http://applepig.idv.tw/kuon/furu/text/kojiki/01.htm#kamiumi01 新訂 古事記 第一章 天地創造
漢字ばかりですが、イラスト入りです。久遠の絆さんのサイト。
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今回の運転士は去年13日間の「日勤教育」を受けたとのことだ。これは教育とは名ばかりのイジメ(人権侵害)のようだ。
http://d.hatena.ne.jp/nekoneko/20050427 さん経由
あやしいわーるど@QWERTYから
> 投稿者: 投稿日:2005/04/27(水)08時35分00秒 さんによるまとめ。
(1) 席の配置
・区長、助役、係長等の執務している内勤室の中央の席に座らされ、レポート作成
・内勤室は乗務員控室から見通すことが出来る為、晒し者にされる
(2) トイレ等
・同僚と会話の禁止
・お茶を飲むことの禁止
・トイレは管理者の許可を得ることが必要
・管理者が同行すること
(3) レポート作成
・業務命令として、1時間に1テーマのレポート作成を指示
・以下の内容の文章を作成
当該運転士が犯したミスとは全く関係のない事項
被告会社への帰属意識を試すような事項
例えば「同業他社を凌ぐ強い体制づくりについて」、「サービスの原点とは何か」、
「指示に対してあなたは社員としてどうあるべきか」等のテーマ
(5) 期間
・特に規定なし
・区長の主観的判断に委ねられる
(6) 給与
・乗務手当等の廃止
・月額同金額程度(乗務手当なら10万程度)の給与の減額
(7) その他
・管理者から様々な罵詈雑言をサービス
・見せしめ行為として各駅のプラットホームでの起立(水平展開)
http://mothra-flight.ameblo.jp/entry-fc159893f90a31cd9dcbfef4a3206ab9.html JRの行刑思想 | 灰色の脳細胞:JAZZよりほかに聴くものもなし
記者から高圧的な再教育プログラムに問題があったのではないかと指摘された、JR西日本の南谷昌二郎会長は、「『教育』にプレッシャーは必要である」と答えた。
(略)
過去に自殺者も出したこのJR西日本の素晴らしい再教育プログラムの恐ろしいところは、期間が決まっていないところである。それは監視官が対象者に「反省」を発見したときに、はじめて終了する。対象者は罵倒のなかで脅えるだろう。「反省」が見出されなかったならば、永遠に解放されることはない、と。監視官の絶大な権力のもとで自身の技術について思考するのではなく、解放のための感情を喚起しなければならない。そこではもはや、ミスに対する技術的なことは問題となっていない。問われているのはミスを犯したことへの「反省」であり、対象者の人格である。
つまりこの「教育」の目的は技術の向上ではない。ミスをその人間の全人格と結合させるという思考の果て、その人格自体を改変もしくは改造することこそが、この「教育」の目指すところである。
「日勤教育」は人権侵害かどうか?、と 目的達成「時間厳守した安全な運行の確保」のために合理的手段か? という二つの論点がある。今回の事故は後者に否定的な答えを出したと言えるだろう。前者についても常識的に明らかだと思える。
こうしたイジメが白昼堂々まかりとおり裁判所や法務局もそれに是正命令をださない、そうした社会なんだ。
参考 服部さん損害賠償請求訴状
大きな紙を用意する。その紙いっぱいに大きな円を書く。円の内側には何もない。その外側に、次のように書いてある。「此の輪の内は大虚空(おほそら)なり。」さらに小さな字で註釈「輪は仮に図(か)けるのみぞ。実に此の物ありとにはあらず、次なるも皆然り」
中庸の「三大考」は宇宙生成譚である。宇宙の始まりを第1図から第10図までで解き明かしそれに解説を加えている。大虚空(おほそら)があって他には何もなかった。
