対中戦争が侵略戦争である。ものの見方がここまで違うとなかなか対話は困難だね。
上記引用文の原典にもあるように、日華事変は、中華民国が戦争計画に基づいて日本軍を攻撃した第二次上海事変から始まった。通説のように盧溝橋事件が発端だとしても、銃撃したのは共産党だというのが今では知られている。いずれにしても、日本が中国の戦争に巻き込まれたというものなので、日本がしかけた侵略戦争である太平洋戦争とはまったく性格の異なる戦争である。
対中戦争が侵略戦争である。ものの見方がここまで違うとなかなか対話は困難だね。
上記引用文の原典にもあるように、日華事変は、中華民国が戦争計画に基づいて日本軍を攻撃した第二次上海事変から始まった。通説のように盧溝橋事件が発端だとしても、銃撃したのは共産党だというのが今では知られている。いずれにしても、日本が中国の戦争に巻き込まれたというものなので、日本がしかけた侵略戦争である太平洋戦争とはまったく性格の異なる戦争である。
http://d.hatena.ne.jp/noharra/20050621#p5
http://d.hatena.ne.jp/noharra/20050621#p2
以下で書いたのですが、一昨日ある集まりでもハードコピーを何人かの方に渡しました。
ブログだとどんなことでも書けるが、紙を渡すとなると気のおけない仲でもひどく“恥ずかしい”。こうしたメディアが表現内容に及ぼす影響といったものも興味深い。
テーマは、扶桑社教科書が騒がれているが、現行の指導要領に従った普通の教科書も、一部に見逃し得ない問題が問題がある! というものです。
聖徳太子はフィクションではないのか?
(1)子供の小学校教科書を見て、聖徳太子が大きく取り上げられているのをみて、疑問に思った。
「偉人としての聖徳太子」の存在は歴史学においてはほぼ否定されている。(参考:大山誠一『聖徳太子と日本人』角川ソフィア文庫など。
「憲法17条と『三経義疏(さんきょうぎしょ)』が聖徳太子の作品でないということは今日の古代史学会の常識に属することであるし、聖徳太子の実在を証明するものと考えられてきた天寿国繍帳も後生のものであることは間違いないのである。p36」)
それに反し、教科書(私が見たのは大阪書籍H17年2月発行(3大書 社会613))では、「聖徳太子はどのような願いをもっていたのだろう」という問題意識のもとに彼の17条憲法をはじめとする業績が紹介されている。
小学校学習指導要領解説に次のようにあるので、このような聖徳太子の紹介は文部科学省の指導をそのまま実現したものである。
“「天皇を中心とした政治が確立されたことが分かる」とは,聖徳太子の政治や大化の改新によって政治の仕組みが整えられたことや,奈良時代に天皇を中心とした政治が確立されたことが分かるようにすることである。(略)
実際の指導に当たっては,例えば,聖徳太子の肖像画やエピソードなどからその人となりを調べる学習,大仏の大きさから天皇の力を考えたり,大仏造営を命じた詔から聖武天皇の願いを考えたりする学習,(略)などが考えられる。”
聖徳太子は日本の基礎をつくった偉人であると日本書紀に描き出され、またそれだけでなく民衆の大きな信仰の対象でもあった。しかしいずれもそれは7世紀初めの歴史的現実ではなく、8世紀以降に作り出されたものであった。事実でない人物を登場させて彼の「願い」を小学生に理解させようとすること、これが子どもが日本人になるためにどうしても必要な第一歩なのだろうか。非常に疑問に思う。
(2)<願い>とは何か?
