語り得ないものを教える

 レイプだけが語り得ない、というわけではない。隣で戦っていた戦友がふと気付くと死んでいたとか、肉親の破壊された身体を見たといった体験もやはり核心は語り得ない。したがって平和教育というものは本質に矛盾を孕むものだ、と私には思える。あまりに生々しい悲惨は人の目を背けさせることができるだけだが、だからといってそれ以外に何が必要なのか。

 わたしは平和教育を受けたことがない。広島、長崎、沖縄本島に行ったことがない。60年間平和教育のために費やされた努力というものがどういうものかまるで分かっていない人間がこんな発言をするのは許されないことなのでしょうが・・・

Aさんの名誉回復したければ勝手にすればよい

http://www.nomusan.com/~essay/essay_31_tokasikijima.html経由で)

http://www.kantei.go.jp/jp/sihouseido/dai34/34gijiroku.html 第34回司法制度改革審議会議事録

というところで、曾野綾子が自作について語っているので、ちょっと読んでみよう。

最初にいままで何が事実とされていたか、を彼女は述べる。

 3月下旬のある日、米軍はこの島を砲撃後上陸を開始し、それを恐れた約三百人の村民は軍陣地を目指して逃げましたが、陣地内に立ち入ることを拒否され、その上、当時島の守備隊長だった赤松嘉次隊長(当時25歳)の自決命令を受けて次々と自決したというものでした。自決の方法は、多くの島民が島の防衛隊でしたから、彼らに配られていた手榴弾を車座になった家族の中でピンを抜いた。また壮年の息子が、老いた父や母が敵の手に掛かるよりは、ということで、こん棒、鍬、刀などで、その命を絶った、ということになっております。

ところで曾野氏が論点として掲げるのは次の点だ。

これらの著書は、一斉に集団自決を命令した赤松大尉を「人非人」「人面獣心」などと書き、大江健三郎氏は「あまりにも巨きい罪の巨塊」と表現しています。

Aさんという方がどの程度悪人だったかどうか、にみんなが興味があったわけではなかろう。

Aさんという方がどの程度悪人だったかどうか、というトリヴィアルな話題にわざわざ本土からやって来て食いついたのが、曾野綾子だ。もちろん文学者がどのような点に注目するかは彼女の勝手である。ある点に注目することで彼女はどのような文学的テーマを展開してくれるのであろうか。だが彼女が語るのは次のような言葉だ。

赤松隊に所属した人々の心を深く傷つけていたのです。

Aさん及び彼の隊の人に対し、無条件に寄り添おうとしているかに見える。大江のような平和主義に染まった文学者が「犠牲者」とされた人に無条件に寄り添おうとするそのことにより事実が少し偏向された形で表現されていく、そのことを批判したいのではないのかね。自分も(右と左が違うだけで)同じ形の思想なら、批判は成立しない。

本土では赤松隊員に個別に会いました。当時守備隊も、ひどい食料不足に陥っていたのですから、当然人々の心も荒れていたと思います。

大変だったと思う。そして死者たちにはどういった回路で会ったのか。作家の本質はそこでこそ問われる事をまさか知らない訳でもあるまい。

 途中経過を省いて簡単に結果をまとめてみますと、これほどの激しい人間性に対する告発の対象となった赤松氏が、集団自決の命令を出した、という証言はついにどこからも得られませんでした。第一には、常に赤松氏の側にあった知念副官(名前から見ても分かる通り沖縄出身者ですが)が、沖縄サイドの告発に対して、明確に否定する証言をしていること。また赤松氏を告発する側にあった村長は、集団自決を口頭で伝えてきたのは当時の駐在巡査だと言明したのですが、その駐在巡査は、私の直接の質問に対して、赤松氏は自決命令など全く出していない、と明確に証言したのです。つまり事件の鍵を握る沖縄関係者二人が二人とも、事件の不正確さを揃って証言したのです。

