歌を唄いながら空気の撹拌を

http://d.hatena.ne.jp/noharra/20050624#p1 の続き。

 近藤さんは1940年、20歳の徴兵検査で即入営となり、戦争が終わるまでの四年間を独立歩兵第十三大隊の兵隊としてずっと戦場で過ごした。最初、中国大陸の山西省に送られ、1944年山西省を離れ転戦しながら大陸を南下し上海から沖縄へ向かう。沖縄では中部戦線の嘉数高地に配置され、1945年4月の米軍上陸直後から戦闘に入る。

 戦闘で、負傷した近藤一さんは野戦病院に運ばれる。

野戦病院といっても自然壕を掘り足しただけのものだ。壕の中には川が流れていた。六十二師団の野戦病院壕は、首里のナゲーラというところの本院と、今の小学校の所につくった小さいのとがありました。

 壕の中は真っ暗で、手術するところに蝋燭の明かりがあるだけです。戸板をずらっと敷き詰めた上に毛布を敷き並べてその上に怪我人が寝かされているだけでした。(略)

 軍隊の靴を拭く保革油の缶に木綿の布を垂らして火を点けたのが唯一の明かりで、その油煙で、まるで炭坑夫のように真っ黒けになりました。壕の中の空気は四○度近くにもなって湿気もものすごく、息苦しくて仕方ない。おまけに糞尿の臭いと血や膿の臭いが、死臭と混じり合ってものすごい臭いでした。そんな中で働いていた女子看護隊は第六十二師団に配属された首里高女の瑞泉(ずいせん)隊と昭和高女の梯梧(でいご)隊でした。彼女たちは看護だけでなく、水くみに、死体の始末にと、それこそ命がけで働いていました。また一時間か二時間おきに、毛布を各自が持って、二、三組になってかけ声をかけあい、歌を唄いながら空気の撹拌をしてくれました。歌は「うさぎ追いし、かのやま」などの、童謡だったと記憶にあります。本当に心が癒され、子どものころのことや、家にいたときのことが思い出されました。

 それでも私は最初の頃でしたから、中に入れてもらったんですが、三、四日するともう中に入れる余地がないということで、重傷者と手術するやつだけを中に入れて、軽傷者は入り口に置いたままにしてあったと聞いています。

 治療、手当といっても、薬はほとんどない、注射器もない。(略)

 我々が寝かされたところもすし詰めで、一日の食料は小さい玄米の握り飯です。最初は一日に二個でしたけど、しまいは一個もあたるかあたらないかくらいになりました。食事はそれだけで、一番欲しいのは水なんです。外の水たまりとかいろいろな所へ女子看護隊や、沖縄の防衛隊の人が砲弾の降っているなかを、合間を見ては命がけで水を汲んでくるという状況で、ほんとうに水は貴重品でした。枕元に小便用の缶詰の空き缶が置いてあり、それで小便をして半分くらい溜まると、看護婦さんに捨ててくださいと頼むんですが、いよいよ水も行き渡らなくなるとその枕元にある小便を、飲んでしまうんです。そういう地獄みたいな状況の野戦病院は、病院と名が付くだけでした。負傷者が多いのと、始めての体験で、軍医も看護隊もてんてこ舞いというか、どうしようもなかったと思います。

 こうした野戦病院の中でも差別があった、ということは戦後初めて聞きました。負傷者が入ってくると軍医が「お前は本土出身か沖縄出身か」と聞くのだそうです。それで沖縄出身だと言うと、それは後回しにしたということを、戦後に女子看護隊の方から間いてびっくりしました。白分としてはほんとに驚いたのですが、沖縄の人への差別が戦争の中でも持ち込まれていたということは事実なんでしょう。

以上p112-115 近藤一『ある日本兵の二つの戦場』isbn:4784505571

 真っ暗な壕のなかで、毛布で空気を撹拌する。そうしないと壕の奥の方はたちまち酸素が足りなくなり死に至る。そうした切迫に満ちた行為だが、うら若い女性たちが歌を歌いながら、緩やかに空気を撹拌する、というイメージに、わたしたちはいつも痛いほどの郷愁を感じる。

