日本人と理念と天皇

えーと、

「(君が代が)、『各個人の魂と国家』をむすぶ重要なメディアであることは否定できず、それを強制することは「広い意味の信仰の自由」を侵すと主張したい。」というのが野原の主張です。

 それに対してスワンさんは次のように言う。

恐らく、日本においてロックの議論が当てはまりにくいのは、ロックが前提とした宗教的個人主義と宗教的多元社会を日本人が拒絶してきたからでしょう。極端な話、「一億総~」という形で、くに全体がロックが寛容の対象と見定めた結社(アソシエーション)と同視しうるからです。かりにロックの市民社会論が日本において流通、制度化されていたとしても、滅私奉公を是とした日本の社会では、戦前の天皇制はあのように機能した可能性はあると思います。

ロック(世界の名著)は持っているのですが読んでいないし、上の文章が正しいのかどうかは分かりません。ところで、教育勅語体制最大のイデオローグだった井上哲次郎の哲学の基本は、スピノザ(+中江藤樹)だったこと、宗教というものは消滅すべきものだと考えていたことなどを思い出しました。スピノザもロックと同じくらいには政治的にラディカルだったはずですが、役にたたなかったと、いうことになりますか。

これを乗り越えるには、フランス的なドグマの革命で用いられた手法、すなわち既成の権威(カトリック)を、特定のイデオロギーの普遍性(自明の真理として事実性のなかに埋め込む、ある種のエッセンシャリズム)を強調することによって打ち砕く、大陸法的なやり方も適合的なんじゃないかという気がします。

しかしその場合、社会契約によってアイデンティファイされる個々人と国家との関係を常に再確認する教育システムが求められることになるでしょう。「我々は理念によって国家に集っているのだ」ということを再確認しなければ普遍的正義の自明性が崩れる恐れがあるからです。この功罪はフランスの近現代史をみればある程度、察することができると思います。

こうした戦略を取ろうとしても、日本の場合、既成の権威というものが自らその理念を提示することなく、「ただの旗です」みたいに最低限の自明性において自己規定してみせる。そうすると権威を打ち砕く、という論理的パフォーマンスが成立しなくなる。

平和と民主主義、社会主義的な進歩と平等といった方向に個々人と国家との関係を導こうとした勢力も確かに存在した。しかし今は(わたしにも理由が分からないほど)大衆の支持を失ってしまった。

 日本思想史において、求心的なものを求めると天皇主義しかないのか? ちょっと宣長とかを読んで考えて見たいです。

「卒業式に思う」を読んで。

id:azamiko:20050312「卒業式に思う」を読んで。

 長女Kは18になったばかりですが、11日都立高校を卒業しました。ひとまづ、親としての役割は解任されたと思っています(やれやれ)。

 この文章が感動的なのは「親としての」存在性から書かれているからだ。わたしの体験談「わたしは君が代の強制には反対なので、その時だけ着席した。http://d.hatena.ne.jp/noharra/20050318#p2」 が1分間ほどの一人の個人の内心の自由の行使であり、それ以上の波紋を投げかけなかったものであることと対比し、興味深い。*1

「親として」という言葉に家族制度イデオロギーの臭いをかぎ取り反発してみせるフェミニズム系の言説は、自己の欠落を発見していくべきだろう。

卒業はしたもののその卒業にまつわるもろもろがなんとも釈然としないままなのです。もう、卒業したのだから関係ないといえば、そうなのですが、東京都の公立学校に通う、これから通おうとしている人たちには関係のない話とは思えません。

 わたしたちの日常は常にそんなふうにとおりすぎる。持続している必ずしも些細とはいえない不条理であるかもしれないが、とりあえず私が関わっている部分については、「問われなければいけない大きな問題」そのものではないし、ちょっといまは忙しいしその問題はパスしておこう。日常とはそんなふうに過ごさざるを得ないものではある。しかし、それだけで良いのかといえば、いけない! 少なくとも一生のうち何度かは、かっこわるくとも孤立しようとも声を挙げるべきなのだ。そうでなければただの奴隷だ(とわたしは思う)。

ところで、卒業式と「卒業証書授与式」は違うものなのだろうか?、そう言えばうちの小学校でも後者の方だった。なぜ親しみにくい言い方をするのかとちらっと思っただけだったが。