しかしこういう風評を元に「罪の巨塊」だと神の視点に立って断罪した人もいたのですから、それはまさに人間の立場を越えたリンチでありました。

「Aさんが、集団自決の命令を出した、という証言はついにどこからも得られませんでした。」それで? Aさんの名誉は回復されるべきだと、ふーん、勝手に回復すれば、としか言いようがない。

日本民族の運命に関わる巨大な悲劇に遭遇しながら彼女は、文学にも悲劇にも興味がないようだ。Aさんの名誉にしか。

ボヤンヒシグ

今日、朝日新聞の夕刊に内モンゴルの詩人ボヤンヒシグのことがでていた。数年前に読んだなと思い、検索してみると00/10/19 07:00付けで引用だけしたのがでてきた。

非日常性

           ボヤンヒシグ

二羽の白い鳩が

小さな部屋の窓に

度々 現われる

その都度 僕のペン先から

一つの危険なコトバが

滴ろうとした

何年かの後

雨が降った

二羽の鳩は黒ずんで

いつしか僕の双眼となり

僕はもう 部屋を出ていた

窓ガラスに裂け目がいくつ

空が痛むほど きれい

部屋は

すべてを知っているかのように

それからずっと空っぽだった

-------------------

『懐情の原型』ボヤンヒシグ 英治出版 より

書き留めておきたくなったので書いておきます。

「窓ガラスに裂け目がいくつ/空が痛むほど きれい」という文をどう解釈したらよいのか、分かるわけではないのです。

二羽の白い鳩は恋あるいは愛の象徴であり、「一つの危険なコトバ」というのがそういった言葉なんだとすると解釈は一応つきます。ただ、この作品の持つ異様な緊張感と恋あるいは愛というものとは合わないように思われます。だがそれは日本人の感覚で、異国人(の異国人との)愛の場合はそうではないのか。

そう解釈せず、なぞめいたままにしておいても充分魅力的な詩だと思う。

ジェンダーフリーとは?

「ジェンダー」使用禁止令!!!!ノォォ━━(゜∀゜)━( ゜∀)━( ゜)━( )━( )━(゜ )━(д゜ ;)━(゜д゜;)━━━ッ!!!!

「ジェンダーフリーとは」

http://seijotcp.hp.infoseek.co.jp/genderfreeQandA.html

seijotcpさんが作られた、とても分かりやすいジェンダーフリーとは?です。

近くに自民党があるのでプリントアウトして持っていってみようかと思いました!(が、・・・しないでしょう)

戦没船員の碑

天皇、皇后両陛下と紀宮さまは、11日午後帰京した。帰路、戦後60年に当たることから、横須賀市の県立観音崎公園内にある「戦没船員の碑」に立ち寄った。

http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/photojournal/archive/news/2005/10/11/20051012k0000m040056000c.html MSN-Mainichi INTERACTIVE 社会

ということがあったらしい。

「戦没船員」については、下記のHPがある。

http://www.kenshoukai.jp/

報われることなく海底に眠る戦没船員の御霊を慰めるとともに、二度と戦火のない海洋永遠の平和を祈念するため、昭和44年海運・水産界の関係者によって、慰霊碑建立のための財団法人戦没船員の碑建立会が設立されました。

http://www.kenshoukai.jp/senbotuhi/senbotuhi.htm

戦没船員の碑

皇后陛下御歌

 かく濡れて遺族らと祈る 更にさらにひたぬれて 君ら逝き給ひしか

この皇后の歌だが、どうだろう?強引な詠い振りに、作者と「君ら」を貫く真実(悲しみ)を表現し得ている。と評価できる。

戦没船員の数は数えられている。60,607人。

 もっとも気になったのは「軍人の損耗率を上回る」を証明するデーターだった。これによると、同時期の軍人の損耗率は、陸軍20%、海軍16%となっているが、船員は43%。 戦没船員の多くは軍に協力させられた輸送船団の乗組員、そのため兵士でもないのに多くの戦死者を出している。

http://plaza.rakuten.co.jp/kazenotabibito/diary/200510230002/ ☆戦禍の海に消えた命、60,607人の戦没船員

