天皇制を論じてはいけない、という意見?

http://d.hatena.ne.jp/antonian/20050907/1126104535 で、あんとに庵さんがほりえもんの同じ記事を引いている。インタビュー現場の雰囲気の分かる記事もある。それはありがたかったのだが、どうもこの方は「天皇制」をタブーにし続けたいようだ。何故そう思うのか不思議だ。

・・・ですので報道記事はいささかニュアンスが異なるにせよ、根底には「そういう意味のない存在は無駄」的な思考が垣間見えるわけです。なんというかやはり芸術家の敵だな。こいつわ。三位一体論とか実体変化とか理解できないししたくもなさそうな人だと思う。

 三位一体に敵対する神学的テーゼを立てることと、そうした問題領域自体に敵対することは違う。堀江もんは「憲法見ると、天皇は日本の象徴であるというところから始まるのは、僕らにとっ てはものすごく違和感を感じますよ」と条文の文言について発言している。したがって後者ではなく(テーゼはたてていないが)前者である。あんとに庵さんはそれを後者であると歪曲している。

ところで、天皇制と国体というのは伝統的に日本では一致して来たわけですが、その辺りの解体をもくろむならそれなりの理論武装をしないとまずいのでしょうが、彼の場合は単純に「無駄」「有用」という価値で判断されているようです。

何を神秘化しているのですか。「天皇制と国体というのは伝統的に日本では一致して来た」というのは間違った理解です。問題は憲法1条をどうするかだけで、憲法改正が国民の権利であることは憲法に書いてあり国民の常識です。タブーを作りたい一部の勢力がいるだけです。

人というのはなんらかの共同体に属したりするわけでそれは土地だったり、国だったり、思想団体、宗教団体もそうですが、それによって形作られる人格というのがあり、また属するものへの拡大的な皮膚感覚を持ったりするものですが、それがないタイプというのは珍しい。

堀江氏はただ、「憲法1条は不要だ」と意志表示しただけですよ。その意見に反対したいなら、彼の意見を歪曲するのではなく、貴方自身の思想で行ってください。

だいたいタイトルも「ホリエモンの舌禍」だし、自分が言論の自由に敵対していると言うことが分かっていないようですね。

(突然、攻撃的TB失礼しました。)

ふふんふふーん・2

ところで『金比羅』図書館で借りて、もう2週間はとっくに過ぎているので明日は返さないといけない。もう少し引用しておこう。

小説冒頭部分でこの擬音語でも擬態語でもない奇妙な「ふふんふふーん」系の言葉(文字列)は次のところに集中して現れる。

(p11)

 ふふん!

 みっつというのはなんという都合のいい数でしょう。三と言っただけで愚民はもう全てを網羅し、可能性を調べ尽くしたと思ってくれるのですから。

 いやいや、しかし皆さんのような反権力・非愚民がそんな単純な事で騙されるはずはない。だって私だって別に騙そうとも思ってないんだから。へっへー--。

(p14)

--私は偶然に助かったんです。運がいいわけでもない。誰のおかげでもない、ふふんふふーん、私は科学の子だ。ふんふんふんっ。

 というような人がいるかもしれません・あーあ、ねーえ。*1

(p23)

あなた方などは神について語ってはいけない。たかが人間がね、何も知らない癖に。おや、今むっとしましたね。はっはっはっは、ふん。だけれども私達神が聞こえる神が見えるものと、あなた達人間とは違うのですよ。ですからね、今こそね、その違うということを思い知りなさい。ふん、ふうん、けーっ。ほっほー。

もう一度列挙すると次の通り。

  1. ふふん!
  2. へっへー--。
  3. ふふんふふーん
  4. ふんふんふんっ。
  5. ・あーあ、ねーえ。
  6. はっはっはっは、ふん。
  7. ふん、ふうん、けーっ。ほっほー。

