「人権擁護法案」

下記の福島みずほのところの意見に賛成

今月中旬、2年半前に廃案となった「人権擁護法案」が国会にふたたび上程されます。

この法案では人権委員会を法務省の外局として設置することが提案されており、さらにメディア規制の規定は当面凍結するものの、削除されないこととなりました。

人権委員会は行政から独立したものでなければならず、法務大臣の所轄に属するという今回の法案には大きな問題があります。国連が難民と認定したクルド人を強制送還(1月18日)するという法務省に人権救済を託してもいいのでしょうか。日本政府に対し、独立した第三者機関の人権委員会を設けるよう勧告した国連規約人権委員会の決定、またパリ原則にも反するものです。

http://www.mizuhoto.org/01/02.html

信仰の自由/思想信条の自由

# index_home 『なんだか私が混乱させてしまったみたいで申し訳ありません(^^;

えーと、なんだか私の方が読み違えたようです。野原さんが「個人の魂と国家を結びつける重要なメディア」と規定されたのかと思ってしまいました。それとは反対の立場なんですよね?誠に申し訳ないです。

私は、たぶん「信仰の自由」というよりは、普通に「思想信条の自由」ということでいいような気がします。日の丸君が代を「各個人の魂と国家をむすぶ重メディア」だと規定付けられるという「思想信条」。その思想信条自体に、自分は反対する立場であると。それを認めるか認めないか…が「寛容」の話になっていくのかな。と。ただそれを「思想信条に類する問題ではない。国家の構成員としての問題である。」として「思想信条」ではないとする人たちへの論理として、ロックの論が応用できるということなのでしょうか。

「信仰の自由」で解くなら、むしろ靖国問題のほうかなと。あれは単純に神道だから云々というよりは、その存在の歴史的経緯や祀られている神を神として崇めることを肯定できるか出来ないか、肯定しないものを排除する論(しばしば『非国民』とでもいいたげな言説が登場しますよね)は、どういうことかというような話だと思うので。と、話が飛躍してしまいますね。うーん。』 (2005/03/20 23:25)

# hal44 『はじめまして。

ロックが異教徒に対する寛容及び信仰の自由を説いたのは、‘信仰は個人に於ける魂の本質であり、外部からの強制によって転向を促すのは不可能である。転向するものは魂に嘘をついているのであり真の転向というのはあり得ない。よって宗教弾圧は無駄である。下手に弾圧をして敵意を増大させるより、異教徒には寛容に対処することが社会的に得策である’というの議論が根底にあってのことでした。

つまりロックおいて信仰心とは外部から変えることの出来ない本質的なものでありそれが故に社会的な規制は及ばないという理屈ですから、この手の本質主義を教育問題でのあるところの君が代日の丸問題に持ち込むのは、かなり危ない議論に成りかねないと私は思います。愛国心が信仰心と同価に扱われ、本質化されることになるからです。

私が興味を持ったのは、実はHikaruさんが言う、国家が「幻想の共同体」であるということを前提としてどのような議論が愛国心に関して可能かということです。ロックが想定した本質普遍的な人間主観ではなく、日々日常の中で、日の丸や君が代によって「愛国心」なるものを刷り込まれることにより、そのような「愛国心あふれる」人間に成る可能性が大である文化的構築物としての人間主観を想定した議論が必要ではないでしょうか? 

そのためには、「愛国心」について、考えなければなりません。

個人的には愛情の対象として国家を選ぶというのは、アニメ美少女でオナニーするくらい虚しい行為だと思うのですが、そういう人も確かにいるからよくわからない。失礼。』 (2005/03/21 03:56)

(野原燐)

hikaruさん こんにちは

hal44さん はじめまして

「それを「信仰や思想信条に類する問題ではない。国家の構成員としての問題である。」として」(生徒に対してだけではなく父兄にたいしても)強制することが、日本中で行われてきた。もちろん「強制ではない」という言い訳の下に。これに対してどのような論理で対抗していくのかという問いに出会ったわけです。