この教科書でおかしいと思ったところは、日本史のパート2「貴族の政治とくらし」で、飛鳥・奈良と平安時代を教えるのだが、ページ数は前者が10頁(最初の平城京の見開き2頁鳥瞰図を含めて)、後者が3頁である。私の大学受験歴史の感覚では当然後者の方が比重が大きいと思っていたので意外に思った。しかし飛鳥・奈良時代が“くにの始まり”の時代であり、歴史やアイデンティティのためには枠組みが必要であり、それを与えることなしには何も始まらないという発想もありうるだろう。かりにそれを認めたとしてもこの教科書の描き出す飛鳥・奈良時代は余りにも偏向しているのではないか。
飛鳥・奈良時代は、p18-25なのだが、p18に、「聖徳太子はどのような願いをもっていたのだろう」という問いかけがある。p20-23は大仏建立が主題。p21に「わたしは仏教の力で国じゅうが幸せになることを願っている(略)」という聖武天皇の願いが8行にわたって記されている。p22には「多くの農民にしたわれる行基」が大仏づくりに協力したと述べられる。p25では、「教えのためには命をおしんではならない」とした鑑真が、5回渡航に失敗したのちやっと日本に着いたことが記される。8頁を通して“命を惜しまないほどの強い願い”でもって国造りを押し進めるといったイメージが与えられる、とも読める。わずか134頁で日本の歴史の全てを語りきらないといけないから大変なわけですが、この8頁だけが特別に精神性が高いように感じた。
(3)
歴史学者が科学の名に於いて、教科書からの聖徳太子の抹消を主張しても、大衆はけげんに思うだろう。右派がちょっと扇動すれば抹消反対が絶対多数になるだろう。わたしたちはどうしたらよいだろうか。とりあえず、飛鳥・奈良、平安時代をたった13頁で分かりやすく小学生に伝えるにはどうしたらよいか、自分なりの日本史像を造り、教科書を試作しようとしてみるべきかもしれない。もちろん、指導要領に囚われず、自由な立場で。その場合「日本史」である必要はないわけだが、ではどうするのかが問われる。
(2005.7.16 noharra )
3)
住民に対し「生きて俘虜の辱めを受けず」というフレーズが強調されたかどうかは分かりません。
そのため沖縄では「一木一草」にいたるまで戦力化することがはかられ「軍官民共生共死」がうたわれた。つまり軍に全面的に協力し、軍が玉砕するときには県民も一緒に死ねということだった。
一方、主陣地のあった地域を見ると、佐真下のジルーヒジャグワーガマには日本軍が入ってきて、少尉が日本刀を振りかざし、「米軍の捕虜は絶対に許さない。捕虜となる者はこの刀で切り殺す」と住民を脅した。
本島中部の状況を見ると、日本軍がいなかったり、すぐにいなくなった地域では、米軍にすみやかに占領され、住民は集団で投降して助かり犠牲者が少なかったケースが多い。その際に移民帰りが投降を指導した場合がいくつか見られる。一方、日本軍陣地があり、軍民が混在していた地域では、集団で投降することは許されなかった。そのため米軍が接近し砲火のなかを南部に逃げ、そのなかで多くの犠牲者を出した。壕に残っていると、日本軍と一緒ならば米軍の攻撃を受けて犠牲になり、あるいはスパイ視されて日本軍に殺された。ただ南部という逃げ場が残されていたので「集団自決」にはいたらなかったと見られる。(同上)
以上により、降伏は許さない、という強い圧力を皇軍がかけ続けたのは事実だ。
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/natnews/topics/16661/
イザ!:「軍命令は創作」初証言 渡嘉敷島集団自決 元琉球政府の照屋昇雄さん-話題!ニュース
新しい論点は別にない。
「ゆきゆきて神軍」ほかの原一男特集、今日から22日木曜まで。
原一男トークショウは今日16.30より。いずれも
阪急宝塚線「売布神社駅」前・ピピアめふ5F シネピピアにて。
ではその古代復帰の精神とは何か?(中略)これは今日普通に唱えられている日本精神とか、国民精神とかいうような封鎖的な、排外的なものではなくて、道徳としては「直ぐな心」を第一に建て、理想としては「自然に帰る」ことを憧憬し、実際的には「洋学をもって砥石として更に日本的なもの」を磨き上げる進歩的な方向を求めるものである。これが見逃されてはならない。この道徳と、この理想と、この実際とが、具体的にどう一致するかは、半蔵においても、作者においても問題ではなく、ただそうした素朴な浪漫主義と、単純なヒューマニズムと、観念的な民族主義との混淆した「精神」こそ、彼らにとって「新しき古」の道なのである。
