君が代斉唱は強制されない

http://www003.upp.so-net.ne.jp/eduosk/tisiki-kokkaitoubenn.htm

文科省が隠したがる「国旗国家法」国会審議での政府・文科省の答弁

不起立、不斉唱で子どもたちが不利益をこうむることがあってはならない

○「子どもは当然、通常の場合に、学校が定められた教育活動に主体的に参加していく、これは教育活動の本来持っております作用でありますし、教員はそういった教育活動の本来的な作用に従って児童生徒を指導していくと言うことでございますけれども、指導の結果、最終的に児童生徒が、例えば卒業式にどういう行動をとるか、あるいは国旗・国歌の意義をどのように受け止めるか、そういうところまで強制されるものではないという意味で、強制するものではないと申し上げているところでございます。」

                (御手洗政府委員 1999年8月4日文教委員会)

「法律を楯に強制的に無味乾燥な議論に入ってはならない」

学校現場で、「日の丸・君が代」の歴史をしっかり教えること

○「これからもこの法律を盾にして強制的に無味乾燥な議論に入っていくのじゃなく、教育の中で正確に、日の丸の歴史とそして君が代が生み出されてきた歴史、また一時期これがゆがめられて使われた事実、そういうものをきちっと教えることによって学校現場の教育が生かされ、それが民族のアイデンティティとなって国際的な人間として我が国の国民が育っていくように私どもは努力していかねばならないし、またこの席で私は文部大臣にも要請をしておきたいわけです。」

       (野中広務官房長官 1999年8月2日国旗及び国歌に関する特別委員会)

(同上 より)

本物はすごい

http://www.lib.ehime-u.ac.jp/SUZUKA/115/image/005.jpg 005.jpg(JPEG 画像、1920×1284 ピクセル)

こんなところにも国生みが。

http://www.lib.ehime-u.ac.jp/SUZUKA/ichiran.html

鈴鹿文庫一覧

「恐るべき古代史料の電子画像データベース。」

と、久遠の絆 さんが評されていますが目次だけみてもすごいですね。

本を買わなくてもいくらでも勉強できる!

http://www.lib.ehime-u.ac.jp/SUZUKA/025/index.html

竹内式部奉公心得書 なんてマイナーな人の文章まである。げげ。

仕事に対する誇りとは

 たとえ、会社が秒単位の遅延を問題にするからといって、制限速度超過をすることを許されるわけではない。会社が、それを要求したとしても、プロとして拒絶するくらいの倫理性がなければ、数百もの人生を預かることは許されないというべきであろう。

http://dainagon-end.at.webry.info/200504/article_8.html 尼崎の事故に思う nagoyan

この運転手は13日間の「日勤教育」を受けたという。その内容を公開すべきであろう。

 わたしには、「日勤教育」が単なるペナルティーである以上の意味を有していたようには思えない。 とすれば、JR西日本の経営者は、職員を一個の人間とみることができなかったといわざるを得ない。

 確かに使用者は、雇用関係に基づく懲戒権を有する。しかし、雇用契約は対等の市民同士の契約であって、奴隷契約ではない。懲戒権は、職場秩序の維持などの特定の目的のために、その目的に必要な範囲で、かつ、就業規則に基づき適正な手続きの下に違反行為と処分との均衡が維持されるようなものでなければならないはずだ。しかし、伝え聞くところの「日勤教育」は実質懲戒として行われているようでありながら、これらの要件を満たしているようには、到底思えない。

 さらに、問題なのは、職員の資質向上を目的としていない処罰としての「教育」を科すだけであるから、職員の資質向上は図られない。

(同上)

「時間厳守」と「安全」はしばしば背反する。「絶対に両立させるぞ」とか叫ばせることは何の教育にもならないのはいうまでもないだろう。両立困難な二つ以上の課題が瞬間に押し寄せるときどう対応できるか。「中庸」といった東洋の智恵はそこに幾ばくかの示唆を与えるものかもしれない。「会社への帰属意識を高める」といったことは有害無益である、とそれは教えている*1

