正義は遂行的に

N・Bさん

はじめまして。コメントありがとうございます。

「「正義」は論理的根拠としてではなく遂行的に現れるとすると、これは案外おおやさんの立場と近いのではないでしょうか?」

なるほどそうかもしれませんね。(従軍慰安婦問題とか言うと議論がすぐに感情的に過剰に対立的になる危険性があり注意しなければいけませんね。)

北田さんの「責任と正義」ですか。前から気になっていたのでこの際買ってみよう。わたしは勉強不足で、N・Bさんが前提にされているのであろう多くの本を全然読んでいません。(2,3冊読んだのは立岩氏くらい)

「「責任のインフレーション」(北田暁大)という事態が思わぬ反動的効果を現す」ということも分かったようで分からない。

梶さんやおおやさんと「共有してしまっている」何かがある、というのは、そうだと思います。ただ、「歴史からの反省」、というのがよく分からない。

孫歌と結託した溝口一派がいつまでものさばっているのが気にいらんというようなのはどこにでもある関係性なのかもしれないけど、学界外部にはほとんどないのでは?

わたしは全くの素人です*1。ただ、いまや戦争のことは誰も実体験としては知らないわけで、そこで声の大きい方が勝つ(大衆のイメージ操作に成功する)ということは事実起こってきていることだと思います。

緻密な議論は必要ですが、慰安婦あるいは兵士の声に耳をかたむけるという行為がまずは必要だということになるのではないでしょうか。傾けたからと言ってヒステリックな慰安婦主義者にはならないでしょう、だいたいそういう者がどこで実害を及ぼしているのかが、よく分からない。(わたしもあまりできていないが)

ぜひ、もう少し説明してください。

*1:デリダや岡野氏の文章の一部をむりやり引用して書いているだけで、それらの文章がふつうどう読まれているのか分かっていません。ですからコメントはとてもありがたいです。

北朝鮮難民受け入れ

日本は北朝鮮から難民を大量に受け入れる用意があると宣言せよ!

日本国民はその覚悟をせよ。

百万人程度ならさほど混乱も起こるまい。

そうすれば金正日体制は崩壊し、めぐみさんも帰ってくる(だろう)。

排外主義者たちこそがつねに隣の独裁政権を維持し続けることを洞察せよ!

トラフィッキングとは

 最近トラフィッキングという言葉があるみたいです。

トラフィッキングとは

「国際的な組織犯罪の防止に関する国際連合条約 (以下「国際組織犯罪条約」という )の「人の密輸に関する議定書 (以下「人の密輸議定書」という )において」

「trafficking in persons (人の密輸)とは 「搾取を目的として、暴行・脅迫その他の態様の威迫、略取、欺もう、権限または弱い地位の濫用、又は他人に支配力を有する者の同意を得るために支払い若しくは利益を提供し、若しくは、受領するという手段によって、人を募集、移送、蔵匿又は収受することをいう。搾取は、少なくとも、売春その他の性的搾取、強制労働、奴隷又はこれに類する行為、隷属又は臓器摘出を含む 」。と定義されている。