 「うさぎおいしかのやま」。そうした歌が歌われた。ポスコロ的には沖縄しか知らない少女たちにとってそのときどんなパトリ(源郷)のイメージが立ち上がっていたのか、も興味があるところだ。

 この文章を記録文として支えるのは、そこが首里のナゲーラ壕だったという場所の確定と、そこで出会った学徒隊が瑞泉隊と梯梧隊だったという三つの固有名である。

 読者にとってはある意味どちらでもよいことである。だが仮に裁判とかいうことになれば最大の問題になる。事実とは何か。兵士はたいていの場合、(仮に生還できたとしても)最も切実な体験をした場所がどこか、再確認することなどできない。近藤さんも1982年以後何度も何度も沖縄へ通った*1が、2004年2月にナゲーラ壕跡に入って確認するまで、二つの壕のうちどちらなのか決定できなかった。

 また、学徒隊についても、近藤さんは戦後ずーっと自分たちが世話になった学徒隊は有名な「ひめゆり学徒隊」だと思っていた。実際は、ひめゆり隊は南風原陸軍病院に配属され、初めのうちは後方で上記のような地獄のなかで過ごしたわけではない。

 同じ戦場で、しかもはじめから一番の最前線で本当に苦労したずいせん隊やでいご隊の人たちが隠れてしまって、ひめゆりばかりが語られるのは、一種の差別じゃないですか。私らには耐えられないことです。(p115同上)

 わたしたち無知な読者からすれば、ずいせん、でいごもひめゆりも本質は一緒じゃないか、ひめゆりの方が音の響きがきれいなだけアピール度が高かろう、なんて思ってしまいがちだ。しかし固有の臭い固有の場所で人は死んでゆくのでありわたしはたまたまいま生きのびているだけなのであるから、そうした把握が間違いであるのはいうまでもない。

*1:なんと50回以上、だという!

人々を幸せにする力があると考えます。(7/13追記)

更に言えば、僕はもしリンクについて管理人と対話して、リンクを拒否された場合にも、きちんと深く考えて本当にそのリンクによって生じる不利益より利益の方が多かったら、例外的にリンクして良いと言ってるのです。何故か?結局殆どの人間は、例えどんなに自分で「真剣に考えた」と言っても結局一人で考えているときはその思考は浅い水準に留まります。しかしリンク先と直接対話することによって、自分がやろうとしているリンクは本当に人々を幸せにするのか等のことを深く考えられるのです。これはむしろ研究者、いやリンクを含む様な記事を書こうとする全ての人にとっては天啓であると言っても良いでしょう。その意味で、僕はむしろ「無断リンク禁止」という言葉には対話を促進させ、人々を幸せにする力があると考えます。

http://d.hatena.ne.jp/rir6/20050713/1121198432

rir6さん、はじめまして。無断リンクTB引用します。

申し訳ないけどrir6さんの文章斜めに読んだだけです。またわたしにモヒカン族というものが分かっている訳でもありません。したがって、あなたはモヒカン族を批判しているがモヒカンというものは本来そういうものでは全然ない、などと言おうとするわけではありません。

ただモヒカン族は「たくさんの人がハッピーになれるエレガントな方法を見つける」ことを目標にしており、rir6さんはある発想には「人々を幸せにする力があると考えます」と述べておられます。文章の内容を問わずに形式だけ見るととても似ている。しかもあからさまにポジティブで関係構築的志向を持っている。

そういうところはとても(両者とも)良いのではないか、と思った。

上では野原は、ドゥルーズを借りて“コミュニケーションなるもの”への懐疑を書き留めた。ここでrir6さんは、むしろ〈話が通じないという体験〉をすることが、思想を深めることがあると言っている。とても興味深いと思った。

語り得ないものを教える

 レイプだけが語り得ない、というわけではない。隣で戦っていた戦友がふと気付くと死んでいたとか、肉親の破壊された身体を見たといった体験もやはり核心は語り得ない。したがって平和教育というものは本質に矛盾を孕むものだ、と私には思える。あまりに生々しい悲惨は人の目を背けさせることができるだけだが、だからといってそれ以外に何が必要なのか。

