曾野綾子は大江を名誉毀損している。

と言えると思う。

上記で彼女は「一斉に集団自決を命令した赤松大尉を(略)、大江健三郎氏は「あまりにも巨きい罪の巨塊」と表現しています。」と書いている。「あまりにも巨きい罪の巨塊」の出典は下記だ。読めば分かるように、責任者*1のことを「あまりにも巨きい罪の巨塊」と、大江は表現してはいない。「人間としてそれをつぐなうには、あまりにも巨きい罪の巨塊のまえで、かれはなんとか正気で生き伸びたいとねがう。」「彼」は消化しきれない「罪の巨塊」を前に為す術を模索し、「自己欺瞞と他者への瞞着の試みをくりかえす」ことにより、「罪の巨塊」を少しづつ少しづつ摩滅させることに成功する者として描かれる。明らかに「罪の巨塊」は彼とは区別された物として彼の前に置かれている。「赤松大尉を、大江健三郎氏が「あまりにも巨きい罪の巨塊」と表現しています。」というのは明らかな虚偽である。

 でこの文の主語たる彼、あるいは「責任者」は「自己欺瞞と他者への瞞着の試みをたえずくりかえす」者である、つまりそれを悪であると大江が指弾していることは確かだ。しかしながら「自己欺瞞」というキーワードが明らかに示すように、この文章は大江特有の実存主義的臭気にみたされている。罪といっても権力の発語する罪とは違い、Aという実在の人を白日の下に罰に導く力を持っているものではない。「たえずくりかえしてきたことだろう」という述語により「責任者」という主体は現実世界からズレ、自己(他者)瞞着を逃れえない実存の世界の住人となるのだ。そこにおいては、「彼」を指弾することは、「かれの内なるわれわれ自身」を指弾することでもなければならない。

 「あまりにも巨きい罪の巨塊」はわたしの前にごろんところがっている。つまり予めわたしと罪が結ばれているわけではないのだ。だのにわたしたちは、否認しなければという思いに駆られ、その「巨塊」をかみ砕きすり減らそうとする。それは確かに見たところ希薄化していく。しかしその努力こそが“わたしの内に罪を”根付かせるのだ。大江が言っているのはこういうことに近い。

したがって「赤松大尉を、大江健三郎氏が「あまりにも巨きい罪の巨塊」と表現しています。」というのは何重にも虚偽である。

曾野氏がこれを語ったのは、「第34回司法制度改革審議会」という公の場所である。しかも沖縄問題はテーマではないから強い自発性の元に語っている。そこで“大江はAを罪の巨塊とよんだ”という虚偽発言をした以上、曾野綾子は大江を名誉毀損している、ことになるのではないか。

「慶良間の集団自決の責任者も、そのような自己欺瞞と他者への瞞着の試みを、たえずくりかえしてきたことだろう。人間としてそれをつぐなうには、あまりにも巨きい罪の巨塊のまえで、かれはなんとか正気で生き伸びたいとねがう。かれは、しだいに希薄化する記憶、歪められる記憶にたすけられて罪を相対化する。つづいてかれは自己弁護の余地をこじあけるために、過去の事実の改変に力をつくす。

(略)

(「沖縄ノート」210頁 )」

生き延びて本土にかえりわれわれのあいだに埋没している、この事件の責任者はいまなお、沖縄にむけてなにひとつあがなっていないが、この個人の行動の全体は、いま本土の日本人が総合的な規模でそのまま反復しているものなのであるから、かれが本土の日本人にむかって、なぜおれひとりが自分を咎めなければならないのかね?と開きなおれば、たちまちわれわれは、かれの内なるわれわれ自身に鼻つきあわせてしまうだろう。 (「沖縄ノート」69、70頁)」

上記、大江の引用は下記より孫引き。

http://amo-ya.blogspot.com/2005/08/blog-post_13.html

サイトの文章にも共感します。記して感謝します。

ただ、urlを記すことで先方がコメントスクラムの被害にあう可能性もあるなと考え少し躊躇した。前科があるし。コメント欄とか閉じて居られるようなので一度だけリンクします。