記に曰く
天地初発の時、於高天原成、神名は天之御中主神、次 高御産巣日神、次 神産巣日神、云々
此の時いまだ天も地もあることなく、すべてただ虚空(おほそら)なり。天と地の初めは此の次の文に見えたり。然るを天地初発の時と云るは、後より云る言にしてただ世の初めということなり。また高天原にとあるも、此の時いまだ高天原はあらざれども、この三柱の神の成り坐したる処、後に高天原となれる故に、後より如此(かく)云る語也。*1
「大虚空(おほそら)があって他には何もなかった」、それ以外は三柱の神が成った、だけだ。と云っている。「天も地もあることなく」とは空間がなかったということなのか、それとも大虚空(おほそら)とは空虚な空間なのか、などなど疑問が生じますがそれには答えず、虚空(おほそら)という一語から始まることが語られるだけです。
次に第二図。大きな円の真ん中に小さな円が描かれ、それは「一物」であるとされる。一物ってなんやねんというと書紀にあるみたいですね。
書紀に曰く「天地初判、一物在於虚中(おほそらに)、状貌(そのかたち)難言(いいがたし)」(同上)
第一図と第二図ほとんど同じなのですが第一図は大きな円のなかに、天之御中主神など三柱の神が三つの点で表示された図。第二図は大きな円の真ん中に一物があり、その上方に三つの点がある図。第一図では物はなく神だけ、第二図で物が小さく現れる。で次々に第十図まで展開していくのですがその展開の原理とは何か?と云えば。高御産巣日神、神産巣日神の<産霊(むすび)>(の力)によるわけです。でそれは尋常の理を以て測り知ることができるものではない。したがってこの天地の始めを、「太極、陰陽、乾坤などといふ理をもってかしこげに」あげつらうことは妄説、見当違いだ、ということになります。id:noharra:20050326#p2 でも書きました。
つまり、宇宙のすべてが、<産霊(むすび)の力>によって生成したのだなどとは記紀にはどこにも書いていない。テキスト主義者の筈の宣長がそこから逸脱して勝手に言いだしただけです。
「三大考」のポイントは、大虚空(おほそら)への注目にあります。書紀に「虚」という一字があるだけで注目されてこなかった、おほそらになぜ中庸は注目したか。西欧渡来の「地は円(まろ)にして、虚空(そら)に浮べる」説を知ったとき、記紀の冒頭とそれがシンクロし、おそらく中庸は激しく感動したのだと思う。
・・・
(続く)
*1:p257 日本思想体系50
シムシティ的には無理!と思われる10万人都市奈良
http://members.at.infoseek.co.jp/noharra/taisi1.jpg
聖徳太子は天皇を中心とする政治のしくみをつくろうとした
id:noharra:20050621#p6 以下に、聖徳太子テーマの続き(学習指導要領解説のコピーなど)を追加しました。(7/3 23時)
開巻いきなりはじまる、磯部の呪詛の言葉、
「神国をうががふ悪魔退散 君側の奸払い給へ 牧ノ、西寺、湯浅、鈴貫(鈴木貫太郎)、寺内、梅津、磯谷、他軍部幕僚、裁判長石本寅三外裁判官一同、検察官予審官等を討たせ給へ。菱海*1の云ふことをきかぬならば 必ず罰があたり申すぞ 神様ともあらふものが菱海に罰をあてられたらいいつらのかわで御座らふ」
という天を呪い人を呪う言葉を読むと、今日の読者はいやでも、それから九年後の日本の敗戦と戦犯裁判を思わずにはいられまい。この報いとして日本の悲運が来たと考える必要はないが、この呪詛には日本の来るべき凶運に対する予言的洞察が含まれていたと考えることはできるのである。*2
id:noharra:20050626#p4 で、マッコイさんの「磯部浅一なんかは靖国に祀られていないから怨霊と化して日本を軍国主義に導いたんじゃないか、」という発言を引用した。ネタ元はここかもしれない。*3