 わたしは平和教育を受けたことがない。広島、長崎、沖縄本島に行ったことがない。60年間平和教育のために費やされた努力というものがどういうものかまるで分かっていない人間がこんな発言をするのは許されないことなのでしょうが・・・

Aさんの名誉回復したければ勝手にすればよい

http://www.nomusan.com/~essay/essay_31_tokasikijima.html経由で)

http://www.kantei.go.jp/jp/sihouseido/dai34/34gijiroku.html 第34回司法制度改革審議会議事録

というところで、曾野綾子が自作について語っているので、ちょっと読んでみよう。

最初にいままで何が事実とされていたか、を彼女は述べる。

 3月下旬のある日、米軍はこの島を砲撃後上陸を開始し、それを恐れた約三百人の村民は軍陣地を目指して逃げましたが、陣地内に立ち入ることを拒否され、その上、当時島の守備隊長だった赤松嘉次隊長(当時25歳)の自決命令を受けて次々と自決したというものでした。自決の方法は、多くの島民が島の防衛隊でしたから、彼らに配られていた手榴弾を車座になった家族の中でピンを抜いた。また壮年の息子が、老いた父や母が敵の手に掛かるよりは、ということで、こん棒、鍬、刀などで、その命を絶った、ということになっております。

ところで曾野氏が論点として掲げるのは次の点だ。

これらの著書は、一斉に集団自決を命令した赤松大尉を「人非人」「人面獣心」などと書き、大江健三郎氏は「あまりにも巨きい罪の巨塊」と表現しています。

Aさんという方がどの程度悪人だったかどうか、にみんなが興味があったわけではなかろう。

Aさんという方がどの程度悪人だったかどうか、というトリヴィアルな話題にわざわざ本土からやって来て食いついたのが、曾野綾子だ。もちろん文学者がどのような点に注目するかは彼女の勝手である。ある点に注目することで彼女はどのような文学的テーマを展開してくれるのであろうか。だが彼女が語るのは次のような言葉だ。

赤松隊に所属した人々の心を深く傷つけていたのです。

Aさん及び彼の隊の人に対し、無条件に寄り添おうとしているかに見える。大江のような平和主義に染まった文学者が「犠牲者」とされた人に無条件に寄り添おうとするそのことにより事実が少し偏向された形で表現されていく、そのことを批判したいのではないのかね。自分も(右と左が違うだけで)同じ形の思想なら、批判は成立しない。

本土では赤松隊員に個別に会いました。当時守備隊も、ひどい食料不足に陥っていたのですから、当然人々の心も荒れていたと思います。

大変だったと思う。そして死者たちにはどういった回路で会ったのか。作家の本質はそこでこそ問われる事をまさか知らない訳でもあるまい。

 途中経過を省いて簡単に結果をまとめてみますと、これほどの激しい人間性に対する告発の対象となった赤松氏が、集団自決の命令を出した、という証言はついにどこからも得られませんでした。第一には、常に赤松氏の側にあった知念副官(名前から見ても分かる通り沖縄出身者ですが)が、沖縄サイドの告発に対して、明確に否定する証言をしていること。また赤松氏を告発する側にあった村長は、集団自決を口頭で伝えてきたのは当時の駐在巡査だと言明したのですが、その駐在巡査は、私の直接の質問に対して、赤松氏は自決命令など全く出していない、と明確に証言したのです。つまり事件の鍵を握る沖縄関係者二人が二人とも、事件の不正確さを揃って証言したのです。

しかしこういう風評を元に「罪の巨塊」だと神の視点に立って断罪した人もいたのですから、それはまさに人間の立場を越えたリンチでありました。

「Aさんが、集団自決の命令を出した、という証言はついにどこからも得られませんでした。」それで? Aさんの名誉は回復されるべきだと、ふーん、勝手に回復すれば、としか言いようがない。

日本民族の運命に関わる巨大な悲劇に遭遇しながら彼女は、文学にも悲劇にも興味がないようだ。Aさんの名誉にしか。

ボヤンヒシグ

今日、朝日新聞の夕刊に内モンゴルの詩人ボヤンヒシグのことがでていた。数年前に読んだなと思い、検索してみると00/10/19 07:00付けで引用だけしたのがでてきた。