上記サイトにあったリンク集もメモしておこう。

http://www32.ocn.ne.jp/~modernh/paper11.htm

http://home.kanto-gakuin.ac.jp/~hirofumi/study411.htm

http://www.joy.hi-ho.ne.jp/byakuya/334.htm

http://www.geocities.co.jp/WallStreet/4053/1999-after-1b.html

http://www.okinawainfo.net/oba.htm

http://www.geocities.jp/gakuchan_nif/page179.html

http://hb4.seikyou.ne.jp/home/okinawasennokioku/

*1:大江は赤松などという固有名は書いてないようだ

海は不在である

モンゴルには海がありません。でもそのためにモンゴル人は逆に

海という言葉を崇拝しているみたいなところがあるのだそうです。

モンゴル語で海のことをダライと言い、一番大きなものという

意味にもなります。ダライラマのダライですね。

飛行機の窓からちらっと見た以外に海を30歳過ぎまで見たこと

が無かったのがこの本の作者のボヤンヒシグさんでした。

彼の海との最初の出会い。その後何度も海に行き、海藻なども

よく食べてみる。だが彼はその短い文章の最後に書きます。

「しかし、海は僕にとって相変わらず、遠い存在で在るのだ。*1」と。

私たちが言葉を体験するということがどういうことなのか、

に関わりイメージと思索の広がりを誘う文章でした。

以上、過去のメールからの自己引用。

*1:『懐情の原型』ボヤンヒシグ 英治出版 より

在日朝鮮人帰国事業への小泉の父親の責任

同じくid:milkbottle:20051021#p5 【オバカ通信】さん経由で。

http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2005/10/20/20051020000042.html  朝鮮日報 Chosunilbo (Japanese Edition)

「小泉首相の父親、在日朝鮮人の北朝鮮送還事業を主導」

 日本の小泉純一郎首相の父親で自民党所属の国会議員だった小泉純也氏(1969年死去)が1950年代末、在日朝鮮人の北朝鮮送還事業に中心的な役割を果たしていたことがわかった。

 在日朝鮮人の北朝鮮送還事業は、1959年末から1984年まで、計9万3340人の在日朝鮮人が「地上の楽園」というふれこみで、北朝鮮に送還された事件だ。当時、日本では韓国政府の激しい反発にもかかわらず、政界と文化界など各分野の要人が名を連ねる「在日朝鮮人帰国協力会」が1958年11月17日に結成され、在日朝鮮人の北朝鮮送還支援活動に乗り出した。

 その後、北朝鮮に送還された在日朝鮮人たちは、「不穏分子」「親日」「日帝のスパイ」などと濡れ衣を着せられ、弾圧された。そのうちの多くが強制労動収容所に収容させられ、消息を絶った。

 小泉首相の父である純也氏は当時、自民党の国会議員でありながら「在日朝鮮人の帰国協力会」の代表委員に就任し、在日朝鮮人の北朝鮮送還のため積極的に活動したことが確認された。

 小泉首相の父親のこのような過去は、2002年の小泉首相の訪朝以後、日本の会員制雑誌である『インサイドライン』の発行人、歳川隆雄さん(58)の追跡取材によって明らかになった。

 歳川さんは20日、本社の記者に会い「小泉首相の父親が、在日朝鮮人の北朝鮮送還の中心人物だったことは、小泉首相にとって最大のタブー」とし、「靖国神社参拜にこだわる小泉首相の姿勢と一見、矛盾するかのように見えるが、日朝国交正常化にこだわっている理由も父親の政治的背景と決して無縁ではない」と主張した。

 歳川さんによると、在日朝鮮人帰国協力会は、共産党と社会党の影響力が強かった「日朝協会」の主導によって結成され、日朝協会の山口熊一会長、自民党の小泉純也議員、岩本信行議員の3人が代表委員を務めた。