この小説は、私が私について語る一人称小説である。そしてまた私が語り手となって、読者に向かって饒舌に語りかける、というスタイルを取る。それだけなら良いのだが、この「私」は実は人間ではない。金比羅だ。私達=神が聞こえる神が見えるもの、である。当然、あなた達人間とは違う。しかし神に近いものがそこらへんのおばちゃんのように自分のことをどんどんしゃべり始めてものだろうか。神に近いものは当然人間からは高慢に見える。しかし、半神はそもそもそんなことすら気にしない者ではないのか。人間の常識の範疇を超えているはずだ。しかしそれでは人間と関係を持てない。笙野の金比羅は一面、べたべたのおばちゃんであり相手の顔色を見ながら自分のことをどんどんしゃべり続けるのだ。

と言うことは、金比羅は高慢と媚びという二面を持つ。

1.高慢 2.媚び 3.4.高慢 5.媚び 6.高慢 7.媚び。このように考えると、この種の文字列がなぜ、数個づつ固まって現れるのかの説明が付く。

しかし上記のように二面に分けるのはかなり無理矢理だ。文字列たちは、身も世もなく身をくねらせるかのように、多彩で多様である。半神とただの人間との落差を埋めるための装置であり変幻自在でなければならないのだ。

(9/26追加)

*1:p14『金比羅』笙野頼子 isbn:4087747204

なぜ自決しなかったのか?

nenecoconenecoさんから二つクリップさせてもらいます。感謝。

http://d.hatena.ne.jp/nenecoconeneco/20051102

靖国にA級戦犯を合祀した松平永芳宮司について

一方で、後任の故松平永芳宮司は、同じ福井出身の故平泉澄・元東京帝大教授の皇国史観に強く影響されていたといわれる。天皇制の護持を重視し、時の天皇が誤ったら「おいさめしてでも」正しく導く---という思想だ。こうした考えは、終戦時に皇居に押し入って玉音放送の録音盤を奪取しようとした反乱軍の兵士にも強い影響を与えたといわれる。「内意」は間違っているのだから、正しくお祭りすることで天皇を「おいさめする」---。そうした倒錯した考えが、合祀を進めた松平氏の背景にあった可能性がある。

A級戦犯の合祀がヒロヒトの意志に反することを松平が知りながらなぜ、合祀を強行しえたのか?その論理的根拠の説明である。

2千万以上ともいわれるアジア人の殺害、数百万の日本人の犠牲を仮に神が無視するとしても、戦争を始めた結果日本を焦土にしてしまった責任を、<皇祖皇宗>が問ないはずはない。平泉澄は本当に問わないと考えていたのだろうか。

プロクルテスの寝台

 行政の目的はこの場合、目の前にいる人々に福祉を与えることである。担当者の仕事は福祉の質と量を改善していくことである。しかし福祉の質というものは目に見えない場合が多い。

 一方担当者に可視的に求められていることは、予算の削減である。同じ仕事に対し対前年比9割しか予算が付かない。あるいは仕事の量が増えているのに予算額は増えない。担当者がいくら騒ごうが予算は増えないのであって、この場合福祉の量あるいは質を落とすしかない。例えば同じ広さの施設に対し定員の2割り増しの人々を詰め込むとか。あるいは入所基準を厳格化し対象者をフルイにかけるとか。

 いずれにしても担当者は板挟みにあい苦しむことになる。しかし苦しみから逃れる方法はある。予算削減自体を神にしてしまうのだ。名前を“(沈黙の)納税者”という。

 まず、公務員は全体の奉仕者であるのに、全体概念は納税者というより狭い概念にすり替えられる。福祉の対象者は実際にはいつでも一部の人たちであるという事実がことさらに強調される。このようにして、福祉とは本来削減されるべきものであるのに、仕方ないからやっておくものになる。

 予算が限られているからといって、限られた予算でできる限りの福祉を実現しようとする熱意は無視される。目に見えないものである福祉の質というものに対する感受性を持たないことがむしろ推奨される。目の前にいる対象者に愛をもって接するよりも、来月条件が変われば相手を切らなければならない覚悟をいつでもしておくことが優先される。