 この問題の出発点は、あくまで野原が子どもの卒業式に出たところ、式の冒頭「起立」「国歌斉唱」という命令/時間にであった、という事実にあります。一人の市民としては、君が代とかに批判的な考えを持っていたとしても、なんのこっちゃと思いまあその時間さえやり過ごせば、「わが子の卒業を祝う」という本来の目的に添って卒業式を体験することが出来るわけですからまあ大抵はそうするでしょう。わたしの場合は、たまたま2年ほど前から「反ひのきみ」というMLを取っていて、そこの人々の思想に近いというわけでも必ずしもないのですが、君が代とかを強制したがる公務員というものに強い敵意をもっていました。そこで、君が代の時は、「座る(もちろん歌わない)」という態度を取ろうと行く前からだいたい決めていました。あるグループにおいてある反応の仕方を学習していたのでそのとおりにした、といえます。そうしたところで、生徒やましてや教師に比べると、なんてことないわけですから。君が代拒否は一定の形に形成されてきた文化であるわけですね。

 1945年3月段階でさっさと降伏していればよかったのにそうしなかった責任を今からでも追及しなければならない、というようなことをこの間、書いてきた手前もあり「座る」ことにしてみました。

 今日はスワンさんの文章をはじめいろいろ読んでみたけれど、うまく意見がまとまりません。

 続きはまた書きます。

国旗国家法

(野原)

この対策として設けられたのが、国旗国歌法である。それにより、形式的・儀礼的あった国歌と国旗が正式に日本国の国旗かと国旗と制定された。

 これにより、公の職務を持つもの、即ち教師らはそれに従い、法に基づいた行動をしなければ習い。

http://d.hatena.ne.jp/foursue/20050401#p4 より

http://d.hatena.ne.jp/blackeye2025/20050328 の引用の一部

「教育現場で強制しない」旨約束のうえ、国旗国歌法を制定した。という経過だったはずですが。

国旗国歌法はべつに、「歌いなさい」とか書いてないし。

foursue 『noharraさんの言いたいことが全然解らないので、とりあえず解ってくるまでROMしますね。私にリンクを張る理由も同じく解りません。』(2005/04/02 14:33)

「教師らはそれに従い、法に基づいた行動をしなければならない。」の「法に基づいた行動」が意味不明なのですが。(野原)

# foursue 『法に基づいた行動くらい、野原さんなら自分で理解できると思いますけど・・・釣りですか?

いろいろあると思いますが、この場合は法を犯さない行動とするのがいいのではないですか?

前も思ったんですが、引用するならもうちっと具体的に文章に対して批評しては?まどろっこしい言葉遊びが多すぎますよ。』

(野原)えっと、話がかみ合いませんね。

「教師が国家斉唱するべきだ」と命じている法律はない。というのが私の主張です。

3入学式や卒業式などにおいては,その意義を踏まえ,国旗を掲揚するとともに,国歌を斉唱するよう指導するものとする。

小学校学習指導要領(平成10年12月告示、15年12月一部改正)-第4章:特別活動

学習指導要領自体が学校教育法の範疇外である疑惑がある。

それに指導要領は法ではありません。

「まどろっこしい言葉遊びが多すぎますよ。」などという暇があれば、「野原さんなら自分で理解できると思いますけど」など言わず、的確に自己主張してください。

大八島国とは

  1. 淡路島
  2. 四国
  3. 隠岐の三子の島
  4. 九州
  5. 壱岐島
  6. 津島(対馬)
  7. 佐渡島
  8. 大倭豊秋津島

 この八島を先に生んだので大八島国と謂う。

cfp21-22『古事記』岩波文庫 より

国家を訴える者は非国民か?

http://d.hatena.ne.jp/noharra/20050418#p5 の続き

id:noharra:20050418#p5 コメント欄より)

# hizzz 『「歴史観」と「歴史」は違います。右派「愛国史観」、左派「自虐史観」どちらも、歴史「観」=歴史の解釈とは「思想」そのもの。そして、「思想」=正義ではない。だから「国家犯罪」を問う問わないのは、政治思想以上のものではない、と言っているのです。無論、恣意的な政治思想と司法がセットになるのは、まさに軍国ファシズム=全体主義のオハコだったのではないでしょうかね。「民衆法廷」「東京裁判」という、「一方が一方を裁く」のが問題なのは、そういうことです。

構造に無自覚というのなら、大日本帝国/日本国を認めない=反国家という思想スタンスでいながら、戦前戦後を通し現日本政府に国家犯罪を認め謝罪しろというのは、カナリ大きな論理矛盾があるのですが。』 (2005/04/24 22:04)

