ファルージャで何が起きたのか?

ブッシュとブッシュ政権にとっては大敗北,政治的にも軍事的にも大敗北。ってことでおめでとう!

原始的な武器しか持ってないイラク人戦士たち数百人が,こんな軍事的大勝利をおさめるなんて,どうやったら考えられた?エイブラムズ(M1戦車)やアパッチヘリが,イラク人の小人数の集団と何週間か戦ったあとに,敗走するなんて,どうやったら想像できた?

何週間も爆撃し殺戮し,アメリカ軍は今日,ファルージャから撤退した。そして地元の人々に,望み通りのものを与え,「バース党」で「サダム信奉者」で「前政権」のリーダーを与えた。ジャシム・モハメド・サレー(Jassim Mohammed Saleh)少将だ。町はイラク人による新しい軍(a new Iraqi force)の統制下に置かれる。その軍を指揮するのが,サダム・フセイン時代の将官のひとり,っていうわけだ。それが彼らの軍事的リーダー。

http://raedinthejapaneselang.blogspot.com/

イラク人ブロガー、Readさんのブログの日本語訳(4/30)から、縮めて引用。この「イラク人の勝利」がどこへ行くのはまだよく分からない、わたしには。(Readさんもとても皮肉に書いているので・・・)

 欧米や日本の市民の一部が急に「ファルージャ」という小さな都市で起きていることに関心を持ち、それに応える情報も提供された(提供しようとして挫折したけれどもそれなりの体験をしてきた安田さんたちを含む)こと。ファルージャが国際的指弾を浴びそうになったこと。こうしたことも事態の推移に影響を与えたことは確かだろう。

弟が兄を伐ってもよい

允恭「登か」*1するや、皇太子淫虐にして、衆の棄つる所たり。安康、弟を以て兄を伐ち、過乱を■定す。衆の推す所、天命これに帰す。

日本思想体系48『近世史論集』というのが古本屋で1700円だったので買ってみた。このごろ大日本史とかに少しだけ興味があるが、これは大日本史自体ではないが、前期水戸学派の学者の史論二つが中心の本。p22には例えば上記のような文章がある。万世一系という原理があくまで正しいとした場合、次の天皇が淫虐にしてどうしようもない奴だった場合はどうする、という疑問が発生する。戦前だったらこのような問いはタブーであり、日本にはそんな天皇~皇太子はいないと強弁されたのではないか。現在の(何の根拠もない)愛国主義者もたぶんおなじだろう。実際には記紀によっても上記のようなことがあった。どうしようもない奴は大衆の意志において棄てられる、それが天の意志でもあるのだ、と元禄のころの儒者、安積澹泊は考えた。

*1:天にのぼる、帝の崩御について言う。

おもろさうし

中辺綾の天

君ぎや やぐめさす

みとろ金 みおせや

雲辺綾の天

主が やぐめさす

あふ雲の鎧は

積み上げて みおせや

精の精富に

積み直ちへ みおせや*1

美しい中空を歌った歌。

*1:日本思想体系・おもろさうしp196

西尾幹二はルサンチマンか?

 上記を書いてから思いついたのは、これって「大虐殺なかった派」に似ているということだ。なかった派は

1)「大大虐殺があった」とAさんは主張している。

という命題をまず立てる。そしていくつものトリビアを用意して、

2)「大大虐殺があった」という命題は成立しえない。という結論を導き出す。西尾氏も

1)「「個」が(あるいは人権が)絶対的な価値である」と落合氏は主張する(そう信じている)。

という命題をまず立てる。それに対し

2)「「個」(あるいは人権)は絶対的な価値たりえない」ことを立証する。という手順を辿る。なぜ自己を主張するのに他者(それも平板化された他者)を必要とするのか。ジェンダーフリー派の攻撃による危機なんていうありもしない状況認識が必要なのか。

「美は自然の或る微笑であり、生存の力と快感との或る剰余だ、*1」とニーチェは言っている。もちろん書くことという行為もそうでなければならない。2)という主張をするために1)という前提が必要であると考え、そして1)が“わたしたちを脅かしている”という認識のもとに、やっと2)という自己主張に辿り着く。このような発想法は典型的にルサンチマンの徒のものである。“それがわたしたちを脅かしている”と警告する時点ですでに失格である。