 ここにはもちろん安易な答えなどない。したがって少なくもと、“フリーライダー(つまり本来行政が面倒をみるべきでない不良市民)とそれを見逃していた怠惰な先輩公務員たちが、問題を作っている”といった安易な図式は排されるべきであろう。(11/27)

概念集・2   目  次

概念集(2への序文の位相で)    1

http://d.hatena.ne.jp/noharra/20051204#p1

概念と像の振幅           2

技術                3

無力感からの出立          5

自主講座              7

自主ゼミ              9

連続シンポジウム          11

http://members.at.infoseek.co.jp/noharra/itbe3.html#sympo

大衆団交              13

一票対〇票             14

参加                15

瞬間                17

表現手段(過程)          19

年周視差              21

生活手段(職業)          22

華蓋・花なきバラ          24

メニュー              25

訂正                27

六甲あるいは〈 〉空間の方法    29

中道右派 『>人を売国奴だの無知だのなんだのと罵っておいて、御自分に礼儀があると信じていらっしゃるところに心より憐れみを覚えます。

私もあなたに哀れみを覚えます。私のそのコメントの前に、『私はあなたから得るものは何もない』という、明らかな事実誤認ないし事実と違うことを知った上での印象操作または挑発(しかも覚えているだけで2回目以上)をしていたことが、私の上記発言を招いたことにお気づきにならないとは。

正直に言えば、あなたは私より歴史資料や歴史学説には精通されているようですが、それだけです。法的視点と政治的視点については、私の方が明らかに優れています。それは、ここの数少ないであろう読者には、明らかです。

>>喧嘩を買った?

バカを言いなさんな。あなたが勝手に野原氏を中傷したのが先でしょうが。私はそれを恥知らずの行為だと指摘したまでです。

それについては、ずーっと前に、野原氏にご容赦くださいと謝っております(1回目の誤謬)。あなたはそんな前のことを、しかも他人なのになぜか怒っているのですか?とても不思議です。しかも、私が最初に野原氏を誤解から批判した原因は、あの時は私の非が明らかだったので言いませんでしたが、野原氏が慇懃無礼に挑発してきたことにもあるんですよ。

そして、2回目の誤謬についても、私は自省の念を示したはずです。それでも蛇のように執念深く追及するなんて、やはり被害者ファッショの信奉者で、しかもそれは自分か自分がシンパシーを抱く者が被害者の場合にしか発揮されないという偏頗なものだったとしか思えません。

>それから「印象操作」という言葉が安売りなさっているようですが、それを立証したいなら陰謀論や「(歴史学の専門では全くない)『M2』もこう言ってるよ」みたいな「印象操作」は止めて御自分の力で積み残しを解決なさったらいかがですか?今のところ私の議論にあなたはまともに太刀打ちできていないことをお忘れなく。

また印象操作の繰り返しの天丼ですか。こういう断言って何回目ですかね?多すぎて数えられないかも。左翼系の方はこういうのが本当にお好きなようで、私もつい喧嘩を買ってしまうんですよ。未熟な限りです。

繰り返しますが、あなたが私に勝っているのは、歴史学的視点のみ。法的視点と政治学的視点では私が優勢なのは、ここの数少ない読者が、初めからあなたと私のやりとりを読み返せば分かるので、立証は容易です。

>このコメント欄はあなたの質問に答える為だけにあるのではありません。あなたが長文を貼り付けて容量をオーバーさせれば他の人は書き込めなくなるんですよ。そんなことも分かりませんか?

野原氏以外には、ほとんど私とあなたしか書き込んでいないブログで、他の方に遠慮する必要があるとも思えません。他の方からは、たまに短くて冷静な突っ込みが入る程度でしょ?