 歳川さんは、小泉首相の父親が在日朝鮮人の北朝鮮送還に積極的だった理由について「当時、純也氏の選挙区である神奈川3区に多数の在日朝鮮人が居住している川崎市が含まれていたためと推定している」とし、「冷戦の真最中だった当時、自民党議員の身分で社会党や共産党と超党派の会合を開くこと自体が異例だった」と述べた。

 当時の毎日新聞は、自民党議員が在日朝鮮人の北朝鮮送還を推進する団体に加わったことについて、韓日国交樹立を進める岸(岸信介)内閣とは関係のない個人レベルの活動だと報じた。

 歳川さんは2002年に小泉首相が訪朝した直後、自分が発行する雑誌でこの事実を報じたが、注目を集めることができず、また放送に出演した際にこの事実に触れたことで司会者から制止されたこともあると明らかにした。

 また歳川さんは、小泉首相の父親である純也氏が、1930年代に朝鮮総督府で事務官として働いたこともあったと述べた。純也氏は、総督府に勤務していた当時、小泉又次郎郵政長官と知り合いになり、その後小泉逓信(郵政)大臣の娘婿になって選挙区まで受け継いだ。

東京=鄭権鉉(チョン・グォンヒョン)特派員khjung@chosun.com

上記記事では、「北朝鮮に送還された在日朝鮮人たちは、「不穏分子」「親日」「日帝のスパイ」などと濡れ衣を着せられ、弾圧された。」と書いている。少なくとも過半はかなりの抑圧を受けた(受け続けている)らしい。

甘言に乗せて日本から帰国させた事業の片棒を担いだ(父親が)ことに対して、なんらかの責任、悪かったなという思いを感じているのなら、それはまっとうなことだろう。ただ日朝国交回復を成し遂げることが、その責任に応えることになると思っているとしたら見当違いだ。

本来破産している独裁国家北朝鮮は、中国の支援が無くなれば崩壊する。ある国家を敵視することは悪であるが、悪である国家に宥和政策を取ることも悪である。日本は北朝鮮を崩壊させる方向に意志決定すべきだ。(産軍複合体と嫌朝厨は敵が居なくなると困るでしょうが)

六甲  序章

六甲  序章

 松下 昇

     不思議なことだ!

     灰色の雲が岩塊の分身のように空を飛んでいく。

     それはあの荒々しい岩塊の臆病な模写なのだ。

     (ハイネ「アッタ・トロル」から)

  平衡感覚を失わせるほど色彩のゆたかな屋根の波の上で揺れる海へ背をむけて、山頂へ続くはずの坂道を登っていくと、時間的記憶からは先週までくらしていたとしか思えない首都は、まだ至るところに〈私〉たちの息づかいをとどめた十年間の疲れとして思い出される。

  傾斜したアスファルトの坂道は、〈私〉たち以外の重量は受けていないので、スラム街を越えて漂着してくる港からの汽笛に微笑したり、蝶や十字架が投げる影を、身をよじらせて捕えたりするのをやめようとしない。光を浴びる風景は、無意識のうちに、広い空地や露出した岩肌を残しており、みつめられすぎ、使用されつくした疲労感をまだもっていない。というよりは、いつまでも、まどろんでいる欲求に支えられているのかもしれない。

  勾配が次第に急になり、自分たちの影へ倒れかかるようにして登っていくと、勾配がいくらかゆるくなるあたりで、眼の前に現われてくる若葉の尖端が、風の手でかるくなぜられて、はるか遠くの空中を行きかうロープウェイのゴンドラをかすめ、溶けそうな薄緑の山肌を谷間のくぼみにむかって落ち、たかと思うと〈私〉たちの背後へ去る。幼い乳房のようにふくらんだいくつかの丘陵には、ここからは決して見えない別の次元へと曲線の切れ目が続いていて、その流れは私たちが知らない間に生成し崩壊していくもののまどろみに思われる。丘陵の上を汽船がすべる……? いやそうではない。坂道は、いつか海の方へ弯曲し、外国航路の白い船体が、〈私〉たちの眼と丘陵の頂点をつなぐ線の上であいさつしているのだ。更に坂道は反転し、一ばん高い山頂から花粉の香りを含んだ風が流れると、〈私〉たちの足もとの斜面で葉を白くひるがえすつる草の群が、これから見る夢をリレーしている。まぶしくふくれあがる海はいよいよ明るい青さをまし道ばたにあるこの望遠鏡に十円玉を入れると、巨大な河とも見える湾の対岸の工場地帯の煙突まで見分けられるはずだ。