東京裁判で裁かれた東条英機以下と、上記で磯部が挙げた(磯部を裁いた)牧野以下*4が同質性を持つとすれば、東条英機以下は磯部の呪いによって報いを受けたのだ(日本の滅亡はそのための手段にすぎない)、という史観が成り立つ。そこまで云わなくとも、三島の「予言的洞察が含まれていた」という発言の根拠には磯部の呪詛に対する共感があるのはいうまでもない。
戦後左翼は彼らの偏見に基づき「反乱主体」を卑小化する。マッコイさんは、訳も分からずそれを踏襲したまま、あろうことか「日本を軍国主義に導いた」責任を磯部に押しつける。命日には磯部の怨霊に気を付けろよ。
*1:磯部浅一の自称
*2:p198三島由紀夫「『道義的革命』の論理」『英霊の聲』isbn:4309402852
*3:三島は靖国に言及してないから違うか
*4:牧野、西寺?は例外として、湯浅以下と考える方が良いか。
北田暁大氏の分析によれば、次のようなものであるとのこと。
1. 中高年層に代表される守旧的な保守主義とは違うものであり
2. 「無謬の正義の立場」に立っているかのような語り口を拒絶する、そのように見えるだけで×という意味での形式主義的・否定神学的な、「反サヨク」「反シミン」的感性と
3. 「あえて」サヨク・シミン的なものを否定し続けることで(積極的に右翼思想にコミットするというよりは、「『右』の敵(=「左」)」の敵を演じることで)共同性を得られたかるのように思えてしまうようなロマン主義的シニシズム
彼らは共同性を頼みにしている人たちである。「自分の意見」に自信を持っている人ではない。とすると議論しても無駄ということにはなりますが。・・・
ふみわくる深山紅葉(みやまもみじ)を敷島のやまとにしきと見る人もがも
みだれ世のうき世の中にまじらなく山家は人の住みよからまし
草まくら夜ふす猪(しし)の床とはに宿りさだめぬ身にもあるかな
亀山 嘉治
幕末、尊皇攘夷の動きが高まり遂に幕府と戦うに至ったのは長州藩ですが、同じ頃(1864年(元治元年)3月)*1水戸天狗党(水戸藩の尊皇攘夷派)も筑波山に挙兵したが(藩内内戦)敗北し藩領を脱出、京を目指し中山道を進んだ。
参考 http://www1.ocn.ne.jp/~oomi/tokusyu4.htm
その天狗党に参加していた、ある平田派国学者の詠んだ(行軍中に)歌です。といっても、小説『夜明け前』からですからフィクションなのでしょう。
「木曽山の八岳(やたけ)ふみこえ君がへに草むす屍(かばね)ゆかむとぞおもふ」、という歌もありこれは「海ゆかば」と同趣旨ですね。
尊皇の至誠というものが<美>でありえた時があった。なんて言ってしまうとお前は右翼か!と批判されるでしょう。尊皇の至誠というものが<美>でありえる、のは、尊皇が絶対権力=国家と結合しない時だけだ、ということは確かだと思われます。
秩序に反する者を非国民、テロリストと言って恥じない者は<至誠>の対極に存在する者たちだ。
*1:同年の年表では「水戸天狗党の筑波挙兵、松平定敬・京都所司代に、池田屋事件、禁門(蛤門)の変、第一次長州征伐、天狗党降伏」となります。
http://d.hatena.ne.jp/noharra/20050907#p1 の続き
下記コメント欄で、kuronrkobousyuさんとcharisさんの議論が、継続中です。
http://d.hatena.ne.jp/charis/comment?date=20050910
下記に一部だけ抜き書きし、野原の感想を書きます。誤解を与えてしまうといけないので、ぜひ全文を読んで欲しい。
charis
「英霊は<心ならずも>戦争に動員されたのではなく、<自らの意思で>行ったのだ」というのが、靖国派の主張ですから、「英霊の心が一番分るのは自分たちだ」と思い込んでいる。だから、内田氏の主張は、靖国派にとって「大いに不愉快」なものである可能性もあります。
