松下昇の『概念集・2』(~1989・9~)に「連続シンポジウム」という項目があります。連続シンポジウムは、坂本氏が1975年から中心的に取り組んでいた企画です。上記にある学友会嘱託職員としての立場も利用しながら。彼は岡山大学教官として懲戒免職を受けてから20年以上学友会の嘱託として大学に残り続けた。このような坂本氏の存在などを一切無視して全共闘論(68~69年論)なんか書いても、どーかな~~?ということになるのではないかしらね。
では、概念集から引用
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連続シンポジウム
一般的に了解されている概念を媒介しつつ、次第に独自の意味を内包して用いられ、ある段階以降、始めの水準から跳躍した〈同じ〉言葉で表記~発語される概念があり、六九年以降の〈自主講座〉や、七四年以降の〈自主ゼミ〉と共に、七五年以降の〈連続シンポジウム〉もそうである。それぞれの差異と連関を私の位相から素描すると、〈自主講座〉は、バリケード空間を解除しようとする全社会的な力に抗して、〈自主ゼミ〉は、バリケード以後の制度を内在的に破壊する仮装組織論として、〈連続シンポジウム〉は、バリケードが言葉としてさえ流通しない段階の祭として、それぞれの使命を自覚した瞬間に、既成の概念の水準から飛び立ち、同時に、既成の概念の水準を押し上げたのである。前記のニつは、別の活動様式を示すのではなく、むしろ、統一的~連続的に把握する方がよい。私自身の参加の仕方もそうである。
前二者については前二項で記したから、ここでは連続シンポジウムの生成過程と特性について記す。一九六九年の岡山大学闘争の過程で教官としての業務を拒否したという理由で七○年に荻原 勝氏と共に五ヵ月の停職処分を受け、七二~七三年の一○三教室を拠点とする単位自主管理闘争などにより、懲戒免職処分と刑事起訴を受けた坂本守信氏は、七五年から、サークル連合体(学友会)の公募した嘱託事務員となり、同時に岡山大学祭実行委員としても活動しはじめた。この大学祭に~一○三被告団~(刑事起訴の現場の教室の名称に由来する。)が公開的に、従って主体に学外者を含みつつ殆ど毎年おこなってきた企画が〈連続シンポジウム〉である。テーマとしては、基本軸に六九年以降の大学闘争の持続的課題(とりわけ、単位制、天皇制、家族制の批判的検討)を置き、大学祭の期間を通じて連続(1)的に討論してきた。そして公認された大学祭が終了しても、追求し続けるべきテーマについて来年度の大学祭までの全期間へ討論を連続(2)させ、同時に、討論の場を大学内に限定せず、生活~労働の場や法廷(前記の刑事起訴の他に、処分による公務員宿舎RB302の明け渡しを要求する国側と、処分取消請求を対置してたたかうものを含む多くの裁判過程がある。)や全国的な参加者の拠点~テーマへと連続(3)させてきている。
このように連続シンポジウムの〈連続〉性には、少なくとも三段階が連続している。シンポジウムであるから、酒宴を媒介する討論形態になることも多い。以上の特性は、大学闘争の具体的なテーマを討論する場のない現在の情況において、連続シンポジウムが毎年新しく入ってきて大学に失望する世代に対して持つ意味は大きい。活動のスタイルとしても、かりにストレートに授業に介入すれば大学当局より先に学生大衆から一瞬の内に拒絶~排除されかねない現段階において、サークル活動~大学祭という学生大衆が一定の関心を持ち、大学当局も予算を出している制度のすぐれた応用方法であり、一企画に過ぎない〈連続シンポジウム〉は大学祭、大学を逆包囲する成果を示してきた。
しかし、この数年の間、活動の根拠の再検討が迫られているのではないか。任意の活動ないし討論の場面に、予備知識のない人が参加したとして、この人は目前の場面が〈祭〉に関わるものとは思わないであろうという事実に危機が象徴されている。連続シンポジウムの位置を全く視ないままの批判はナンセンスであるとしても、関心を持ち、好意的に参加しようとする人でさえそうである、という危機は事実である。ついでにのべると、かっては岡山大学闘争の本質に深い洞察を示したにもかかわらず、七五年に辞職してからは別人のように保守化した荻原氏の固定した発想パターンによる坂本氏や共闘者(私を含めてもよい。)への批判的言辞は、連続シンポジウム的なものに連続する〈 〉過程への異和として把握すると構造がはっきりしてくるのであるが、内在的な弾カ性も情況性も失っていて、かれの頽廃ぶりをささやかに開示するに過ぎない。このことを踏まえて、連続シンポジウムに十年以上にわたって参加してきた広範画の人々を代表して私の見解を示そう。
日常的に連続シンポジウムに関わっている人々には厳しい表現になるけれども、方法としての、また取り上げるテーマの一定の〈正しさ〉にもかかわらず、活動の形態が衰退化し、既成のテーマや成果への閉鎖的な埋没を意識しえないか、意識しても脱出不可能なほど生活~生理の水準に拘束されているのではないか、と懸念する。
自主講座の場合は、闘争総体との緊張開係やテーマの衝撃力ないし普遍的展開カの有無から絶えず検証され、自主ゼミの場合は、直接に単位認定,卒業資格に利害関係を持つ参加者多数派や制度の重力から絶えず検証されるのに比べて、(現在の)連続シンポジウムの場合は、形態として持続し易い度合だけ、前記の場合に対応する検証のフィード・バック性を内包していなければならない。いや、それ位のことは充分に自覚しつつも、なす術もなく立ちつくしているのかも知れないが…。私は、あえて次のように提起したい。
拠点とか成果(人間関係を含む。)を持つことは、前記の水準のフィード・バック性を欠損させている場合には桎梏に転化しうるし、困難な問題に直面している時ほど転化しやすい。異時・空間に自らの方法(本質的な〈祭〉)を、まず自分だけのカで具体化してみよう、もはや帰るところはどこにもない、という情念を生きてほしい。これまで見慣れた拠点や人間を〈初めてすれ違う〉感覚で把握し、自己や他者の軌跡を六九年から現在に至る〈 〉過程の全テーマとの関連において、大衆団交位相で(いいかえると、関わりのある全ての人に公開され、声をとどけようとする深さで)共同検証するプランが必要ではないか。討論の展開によっては活動や生活の拠点を〈 〉へ委託しつつ。
このように提起するのは勿論、対象に自分を含めてであるし、他にだれも提起しない状態で私が提起するのは苦痛でもあるのだが、それを引き受けるのは、自主講座~自主ゼミ~連続シンポジウムの総体に関わってきた私の責任であり、また、これらの本質を名称がどうであれ未踏の領域で深化させていこうとする解放感に満ちた試みの一つでもある。この項目が連続シンポジウムに関わる人々の再出発の契機になることを願う。(松下昇)*1
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(4/21に前半だけ「紹介」した。4/27に後半を追加。)
*1:p11~12『概念集・2』~1989・9~