学校全体で、卒業生を祝うのではなく、校長が各クラスの生徒代表に証書を授与するための学校長主催の会。つまり、校長の決定した形式にのっとり、遂行されるものなのだとか。卒業授与式って。

卒業式の主人公は卒業生です。多くの歌謡やドラマにうたわれる通りですね。法的には学校長主催だという。それも間違いではない。国家とは公共の福祉であり、その場が盛り上がるためのコーディネーター兼仮の名宛人として国家=校長がいるだけだ、と考えれば、両者は矛盾しない。

なぜその場が盛り上がることが必要かといえば、わたしたちは最小のパトリ(原郷)、最小の祭り無しには(おそらく)生きていけない存在であるからだ。国家の方もこのことを強く望んでいる。君が代は心から唱われ、卒業式は祭りとしてのカタルシスを得られるものでなければならない。「強制された君が代」がナンセンスということは彼らが心から思っていることだ。ではなぜ彼らは「強制し続けるのか?」*2それは20年後を見すえてのことだろう。継続すればそれが伝統になり誰も疑問を持たなくなる。

 だが本当にそうか。戦後日本は60年も安定的に継続している。国民の意識の均質化は他のどの国家よりも高い(たぶん)。にもかかわらず現在、卒業式の君が代問題については(たぶん)1割以上の不満分子を解消できない。彼らの目的と根拠は、国民統合とその自然さである。であるならば、彼らもまた敗北しているのではなかろうか。

司会者のかけ声に、式が始まってすぐに全員起立、礼。空っぽの壇上に向かって、礼をします。うっかり礼をしてしまいました(笑)。はい。それから、そのまま「国歌斉唱」。そこで座る人はわずかです。立っている人も歌っている人はわずかでした。地域によっては君が代斉唱の音量まで調査していると言いますが(笑)。いったい、なぜ、ここまでして日の丸や君が代をするのでしょうか?なぜ?

つまりは従わせるためにやっているとしか思えないのですね。

 「立っている人も歌っている人はわずかでした。」というのがわたしの体験と一致する。で私が座った事に対し、回りの反応は全くなかった。これは考えると不思議なことにも思える。大衆の中で一人だけ違った行動をすれば、とがめるような空気が走るのが普通だろう。大衆もまた、「国家斉唱に着席する」というマイナー文化があることを知っているのだろう。

 「心をこめて歌う」という自発性が発生するよう彼らは50年努力してきたが、まだ道は半ばだ。

実は前日、学校へ出かけました。長年お世話になった先生方にお礼と親からのメッセージを伝えるためです。

(略)お弁当を作る以外はノータッチ、お任せでこれたことをほんとうに感謝しています。ひとつにはそういう感謝の気持ち。そして、もうひとつは東京都が日の丸掲揚、君が代斉唱に関して、教師を大量に処分しているが、強制的なやり方に反対し、先生方が自己の意思に従い行動されることを支持するというメッセージを伝えるためです。

それ以前に、教師たちは公務員である前に、日本国民であり、思想・信条において、不利益をこうむることがあってはならないはずです。東京都が処分すること自体が憲法違反です。

 azamikoさんとわたしの最大の違いは、目の前にいる先生たちへの距離感、親近感ですね。教師たちと連帯する、というそういう発想が私にはなかった。君が代強制の問題が顕在化している東京都とそれ以外の地域との落差という問題はありますが。

「教師たちは公務員である前に」という文が前提にしているのは、公務員は職務命令に従うべき存在だという規定であろう。しかしそれより先に、公務員は「全体の奉仕者」(憲法15条)である。ここに儒教の「中庸」というものを読み込もうとすることは不当ではない。「道の行われざるや、我これを知れり。知者はこれに過ぎ、愚者は及ばざるなり。」聡明な人は知恵にまかせて出過ぎたことをする、と。全体が全体であるということの確認は揺るがしてはならない絶対的要件であるでしょう(儒教にとって)。しかしそれは強制によっては達成できないものなのです。

 ここからazamikoさんの卒業式前日の学校での行動の記録が始まる。学校にしょっちゅう行く(行かざるを得ない)父母(母父)もいるがほとんどいかない親も多い。わたしは後者だったが、推測するにazamikoさんの場合、(高校はともかく)小学、中学時代は前者の経験があったのだろう。学校は官僚組織ではなく親と一緒に共通の目的を達成すべき共闘者であるととらえている。