http://www.gender.go.jp/danjo-kaigi/boryoku/siryo/bo14-1.pdf 

平 成 1 4 年 7 月 1 7 日 内閣府男女共同参画局 のbo14-1.pdf(application/pdf オブジェクト)によれば。

役所の文章にはめずらしく分かりやすい流れ図がついている。

【送り出し国(タイ、フィリピン、コロンビア等)】

勧誘者 :メイドやウエイトレスなど、虚偽の仕事内容を説明し、言葉巧みに日本へ行く女性を集め、運び屋に1人約50万円で売り渡す。

運び屋 :旅券(パスポート)や査証(ビザ)を用意(偽造、変造を含む )し、女性を日本へ入国させ、日本の受入者に1人約150万円で売り渡す。

【日本】  

受入者(暴力団関係):マンションの一室等の拠点に一旦女性を監禁し、様々な手段で脅しをかけた上、風俗店経営者等に約250万円で売り渡す。

風俗店経営者等:買取り代金に約100万円を上乗せし、女性に約350万円の借金を課し、その返済のため強制的に売春をさせる。一定期間後、女性を転売することもある。

日本は条約は承認したが議定書の方はまだなのかな。

 こうしたことは少なくとも1980年代からあることで、1986年には日本キリスト教婦人矯風会の人たちがはじめての民間シェルター「HELP」を作って活動を開始した。支援者が「正規の在留資格がないために日本に来て搾取される女性たちの救援活動をしている」と法務省で自己紹介すると、「日本にはそういう人たちはいないことになっています。」と言われたとのことである。

http://www.ilo.org/public/japanese/region/asro/tokyo/pdf/2003tr_hayashi.pdf  2003tr_hayashi.pdf(application/pdf オブジェクト)

まさに窮極のサバルタンである。わたしたち市民も彼らにあまり関心を持たず、日本は「東南アジア、南米、東欧からの女性の人身取引の目的地国」になっていったわけである。

 入国の段階で、もしかしたら自分は日本で性的搾取に合うかもしれないという未必の故意を持ち、ブローカーにお金を払って不正入国したとしても、そのことによって、その人の人権が全て奪われていいということではありません。

http://www.ilo.org/public/japanese/region/asro/tokyo/pdf/2003tr_hayashi.pdf  

被害者の人権回復を中心にすえて行政は動いて行くべきだと、

上記の文章で、林陽子弁護士は論じているが、同感である。

弁護士滝本太郎さんのブログ

うし 『弁護士滝本太郎さんのブログの記事を紹介します。

私達が愛するおまわりさんのイメージとはかなり違う感じです。

ビラをまく側と批判される側のイザコザはよくあることなのに、

警察も、もうちょっと違う対応が取れないものなのでしょうか。

「罪刑法定主義・警察とは」

http://sky.ap.teacup.com/applet/takitaro/3/trackback

http://sky.ap.teacup.com/applet/takitaro/2/trackback

メタファーとしての公益

# swan_slab 『>N・Bさん

さしずめ私の着想は、「メタファーとしての公益」なのかもしれません。

でも、hikaruさんのエントリをみながら、これをそのまま使い続けると公共という言葉の意味が固定化され、公共性を再定義する障害になりかねないので、断念しようと思います。私は言語学者ではないですし、周到に考えられたメタファーを使うことはできそうにありません。

しかし、レイコフの議論は大変興味が惹かれました。

>幕末明治や「大東亜戦争期」のような危機の時代はともかく、現在「愛国心を語る」事自体には、もう、うさんくささしか感じとれない!のは確かなのですが。>野原さん

そうですね。ただ、hal44さんのところにも書いたのですが、語ることが問題なのか、それとも、それを手ごろなメディアを通じて押し付けてくることが問題なのかという問いを立ててみれば、恐らく、前者の表現の自由はたとえうさんくさかろうが誰もが享受するはずです。したがって、問題は、「君が代・日の丸」というフォーマットが前時代とあまりに連続性を持ちすぎていること。例えば歌詞が変更されていない、など。そのことによって、過去の歴史との断絶(反省)を強くモラルとして持つ人々にとっては、君が代・日の丸の意味が先鋭化してしまうのでしょう。そして先鋭化してもやむを得ない歴史を日本国は負ってきた。

私はこうした心理状態をうまく説明できないのですが。』 (2005/03/24 23:18)

粛々と式典を行いたい

# fantomeye 『呼ばれたので出てきました。日の丸が正面だろうが歌うのが君が代であろうが、私達生徒はそれを粛々とやるだけの話です。日の丸が正面だったからなんだというんですか? 難癖つけて式典をぶち壊す大人のほうがよほど迷惑です。日の丸が正面にあったからって卒業式の思い出は清いままですが、そこで思想ふりかざしてゴネる大人が居るほうが、思い出にとってはよほどマイナスなのです。部外者が勝手に思想を持ち込んで騒がないでください。』 (2005/04/04 08:53)