非日常性

           ボヤンヒシグ

二羽の白い鳩が

小さな部屋の窓に

度々 現われる

その都度 僕のペン先から

一つの危険なコトバが

滴ろうとした

何年かの後

雨が降った

二羽の鳩は黒ずんで

いつしか僕の双眼となり

僕はもう 部屋を出ていた

窓ガラスに裂け目がいくつ

空が痛むほど きれい

部屋は

すべてを知っているかのように

それからずっと空っぽだった

-------------------

『懐情の原型』ボヤンヒシグ 英治出版 より

書き留めておきたくなったので書いておきます。

「窓ガラスに裂け目がいくつ/空が痛むほど きれい」という文をどう解釈したらよいのか、分かるわけではないのです。

二羽の白い鳩は恋あるいは愛の象徴であり、「一つの危険なコトバ」というのがそういった言葉なんだとすると解釈は一応つきます。ただ、この作品の持つ異様な緊張感と恋あるいは愛というものとは合わないように思われます。だがそれは日本人の感覚で、異国人(の異国人との)愛の場合はそうではないのか。

そう解釈せず、なぞめいたままにしておいても充分魅力的な詩だと思う。

ジェンダーフリーとは?

「ジェンダー」使用禁止令!!!!ノォォ━━(゜∀゜)━( ゜∀)━( ゜)━( )━( )━(゜ )━(д゜ ;)━(゜д゜;)━━━ッ!!!!

「ジェンダーフリーとは」

http://seijotcp.hp.infoseek.co.jp/genderfreeQandA.html

seijotcpさんが作られた、とても分かりやすいジェンダーフリーとは?です。

近くに自民党があるのでプリントアウトして持っていってみようかと思いました!(が、・・・しないでしょう)

戦没船員の碑

天皇、皇后両陛下と紀宮さまは、11日午後帰京した。帰路、戦後60年に当たることから、横須賀市の県立観音崎公園内にある「戦没船員の碑」に立ち寄った。

http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/photojournal/archive/news/2005/10/11/20051012k0000m040056000c.html MSN-Mainichi INTERACTIVE 社会

ということがあったらしい。

「戦没船員」については、下記のHPがある。

http://www.kenshoukai.jp/

報われることなく海底に眠る戦没船員の御霊を慰めるとともに、二度と戦火のない海洋永遠の平和を祈念するため、昭和44年海運・水産界の関係者によって、慰霊碑建立のための財団法人戦没船員の碑建立会が設立されました。

http://www.kenshoukai.jp/senbotuhi/senbotuhi.htm

戦没船員の碑

皇后陛下御歌

 かく濡れて遺族らと祈る 更にさらにひたぬれて 君ら逝き給ひしか

この皇后の歌だが、どうだろう?強引な詠い振りに、作者と「君ら」を貫く真実(悲しみ)を表現し得ている。と評価できる。

戦没船員の数は数えられている。60,607人。

 もっとも気になったのは「軍人の損耗率を上回る」を証明するデーターだった。これによると、同時期の軍人の損耗率は、陸軍20%、海軍16%となっているが、船員は43%。 戦没船員の多くは軍に協力させられた輸送船団の乗組員、そのため兵士でもないのに多くの戦死者を出している。

http://plaza.rakuten.co.jp/kazenotabibito/diary/200510230002/ ☆戦禍の海に消えた命、60,607人の戦没船員

 敗戦が目に見えていた昭和19年~20年の戦死者が約4万7千人、全体の戦死者の8割に相当する。さらに「戦没船員の年齢別分布」を見ると、口では言い表せない怒りを感じる数字がある。14歳から19歳までの少年船員の死者数が全体の3割以上を占め、その数1万9千人余り。

(同上)

船員でありながら戦地に上陸を余儀なくされ、軍からも差別されたケースもある。

なかでも、かろうじてガ島に着いた輸送船は、兵員等の揚陸のため強行擱座を命じられ、船員は船を捨ててガ島に上陸した。上陸後の船員は、軍からも邪魔者扱いされ、飢餓とマラリアなどの悪疫に苦しみ、2月初めに強行された撤退作戦で帰還できた船員は、同島に上陸した267名の中で僅か27名にすぎなかった。

http://www.kenshoukai.jp/taiheiyo/taiheiyou04.htm

以上、上記のおばけうさぎさんのブログの紹介に触発されて書いて見てました。(というかそのブログの(歪曲された)要約です。)