(先生に渡すべき手紙を)「それをコンビニでA3で2枚つづりにコピーし、学校の事務室で裁断機を借りて切りました。」という細部も興味深い。すべての表現はコピーであり、コピーにはしばしば高価な機械が必要である。必要があればわたしたちは学校にそれを借りに行くべきであるし学校はそれを拒否すべきではない。こういう文体で語ってもつまらないが、それを身体化できるかどうかは大事なことだ。

さてazamikoさんのやろうとしたことは、先生たちに自分たち3人が書いた手紙を渡すことでした。ところがそれに対して次のような対応が為されました。

しばらくして副校長が来て、

「学校の配布物に関してはすべて学校長の許可がいるということに今年の1月からなりました。前半は構いませんが、後半の東京都教育行政を批判した部分を削除していただければ配布できます」

「先生に検閲を受けるつもりはありません。これは、配布物ではなく、親からお礼とともにお渡しするお手紙です。配布物に関する公式文書があるというならみせてください」と私。

公式文書は「学校から生徒及び保護者に配布する文書にかかわる取り扱い基準」。つまり、生徒、保護者に配布するものに関してで、教師への配布物ではありませんでした。

 副校長は分かっていてなお「学校の配布物」の範囲を拡大解釈して市民を威圧しようとした。わたしが電話した市の教育委員会の担当者も「学習指導要領の法的拘束性」だけを強調しそれが生徒や父母には当然及ばないことを口にしなかった。まずここを軽くクリアーして次のステージへ。

どうもありがとうございました」

と言って、事務室を出て、各教員室(教科ごとに教員室が分かれています)に出向きました。構内を迷いながら、社会科、英語科、家庭科の教員室をみつけて入ってゆくと、予行に出ていたり、出講日ではないので欠席していたりで、少人数でしたが、いらした先生にお礼と手紙を渡し、いない先生の分は受け取っておくといってみなさん、とても快く受け取ってくださいました。家庭科を出たところで再び、副校長に出くわして、

という風に書くと本当にRPGみたいだな。ここでバトル。

副「これ以上、構内を歩かれては困ります。しかるべきところに連絡します」というので、

A「しかるべきところというのは?教育委員会ですか?」

副「それだけではなくて・・・」

A「警察ですか?」

副「・・・そうです」

Aさんがここで激したりすると、(RPGなら衛兵)がやって来て即座に拘束されてしまう。日本国でも拘束の可能性はあった。学校の敷地内ですから。

校長を待てと再度指示され待つ。・・・校長登場。

校「教育というのは強制をともなうものです。

シニカルに言うと、教育とは強制を自発性であるかのように勘違いさせることであり、それは実際成功しているわけで、君が代についてだけ成功しないのならその理由を自分に問うべきなのだ。

日本は法治国家で、私は公務員として公務員法にのっとって職務を遂行しています。

あなたは手紙と言われますが、これを手紙だとは思えません。都の教育行政を批判した文書です。そういう文書を構内で配られては困ります。お断りします」

 文書の性格は校長が判断する。そして構内で配ることは禁止する。法的に正しい禁止かどうかはともかく、禁止はなされる。

校「私は公務員ですから、職務に従います。今の都政に反対ならば、そういう運動をおやりになればいい。すべて、政治は戦いですからね。今はこういうことになっているのです。あとのことは、歴史がすべて判断してくれるでしょう」

A「歴史が判断してくれるでしょうって、歴史を作るのはあなた自身ですよ。校長の裁量の範囲だというにもかかわらず、手紙一枚先生に渡すことを拒否するというのは、自主規制以外のなにものではないでしょう!自分の首を自分で締めているようなものですよ。そう思いませんか?」

校「構内で配ることをお断りします」

A「先生の裁量の範囲だというのに、そこまでなぜ拒否されるのですか?先生の許可を得るつもりはありません。これは配布していただく文書ではありませんので。個人的に先生にお渡しするお手紙ですので、失礼します。ありがとうございました」

校「校長の権限で、構内の立ち入りをお断りします」

さていよいよ警察を呼ぶボタンが押されそうだ。Aさんは賢明にも退却する。

私の書いた手紙に、なぜこれまで拒否反応をおこさなければならないのでしょう。

何の強制力もない、保護者3名連記の一枚の手紙に。

彼らには守らなければならない物がある。それが(強制による)自発性という矛盾に私たちからは見えたとしても。

以上。リンク先を読んで頂くだけでいいのだがわざわざ拙い要約を作ってしまった。わたし自身の存在様式はazamikoさんより校長に近いのではないか、との疑問も発生した。

