多くの日本人とは

0000 『日の丸が多くの日本人に好かれていない理由は以下(省略)

この一文だけであなたの主義主張が一方へ偏っていることが良くわかります。

一般の日本人は日の丸に誇りを持っていると思います。オリンピックやワールドカップなどを見たことがないのですか?』

K’s room経由 『はじめまして。

> 日の丸が多くの日本人に好かれていない理由は

との事ですが、日の丸はたしか左にバイアスがかかっているとされる

朝日新聞の読者にして8割りだかが支持していたはずですが。

ロジックのなにかが間違ってませんか?』

(野原)

 例えば、国民の1割が好きでない、とします。この場合、一千万ほどの日本人が嫌悪していることになります。当然、「多くの日本人に好かれていない」ということになりますね。

(1)生きて俘虜の辱めを受けずとして兵士や市民に死を強制した帝国を、愛すべきだと考える理由を教えてください。

むう 『むしろ多くの日本人が日の丸を愛しているんだとの理由を教えてください。

スポーツ大会で日の丸をかかげるのは日の丸を愛しているからではなく、単に恒例だからだと思います。じっさい君が代は歌ってない選手が多いです。これも嫌いだからではなく知らないだけでしょう。』(2005/04/17 20:23)

JR西日本・尼崎電車区ってひどいところなのかな?

2001.9.6 運転士、服部匡起(44歳)さん自殺。

http://www.jr-souren.com/statemnt/tusin492.htm

JR総連通信 №446

 9月6日、JR西日本・尼崎電車区で1分の列車遅延を理由に乗務停止の扱いを受けていた運転士が自殺するという悲しい事態が発生しました。

1年後、自殺した運転士の父親が提訴

http://www.jr-souren.com/outlaw/teiso.htm

管理者とJR西日本に損害賠償請求

訴状の中で榮さんは「被告園田、同片山、同山口は、現実の行為者として、『日勤教育』の実態が…過酷ないじめに等しいものであることを充分に認識しており、心理的付加の過度な蓄積により匡起の心身の健康を害する危険性を予測し得た。にもかかわらず匡起に対しそのような『日勤教育』を敢行したのであり、被告園田、同片山、同山口には、匡起の自殺について、少なくとも過失があることは明らかである」と尼崎電車区管理者の犯罪を告発しています。

http://www.jr-souren.com/outlaw.htm JR西日本・JR東海の不法行為

宇宙論とは何か

# amgun 『noharraさん。そうですね。『三大考』は、『古事記伝』で宣長自身が「これは私が言いたかったことそのものだ」的な絶賛をしているので、『古事記伝』がどのような宇宙論を含意したものだったのかを考えるには、避けて通れないテクストなので、読む価値はあります。前回の私の研究会報告では、『三大考』から派生していく様々な問題の自分なりの整理も兼ねてしたのでした。』 (2005/05/26 09:30)

(野原)

amgunさん、コメントありがとう。いやまあそれは、三日ほど前からは分かりました。(発表を聞いていたときには始めてだったので、もうひとつピントが合ってなかったのですが・・・)

ケプラー、ガリレオの宇宙論の概要は教養として必須ということに一応なっていますが、本当にそうなのか。それが事実だから知る必要があるのか。教科書に書いてあったからという理由だけでは無意味だろう。amgunさんが配布してくださった中庸以降百年にも及ぶ、三大考論争とは何だったのか。最初から無意味な言葉遊びに過ぎないのか?現在までの自然科学の成果というものが揺るぎないものなのであれば、歴史を振り返る必要もないのか?

・・・うまく言えないのですがそのような問いに囚われました。

クレームクレーム

またこちらのつけたクレームや質問は一切無視で批判だけするというnoharraさんのスタンスも私には冷静なものと思えません。

http://d.hatena.ne.jp/gkmond/20050817

クレームへの応答を求められたので書きます。

 申し訳ありませんがクレームからはじめさせていただきます。泥仕合をする気はないので、この応答が続くにせよ、ここで終わるにせよ、次に同じ事があれば、こちらとしてはすぐ打ち切らせていただくことを先に伝えさせていただきます。

http://d.hatena.ne.jp/gkmond/20050807/p1

 何を偉そうに言っているんだろう。

 私が「はじめに結論ありき」であるのは否定しません。「そうそう乗せられてたまるか」というスタンスが私の結論です。

 「はじめに結論ありき」なら対話を拒否していることになります。

私が林論文を参考に出来ないと言ったのは、「彼のスタンスには「はじめに結論ありき」というにおいが感じられるから」

根拠を問いつめられて「においが感じられる」と何度も言うというのは、如何なものか。

 となると、こちらとしては私がnoharraさんの意見に全面的な同意をしないことへの意趣返しだと判断せざるを得ません。

「意趣返し」って、また古風な言葉を。「うらみを返す」ことですか。何を言っているのですかね。

http://www32.ocn.ne.jp/~modernh/paper20.htmを読まなきゃ話が出来ないというなら、せめて先に言っておいてくれませんか? 