*1:とも考えられる

萌え上がる物

次國椎如浮脂而。久羅下那洲多陀用幣琉之時【琉字以上十字以音】如葦牙因萌騰之物而。成神名。宇摩志阿斯訶備比古遲神【此神名以音】

次天之常立神【訓常云登許訓立云多知】此二柱神亦獨神成坐而。隱身也。

http://www.let.osaka-u.ac.jp/~okajima/kojiki1.txt

かの始めて成れる一つの物、浮き脂の如く、虚空(オホソラ)に漂蕩(ただよ)えるなり。さて其の物の中より、葦牙(あしかび)のごとく萌上がる物あり。これ天となるべき物也。かくてその天と成るべき物は萌上がり了(おわ)りて、其の跡に残れるが、堅まりて、地(つち)とは成る也。されど此の時は、いまだ海と国土と分かちなどもなく、ただ混(ひと)つにて、ふわふわとただよいてある也。(三大考)*1

第3図。宇宙のなかにただ一つ浮き脂みたいなものができて、葦の芽のようにぐいーんと萌え上がるものがあった。上の方向への巨大なベクトル。宣長によれば、あしかびは「葦のかつがつ生(お)初(そ)めたるを云う名なり」*2これを中庸は「その天と成るべき物」とみなすわけですが、まあそんなことは古事記には全然書いてないのですけどね。宣長には「さて此は天(あめ)の始めにて、如此萌え騰りて終(つい)に天とは成れるなり」*3とある。これによって天と地が分かれたと。

 そもそも「三大」とは何か、というと、天、地、泉である。このうち二つがここで出来た。あと泉、とはいずみではなく黄泉(よみ)のこと。上に天が出来、下に垂れ下る物もあって黄泉になった(はずだ)と次の段で説明がある。

*1:p258 日本思想体系 50

*2:古事記伝1・p189

*3:同上p190

小学教科書への疑問

子どもはちょうど、小学6年の社会科教科書で日本史を勉強しているみたいだ。*1子どもに聞くと習ったはずの大化の改新も知らないで困ったものだ。ある頁を開けると、2頁見開き一杯に平城京碁盤の目状の都市の鳥瞰図がありむちゃくちゃ立派だ。人口が十万。ちょっと多すぎるような気がしてぐぐると、ある人(寺崎保広教授)の意見は、「5~6万ほど」「10万人説は居住可能な免責に隈無く人が住んでいたという前提での計算である点が問題で」とあった。http://www.nara-u.ac.jp/daigaku/koho/mini/terasaki.html奈良大学

わたしが気になったのは聖徳太子のところ。

ゆうたさんは、大和朝廷の役人に十七条の憲法を示した、聖徳太子を調べることにした。

として1頁全部を使って聖徳太子を紹介している。次の頁が大化改新であるが、「聖徳太子がつくろうとした天皇を中心とする政治のしくみが、ここでできたのだな。」とゴシックでまとめられている。

上の子の中学の教科書*2を見ると

17条憲法を定めて役人の心がまえを示したといわれています。

とちょっと遠慮がちである。

それもそのはず、

近代史学の対象となりうる太子関連の第一次資料は皆無に等しく第二次資料としての『日本書紀』の記述が残存しているだけであった。あとは「天寿国繍帳」の銘文ぐらいしかない。

p4佐藤正英『聖徳太子の仏法』isbn:4061497227

という情況だからである。

佐藤氏は「太子非実在論」はますます激しくなるだろうと、(彼にとって)悲観的な予想を述べている。ではなぜ、小学校の教科書だけがこんなに力をこめて聖徳太子を記述するのだろうか。それはたぶん学習指導要領が命じて居るためだ。

 仏教伝来の後、聖徳太子が法隆寺を建て仏教を日本に定着させた、とだいたいそう教えられてきた。

しかしそれは6世紀終~7世紀初の思想状況に対する正確な理解ではない。

釈迦仏を祀るとは、ひとびとにとって、見知らない新たな<たま>神を祀ることにほかならなかった。(p42同上)

お握りにライスバーガーとラベルをはっただけみたいな漢字で、「仏(ほとけ)がみ」というラベルの神がやってきたにすぎない。

以上わたしの乏しい知識においても、小学校教科書は充分偏向しているように思われた。

参考:

http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Cafe/2663/shotoku/iesu.htm 以下(大山誠一『<聖徳太子>の誕生』を批判する立場の文章)

http://homepage1.nifty.com/sawarabi/shoutokutaishi.htm 「聖徳太子」はいなかった

*1:見たのは大阪書籍のもの。

*2:大阪書籍

(7)への応答(7/9追記)