  首都では、いくら歩いても、せまい周囲しか見えなかったのに、この海と山にはさまれた細長い都市では、水平に歩いているつもりでも、実際には垂直方向へも移動しており、切り開かれた意外な空間へよろめいていく。この意外さは、平衡感覚を失いかけている〈私〉たちの無意識部分への衝撃を与えているはずだ。〈私〉たちは、時間の切迫を忘れて、空間のまどろみへ溶けこみそうになるのであるが、その瞬間から、〈私〉たちの内的な矛盾は、日本のどこにおけるよりもゆたかに花開かざるをえないのである。首都の広場や運河や路地に切迫した時間を付着させたままこの風景へ投げこまれた〈私〉たちは、自己を、ある次元の運動領域から拒絶された不具者のように感じている。しかしながら、〈私〉たちにとって、帰るべき首都はない。首都とは、特殊な状況をはらむ時間に対する〈私〉たちの関係の総体にほかならないのであるから。どこにいようと時間を失った〈私〉たちは、沈黙してまどろんでいるうちにずり落ちてしまい、見知らぬ空間へはなればなれになった〈私〉たちをみつめ合う。それゆえにこそ、これを書いているのは単数の〈私〉たちである。

  〈私〉たちは、頂点から稜線を経て〈私〉たちを無関心に底辺の一角へつき戻すピラミッドを憎んでいた。このピラミッドを、首都や権力や組織や情念や、その他のどんなものにとりかえてもかまわない。しかし同時に、〈私〉たちは、さまざまのピラミッドの稜線の上をすべっているのであるから、それらを手ごたえあるものとして触れようとする瞬間から、さまざまのピラミッドの数に応じた多くの分身へ引き裂かれずにはいない。頂点での統一から稜線上での分裂というパロディーは、孤立した何ものかの呻きを噴出した六・一五虐殺の時間が生れでる何ものかを圧殺する六・一八葬送行進の空間へ転移したことを〈私〉たちが、はっきりとらえられなかった責任によって幕を上げた。

  〈私〉たちは、ひらめいて飛び立つ何ものかへの身がまえと、何ものかへの抜けでようとする焦りの間に弯曲したまま、敗北の舞台となった首都から、〈私〉たちを無関心に受け入れるこの美しい風景の中へ追放されてきたのだ。従って〈私〉たちは、首都からもこの風景からも切断されている。内的風景へ同化することも許されない。もしも、〈私〉たちが時間の中へ新しい関係をつくりだそうとするならば、〈私〉たちをさまざまなピラミッドの稜線上で分裂させた何ものかのカ学を、いま〈私〉たちが労働しているこの場所から可能な限り追跡し、ピラミッドを破壊すること、その方法を〈私〉たちがこれから出会う全ての敵対関係にむけて応用することしか残されていない。

  それを予感している限り、闘争の敗北後、さまざまの場所で、やむをえず闘争方針を考えている者も、遊んでいる者も、眠っている者も、立体的風景のためか、屈辱に耐えるためか、仕事のためか分らずに頂上をめざして歩きつつある〈私〉たちと同じ坂道を登っているのである。