# hizzz 『「天皇(&国家)を犯罪者と断定したい!」という思想プライオリティが幸先にあって、「マイノリティの切り札として登場したのが従軍慰安婦(20050423#p1)」で、罪を認めない相手(天皇&国家)が悪い=我々は常に公平正義というスジ以外考えないとするならば、永遠に該当女性の保証にたどりつかないですねぇ。で、それは当該者の為にすこしもなっておらず、PC側反PC側のネタとしてこうして消費され消耗するだけではないですか。そういうことはひたすら強調する「国家」という抽象的大物語に比べれば、とるに足りないものという風に見受けられるのですが。相手の無謬性を問うなら、自己の無謬性を何度も検証すべきです。>「国家」と同様に「民衆」「法廷(司法)」「マイノリティ(弱者)」という言葉にはりついた権威性』 (2005/04/24 22:39)

(野原)

a:一番のプライオリティは何ですか?「慰安婦」をどう保障すべきかという具体的提言なのではないでしょうか。

現在目の前に現れた「慰安婦」の具体的苦悩を早急に救うのが最大の獲得目標の筈だ。というのは違います。「慰安婦」はその当時死んでしまったそしてその後の長い戦後の間に死んでしまった死者たちを引きずって生きています。「今までこの世の中に生きて、幸せを感じたことは一度もないです。(金順徳)」とまで言うのは何故なのか。彼女たちは皇軍によって<辱め>を受け、その屈辱は祖国が独立した戦後も継続し続けた。もちろん戦後において抑圧したのは(家父長制的)韓国社会でしょう。しかしその原因を作ったのは皇軍です。したがって、いくら目の前に具体的苦悩があろうとも、そのことだけを要求することは彼女たちにはできない。すでに死んでしまった同僚を裏切ることになるから。彼女たちがまず、求めているのは「謝罪」です。

b:(国家は謝罪できるのか?謝罪すべきなのか?)

戦後日本は「かつて植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えた」*1ことへの反省の上に成立している国家である。

謝罪が必要なら、謝罪できることは言うまでもない。

c:「東京裁判」という、「一方が一方を裁く」のが問題なのは、そういうことです。

そして東京裁判の最大の欠点はそゆ「権力」が一方的に裁いて死刑にしてしまったことです。>「やられたらやりかえせ」

日本がおこなった行為に対する戦勝国家による一方的裁判、に対しその限界を指摘し、乗り越えて行こうと考える事には賛成します。

「女性国際戦犯法廷」自体、東京裁判の枠組みを肯定した上で、被害者として取り扱われて当然だった(オランダ人「慰安婦」の場合と比べて)アジア諸国の「慰安婦」たちを取り上げたものです。さらに被告として、開催前から「天皇(裕仁)無罪」帰結を裏取引していた東京裁判、と違い、天皇(裕仁)をも取り上げた。

d:「女性戦犯法廷」が本当に求めたはずの国際法での(考えられるかぎりの公平な)ジャッジは離反しますよ。

「戦犯法廷」は証拠に基づき、権威ある裁判官が公正な判断をしたものだ。少なくとも当事者はそう主張している。そこまでは認めてもらったわけですね。

e:「天皇(&国家)を犯罪者と断定したい!」という思想プライオリティが幸先にあって、「マイノリティの切り札として登場したのが従軍慰安婦(20050423#p1)」で、罪を認めない相手(天皇&国家)が悪い=我々は常に公平正義というスジ以外考えない

にもかかわらず、実際はe のパフォーマンスになっている。とhizzzさんは認定する。

犯罪があったとすれば、罪を認めない相手が悪いのは当然です。相手がたまたま(天皇&国家)であった場合には、被害者の側が特殊な「反国家」的イデオロギーに染まりきった者 として差別されるべきだ、ということでしょうか。それがhizzzさんのお嫌いな全体主義的イデオロギーなのですが。

f:相手の無謬性を問うなら、自己の無謬性を何度も検証すべきです。

というのは一見もっともらしい意見だ。しかし、法廷で(具体的審理プロセスで)国家を訴えるものを「反国家イデオロギーの所有者」と決めつけるhizzzさんは、国家の無謬性を一貫して擁護している。(おそらく或る程度は無自覚に)