『NANA』8巻で主人公はなんと“母性本能”という言葉にぶつかってしまう。母性本能なんて丁度ニーチェの時代に流行った言葉でもうとうにお蔵入りかと思われていた。そんなカビの生えた言葉であってもひとはそれにぶつかり血を流す。「自然の或る微笑であり、生存の力と快感との或る剰余」として生きる以上そういうことも当然あるのだ。

“それがわたしたちを脅かしている”と警告するものたちは、わたしたちの生に敵対するものだ、というのがニーチェの主張である。西尾にそれが分からないはずはないのに。

*1:p105『生成の無垢・上』ちくま学芸文庫

己を愛するは善からぬことの第一なり。

南洲西郷隆盛の遺訓からちょっと引用する。

道は天地自然の物にして人は之れを行ふものなれば、天を敬するを目的とす。天は人も我れも同一に愛し給うゆえ、われを愛する心を持って人を愛するなり、

         +

己を愛するは善からぬことの第一なり。修行の出来ぬも、事の成らぬも、過を改むることの出来ぬも、功に伐り、驕慢の生ずるも、皆自ら愛するが為なれば、決して己を愛せぬものなり。

         +

過を改むるに自ら過ちたとさえ思ひ付かば、夫れにて善し、其事をば棄てて顧みず、直に一歩踏み出だすべし。過ちを悔やしく思ひ、取り繕はんとて心配するは譬(たと)へば、茶碗を割り、其の缺け(かけ)を集め合せ見るも同じ、以て詮もなきことなり。

さて なかった派の諸君! 西郷さんは中国人も愛せと教えているぞ。天というものを忘れここにある己だけを愛すと、自分の体面を守ろうと嘘をついてしまったり、自分(自分たち)に過ちがあったのにそれを誤魔化そうとしてますますドツボにはまったりする。過ちを取り繕おうとする作為を止めなければならない。南京における虐殺がたとえあなたがたの主張どうり規模が小さかったとして、それは「あやまち」でなくなるのだろうか。自分たちの主張が天に恥じないものと本気で思っているのか。

 明白な証拠がないと言い続けるのは、汚職がバレそうになっている役人や政治家みたいだ。そこには既得権擁護という動機しかない。西郷には理解できない心の動きだ。天地の前に裸で立つ、心意気を学ぶべきだ。

http://d.hatena.ne.jp/dempax/20041026 国立でむぱ研究室櫻分室 という所からリンクされた。南京大虐殺/国が燃える問題のリンク集をつくられており有益だった。でそこから、http://d.hatena.ne.jp/takapapa/20041013 【ねこまたぎ通信】で話題の漫画の88話を読むことができました。この漫画のコピー公開賛成!! ありがとう。「でんぱ」さんというのは「なかった派」系なのかなと思い、プチウヨ宛ての文章を書いてみました。

(10/27朝一部追加訂正)

囚人の帽子(論理パズル)

問題です。(その1)

3人の賢人がいます。赤の帽子が3つ、白の帽子が二つあります。3人に帽子をかぶせましたが、自分の帽子の色は分かりません。さて、自分の帽子の色が分かれば手を挙げます。手は挙がりません。(この時点で自分以外の帽子の色だけでなく、手をあげなかったことも各自に分かる。)

Aに聞くと「分からない」。Cに聞くと「分からない」。ところが次にBに聞くと「分かった」と言いました。3人の帽子の色はそれぞれ何色でしょう?

囚人と言いながら、わざわざ賢人と言い直しているところがヒントです。

問題です。(その2)

3人の賢人がいます。赤の帽子が3つ、白の帽子が二つあります。3人に帽子をかぶせました。それぞれは、最初の帽子の色と数を知っており、自分以外の帽子の色が分かります。

「自分の帽子の色が分かったか」と、Aに聞くと「分からない」。Cに聞くと「分からない」。ところが次にBに聞くと「分かった」と言いました。3人の帽子の色はそれぞれ何色でしょう?

囚人と言いながら、わざわざ賢人と言い直しているところがヒントです。

後者の問題については、

 http://d.hatena.ne.jp/dempax/20041123 国立でむぱ研究室櫻分室 で非常に丁寧に問題を解いてもらいました。答えは一つに決まらない!?