  〈私〉たちのまわりで、いや私たちの中からも聞こえてくる声の交差は、次第に、たてまえを重んじる論点と、有効性に関する論点と、生活の単純再生産をめぐる論点にしぼられていく。屍臭のただよう三つの論点と〈私〉たちのつま先が一つのピラミッドを形成するのに気付いたときから、〈私〉たちは、ただこのピラミッドの稜線を運動させうるという誘惑のためだけにも、この坂道を登り続けている。部屋の書類を処分し、身分証も定期券も持たずに闘争現場へひっそりと歩いていったあの日のように背をかがめて。

  ところで〈私〉たちは、この風景にみちているどのような響きからも、なかば意識化された意味をとりだすことができる。たとえば唯一の前衛に入る直前に必読文献の行間から聞えてきた潮騒のような不安。その政党本部で乱闘のあった翌日、対策会議を開いていたそば屋の二階へ響いてきた雑踏。闘争敗北後の大会で、真昼の眠りの前の子守り歌のように歌われたインターナショナル。しかし、それらの意味はとりだして表現過程にもちこむ前に溶けてしまいそうだ。なぜなら〈私〉たちは、それらの意味の結合が一瞬のものであり、たちまち別の結合へも変移しうるし、またその変移には解決を未来へひきのばすときの悦楽さえ含まれているのを知っているから。

  この恥かしさは、倒すべき相手より先に、また組織すべき相手より先に〈私〉たちが屈服してしまったあの季節に〈私〉たちをおとずれたのだ。波のように打ちよせる響きの方ヘ〈私〉たちがかけより、離れ去るとき、響きが変移して、〈私〉たちが、これから出合うであろう飢えや苦痛や忍耐のきしむ音に聞えてくるようだ。口を開き終らないうちに、叫びは〈私〉たちの知らない空間へ流れだしている。しかし、この未来からの記憶群は、過去の闘争を頂点とするピラミッドの内部にも、広々と存在していたはずである。たとえば、国会広場に突入した〈私〉たちは、死者のでたことを聞いて怒りの叫びを上げながらも、無意識のうちに横の破損された建物に入りこみ、水道の蛇口から水を飲み、ばぼ同量の小便を壁にかけ、ポケットの溶けかかったキャラメルをしゃぶり、タバコに火をつけて平和を味わっていたのである。そして、欲望の空間に舞う妖精たちに追放をかけ、倒錯した現代史を転覆して火を放っていた。〈私〉たちと状況のこのような関係から〈私〉たちは歩きださなければならない。それが、死者への哀惜が失速しつつあるとか、模索を現実化する責任からすり抜けているとか、戦後史過程と体験過程が偶然に一致した意味を対象化していないとかいう、〈私〉たちから〈私〉たちにむけられる批判をこえる道である。

  人かげのない展望台をすぎると、〈私〉たちがえらんだ坂道の舖装は切断される。展望台の望遠鏡と対岸の煙突という二種の円筒をつないでいるのは十円銅貨という円筒であったが、〈私〉たちは足元に咲くタンポポによって、国会広場の芝生や機関区の砂利や誓視庁の屋上へつながれている。〈私〉たちは、罠をつくるのに似た抒情を開きながら、歩く動作を、タンポポの茎を折り、ねばつくミルク状の液体を吸う動作に変移させよう。

  タンポポの黄が、暗くざわめく虚空の中でとらえられたとき、黄の彩りは運動して三日月の形に鋭く閉じようととする。それと共に、黄をとりまく渦がまきおこり、環のように重なり続けることによって、思いがけない方向への視界を可能にしている。そのむこうにある何ものかと、そのこちらにある何ものかに祝福あれ。

メモ(追加)

本来的な自己存在とは、世間[=世人]から離脱した主観の例外的な状態に宿るものではなく、ひとつの本質的な実存範疇としての世間[=世人]を実存的に変容することなのである。