下記二つは同じ方のブログのようだ。これで下の方にTB送れるでしょう。

http://plaza.rakuten.co.jp/kazenotabibito/diary/200510230002/ ☆戦禍の海に消えた命、60,607人の戦没船員

http://d.hatena.ne.jp/milkbottle/20051023 NEWS GARAGE【カバ式会社おばか通信】 – 戦没船員の碑

で基本的なことが分かっていないが、彼らの遺族は遺族年金は貰っている。そして彼らは靖国神社には祀られていない。ということでいいのかな?

殺す瞬間からの反転

http://d.hatena.ne.jp/noharra/20051108#p1

で、こう書きました。

 人は神になれない、というのは錯誤だ、と言ってみる。例えば、死刑執行人。人は人を殺せない。人を殺すためにはひとは獣になるか神になるしかないわけだが、戦場と違い死刑執行人は獣であることはできない。したがって、死刑執行人はすでに幾分か神でなければならない。

 で私たちの国には死刑制度があり、その国の主権者が他ならぬ私たちである以上、「わたしは人を殺す。わたしはほとんど神だ」と一度は確認しておく必要があるのではないでしょうか。

 わたしというものは時として自己の手には負えない不可能性に向きあわざるを得ず、祈りに満ちた飛躍で飛び越していくしかない存在だみたいな、言表不可能なイメージがわたしにはあります。

・・・

えっと。 http://b.hatena.ne.jp/rir6/ 経由で

布施哲氏の「デリダ ― 政治的なるものへの抵抗」というのをざっと読みました。

http://216.239.63.104/search?q=cache:n8Vx_iwOMIYJ:www.lang.nagoya-u.ac.jp/proj/genbunronshu/25-1/fuse.pdf

デリダ

私の上記のような発想は、ここでデリダが批判しているC.シュミットの思想に近いかもしれないと思った。

シュミットは「政治的なもの」とは友と敵との関係だと言いました。

ここで重要なのは、もしも「政治的なもの」が友と敵との敵対的関係、友敵対立であるとするならば、そうした例外状況の極点である戦争こそが、最も政治的なものである、ということになりはしないか、ということです。そしてシュミットはそのとおりだ、と云います。戦争こそが政治的なものの極点であり、政治家の政治的決断が集約される最高の機会なのだ、というわけです。直截的に戦争を賛美しているわけでは必ずしもないとしても、シュミットは彼が定義するところの「政治的なもの」がヨーロッパの議会主義には決定的に欠落していると嘆いていたことは確かですし、反対に、そうした「政治的なもの」を鋭く問題化していたと彼が考えた論者、理論家たちを彼は評価してもいました。ド・メストルやドソノ・コルテスといった反革命的右翼カトリックの論客からソレル、それになんとバクーニンやプルードンといった、思想的にはまったくの正反対であるはずの無政府主義者、社会主義者、共産主義者たちに至るまで、シュミットはほとんど無節操ともいえるほどに、反議会主義ならびに現実の対立/闘争を主眼に置いた思想家たちを非常に高く買っていたわけです。

http://216.239.63.104/search?q=cache:n8Vx_iwOMIYJ:www.lang.nagoya-u.ac.jp/proj/genbunronshu/25-1/fuse.pdf デリダ

 シュミットは例えば、真に政治的なものの発露である戦争において、自然的な死ではなく、人間が自らの存在を肯定するための、いわば生への意志がわれわれに芽生える可能性がある、ということを云っています。つまり、シュミットは政治的なものの極点としての戦争を、人間の実存(個人的、共同体的な実存)を基礎づける可能な契機、モメントとしても考えていたのでありまして、 (同上)

シュミットにとって、それはとどのつまり、生物学的な生と死を黙して受け入れるだけの自然的な存在ではもはやあり得ない人間が、自らの存在を可能な限りの意志と知性、そして(これはシュミットの大好きな言葉ですが)

“決断”によって基礎づけ得る、至高の機会だったからです。(同上)