この問題にも関連する、この間のazamikoさんとアレクセイさんとのコメント欄でのやりとりも興味深かった。

*1:自己嫌悪的にならないでもない。

*2:現在、東京都などとそれ以外の府県では強制の度合に違いがあるわけですが。

靖国神社参拝反対

「(内閣総理大臣就任後は)日本のために犠牲になった人のために参拝する。」と小泉氏は言ったそうだ。だが何度も言うが、例え戦争を始めたとしてももう少し合理的に戦い、どうしようもなくなったら降伏するという方法もあった。そうすれば死ななくて済んだ人はたくさん居たのだ。彼らは「日本のために犠牲になった」わけでは必ずしもなく当時の支配者の、市民の犠牲より大事な物があるという思想の犠牲である、ことは明らかである。

 特にA級戦犯合祀後の靖国を参拝することは、「国家がわたしたち市民に対して責任を負っていない」ことの宣言であり、絶対許すことはできない。

大和魂で列車を走らせていた

nagacyanさんは過去を振り返り、「昭和38年11月9日に発生した「横浜市鶴見区、東海道貨物線脱線事故」についての記事でした。この事故の犠牲者は、死者61人、負傷者120人。」を発掘しておられる。

「鶴見事件のときは『また、やったか』と思った。列車はどんどん増発されているのに、保安設備や線路増設は後回し。人間の力は無限だと旧海軍並みの猛訓練で補い、大和魂で列車を走らせていた。

(当時「鉄道労働科学研究所」次長であった斉藤雅男氏のインタビュー記事より)

http://d.hatena.ne.jp/nagacyan/20050425#p3 から孫引き

「赤心」という言葉がある。「唯一箇の赤心これわが神道の教なり。此赤心天地の道なり。神明の教なり。*1

儒教の基本的教えである「仁、義、礼、智、信」に対しそれを一箇にまとめた強力な原理である。「嬰児も母に親しみ父を敬う。生まれしままの直心なり。此こころ、成長にしたがい増長せば、聖賢の地位にも至るべきなり。」うまれたままの赤ん坊のこころで、絶対的真理に辿り着けるのだから大安売りみたいな思想である。

「君に対せば忠なり、父に対せば孝なり」。「会社への帰属意識を高めること」によって、「時間厳守と安全の両立」という困難を「自然に」達成することができる、という奇妙な信念。しかしながらそれは頭から馬鹿にして良いものではない。最初の引用によれば、「大和魂」は旧海軍や国鉄では何らかの効果を挙げることができた、ということだ。大和魂の主要な力は、わたしというものがその持てる力の全てを自発的に国家(組織)の方に差し出すという、心のそこからの自発性の動員にあった、はずだ。そう考えると、今回のJRの教育システムは大和魂システム的にも失敗だったことになろうか。

(この文章は飛躍が大きすぎて読むに耐えないと言われるでしょう。野原の発想の構図を示す意味でUPしておきます。)

*1:慈雲『神儒偶談』、p289『近世神道と国学』より

頼信紙

カフカ忌の無人郵便局灼けて頼信紙のうすみどりの格子

(塚本邦雄)

http://d.hatena.ne.jp/shimozawa/20050610 仏文学者の下澤さんのところから孫引き。

無人郵便局みたいなものが余りに一般的な物に成ってしまったので分からなくなっているが、無人郵便局というものが成立しうる<システムの底力>の存在を、否定的眼差しにおいて描き出したのがカフカ。みたいな理路だろうか。頼信紙(電報を頼む紙)という言葉の響きと紙の薄さのシンクロが印象的。

(6/12追記)

<新しい事物>を世界へ投げ入れる可能性

http://d.hatena.ne.jp/using_pleasure/20050706/1120590416 記識の外 – モヒカン族のために。

から、「ハッカー宣言」 * 作者: マッケンジー・ワーク, 金田智之 * 出版社/メーカー: 河出書房新社 の一部の一部。

004 ハッカーは新しい事物を世界へ投げ入れる可能性を創り出す。しかし、それは常に偉大な事物であるとは限らないし、良き事物であるとも限らない。だが、とにかくそれは新しいのだ。

(略)