# 1 『井の中の蛙 未だ大海を知らず

2ちゃんねるってしってるんだからそこへおいでよ 自分の家のトイレで落書きしても、恥ずかしいのも知識や意見を聞くことは出来ないよ

便所の落書き 結構じゃないですか、一度便所と言われる其処を見た方が

貴兄の為だよ』 (2005/04/04 11:23)

# snusmumrik 『全くひどい話です。以下、本宮ひろ志先生を支援する勝手連(通常時・ネット右翼問題を考える国民会議)の投稿ガイドラインから引用させていただきました。

http://sinrigakukenkyu.ameblo.jp/entry-2b60315ab5ef442bdb67193199b7f2c4.html

この辺が参考になるのではないでしょうか。

「当ブログで初めてコメント欄を利用される際、(中略)ハンドルネームとお持ちのウェブログのURLを明記してください(お持ちでない方はハンドルネームのみで)。私は当ブログを家の一部のようなものと考えておりますが、他人の家を訪問する際に名を告げて挨拶をするのは当然の振る舞いでしょう。挨拶というのは人倫の根本です。挨拶もできないくせに偉そうに国民の義務を語る方は早々にこの場を立ち去って義務教育をやり直してください。」』 (2005/04/04 13:21)

# mikogami 『初カキコさせて貰います

東京都の命令であると判っているなら

東京都に対して政治活動を行えばいいのです

これ以上生徒や教師を苦しめないでください』 (2005/04/04 14:15)

# 転載 『文句があるなら、こんな他人のブログでコピペ思想を振り回してないで、

自分の嫌いな教師なり日教組なりに直接言えばいいのですw

これ以上ブログ主を苦しめないでください。笑いすぎの腹痛でw

だいたい何が「私達生徒は」だ。

今日びの生徒が「粛々と」なんて物言いを、いったいどこで覚えるかってのw

さあ、これでもくらって帰れ帰れ。

▼【テンプレ】日の丸・君が代の強制を無効化するアクション!(処分不可能)

http://ch.kitaguni.tv/u/8016/%a1%da%a5%c6%a5%f3%a5%d7%a5%ec%a1%db/0000187681.html

▼アムネスティ・インターナショナル日本

「君が代」斉唱の強制に人権上の強い懸念を表明

http://www.incl.ne.jp/ktrs/aijapan/2004/0406090.htm

▼天皇陛下が「日の丸・君が代強制」に懸念を示されました

http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/ann/20041028/20041028-00000038-ann-soci.html

宮内庁、このご発言を「日の丸・君が代を強制しない」という国旗国家法制定時の首相発言や政府方針にそうものだと言明。

http://www.asahi.com/politics/update/1028/003.html

南野知恵子法相も「自主性に任せるべき」と発言。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20041029-00000052-kyodo-pol

天皇・宮内庁・法相がダメだというものを、

なにゆえ校長が強制できるのか。

愛国者を自称するならば、大御心の深さを思い、いますぐ教育現場への強制をやめましょう。

強制するものがあれば、それはもはや朝敵・国賊ですw

石原都知事と東京都教育委員会、およびその子飼いの校長たちは

海よりも深く反省しなさい。

他人のブログに、事実や根拠の示せない感情論をまきちらすステハン・捨てはて名どもは

日本人として恥を知りなさいw』 (2005/04/04 16:42)

# ぶらふぁ~ 『>今日びの生徒が「粛々と」なんて物言いを、いったいどこで覚えるかってのw

オマエみたいな頭の悪い大人等及びもつかない程、今の若者は国語に通じてるよ。

ハイティーンが昨今の文学賞を総なめにしている現状をなんと見る?』 (2005/04/04 19:11)

# mikogami 『うわ…痛々しいな…

この長文書いてる人は管理人さんじゃないよね?

