炉についての機密情報を英国の新聞に漏洩したかどで科された18年の刑を服役した後、昨年、釈放された。ディモナで彼は技術者として働いていた。
ロンドンのサンデータイムズ紙は1986年、イスラエルが200の原子爆弾を製造してきたというバヌヌの話を公表した。施設の設備の写真と合わせた彼の暴露は、イスラエルが核兵器を所有していることを専門家に確認させた。
(MLパレスチナフォーラムより)
嫌韓・嫌中はアメリカの陰謀!
http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20051114#1131904594 カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの虚業日記
そして現在の日本の「民族差別主義者」は、アングロサクソンのポチとして、イギリスに統治されていた時代の、つまり19世紀のインド民衆やミャンマー民衆や中東・アフリカの民衆と同様に、アングロサクソンが引いた民族境界線によって民族対立を煽りあっている。バカかと。朝鮮で反日を煽っているのも同じ連中の片割れだ。東アジアが協力し合うと、アメリカや中国に都合が悪いから、東アジア間で感情のエスカレート工作を行なっている。東アジアの、ことに日本の「力」を弱めることがその「工作」の目的だ。
つまり現在の日本の「民族差別主義者」は、戦前の「軍国主義者」ほどの統治への意志も理性も知性も持ち合わせていない、真性のアングロサクソンの奴隷だ。欠片も「愛国」的ではないどころか、真に売国的である。
(余談だが、戦後の昭和天皇は、アングロサクソン帝国が植民地を現地酋長を使って間接統治した伝統に習い、アメリカによる日本間接統治のマシンとして在位し続けた。敗北によってケガレた昭和天皇が戦争責任をとって退位して、次の天皇が即位したら、「天皇」というものが真に「愛国」のシンボルになってしまうから、アメリカはそれを嫌い、昭和天皇を在位させ続け、昭和天皇とその側近はアメリカのその意図に協力した。つまり昭和天皇はやはり最大級の売国奴であり、最大級のケガレである)
差異はあるが、わたしの主張に近いのでコピペ。