(野原)

hizzzさんは、慰安婦支持者を非国民とみなしているわけではない。そうではなく「我々は常に公平正義」に凝り固まった人たち、と見ている。そのことにより、慰安婦の具体性や多様性を抑圧している結果になっていないかと危惧している。一般的に言ってこのような危惧を抱くことが不要かというとそんなことはなく、逆にそういう問題意識は常に必要である。hizzzさんの誤りは、「正しくないことはない理屈」によって、運動側にだけ高すぎるハードルを課し、結果的に国家の無謬性を一貫して擁護しているのに、そのことに無自覚である点にある。

*1:バンドン小泉発言

更新履歴

http://members.at.infoseek.co.jp/noharra/

の更新履歴です。

050503

2)indexファイル: 「掲示板についての原則」のテーブル化

3)indexファイル:「松下昇への接近」の案内文の最初「ここを開始してから2年以上経ち、惰性で継続しているという批判は免れがたい。」の削除、など。

(訂正前の文章)

ここを開始してから2年以上経ち、惰性で継続しているという批判は免れがたい。

「故人」の完成したテキストを公開~広告していくのではなく、いまここに突き出される提起としても提出したいと思ってきました。それはいくらかは実行できた、と自負するものです。しかし、<松下昇の~わたしの原告団>の全体像を開いていくだけのプランの力強さが欠けていたと反省せざるを得ません。現在試行中。松下のテキストを読みたい方は下記野原までメールしてください。20030812~1005

4)「刊行リスト」での「スペースAK」へのリンクが切れていたので繋ぎ直す。

http://members.at.infoseek.co.jp/noharra/matu992.htm

5)

 現在までうちのサイト(インフォシークnoharra)、及びhatena(ここの1100年のところ)(htmlファイルを白紙から作るべきだが面倒なのでとりあえずhatenaを利用している)にUPした、松下昇の表現は数えると10個あった。(洩れているものもあるかもしれない。)

あんかるわ版表現集から、「私の自主講座運動」と「情況への発言など」、あとの8つは概念集シリーズ(全14冊+α)からだ。下記に目次掲載した。

http://d.hatena.ne.jp/noharra/11000110#p1

indexファイル(表紙)には、「私の自主講座運動」「情況への発言など」「「概念集」から」と、三つに分けて表示し、最後のに上記をリンクした。

050502

1)概念集3の目次 テーブル化やっとできた。

http://d.hatena.ne.jp/noharra/11000111#p4

(エクセルでいうセル結合を、tableでどうやってやるのか、まだ分からない。)

050501

http://members.at.infoseek.co.jp/noharra/itbe1.html Let it be

誤字訂正 4ヶ所

(訂正前)・至らしめ、、

・とこかで

・この対応への耐えがたさか

・・・・

040811

・概念集の1項目の「批評概念を変換し…」を追加。索引から入ってください。きっかけは、掲示板で「無意味と言葉」について話がでたため。

参考:

040509

・『表現集・1』より「わたしの自主講座運動」を追加。表紙から入れます。

040429

・・ 野原燐の頁「いま非国民カードを引こう」に「天皇あるいは言説について」を追加。

040427

・概念集の1項目の「連続シンポジウム」を追加。索引から入ってください。きっかけは坂本守信氏の学友会裁判の最高裁判決がでたため。

参考

040307

・トライポッドからライコスへの移行に伴い、壊れていたカウンタを再作成。リセットされた。ちなみにはてなの野原日記は、短期間で現在1345。

・更新履歴が「新しいものが下」になっていたが「新しいものが上に」置き換える。

0402某日

・「noharra(野原の日記)」を「彎曲していく日常(野原の日記)」に変更。

031124

・「掲示板」の上に「noharra(野原の日記)」を追加。

いままで掲示板に(平均週1回程度)野原は書き込みをしてました。

11月から「はてなダイアリー」というところで、日記というか文章をUPすることにしました。現在、こちらの方によく書き込んでいます。。

031011

・「Let it be」の文章の行間を開けて読みやすくするために、

スタイルタイプの記述を入れてみた。

(そのtagをここに書くとhatenaではここまでしか表示してくれない)