ハイデガー『存在と時間』*1

2007.5.27追加

*1:ちくま学芸文庫・上p283

概念集・5   目  次

概念集5に関する序文

1

幻想性と級数展開

3

批評概念を変換し…

7

ゲームの(不)可能性

9

スピット処理に交差するモアレ

12

電報の速度

14

表現における遠心と求心

16

資料の位置

18

爆風の現在

20

救援通信最終号を媒介する討論のために

23

裁判提訴への提起

25

肉体と身体に関する断章

27

包囲の原ビジョンへ

29

必死に「市民投票運動する」女性たちを見て(訂正前)

http://d.hatena.ne.jp/noharra/20120107#p1 を訂正しました。訂正前分は下記のとおり。

必死に「市民投票運動する」女性たちを見て

石に彫りつけるほどの、祈りをこめて、言葉を彫りつけよ。

さて、康有為は、中国の人心が十分覚醒していないという現状認識を論拠として、「革命すれば内乱を引き起こす」と言った。*1

これに類似の論理は現在でも、よく見ることができるものだ。

韓寒の、中国人の民度論がそうだ。(私は韓寒の根拠に同意したい気持ちもある。ポーランド以西はともかくロシア以東では89年の変革は下部民衆にマイナスをもたらしたのではないだろうか。その原因は日本と共通する「民主主義の弱さ」なのか?)*2

また現在、大阪市と東京都で「市民投票運動」が展開されている。*3現在最初のハードルを越えられるかどうかの瀬戸際である。今までの活動家はほとんどこの運動に冷笑的である。曰く「市民投票運動主催者の今井某の思想はこういう欠点がある。彼は活動家としてこういう欠点がある。また今の時点で、市民投票して負けたらどうする!!それは反原発運動の敗北を絶対的に確認することになる。でもって現在どちらかというと負けるのではないかと私は思っている。したがって「市民投票運動」には加担しない。」などなど。

彼が守ろうとしているものが、自分の内側の「真理」、自分は正しいという信念(しかも一つの投票結果で毀損されてしまう程度に脆弱な)でしかないことは明白だ。

私も実は「市民投票運動」に積極的に賛同したものではない。「脱原発」よりも「経済産業省の責任追及」が先に議論されるべきだと思っている。ただし311から十ヶ月、「脱原発(反原発)」運動は、今までどおりごくごく少数派の運動に閉じ込められてしまっている。一方、小さい子供を抱えた「母親」などを中心にした、新しい形の必死なアクティヴィストたちが生まれている。「ごくごく少数派の運動」から脱却するためには彼女たちに注目しそれを育てようとうする立場に立つべきだと考える。(育てようとうする立場、がエリート主義だが、それについては後から考える。)私は活動家だとは言えないだろう。ただ強く訴えたいことがある。それは、「橋下氏による君が代の強制」反対である。それが何であれ、「ごくごく少数派の運動」にしか発展しない日本史の現在があるように思う。そのように考え彼女たちに注目しているのだ。

大阪市民投票が(直接請求に必要な署名は有権者数の50分の1で大阪市では4万2670人分の署名が必要となる。)その数の著名を獲得したら、橋下氏にクリティカルな問いを突きつけることになる。形式上は市議会であるが今の現状では橋下氏が発言すればそのとおりになる。つまり4万2670人という民意をどう評価するか?という問いが突きつけられるのだ。橋下氏の権威は、「民意」というものを自分だけが独占的排他的に代表(表象代行)しているということを公言しそれが承認されることに根拠を置いている。したがって彼は別の実体をもつ「民意」の登場を激しく警戒している。市民投票の依頼が来ても協力するなと維新の会関係者に命令したことをもってそれは分かる。仮に通れば、彼は「脱原発の民意」はすでに私が代表(表象代行)しえているのだから、改めて投票は必要ないと言うだろう。私たちは「橋下=民意」という彼が勝ち取った等式を毀損するために全力を傾けても良いのではないだろうか。

運動とは、敵と私に同時にクリティカルな問いを突きつける、そうしたものである時本質的だ。

章炳麟は康有為の愚民観を批判して、民智は「ただ革命によって開く」と主張し、人民の自己発展の可能性に期待をかけて、革命の道をきりひらこうとした。*4

今年辛亥革命百周年だったが、辛亥革命研究家たちはみな異口同音に「革命いまだ成らず」と言っている。平均地権という万人の生存権を目指す孫文の思想とはあまりにもかけ離れた中国の現状は認めざるを得ない。韓寒の認識も同じだろう。