>「野原氏にアクセス禁止処分をされたもようです。今後全てのエントリにアク禁される可能性もあるかもしれないので、ここに最後になるかもしれない私の返事を書き込み、ウェブ魚拓もとっておきます。まさか、野原氏はあなたと同一人物で、自分で勝利宣言して直後にアク禁にして、私が逃げたと印象操作するつもりだったのではないでしょうね?」

>これが単なる質問?印象操作はそっちでしょうが(笑)

ん?適切な回答がなされれば不当な印象はすぐに払拭できるようにわざわざ質問し、その結果自分をさらに追い込んでしまったうかつなコメントを、印象操作ととる方がどうかしてますよ。印象操作ってのは、あなた方左翼が良く行うように、あたかも客観的事実であるかのように断言してこそ意味があります。こんなヘナヘナ質問コメントで野原氏やあなたに悪い印象なんか持ちませんよ。あなたが批判したように私の被害妄想と思われるのがオチです。

>ちなみに私は野原氏はアク禁にすべきだと思います。理由は大量のコメントを連日貼り付けてすぐに容量をオーバーさせ他の人がコメント出来ないから。

回答済みです。

>魚拓とりたいならとらせればいいんですよ。自分が勝ったと思っているなら自分でブログでも作って堂々と貼り付ければよろしい。出向きますよ、私は。

なぜあなたのブログをご紹介いただけないのでしょうか?

私は、アウェイで戦って勝つことが楽しいので、わざわざホームを作る気がしません。

>それからついでに。私へのコメントは私宛にして下さい。分かりにくいので。

そんな、野原氏宛てのコメントの内容まで熟読しないで下さいよ。しかも性格としては単なる独り言なのに、そんなところも読み落とさないとはw

その一方で、私がノーモア氏に直接宛てたコメントについては、誤解曲解が多いのはなぜなんだろう?

http://d.hatena.ne.jp/noharra/20070318#c1174804311

ノーモアはなぜ論点のすり替えを追及しないかですが。

(1)まずご自分が論点のすり替えを行ったと認めるんでしょうか(笑)

(2)で、吉見氏が論点のすり替えをやったということを実証してください。

これもまた「検索」でしょうか(笑)

(A1)認めませんよ。あなたが私による論点のすり替えが多いと指摘したこと自体は事実で、そのことを言っています。私はそれを認めませんが。

しかし、あなたがそう指摘したものは、全て私にはこの問題の最終かつ完全なる解決を果たすために必要なものばかりです。

そして、へイデン法訴訟濫発と類似した状況が生じ得る危険があることは、実は誤りではないのです。あなたはまだ気づかれていないようですが、実はヒントはあなたの回答コメント自体の中にもあります。

また、それ以外のあなたが論点のすり替えと指摘したいと思われるほとんどの論点は、実は、あなたのコメントに答えるために必要だから言及した論点にすぎません。これも、私とあなたのやりとりを初めから読み返せばすぐに分かることです。

(A2)それまで議論されていなかった広義の強制説が吉見氏の『資料集』で初めて登場したという事実(私の知る限り)。

これに対する反証は簡単です。上記著作刊行以前に広義の強制説を主張した学説の刊行物を呈示されればいい。でも、吉見氏自身が、自分が初提唱者みたいなこと言ってるからなあw』(2007/03/28 14:14)

* ノーモア 『>明らかな事実誤認ないし事実と違うことを知った上での印象操作または挑発(しかも覚えているだけで2回目以上)をしていたことが、私の上記発言を招いたことにお気づきにならないとは。

明らかな事実誤認?どこがでしょうか?それが誤っている事を実証して頂けませんか?私があなたから新しく得た知識は何もないので私からすればそれは事実としか言いようがないのですが。また検索しますか?(笑)

>法的視点と政治的視点については、私の方が明らかに優れています。それは、ここの数少ないであろう読者には、明らかです。

は?どこが?私がいつどこで論破されたのでしょうかw確かに私は法律家ではありませんが。で、法と政治的「視点」であなたがどこで優れているのでしょうか?