スタイルシートというものだそうだが上手くいくのか。

・「更新履歴」を作成、UP。

031005

・タイトルを「O<<   >>O」から、

「<<<<<<   >>>>>>」 に訂正。

・「表紙」訂正:メインコピーの1行目に、

「全ての問いを、その極限まで展開しうる状態の中に存在せしめよ!」を追加。

・更新履歴を追加。(中身はなし)

・概念集の1項目「Let it be」をUP。(上記「存在せしめよ!」からリンク)

・「バリケードと松下(写真)」を追加。(中身も)

・「掲示板」自由に書き込んでくださいの下に下記を追加。

|(今頃言うのもおかしいが原則を定めます) 1.公開

|2.参加者の自由な討論ですべてを決定する

|3.このゼミで討論され考察の対象となった事柄は、参加者が

|  各人の責任において、以後あらゆる場で展開していく。

030812

・「表紙」訂正:下記メインコピー二つを削除。

「…… 告発し、占拠する、関係としての原告団をつくろう。」を追加。(松下氏のフレーズ)

・「一旦縮小」の文章追加。

ここを開始してから2年経ち、惰性で継続しているという批判は免れがたい。

故人の完成したテキストを公開~広告していくのではなく、いまここに突き出される提起としても提出したいと思ってきました。それはいくらかは実行できた、と自負するものです。しかし、<松下昇の~わたしの原告団>の全体像を開いていくだけのプランの力強さが欠けていたと反省せざるを得ません。2週間以内に再出発する予定で、一旦縮小します。松下のテキストを読みたい方は下記野原までメールしてください。 20030812

・「亡くなりました」訂正:(蛇足)で何が書いてあるのか を追加。

030717

・「表紙」訂正:メインコピーを二つ。(いずれも松下氏の文)

「 いま自分にとって最もあいまいな、ふれたくないテーマを、闘争の最も根底的なスローガンと結合せよ。そこにこそ、私たちの生死をかけうる情況がうまれてくるはずだ。」

「汝はなぜここにいるのか。もはや、ここから脱出することはできない。ここに集中してくる全てのテーマを一人でも生涯かけてひきずっていく力を獲得するまでは。」

2001/07/24ごろ このサイト開設(掲示板「北海」も)。

・・・・さらにその前史。hi-hoとあと一つの場所で開始を試みる。2年ほどはやっていたような気もします。内容はここと大体同じ。

神武天皇のY染色体

初代の神武天皇のY染色体は、男系男子でなければ継承できない。

八木秀次(高崎経済大学助教授)

(「皇室典範に関する有識者会議」での発言)

“神話”を、(最新の?)自然科学的知見に合うように合理化立体化して、それが太古から伝えられた真実であると高唱する点で、八木氏は服部中庸などの立派な後継者である。まぐわいとはY染色体を継承するための行為なのだろうか? その辺の古事記解釈を詳しく聞きたいところである。*1

さて「男系系譜が125代続いた伝統である」、「歴史の重さ」などというレトリックも使っているようだ。日本には「万世一系」というイエオロギーしか誇るものがないから、このイデオロギーの歴史は古い。

*1:ついでに「三大考」21世紀ヴァージョンも書いてください。

二・二六事件と中国侵略

 村上一郎の『北一輝論』という小さな本の最後に「私抄“二・二六事件”--「革正」か「革命」か?--」という文章がある。フラグメンテとされておりきちんとまとまったものではない。二・二六事件のことも戦争の歴史もよく知らないので難しかった。1970刊行の古い本であり、ここで批判の対象にしている『昭和史』という本はさらに古い。だが根本的な処では(世間の常識というか偏見は)あまり変わっていないのではないかと思う。少し長いが貼ってみた。

 いったいに、戦後の社会科学者の間における解釈では、五・一五事件も血盟団も神兵隊も二・二六事件もこみにして、日本型のファシズムとしてひとくくりである。それのみか、ニ・ニ六事件や五・一五事件の将校も、太平洋戦争への道を歩んだ「省部幕僚」もこみにされてしまう。皇道派と統制派という色分けをする者はあっても、それは一種の勢カ争いというように解釈され、当時の新聞記者の感覚以上には進んでいない。