 殺すという不可能性に向きあいその不可能を実施してしまうという存在。無惨な、という以外に直視しえない< >。そこから反転することこそが<肯定>である。と翻訳できるものであれば、シュミットと野原はだいたい同じです。

・・・

でまあこれが有名なファシズムの美学という奴ですね。困ったね。

「デリダはそれがヘーゲル的な意味において目的論的である」という言い方で批判するのだそうです。

また、そのような対立によって出来上がった法や、あるいはその法の執行にしても、ベンヤミンの『暴力批判論』などを引用するまでもなく、そこには法に従わない者、あるいはその発効を妨げようとする者の排除や禁止というものが、それが執行されるその都度必然的に含まれており、決して暴力的な敵対性、否定性の契機から自由であるというわけではありません。まさにそうした暴力的な敵対性、否定性は議会主義や議会主義的立法にとっての条件でさえあるといってもよいのです。

しかしデリダは、そのような根源的な暴力や否定性、敵対性そのもの、それ自体を政治の“本質”に据え、それが議会や法から隔絶された次元において私たちの個人的、共同体的実存を基礎づけるなどというシュミット的な発想というものが致命的に誤っていることを指摘します。

わたしは政治の本質は何か分からない。個人的実存を確認するのは、一切の共同体的なあいまいさから独立するためであるのだ。その点がシュミットとは違う。

デリダ『友愛のポリティクス』という本もそのうち読まなければ。

摂津堂テクスト/日記のような、何か 12/17

2006-12-17 議論話の続き/メッセージ&web拍手コメント等

■[休眠モード][雑記]議論話の続き/まとめ+noharra氏への問いかけ

 どうもです。ここのところ、色々とあった例の議論話なのですが、折角ですのでとりあえず関連の話題になったURLとかでもまとめておきましょうか。適当なので記載していないものとかがあったら済みません。

 

・摂津堂テクスト(当ブログ)

イラク問題のこの頃/マブダチということ

http://d.hatena.ne.jp/settu/20061122/p1

noharra氏の最初の突撃地であり、当ブログにおける論争?発生地。コメント欄にて。

コメント欄の議論のこととか。

http://d.hatena.ne.jp/settu/20061210/p1

この件に関する12/10更新時での私的まとめ。

・Kojii.net ココログ別館

ちょっとぶちまけてみたくなった

http://kojii.cocolog-nifty.com/blog/2006/12/post_7f03.html

井上@Kojii.netさんの所に於ける、noharra氏の突撃地。

私が対案提示を求めた理由

http://kojii.cocolog-nifty.com/blog/2006/12/post_dc41.html

なぜ、井上@Kojii.netさんが対話を試みたのかの述懐。

・Kojii.net

Opinion : “正しいこと” と論理飛躍の怪しい関係

http://kojii.net/opinion/col061211.html

井上@Kojii.netさんのブログの、noharra氏突撃コメント欄のやりとりを題材にした記事。「アジリテーター」について。

Opinion : 弱者は強者 ?

http://kojii.net/opinion/col061127.html

アメリカ政府に対する陰謀論その他の事例に関する考察。正確には今回の論争とは直接リンクしていないが、タイムリーに関連する話題。

・孤高

noharra氏の反米突撃

http://d.hatena.ne.jp/myhoney0079/20061210/p11

ID:myhoney0079さんの、今回の論争に関するまとめ。分かりやすいです。(ちなみに、この件に関してhttp://d.hatena.ne.jp/myhoney0079/20061210/p10にnoharra氏突撃。)

週刊オブイェクトからリンクもろた

http://d.hatena.ne.jp/myhoney0079/20061213/p3

watchネタとして取り上げた理由。

・週刊オブィエクト

焦土作戦~白燐弾で焼け野原!?~

http://obiekt.seesaa.net/article/29501363.html

まとめ+noharra氏の主張するリアリズムについての考察。おそらく、JSFさんのこの記事からまたぶわっと話題が広まった模様。姿勢制御あれ。オブイェークト。

・軍事板常見問題

【質問】軍事分野における「リアリズム」について教えてください.