したがって、「何かを獲得するものとしての革命」への幻滅が広がっていることは認めざるを得ない。

そうではなく、章炳麟とともに私がここで言っても良いかもしれないことは、「アクティヴィズム(活動)によってわたしたちは自己発展の可能性を生きる」ことができるのだということだ。「将来に何かを獲得するものとしての革命」ではなく「自己閉塞を打ち破り連帯を生み出していく楽しさとしての革命」である。

アントニオ・ネグリ

これに関連しているであろうネグリの言葉を、子安氏が引用してくれているので孫引きしたい。

「確信しているのは、大草原に火を放つような、そういう「火」が世界各地に存在しているということです。」

https://twitter.com/#!/Nobukuni_Koyasu/status/154744236280000513

(1/8転記)

*1:p256 近藤邦康『中国近代の思想家』岩波1985年

*2:韓寒は鋭い風刺エッセイで中国で人気の小説家・コラムニスト。1982年生。年末に3つのコラムを書いて議論を巻き起こした。http://kinbricksnow.com/archives/51764907.html など参照

*3:例えば→http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/120106/20120106018.html

*4:p257 同上

死者と生者のための掲示板<北海>

201

問題とは何か? 2003/06/01 21:51

202

万世一系は捏造だ。 2003/06/08 17:35

203

永き平和の民 2003/06/08 23:43

204

『ダロウェイ夫人』を読んだ 2003/06/13 18:23

205

わたしは死者を見なかった。 2003/06/15 13:34

206

アイディンティティと仮装 2003/06/16 22:45

207

Re:アイディンティティと仮装 2003/06/18 21:54

208

わたしのなかの還元不可能な領域 2003/06/21 22:48

209

闘争主体と無垢 2003/07/06 21:49

210

触れたくないテーマと一番大事なこと 2003/07/17 21:26

211

わが肉体の労働たとえば授乳 2003/07/20 09:51

212

ローザ~アレント~ローザ 2003/07/20 10:43

213

今日も混沌未分なり 2003/07/26 18:05

214

祝 2周年! 2003/07/31 20:27

215

日本は亡命者を受け入れろ 2003/08/01 21:49

216

ちょっと 2003/08/06 19:38

217

Re:触れたくないテーマと一番大事なこと 2003/08/12 22:22

218

摩多羅神と大黒天 2003/08/31 22:10

219

墓場の茶枳尼たち 2003/09/01 23:16

220

伝統の断絶 2003/09/03 09:41

221

祟(たた)る死者、祟らない死者 2003/09/03 11:39

222

神との性交と精液(1) 2003/09/06 14:36

223

神との性交と精液(その2) 2003/09/06 20:23

224

人間の尊厳が北朝鮮には無い 2003/09/13 23:26

225

性交と多数多様な空間 2003/09/21 21:08

226

朝川渡る 2003/09/23 22:38

227

Re:神との性交と精液(その2) 2003/10/07 21:03

228

サイードの死とシオニズムという常識 2003/10/07 22:53

229

追悼とは何か?「シャヒード、100の命」展 2003/10/13 23:15

0

AYA 2003/10/20 17:57

231

ゴビンダさん有罪確定 2003/10/25 11:06

0

いとうさん 2003/10/27 19:46

0

Re:いとうさん 2003/10/27 19:48

234

ビルマ~フィリピン人家族の強制送還 2003/10/29 23:10

235

即ち私を見るのである。 2003/10/30 07:26

236

某大前繁雄は哀れだ。 2003/11/01 11:53

237

国家の論理を越えて 2003/11/01 19:42

238

制度廃止の条件 2003/11/01 21:28

239

私とは誰か? 2003/11/03 18:40

0

私とは 2003/11/08 19:57