何を言っているのでしょう。あなたが「におい」だけで林論文を否定するという暴挙を行ったから反論しているだけでしょう。

それと、8/07コメント欄に記入された煙さん(とわたし)の文章を復元してください。煙さんの文章はあなたの議論の欠点を丁寧に突いていたように記憶します。それを読みたくないとしても他人の表現(ここでしか読めない)を削除するのは勝手すぎます。議論に対する最低限の誠実を裏切る行為です。

江ノ島に行って来た

嘘神道研究家野原は江ノ島に一泊し朝日を見てきました。

江ノ島は、辺津宮(へつのみや) 中津宮(なかつのみや)奥津宮(おくつのみや)の三社からなる神社です。祭神は

田寸津比賣命(たぎつひめのみこと)

市寸島比賣命(いちきしまひめのみこと)

多紀理比賣命(たぎりひめのみこと)

この三神はもちろん、アマテラスとスサノヲの「うけひ」のとき、スサノヲの剣を取って噛むことによりアマテラスが誕生させた三神です。

この部分は、いつもコピーしている下記サイトの真福寺本古事記のテキストには省略(と考えられる部分)がかなりあります。西郷信綱『古事記註釈・2』により補って(いいかげんに)下記に引いておきます。

http://www.neonet.to/kojiki/seikai/sinkoji-set.html 『真福寺本古事記』影印

故(かれ)爾(ここに)各中置天安河、而宇氣布(うけふ)時、

天照大御神、先(まず)乞度*1建速須佐之男命(の)所佩(はける)十拳劔(を)打折三段而。奴那登母母由良邇此(ぬなとももゆらに)、振滌(ふりすすきて)天之眞名井而、佐賀美邇迦美而(さがみにかみて)、*2亦御名謂奧津嶋比賣(おきつしまひめ)命

次、市寸嶋比賣(いつきしまひめ)命、亦御名謂狹依毘賣(さよりびめ)命、*3多岐都比賣(たきつひめ)命。

たぎつひめ  =たきつひめ 邊津宮 たぎつ=水流が激し流れる  

いちきしまひめ=いつきしまひめ 中津宮  「神霊をいつき祭る島」

たぎりひめ  =たきりひめ 奧津宮   霧の神

とほぼ正確に一致している。

(続く)

*1:「乞取」乞ひ取りて:西郷信綱説

*2:「吹き棄(う)つる気吹(いぶき)の狭霧に成れる神の御名は、多紀理比賣(たきりびめ)命」が抜けている。:西郷説

*3:「次」が抜けている:西郷説

いざとなったらこれで死になさい

『カルチャー・レヴュー』54号(2005.10.01)に、

■特別連載「戦争責任/戦後責任を考える」(1)として

「いざとなったらこれで死になさい」を掲載してもらいました。

http://kujronekob.exblog.jp/i9 評論誌「カルチャー・レヴュー」Blog版

内容は、

0) http://d.hatena.ne.jp/noharra/20050724#p3

1) http://d.hatena.ne.jp/noharra/20050726

2) http://d.hatena.ne.jp/noharra/20050730#p2

3) http://d.hatena.ne.jp/noharra/20050803

4) http://d.hatena.ne.jp/noharra/20050807

5) http://d.hatena.ne.jp/noharra/20050816

6) http://d.hatena.ne.jp/noharra/20050820#p1

 に書いたものの一部と、ほぼ同じです。

窮極のマゾヒズムすら否定しない馬鹿たち

http://d.hatena.ne.jp/noharra/20051009#p3

でヤスパースの文章を引用しました。要点は次の通り、

a.純粋に軍人的で同時に人間的な精神は、むしろ人生の本質的な意義の礎石となる。

b.ただし、「邪悪な行為や明らかに邪悪な命令の遂行などのために汚される」ことがなければ。

これは次の引用ではこう語られる。

a.祖国に対する義務は、遙かに根本的なものである。

b.その時々の支配権に対する盲目の服従よりも

つまり、a.愛国心の肯定と、b.盲従の否定 ですね。

http://d.hatena.ne.jp/noharra/20050910#p1

で、敗戦後天皇は退位すべきだった、と書きました。

天皇が退位しなかったことは、最高権力者は責任を取らなくて良いということであり、「その時々の支配権に対する盲目の服従」は正しい、少なくとも否定されるべきではない、ことを意味します。

日の丸・君が代に対する反対する人たち(私を含む)にとって、日の丸・君が代とは、日本の象徴であるというよりも、権威権力への盲従の肯定の象徴であると思われている。

「生きて俘虜の辱めを受けず」を掲げ、存在の最後の断片までを国家へ捧げることを正義とした戦争中の国家。わたしはこの間そのような日本を批判してきたが、論争相手になってくれた右派?の方のなかで、そうした「盲従」は断固批判しなければならない日本はもっと健全な国家になるのだ、と主張される方には出会わなかった。戦後の保守派に比べ、現在のプチウヨはその点で劣化している。美化された過去を前提として、愛国心を語るのだ。つまり盲従への批判がない。

東条なら「東条には66%*1責任があった」という命題を野原に主張させ、その命題の挙証責任を全面的にこちらに押しつけるという論法を多くのプチウヨは取る。皇国軍人百万人を餓死させた窮極の恥辱国家は、かっての日本ではないのだ。餓死者が20万人であればそれは、百パーセント私の命題の間違いを意味し、彼の恥辱感はゼロパーセントのままだ。

*1:例えば