管理人さんならもう来ませんけど』 (2005/04/04 19:42)

# fantomeye 『いやですねー、所詮生徒ごときが、子供ごときが、みたいな感じが見え見えで。ご自分の学生時代を基準にして考えないでいただきたいものです。生徒がこーいう物言いするのは信じられませんか?それこそ偏見ですよ。私の物言いが不自然と感じるなら、小学生が日の丸君が代に反対するのも不自然極まりないと思われてますよね?』 (2005/04/04 20:16)

# fantomeye 『転載さんの学生時代がいつごろか知りませんが、今はネットがこれだけ発達した時代です。その気になりさえすれば私のような学生でも活発な議論の場に参加できますし、そこでの物言いに影響を受けることも出来ます。転載氏はよほどボキャブラリーの貧しい子供時代を送られていたのかもしれませんが、それをもって現在の標準だと思い込まないで欲しいですね。』 (2005/04/04 20:19)

「地獄の幽鬼」を見た

従軍慰安婦といっても色々なイメージがある。*1綾川亭さんが紹介しておられる水木しげるによるものが非常に印象的なので、引用させていただきたい。

なおこの日の綾川亭日乗に対して、賛否両論(ケンカ的)のコメントが付き、そのうちの一つが上記の「レイプ犯許すまじ」さんだということになる。

http://d.hatena.ne.jp/andy22/20050114#p5

私に印象深いのは、水木しげる御大が兵士として見聞した話である。御大の従軍中の話は、御大自らが回想マンガとして折に触れて描かれているが、さらりと、実にさらりと、とんでもないものを提示されるから、読み手はびっくりだ。

南方の戦線である…熱帯のジャングルだそうである。その日本軍の陣営の中に、粗末な掘っ立て小屋が作られている…全容は細長く、中は小部屋で仕切られている。その一つ一つの部屋に女たちがいて、兵士とコトをいたしているわけだ。で、扉の外には兵士がずらりとならんで、順番を待っているんだそうである。御大は、とてもじゃないが並ぶ気にはなれず裏手の川に出たという。と、その時、若き一兵卒の御大は、「地獄の幽鬼」を見たのだという。

髪はボサボサ…衣はアカでむさくるしく汚れ果てたその「幽鬼」は川べりにしゃがみこむと、ぴゅーっと、尿とも便ともわからぬものを放っていったという………。

これが、南方戦線に送り込まれた従軍慰安婦の姿である。

*1:今年は、従軍慰安婦それ自体をまったく見ようとしない人々が多いみたいだが。

反普遍を求める日本

ハイネの生を受けた社会は、フランス革命の影響の強かった19世紀初頭の十年間においてすら、スピノザの十七世紀オランダの社会よりも遙かに遅れていたのである。*1

 で二十一世紀の日本はどうかというと、スピノザの社会より遅れているとも言える。近代を通り越して超近代に至ったはずのわが日本でいくら何でも、という気もするのだが。

卒業式における君が代斉唱問題に出会い、ブログで他の方の体験とも交流できて考えを深めることができた。なぜいまごろ愛国心なのか。靖国参拝とシンクロする愛国心とは、戦前との連続性の強調でしかない。「生きて俘虜の辱めを受けず!」として国民を死に追いやったことへの反省がどこにもない。それでも何が何でも愛国心なのだと言う。何故かと言うと、それは結局日本にはそれしかないから、だろう。民衆の不安や空虚を埋めるべき宗教的なもの、日本にも神仏混淆を始め豊富な伝統があったのだが、教育勅語以後それを国家神道にむりやり統合してしまったため、豊富な水脈はほとんど失われてしまった。上からの国家統合のために、「民衆の不安や空虚を埋めるべきもの」を求めるものたちは愛国心(靖国的なもの)の復権だけを六十年間願い、多くの努力と金銭を掛け地道に努力してきた。それは成功した。