(青野季吉)
これは青野の『夜明け前』評から。上記「半蔵」とは島崎藤村『夜明け前』の主人公青山半蔵を指す。
朱子学がその社会倫理の根源とした仁をはじめとする徳目の実体を国学は否定したわけではない。徳を規範化することと、それを振り回すことが官僚的知識人の権力行為になっていることを批判した。
わたしたちの現在の「右傾化」も、アサヒ*1に対する批判として形成された。平和主義を規範化することと、それを振り回すことが官僚的知識人の権力行為になっていることを批判した。とも言える。
現在、祖国というものにわたしたちは、<素朴な浪漫主義と、単純なヒューマニズムと、観念的な民族主義との混淆した「精神」>を幻視することができるのだろうか。
私としては、ぷろれたりあ・インターナショナリズムやマルチチュードの想いを唱い上げることに異論はないのだが、・・・ 上澄みだけのプチブルの普遍主義、コスモポリタニズムより、「新しき古(いにしえ)」に魅力を感じないでもない。
*1:左翼的な物が権力になっているとする今までは多少とも存在したこと
上記佐々木八郎氏の遺稿の一部は『あゝ同期の桜』という本にもでてくるらしい。*1
http://www6.plala.or.jp/Djehuti/355.htm
海軍飛行予備学生第十四期会編『あゝ同期の桜 かえらざる青春の手記』 /トート号航海日誌(読書録)
小泉首相も、彼らと同じくらいの年齢でこの本を読み、「戦争は二度としちゃいかん」、「戦争をするぐらいなら、どんな我慢もできる」と感じたそうです」。
小泉首相が靖国参拝しましたね。参拝について首相は、「日本の平和と繁栄は、現在生きている方々の努力だけではない。戦争の時代に生きて、心ならずも命を落とさなければならなかった方々(らの)、尊い犠牲の上に、今日の日本が成り立っている。これからも日本が平和のうちに繁栄するよう、様々な祈りを込めて参拝した」と述べたそうです。参拝自体には賛否両論あるようですが、「尊い犠牲の上に、今日の日本が成り立っている」という箇所はまさにその通りだと思います。
ある個人(例えば佐々木)は確かに自らの命を皇国に捧げた。だが、彼らの「尊い犠牲の上に、今日の日本が成り立っている。」と言えるのか。多くの犠牲を出したが外敵を撃退したといった場合とは、犠牲の意味合いがかなり違っているはずだ。
戦争は有限性のゲームである。しかし第二次大戦は(終わるまではおおむね)ドイツと日本に於いては最終戦争として無限性のゲームというイデオロギーのもとに戦われた。ナチスドイツと違い日本はそのことの(国民に対する支配者の)責任を取ってこなかった。
佐々木が苦悶の末に差し出した彼の命は、当たり前のように気にも止めず受領され、21世紀になっても日本=日本という同一性の神話を太らせるために使われる。
短い命を国家に捧げた彼の悲劇。彼らの「尊い犠牲の上に、今日の日本が成り立っている」ということで彼らは少しでも慰められるのだろうか。例えば、結果的には少しでも早く戦争を止めておけば被害は少なかった、そうできなかった責任追及を果たしていく、そうすることが彼らの苦闘に応えることであろう。
*1:『きけわだつみのこえ』にもでてくるらしい。
http://blogs.yahoo.co.jp/sido_san
里親ブログのsidoさんは、(人間以外に里親・里子という言葉を使わないで)と言っておられます。
sidoは、里親をしています。もちろん、人間の子どもを育てる里親です。
巷には、ペットの飼い主を「里親」と呼ぶ方もいますが、人間以外には使って欲しくないと思っています。
もっと里親を増やして、養護施設にいるたくさんのC子ちゃんに、髪飾りを盗まなくても、ずっとそばにいる大人(里親)が与えられるようにしたい。
大人は所詮いなくなると、人を好きになることをあきらめる子どもたちを無くしたい。人を好きになることで、人は人として輝くのだと思う。施設で暮らす全ての子どもに、自分だけの大人のいる家庭を与えて欲しい。
わたしは養護施設にも里親にも関わったことがない。だから初めてブログを数分読んだからと言って何が分かるものでもない。でもsidoさんの上の願いは美しいと思う。 (12/5 7時)