http://mltr.e-city.tv/faq99a03.html#realism

ついに、軍板FAQに……。

って、<応用例>って、ちょwwwwwwww

 なんというか、ウチに突撃する程度で止めときゃ良かったのに……。

 ここまで派手に燃え上がる(あるいは、ネタになる)ともう処置無し、ですかねぇ……。

 しかも複数箇所で突撃なさってるようですし。

 

 二正面作戦は歴史の戒める所なのかも知れませんが、なんというか、こう、「二正面作戦ってレベルじゃねーぞ!」というか。

 

 

 それはそうと、ID:noharra氏より件のコメント欄に書き込みがありました。

 ……あったのですがー。(以下、しばらくコメント欄の話題なのでご興味の無い方はカッ飛ばしても構いません。というか、本題は下のほうにあります。「本題」とでも検索して下さい。)

 

http://d.hatena.ne.jp/settu/20061122/p1#c1166048051

>>○(1N)アメリカ軍のイラク駐留は不正と災厄を生産し続けているのです。

 現状ではイラク駐留は最善の選択と思われます。

 これではご不満なのでしょうか。<<

(1N)アメリカ軍のイラク駐留は不正と災厄を生産し続けている。しかし

(1A)アメリカ軍の駐留なしのイラクはより多くの不正と災厄にみまわれることになろう。

settuさんの意見は、(1N)+(1A)ということでなのですね。

わたしは(1A)を否定するので、(1N)だけが際だつことになります。ところがsettuさんの場合、(1A)と切り離された(1N)をうまく思考できないようですね。

 ……何で余計な一言を付け加えるのかなー(苦笑

 いや、逃げ……もとい、撤退するんだったら、黙って逃げ……じゃなくて、撤退すれば良いと思うんですヨ。

 さもなくば、「意見の相違を見ることでしか無くて残念です、では失礼します」程度の、双方の顔を立てるような無難な、波風を立てないコメントで止めておくとか。

 別に、無理に「敗北宣言汁!」とは申しません。反論出来ませんすみませんでした対案も出さず皆様の質問にも答えずにひたすら余所様のコメント欄荒らして済みませんでした、と土下座せよとも申しません。先方にも意地がおありでしょうから。心の底では「自分の勝ち!」*1だとか「結局こいつ等はアメリカと自衛隊の不正義が理解できない愚民か」とか、そんなことをお考えになっていらっしゃるのかも知れませんが、別にその幸せな幻想を崩せとも申しません。しかし、だからこそ、撤退にも礼儀ってものがあると思うんですヨ。それが互いに顔を立てておく、ということですから。

 

 それではなく、こちらに対する非難コメントだけ残して撤退、しかも、「うまく思考できないようですね。」と相手を中傷するような捨て台詞を残して撤退ってのは、あまりカッコ良いことではないですな。というか、どう見ても最後まで議論から逃げまくった上での勝利宣言です、本当に有難う御座いました、と。

 ちなみに、何か最後にいちゃもんをつけられたまま、というのも微妙かも知れませんので、一応反論しておきますと、私はそもそも、noharra氏が強硬に主張する

 

>(1N)アメリカ軍のイラク駐留は不正と災厄を生産し続けている。

 に根拠が無い、と指摘しているのですね。ええ、何度も。

 ところが、noharra氏はそれには答えず、あるいは見ないふりをしたまま、同じ文言を繰り返している。

>settuさんの意見は、(1N)+(1A)ということでなのですね。

 ですから、違うと何度も言ってるんですけどね。貴方の意見には同意できません、貴方の主張にはそもそも論拠が無い、と。

 前回の記事でも引用しましたが、井上@Kojii.netさんの、

http://kojii.cocolog-nifty.com/blog/2006/12/__6b76.html

わざわざ、意見を異にする人の日記に乗り込んできて対立意見のコメントを書き込むのなら、相手を説得できるような材料を持ってくるのが筋ってものなんじゃないのかなあ、と。

ただ単に「アメリカのイラク政策は間違ってる」「だから日本は関与するな」と連呼するだけでは、「じゃあ、どうすればいいと思ってるのさ」といわれればアウト。noharra 氏にはそういう自覚がなくて、「壊れたレコードみたいに自説を連呼すれば、それだけで相手が納得する」とでも思ってるのかしらん。