 敗戦が目に見えていた昭和19年~20年の戦死者が約4万7千人、全体の戦死者の8割に相当する。さらに「戦没船員の年齢別分布」を見ると、口では言い表せない怒りを感じる数字がある。14歳から19歳までの少年船員の死者数が全体の3割以上を占め、その数1万9千人余り。

(同上)

船員でありながら戦地に上陸を余儀なくされ、軍からも差別されたケースもある。

なかでも、かろうじてガ島に着いた輸送船は、兵員等の揚陸のため強行擱座を命じられ、船員は船を捨ててガ島に上陸した。上陸後の船員は、軍からも邪魔者扱いされ、飢餓とマラリアなどの悪疫に苦しみ、2月初めに強行された撤退作戦で帰還できた船員は、同島に上陸した267名の中で僅か27名にすぎなかった。

http://www.kenshoukai.jp/taiheiyo/taiheiyou04.htm

以上、上記のおばけうさぎさんのブログの紹介に触発されて書いて見てました。(というかそのブログの(歪曲された)要約です。)

下記二つは同じ方のブログのようだ。これで下の方にTB送れるでしょう。

http://plaza.rakuten.co.jp/kazenotabibito/diary/200510230002/ ☆戦禍の海に消えた命、60,607人の戦没船員

http://d.hatena.ne.jp/milkbottle/20051023 NEWS GARAGE【カバ式会社おばか通信】 – 戦没船員の碑

で基本的なことが分かっていないが、彼らの遺族は遺族年金は貰っている。そして彼らは靖国神社には祀られていない。ということでいいのかな?

殺す瞬間からの反転

http://d.hatena.ne.jp/noharra/20051108#p1

で、こう書きました。

 人は神になれない、というのは錯誤だ、と言ってみる。例えば、死刑執行人。人は人を殺せない。人を殺すためにはひとは獣になるか神になるしかないわけだが、戦場と違い死刑執行人は獣であることはできない。したがって、死刑執行人はすでに幾分か神でなければならない。

 で私たちの国には死刑制度があり、その国の主権者が他ならぬ私たちである以上、「わたしは人を殺す。わたしはほとんど神だ」と一度は確認しておく必要があるのではないでしょうか。

 わたしというものは時として自己の手には負えない不可能性に向きあわざるを得ず、祈りに満ちた飛躍で飛び越していくしかない存在だみたいな、言表不可能なイメージがわたしにはあります。

・・・

えっと。 http://b.hatena.ne.jp/rir6/ 経由で

布施哲氏の「デリダ ― 政治的なるものへの抵抗」というのをざっと読みました。

http://216.239.63.104/search?q=cache:n8Vx_iwOMIYJ:www.lang.nagoya-u.ac.jp/proj/genbunronshu/25-1/fuse.pdf

デリダ

私の上記のような発想は、ここでデリダが批判しているC.シュミットの思想に近いかもしれないと思った。

シュミットは「政治的なもの」とは友と敵との関係だと言いました。

ここで重要なのは、もしも「政治的なもの」が友と敵との敵対的関係、友敵対立であるとするならば、そうした例外状況の極点である戦争こそが、最も政治的なものである、ということになりはしないか、ということです。そしてシュミットはそのとおりだ、と云います。戦争こそが政治的なものの極点であり、政治家の政治的決断が集約される最高の機会なのだ、というわけです。直截的に戦争を賛美しているわけでは必ずしもないとしても、シュミットは彼が定義するところの「政治的なもの」がヨーロッパの議会主義には決定的に欠落していると嘆いていたことは確かですし、反対に、そうした「政治的なもの」を鋭く問題化していたと彼が考えた論者、理論家たちを彼は評価してもいました。ド・メストルやドソノ・コルテスといった反革命的右翼カトリックの論客からソレル、それになんとバクーニンやプルードンといった、思想的にはまったくの正反対であるはずの無政府主義者、社会主義者、共産主義者たちに至るまで、シュミットはほとんど無節操ともいえるほどに、反議会主義ならびに現実の対立/闘争を主眼に置いた思想家たちを非常に高く買っていたわけです。

http://216.239.63.104/search?q=cache:n8Vx_iwOMIYJ:www.lang.nagoya-u.ac.jp/proj/genbunronshu/25-1/fuse.pdf デリダ