>あなた方左翼

私が左翼であることを実証してください。印象操作極まれりですね(笑)

>私は、アウェイで戦って勝つことが楽しいので

ホームで負けるのが耐えられない人ということですね。

>必要だから言及した論点にすぎません

え?なぜ私が売国奴だの被害者ファッショだのと罵られその為の釈明を求められなければならないのでしょうか?それが必要な論点?

>へイデン法訴訟濫発と類似した状況が生じ得る危険があることは、実は誤りではないのです。

実に興味があります。では法的「知識」に優れた海老さんの講釈をお聞きしましょうか。

>それまで議論されていなかった広義の強制説が吉見氏の『資料集』で初めて登場したという事実

不十分ですね。吉見氏が最初に「従軍慰安婦問題はまさに慰安婦の官憲による強制連行の問題こそが核心(本質)である」という趣旨のことを述べていなければ「すり替え」にはなりません。さあ、お得意の検索をどうぞ(笑)

あなたの積み残しの「検索」をまとめます。

・ホンダ議員の真の意図或いはそれを伺わせる発言

・事実ではない・認めるには不十分であったがバーターで仕方なく認めたという政治家(ちなみにあなたの論法を使うなら対外的に責任とるのは首相クラスでないといけないようですから宮沢氏、百歩譲って河野氏となります。また韓国から打診してきた人間がそのクラスであることもお示しください)

・横田氏の言及しているNGO中韓のロビーであるかどうか

・私が左翼であることの根拠

・吉見氏が論点のすり替えをしたことの根拠

大変ですねえ。宿題を溜め込んでしまうとw』(2007/03/29 08:20)

* ノーモア 『あなたが「野原氏を中傷したのが先」というのは認めてらっしゃると、で、こうなったのも相手にも原因があると言い訳がましく責任転嫁しようとして(左翼にウイルスメール送られたことがあるとか←知らんがな)、案の定その後すぐに同様のことをやらかしたと。いや、何ともはや素晴しい反省ぶりで。またやらかすんじゃないですか?あなた。

>私のコメントを誤解曲解して断言したり印象操作をされることが多いが

あなたの書き方がまずいのかもしれませんよ。何しろあなたは最初「政府や軍が主体的に関与していなかったら、それは朝鮮人が多かったという業者の責任です。」と言っておきながら私が主体的に関わっていたことを示すと「公安(←ここは大爆笑ポイント)と風俗業者の関係と何の違いもない」と言い出して、ではどこに「公安慰安所」があるのかと突っ込まれれば、「解釈の違い」だと逃げ、「ゆーき」さんからツッコミが再度入ったら、今度は問題は法的責任の問題だとすり替えた。しかもこだわっていた「公安」のくだりは単なるミスで最初から法的責任の問題を言っていたのだと。

こんな議論をする人の意図を全て酌める人なんていませんよw』(2007/03/29 08:50)

356 Re:春の弱酸

山尾悠子さんは幻想小説作家ですが短歌も作っているそうです。

http://lapin.ic.h.kyoto-u.ac.jp/tanka/tanka20.html

よりコピペさせていただきました。

>>

角砂糖角(かど)ほろほろと悲しき日窓硝子唾(つ)もて濡らせしはいつ

腐食のことも慈雨に数へてあけぼのの寺院かほれる春の弱酸

http://replay.waybackmachine.org/20050131233356/http://otd9.jbbs.livedoor.jp/908725/bbs_reply?reply=356

吉本隆明について立岩氏が

次のように言っているのに共感しましたので引用します。

 私は吉本隆明という人が言っていることの多くはわからないのだが、ただ、「「市民」にならねば」という強迫のないところ、基本的に政治は仕方がないからするものだという感じで捉えているところは、それでよいのではないかと思い、共感する。ここから見ると、そうでない立場もまた特定の立場のように、はっきりと見えてくる。http://www.arsvi.com/0w/ts02/2004026.htm