「英霊」と呼ばれる人たちはたとえ自らの強い意志で参戦しようとも、彼らの人生を中断されたわけだ。狭義の自衛戦争ならともかく倫理的にいかがわしい戦争において。したがって彼らは絶対的な国家からの被害者である。*1(野原)
内田は「死者の気持ちは分りようがない」と主張する。
反靖国派の「英霊は国家の犠牲者」論を「英霊は<心ならずも>戦争に動員された」という英霊の気持ち論に縮小してそれを否定している。
(charis)
反靖国派のあるべき視点は、「英霊の気持ちを代弁する」のではなく、「彼らが英霊になったという<出来事>の意味に向き合う」ことにある。だから、内田氏の主張とは矛盾しないのです。
(野原)
「死者は語れない」は正しい命題だ。そして死者の声を表象代行することに恥じらいがないのが、左右のイデオローグであることも内田の言うとおりだろう。(死者は表象代行されたとたんどっかへ行ってしまい、死者の腐臭は失われる。)
「 共同体をめぐるほとんどの対立は「死者のために/死者に代わって」何をなすべきかを「私は知っている」と主張する人々の間で交わされている。(内田)」「私は知っている」と主張する者たちを否定するのはよい。しかし死者が死んでいったその一瞬の意味に接近しようと考え続ける努力は必要なのではないか。
結局のところ「大東亜戦争」をどう評価するのかという問いは避けて通れない。私は竹内好にならった二面論者だ。対中国侵略戦争、対米帝国主義戦争。前者は倫理性から遠く離れたものであり、その限りにおいて「大東亜戦争」総体も否定される。敗戦、戦後日本は「反省」し戦前と断絶することにより新国家となった。したがって国家による慰霊はなされるべきではない。
敗戦を認められないのはファシズム国家であり、それは今再生したみたいですね。
*1:もちろん被害者でありながら加害者でもたいていの場合あった。将校の場合戦争を遂行した責任をより強く問われるのは当然
大名持神 大洗磯前社
少彦名神 酒列磯前社 以上 常陸両社*1
大洗礒前薬師菩薩(明)神社[オホアライソザキノヤクシホサツノ](名神大)
大洗磯前神社[おおあらいいそざき]「大己貴命、少彦名命」創建は由緒書きよりもっと古く、荒吐神の姿が見える神社である。茨城県東茨城郡大洗町磯浜町字大洗下6890
酒烈礒前薬師菩薩神社[サカツライソザキノ・・](名神大。) リンク 酒列磯前神社
酒列磯前神社[さかつらいそさき]「少彦名命、大己貴命」斉衡三年。
茨城県那珂湊市磯崎町4607
http://kamnavi.jp/en/hitati.htm 延喜式神名帳 東海道 常陸国hitati
ところで、平田篤胤と平行して笙野頼子『S倉迷妄通信』を読んでいるのだが、彼女の場合は神が直接夢に出てきたりするらしい。
前の担当 ○ルタヒコ
今の担当 ○クナヒコナ 同書p96より*2
ちなみにガイドブックみたいなもので調べた限りでは、この神は各県の一の宮などの主要神社の、どこにも「単品」では祀られていない。*3
というのは少彦名のことだが、笙野は酒列磯前社を主要神社に数えていない。しかし、延喜式神名帳の名神大社だし、篤胤も重視しているということから主要神社と言えると思う。
私は神社訪問などもほとんどしたことはないのだが、能登半島の羽咋、気多大社に先日行って気付いたことは、岬ほど尖ってないが陸が海に向かって大きく張りだした丘があり、海が180度以上大きく見渡せる場所だ、ということだ。地図で見る限り、酒列磯前社も同じような地形の所であるようだ。ましてひたち、日立ちの国、日の出を拝むには最良の場所の一つであっただろう。神が海から来たというよりも、ひとが海を見ることの感動が神を生んだのではないかと思った。
ちなみにいまの神社から海は見えないのかもしれないが、数百年前まではそうではなかったらしい。「この古社地は、現社地の西方の海に望んだ場所(鳥居の辺り)であり、」と下記にあった。
http://www.genbu.net/cgi-bin/mapindex.cgi?index=8&target=place