 シュミットは例えば、真に政治的なものの発露である戦争において、自然的な死ではなく、人間が自らの存在を肯定するための、いわば生への意志がわれわれに芽生える可能性がある、ということを云っています。つまり、シュミットは政治的なものの極点としての戦争を、人間の実存(個人的、共同体的な実存)を基礎づける可能な契機、モメントとしても考えていたのでありまして、 (同上)

シュミットにとって、それはとどのつまり、生物学的な生と死を黙して受け入れるだけの自然的な存在ではもはやあり得ない人間が、自らの存在を可能な限りの意志と知性、そして(これはシュミットの大好きな言葉ですが)

“決断”によって基礎づけ得る、至高の機会だったからです。(同上)

 殺すという不可能性に向きあいその不可能を実施してしまうという存在。無惨な、という以外に直視しえない< >。そこから反転することこそが<肯定>である。と翻訳できるものであれば、シュミットと野原はだいたい同じです。

・・・

でまあこれが有名なファシズムの美学という奴ですね。困ったね。

「デリダはそれがヘーゲル的な意味において目的論的である」という言い方で批判するのだそうです。

また、そのような対立によって出来上がった法や、あるいはその法の執行にしても、ベンヤミンの『暴力批判論』などを引用するまでもなく、そこには法に従わない者、あるいはその発効を妨げようとする者の排除や禁止というものが、それが執行されるその都度必然的に含まれており、決して暴力的な敵対性、否定性の契機から自由であるというわけではありません。まさにそうした暴力的な敵対性、否定性は議会主義や議会主義的立法にとっての条件でさえあるといってもよいのです。

しかしデリダは、そのような根源的な暴力や否定性、敵対性そのもの、それ自体を政治の“本質”に据え、それが議会や法から隔絶された次元において私たちの個人的、共同体的実存を基礎づけるなどというシュミット的な発想というものが致命的に誤っていることを指摘します。

わたしは政治の本質は何か分からない。個人的実存を確認するのは、一切の共同体的なあいまいさから独立するためであるのだ。その点がシュミットとは違う。

デリダ『友愛のポリティクス』という本もそのうち読まなければ。

出発できません、うーん。

松下昇についてどこから語ることができるか?と、11/15に書きましたがまだ方向性を見出して出発できません。

http://d.hatena.ne.jp/noharra/20051115#p3

今日は、概念集・1の最初の2頁をOCRからテキスト化しました。

「概念(序文の位相で)」というタイトルの文章で、

 一般的な辞書などでは、概念について、同種の多くの事物に共通する本質を、経験ないし思考を媒介して言語によって抽出したもの、というように説明している。

と語り始めている。とてもまっとうで分かりやすい文章だ。

これまでの〈松下昇〉の全表現を大学闘争(全く良くない言葉であり、表記や理解の仕方を変換しなければならないが、過渡的に用いる)に関する事典として、あるいは概念の索引として読むことは可能か。

ただし〈松下 昇〉の全表現の中に、大学闘争というよりは〈 〉闘争過程ないし、それを不可避とする情況に現れた基本的な概念が全て含まれていると仮定してもよいのではないか。いや、あえて仮定すぺきではないか。

大学闘争という言葉を〈 〉闘争過程というなじみのない〈 〉(かっこ)を用いた用語に置き換える、松下は。それと同時に主体である(その限りで疑い得ない)松下昇というものに〈 〉を付ける。

(中断)

削除元記事

twitter の下記記事を10月12日19時30分ごろ削除しました。 

http://twitter.com/#!/noharra/status/123898355607805952

@Hideo_Ogura ネットを利用した誹謗中傷については、被害者には「裁判制度を通じた救済」を受けさせないということですね。>あなたね、公開された発言をなめてませんか? 私はそんなことを言っていませんよ。議論のルール違反ですね。あなたの信用は下がった。posted at 10月12日 08:10:44