#drmccoy 野原さん、ご自身が言った事「皇軍の強制が原因」が正しいというなら、「具体的にどう強制したのか」答えてください。

(野原)「具体的な強制」がなければ、強制ではない。というのは論理的に間違っています。したがって質問に答える必要を認めません。

太初に日神があって、

イザナキ、イザナミが国生みをしたのは天神の命を受けてであるという要素は、古事記と日本書紀の一書一に出てくる。

これは新しい追加要素だと思う人もいるかも知れない。けれども、このような要素は沖縄の創造型神話にもあるのだ。

p75 大林太良『日本神話の起源』徳間文庫 1990年

オモロ「昔始めからのふし」に、次のような話があるという。

 太初に日神があって、伏して下界を見ると、島のようなものがあったので、アマミキヨ、シネリキヨの二神に詔して、これを治めしめることにした。二神は天降って数々の島をつくり、日神はさらに詔して、そこに天つ民をつくらずに国つ民をつくらせた。(同上)

次に、新井白石は次のようなアイヌ神話を記録している、ということのようだ。

 蝦夷島の世のはじめに、老夫婦が来たり住み、食物が乏しいので苦しんでいた。夢に神が現れ、二人に、これをもって海をかきさぐって食物を獲よと教えた。目が覚めて、かたわらをみると、舟のかいがあった。教えに従って、それで海をさぐると、白く泡立つ下から魚がかずかず浮かび出たので、捕らえて食物としたのが始まりで、今の世までその魚が主な食料となった。ニシンがそれである。老夫婦の子孫がふえて、今日のエゾが島の人々になり、二人はその住んでいた江刺の地に神としてまつられ、老夫を恵比須といい、老婦を姥の神という。

(p76 同上)

アイヌ神話とはいっても、これは日本から入ったものだろう。「日本のオノゴロジマ神話の異伝あるいは派生物とみられる。というのが大林さんの見解。生活苦のリアルさみたいな話になっているのは作られた時代が新しいからだろうか、興味深い。

於是天神諸命以(天神の命を以て)

二神が 立天浮橋而 指下其沼矛以畫者 鹽許袁呂許袁呂迩畫鳴而 引上時、 自其矛末垂落之鹽累積 成嶋。是淤能碁呂嶋。

つまり、この三つの話においてはいずれも、「天神」とそれに命じられる神との関係は存在する。だが「海をかき回して」「島を作る」の、前半だけはアイヌにあるが、後半は古事記にしかない、ということになります。

「われわれ」の形成

たとえば、「もはや戦後ではない」と日本国内で言われ始めた前後に、軍人恩給は復活し(1953年)国家行事として行う全国戦没者追悼式は「戦争に倒れた国民の尊い犠牲によって今日の平和と発展がもたらされた」ことを記念するためだと、閣議決定され、同時に千円札の肖像画が聖徳太子から伊藤博文に変更される(1963年)。こうした動きは、1964年に戦没者受勲が天皇誕生日に「再開」したことに顕著に表れているように、日本国が戦後、戦争をなんらかの形で国民のあいだに継承させようとする意志に貫かれている。

(岡野 p172 同書)

戦死者の半分は餓死者である。つまり彼らは兵士として(戦い)死んだわけではなく、国家の当然の義務としての糧秣供給を怠ったことによる死、短く言えば日本国家に殺されたと言える。などなどといくら言っても、軍人恩給制により金が出されればそれを拒否しようと思って実行する人はごくわずかしかいないのは当然だ。そこに思想的な課題があり注目すべきだと力説する思想家政治勢力も存在しなかったわけだからね。

(参考 http://d.hatena.ne.jp/noharra/20050913#p2

60年掛けてジッリジジッリ力ずくで成立させてきた日本(戦前)=日本という同一律。どうあしらったらよいものだろう?

SSID

最近は、パソコンのことを何も知らない人でも、ADSLとかにして無線でノートパソコンと繋ぐ、というのがむしろ普通なのかもしれない。ところがこの接続がけっこう難しい。知人に頼まれちょっと繋ぎに行った。難しい原因は当然ながらセキュリティ確保対策だ。モデムとパソコンの双方に二つのパスワード(と言って良いのか)を設定する。モデム側の設定方法は附属CDで丁寧に説明してあるが、パソコンについてはメーカーによって違うらしくなかなか設定できなかった。それにしてもこれだけのことのために、2時間半もかかるとはわたしもたいてい無能だね。

ところで、超初級者はせっかくのパソコンをほとんど使えていないことが多くもったいない。どうすればよいのか。もちろんパソコンなど不要だから使う必要ないと言われればそれまでだが。