 かわいそうな日本はどこへ行くのか。

*1:p40『非ユダヤ的ユダヤ人』I・ドイッチャー岩波新書1970年

ヒロヒト=ヒトラー

中国に反日教育は存在しない、そうだ。悪である大東亜戦争の責任は「日本軍国主義」である、という理屈。この理屈によって「日本民衆との連帯」は是とされ、日中友好は盛り上がった。

ところが日本ではA級戦犯グループの一部は日本で戦後権力者に成り上がり、靖国神社においては「合祀」に成功した。

合祀以後、天皇は靖国神社に詣っていない。これは当然のことである。外国から見た場合、ヒロヒト=ヒトラーであり、それを逃れる道は東条=ヒトラーしかない。後者を無理矢理定着させることが(幸いアメリカの一部勢力の助力を得たとはいえ)どんなに困難な課題だったか、天皇は忘れる筈もない。だが国民は。戦後国民は主権者になったというが。大東亜戦争をどう評価するのかも言わずに眠り込んでいる。

一面的

http://d.hatena.ne.jp/drmccoy/20050627/p2 のコメント欄より。

noharra 『なぜバンザイクリフの事を書かないのか?・・・バンザイクリフの大量死は米軍が原因なのですか。「生きて俘虜の辱めを受けず」とした皇国の洗脳と強制が原因でしょうが。』 (2005/06/29 18:05)

# drmccoy 『ここでバンザイクリフの話を出したのは、「バンザイクリフで亡くなった人たちはすべて純粋に犠牲者である」という事が言いたかったのです。純粋に戦争の犠牲者である民間人の慰霊碑まで冒涜するのは、いくら日本が嫌いだから・昔の日本は悪かったと言っても絶対に許されない、分別がなさすぎると言いたいのです。

「米軍に追いつめられ、民間人が大量に崖から飛び降りて自殺した」はたしかに一面的な見方かもしれませんが、そちらの「「生きて俘虜の辱めを受けず」とした皇国の洗脳と強制が原因」というのもまた一面的だと思いますね。』 (2005/06/29 19:38)

(某氏)(一部だけの引用)

(天皇がサイパンで)もうすこし頭をさげたことにどれだけの意味と意図があるかちゃんととらえてほしい。…

# drmccoy

あるていど正義か悪か、という視点でものを見るのは人間として仕方のない事だと思いますが、正義によいしれる事で事実がゆがんで見えてしまうというのは困ったものです。

 わたしにはただの責任逃れにしか聞こえない。

マッコイさんは、責任の所在という問題については(何を考えているのか分からないが)答えようとしない。それは結局、「生きて俘虜の辱めを受けずとした皇国・皇軍」を現時点で批判しないという立場である。

 これは今回の列車事故に例えればJR西日本の社長などに対し責任追求する必要なし、という立場と同じだな。「一面的」といってある責任追求を無効化しうるなら、権力者はつねに免責される。

 戦争というのは自然現象であり責任は問えないものとでも考えているか。巨大な現象であり一個人の賢しらな智恵で裁断すべきでないとでも。しかしながら<賢しらな智恵を越えたより大きな物>、は存在しない。天皇が頭を下げたらすべては許されるべきなのか。無惨に死んでいったサイパンの人々のことを思うときそれは詭弁でしかない。

「糞尿の臭いと血や膿の臭いが、死臭と混じり合ってものすごい臭い」戦場の硝煙とちぎれた屍体というその現場に生き死にせざるを得なかった先人たちのその存在の有り様に近づこうとするのか? 現場を離れた東京でのうのと暮らしていて国体護持だの反省だの心にもない言葉を操り続けさえすれば生きのびることができた人々のうすっぺらな言葉を愛好して(頼まれもしてないのに)おしゃべりし続けていくのか?