前者の問題も、どーなのかな?、びみょ~~

頭の悪い人が問題を出すとこういうことになることもある。(11/25訂正)

あなたのなかの「善」を信じる

山下京子さん、被害者の母が、「酒鬼薔薇」が本退院することへの現在の気持ちを語っている。

 今年の8月、私どもは彼からの手紙を2通受け取りました。

 あれほど、「まずは手紙で、謝罪の思いを本人から伝えてほしい」と切望していたにもかかわらず、私はすぐには読む気になれませんでした。

 手紙を読んで事件の真相を知りたい、彩花の親として真実を知らなければならないと思う一方で、もしも、今よりもさらに辛(つら)く苦しくなって、自分がどうにかなってしまったらどうしよう、という怖さがこみあげてきたからです。

 そんな葛藤(かっとう)を繰り返しながら、10日が過ぎ、ある程度動揺がおさまった私は、ひとりで手紙を読みました。

 あくまでも私信なので、内容を社会に公表するつもりはありませんが、少なくとも劇的に私の気持ちを揺るがすものではありませんでした。そして事件の核心に触れるものでもありませんでした。

 しかし、2通目の手紙は人から強制されて書いたものではなく、彼の本心を吐露したという感があり、出会ったこともない彼の声を聴いているようで、読み進めていくうちに涙を流している私がいました。

 その涙の意味は自分でも理解できないのですが、憎悪や恨みという種類のものではなく、もっと静かな、ただただ哀(かな)しい、というのが一番近い感情でしょうか。

 そのときに思ったのは、仮退院時のコメントと重複しますが、彼が「社会でもう一度生きてみたい」と決心した以上、どんなに過酷な人生でも、人間を放棄しないでほしい。彩花の死を無駄にしないためにも、生きて絶望的な場所から蘇生(そせい)してほしいということでした。

 だからといって、けっして彼の罪を許したわけではありません。

 それでも、彼の「悪」に怯(おび)えるよりも、わずかでも残る「善」を信じたいと思うのです。

http://news.goo.ne.jp/news/yomiuri/shakai/20041214/20041214i515-yol.html

児童殺傷事件・加害男性の退院前に遺族がコメント (読売新聞) – goo ニュース

mojimoji発言の先見性

mojimojiさん、コメントありがとうございます。

ご挨拶がとても遅れてすみません。

id:mojimoji:20050113#p2 で言うべきことはきちんと言われていることに今さらながら気づきました。

安倍晋三の「工作員」発言、慰安婦問題を隠蔽しようとする安倍氏たちの工作を、大衆が無言で受け入れて(同意して)、これを否定できずに情況はいままで動いているわけです。

さらに女性国際戦犯法廷に関して、「北朝鮮の工作員を検事、日本と天皇を裁く側においた法廷」と言っていた。

id:mojimoji:20050113#p2

それ以後、おおや氏ほかに対して一歩も引かず丁寧に反論されるmojimojiさんの文章、頭が下がります。わたしなどは読むと頭に血が上りそうで怖くて読んでいません・・・

 性の商品化などについても興味を持っていますのでこれからもよろしくお願いします。

革命的法創造の営為

田島正樹氏のもう一つの論点は、法創造的営為の必要性である。

3)今般問題となってゐるのは、権力自体の機能不全・戦後処理をめぐっての問題解決能力の欠如・ならびにそれに伴ふ権力の権威の崩壊に、いかに対抗し、補填するのかといふことである。

 それは、権力の空白を放置すれば、そこを必ず恣意的なマフィア的暴力が横領してきて、自然状態の荒廃を回帰させてしまふからである。この空白(法の203高地)をめぐってマフィア的暴力と革命的(法創造的)左翼が、常に陣地争ひをしてゐるのだといふことを自覚せねばならない。

http://alicia.zive.net/MT/mt-comments.cgi?entry_id=152

おおやにき: Comment on 法廷と手続的正義・続々々

既存の中立的制度を形式的に守っていこうとする、常識的に正しい態度は、「すでに右翼的なのである。」

むしろわれわれは「当面の政治状況が左右の敵対性に引き裂かれていることをすすんで承認」しなければならない。

「むしろこの視座からは、既存の制度の中に広がる空洞化・無政府状況に抗して、公共性を奪取し更新することによってのみ、それを保守し救済する事ができると考へられるのである。」

 正義のために法を創造して行くべきであるという発想には力づけられる。

1/29の日記では、国境を越え民衆が自前で実力で審理の場を形成したという点を大きく評価した。どのような主体性、公開性、デュープロセスにおいて公開審理の場を作っていくべきなのか、わたしたちは本気で考える。考えられることはいろいろあるだろう。