 たとえぱ、満州事変以後の頃、「国内のゆきづまりを打開し、日本の危機を救うためには、“満蒙問題の解決”とならんで“国家改造”が必要であるとの見地から、軍国主義化の先頭に立ったのは、民間右翼とむすんだ青年将校であった」とみなす「昭和史」(新版)の著者、遠山茂樹・今井清一・藤原彰らの解釈は、非常に浅薄なところを含んでいる。この書では、その青年将校として、海軍の藤井斉、陸軍の菅波三郎を中心人物としてあげているが、この二人を中心とするグループが、「軍国主義化の先頭」に立ったものとは、どう考えても解釈できそうにない。また「国家改造」を、「満蒙問題の解決」と「ならんで」要求したのかどうかも、すこぷる疑問である。「満蒙問題の解決」をもし武カ解決という意味にとるなら、藤井斉にせよ菅波三郎にせよ、いずれも武カ侵略主義者や植民主義者であったという証拠はない。彼らが考えた「国内改造」は、満州のみならず、すでに日本が領土内に入れていた朝鮮の武カ支配をも、なろうことなら避けて、国内でやってゆけるような日本の改造である。だからこそ「国内改造」は「昭和維新」であったのであり、満蒙の武カ占有というようなプログラムを第一義約にもつものであったなら、けっして「維新」とよばれることはなかったであろう(「支那を救う」という言棄はニ・ニ六より前に五・一五で現れている。が、これは『昭和史』のいうニュアンスでない)。

 戦後「進歩的」社会科学者の旗手である『昭和史』(新版)の著者のような論者たちには、いわゆる「軍部」の「革新政策」も、青年将校の「維新」運動の推進も、同一のものとしか解せられていない。また、これはたいせつなことなのだが、権藤成卿のような農本主義者の運動(自治農村協議会なぞ)も、社会ファシズムの運動も、くずれた社会民主主義者の運動も、『昭和史』(新版)ではたんに並列され、同一視されている。

 「つらつら思うに今日吾国政党政治の腐敗を一掃し、社会の気運を新にするものは蓋(けだし)武断政治を措きて他に道なし」と、永井荷風が昭和六年十一月十日の日記に記したこころも、わたしは省部官僚による「軍部」的な「革新攻策」ヘの期待ではなく(そこに真の「武断」はない)、けっして永続はすることのない「維新」断行への渇望の庶民的な表白であったと考えたい。省部幕僚・官僚の形成する「軍部」を荷風は終始嫌悪した。

 満州を攻略した軍人ならぴにその周辺の官吏・民間人・浪人たちの間にも、ただ単に満州を領有すれぱよいという考えがあったのではなかった。石原莞爾がまずはじめは満州の領有=軍政施行を考えており、それから満州建国=王道楽土の思想に転向するのはドラマティックである。そしてしかも、石原らの理想、理念は、その後の日本権力者の意向によりふみにじられ、建国=王道楽土の思想は一掃され、石原派は追われる。

 満州がまず武カ占領され、軍攻をしかれねぱならぬという関東軍の考えから、実際占領してみての人民の能力の高さ、抵抗の強さ(それまでもっと低く見ていた)におどろいて、石原莞爾の「転向」に急カーブしたいきさつは、わたしらの編集した『支配者とその影』(「ドキュメント・日本人」第四巻)で佐々木二郎が語っているとおりであり、「王道楽土」の理念が日本の中央権カによってくずされ、石原派が追放されるくだりは高橋和巳の小説「堕落」にくわしく描かれている。満州国を、真実のカイライ国家(正にそれのみの)と化したのは、「王道楽土」の理念に生ききろうとした大陸浪人や石原派の軍人や、その周辺の民間人・官吏たちではなかった。満州を小さいコンミューンの単位から組み立ててゆくことを嫌悪し、そういう方向を弾圧し、中央集権を強カに推進しようとした日本の権力と独占資本とが、満州国をまったくのカイライと化したのである。これは日本の「維新」を推進しようとする純真な青年の支持しない方向であった。

 満州の産業を財閥の手にゆだねると同時に、全土に憲兵の眼を光らせ、「憲兵政治」を確立する東条英機(関東軍参謀長)らの政策は、また当初の「王道楽土」の理念をふみにじるものであった。石原莞爾と東条英機との宿命的な対立も、この満州の支配の仕方において、まず開始されたのである。石原も一個のファシストであったが、彼は農村主義的ファシストであり、東条は、自分一個の思想には欠けたが、大ざっばにいって社会ファシストの上に戴かれた。