我々は我々が生産する何ものかを所有しない。その何ものかが我々を所有するのだ。

130 情報はコミュニケーションを上回っている。ドゥルーズによれば、「私たちはコミュニケーションを欠いていない。対照的に、私たちはコミュニケーションを持ちすぎているのだ。私たちは創造することを欠いている。私たちは現前するものに抵抗することを欠いているのだ」。情報とはこの意味での抵抗であり、情報の死んだ形態であるコミュニケーションに対して抵抗をおこなうことなのだ。

133 情報の、反復するコミュニケーションへの従属化は、情報生産者の情報所有者への奴隷化を意味している。

 コミュニケーションについて一般的な理解は俗流ハーバマス主義ともいうべきものである。彼らは、物事を常にある人*1が予め理解している地平に回収してしまう。つまり彼らにとって<新しい>ことは起こらない。私たちが理解し合うとき<差異>は私たちの手により殺されている?のかもしれない。 

つねに「情報の死んだ形態であるコミュニケーションに対して抵抗をおこなうこと」が為されなければならない。

つまり、モヒカン族ブームの核心は、一見ポスコロ的PCに反するかに見える「ハンドアックス」という比喩の過剰さにある。

*1:大衆?

語り得ないが存在したもの

 その作戦中、私の中隊が、乳飲み子を抱いた三〇歳前後の女の人を捕まえ、お決まりのように輪姦をしました。*1

(p66 近藤一『ある日本兵の二つの戦場』isbn:4784505571

 日本の兵隊はよく女の子を引っ張ってきて強姦してましたね。わしはしていないけれど、女の子の悲鳴がよく聞こえましたな。

(p133 『南京戦 閉ざされた記憶を尋ねて』isbn:4784505474

戦争(特に中国大陸における)を語るときしばしば出てくるのが、レイプの話である。

 本やサイトでの記事の文章においては、語り手が(本来語り得ないはずのそれを)どのような苦渋に満ちた圧力を突破して<語った>のか、というその内面は一切分からない。ただレイプという事実があったとごろんとそこに記述されているだけだ。

 従軍体験はわたしの父や祖父、親戚の体験である。仮に<じいちゃん-孫>という関係性の中で、じいちゃんが本当はレイプしたとして、そのことは語りうるだろうか。語り得ない。語るべきだとも言えない。

「父は子の為に隠し、子は父の為に隠す。直きこと其の中(うち)に在り。(論語・子路編)」

そこでこの「じいちゃん」という言葉をキーワードに、“なかった派”の聖典『ゴーマニズム宣言・戦争論』が生まれるわけである。*2

 過半が反戦平和の立場に立っていたのに、「中国大陸では皇軍はレイプしまわっていたのに、体験者は戦後はそのことに一切口をつぐみ、歴史を偽造しようとしている!」という糾弾は戦後長い間ほとんどなされなかった。おそらく、戦後二〇年ほどは、戦争に行かなかった者はそれだけで行った者より倫理的に劣位にあったのだから、前者の立場から後者のレイプの可能性を指摘糾弾することはためらわれただろう。このようにレイプは語られなかった。しかし「ない」と思われていたわけではない。本当は「まちがいなく、あった」それがリアルに分かるからこそ前者も後者も沈黙していたのだ。

 暗黙の了解に支えられた沈黙が存在した。しかしわたしたち子ども(あるいは孫)の世代になると、そうした微妙なものは時代を超えて伝えることができない。沈黙は「レイプは存在しなかったはずだ」「例えあったとしてもそれはどんなことがあっても否認しなければならないことだ」と理解されるに至る。

 

 レイプは糾弾されるべきだ。しかしそのとき自らを倫理的高みに置きその位置から裁断することはしてはいけない。わたしはむしろ金の力で徴兵逃れをしたはずべきプチブルの子孫であるだろう。レイプした彼の罪よりも逃れた<わたし>の罪の方が大きい、と宗教者なら言うだろう。戦争体験を<読む>だけのためにわたしたちは自己を父、祖父の代に遡り反転させなければならない。それなしに戦争を理解しうると教えた平和主義者は、戦争を「戦争の悲惨」といううすっぺら概念に平板化してしまった。それをひっくり返すと、戦争のどんな部分も批判できないプチウヨができあがるわけだ。

*1:近藤さんは輪姦に参加していない。

*2:この本は読んだのだがだいぶ前なので不正確かもしれない。