        * * *

 二・二六事件がもし成功していたならば--「成功」というのがどういうことかはむつかしいが--万が一にも日中事件はおこらなかったか、ないしおこっても小規模な戦闘のみで解決せられたろうという予想は立つ。多くの社会科教科書や左翼歴史の解説書が、二・二六事件を戦争体制強化のためのクーデターであるかのごとく書いているのは、まったくの誤解である。北一輝にも磯部浅一にもシナ侵略の意図はなかった。対米戦争の意図もなかった。ソ連に対する掣肘は考えられたが、それは「支那を救う」方向だった。

(p169-172『北一輝論』村上一郎 三一書房)

天皇は天神の御子なり。

 明治4年に死んだ鈴木雅之という国学者がいる(らしい)(1837-1871)。「気一元論とも言うべき性格を有した壮大な宇宙論をベースにした」思想家だそうだ。*1

辱(かたじけ)なくも天神の高天原に坐まして布行せたまう生成の道

というものが万物を生む。そしてその「生成の道」を行うことが「万物」・人間の行き方である、とする。ところで雅之において、天神とは、アメノミナカヌシ、タカミムスビ、カミムスビ、アマテラスの4神のことだが、アメノミナカヌシが創造主宰神として中心化、絶対化されている。

人道とは、いはゆる天神の生成の道、即ち君臣親子夫婦兄弟朋友等の理をいふなり。

君は(略)天神の大任をうけたまわりて、善を賞め悪を刑ふ職位に居たまへば、実に軽々しく容易ことにあらず。さらば何事も天神の大御心を心として執はからいたまい、かりにも私を用ゐず。

従って、「臣」や「子」の側でも、もし「生成」に反する所業が「君」「親」に見られた場合は、「命をもすてて諫(いさ)むべき」であり、*2

天皇は天神の御子なり。

天皇は形而上学的存在である。それは一方では「生成」を完遂する(しなければならない)という存在であり、倫理的責任から自由でない、ことになる。

明治憲法

1条 大日本帝国は万世一系の天皇之を統治す。

3条 天皇は神聖にして侵すべからず。

 神学的には明治憲法の方がウルトラ化している。天皇は国家(くに)と等値されることにより絶対者となる。生身の天皇より上位のもの、<天神の大御心>つまり普遍は存在しない。(短絡的に言うと、現在中国韓国と和解できないのも他者理解のためのベースが存在しないからだ。)

 憲法上記だけから見るとそう言えるが、<神聖>即ちすべての価値の源泉とも読める。その場合普遍は存在し、(かならず)天皇と同一化しているだけ、ということになる。

 その時の権力者が強力な批判をはね返すことができずに居直るとき、に前者の論理が必要となる。

 即ち、226事件御聖断と815敗戦である。

天皇は神であるのだから、人民が何万人死のうが気にしないのかもしれない(東アジアの伝統からははずれるが)。仮にそうだとしても、日本を焦土にしてしまったこと、そのことを<天神>に対して詫びる絶対的な責任がヒロヒトにはあったはずだ。

・・・

*1:p109『幕末民衆思想の研究』桂島宣弘isbn:4892591858

*2:桂島 同書p115

日本軍は沖縄住民を殺した

沖縄戦の最大の特徴と言ってよいのが、日本軍によって多くの沖縄住民が殺されたことである。

(略)

米軍に保護されたり食糧をもらった者、米軍に投降しようとした者はスパイだとして殺された。今年になって見つかった新しい資料では、警察や密偵を使って、米軍の占領地区で保護されている住民の動向を密かに探り、米軍に協力している者を見つければ殺せという命令が出されていた。沖縄本島の西にある久米島では、住民しかいないから攻撃しないでくれと米軍に頼み、住民を救った者はスパイとして処刑された。

戦闘の邪魔になるという理由で殺された者も多かった。自然の壕(ガマ)に隠れているとき、赤ん坊などが泣くと米軍に知られるというので小さな子どもたちが殺された。戦場で精神に異常をきたした住民も殺された。壕に隠れていた住民を追い出して兵隊たちがそこに入っていった。(後略)

http://www32.ocn.ne.jp/~modernh/paper57.htm