逆に、自説を連呼することに対して無条件に賛同のコメントが欲しいのなら、わざわざ “敵地” に乗り込むようなマネをしなくても、オルタナとか AML とか、もっと都合のいい場所はあるだろうに。

 にある通りなのであります。*2

 私にしてみれば、言わば、noharra氏が「アポロが月に行っていない!!!!!」*3といきなり当ブログのコメント欄で主張したのと大して変わらないのですね。アレは捏造だ! アメリカと世界人類の偉業なんてことはありえない! と。

 いや、別に「アポロが月に行っていない!!!!!」と主張する……もしくは、信仰するのは構わないんですよ。(まぁ、単に「同じアメリカの話題だから」ということで別の話を持ってこられてもそもそも困ることは困る訳ですが。今回の「同じイラクの話題だから」というのと同様に。)

 ただ、だったらちゃんと論拠とか説得材料とかを持ってこないと。

 まぁ、持って来られても当方は「アポロは月に行っていない!!!!!」という主張に真面目に付き合う気はあまり無い訳ですが、いずれにせよ、その段階にすら辿り付いていない訳です。

 「イラク駐留は不正と災厄を生産し続けている!!!!!」と主張したいなら、きちんとそれを示す客観的データ、しかも、「不正と災厄(つまり、駐留の無い状態よりも悪い状態)」を、現在「生産し続けている」データを示さないと。まぁ、そもそも「不正と災厄」が何を指しているのかすら不明なのですが*4。結局、そこの辺りから話を始めなければならない筈なんですな。本来は。

 ちなみに、言うまでも無く、特定の事例のURLでも適当にコピペされても困ります。つまり、

http://kojii.net/opinion/col061127.html

アメリカのように所帯が大きい相手になれば、叩けば埃の一つや二つは常に出てくる

 訳ですから。無論イラクは色々と大変な状況だから、イチャモンをつける材料には事欠かないことでしょう。というか、自分も5分10分漁ればすぐに見つけられると思います。でも、それは、「不正と災厄(つまり、全体として駐留の無い状態よりも悪い状態)」を、現在も「生産し続けている」という論拠にはならないのであります。いや、先方はそれで十分なのかも知れませんけど。

 という訳で、ひたすら「アポロは月に行っていない!!!!!」と材料も持ち込まずに主張されても私は困ってしまうだけなのであります。「俺に言われてもなぁ」(CV:ちよ父*5)という感じな訳です。

 

 つまるところ、noharra氏が「アポロは月に行っていない」といきなりこちらのブログのコメント欄で主張し出したから、いや、自分は行ったんじゃないかと思うんですヨ、と答えてあげた。ただ、それだけのやりとりなのであります。まぁ、当方としてはそもそもそこを突き詰めて議論する気も無い訳ですが。つまり、そこには論争するまでの「興味が無い」のであります。

 あんまし巧い喩えじゃない気もしますが、個人的な感想としては、つまりはそういう感じなのです。ええ、個人的な感想ですね。

 ついでに言えば、私は別にnoharra氏に「アポロは月に行ったんですよ?」と説得しようとも思ってもおりませぬ。noharra氏が、別にどのような信仰を持たれようと構いません。信仰の自由も思想の自由も日本国民に与えられた大事な自由なのであります。勿論、noharra氏が「そっちが間違っているんだ!」とお考えになっても構いません。noharra氏をオカルティストとして罵倒する意図は全く御座いません。おや、意見が異なりますね、と、それだけです。ただ、その信仰を(材料も無しに)こっちに持ち込まれても困るよね、と。

 そういうことな訳です。

 でもって。

(1A)アメリカ軍の駐留なしのイラクはより多くの不正と災厄にみまわれることになろう。

(中略)

わたしは(1A)を否定する

 だから、皆さんが、その論拠は? それを、否定できる、即ち米軍駐留に取って変わることの出来るような対案は? とnoharra氏に、繰り返し、繰り返し、聞いてる訳ですけれどもねぇ……。

 で、結局noharra氏はこちらの問いかけには答えることなく、

ところで、

>> いずれにせよ、私は、貴方がご自分の世界にお帰りになられる分には、一向に引き止める気は御座いません。いや本気で。

とのことなので、メインの議論はkojiiさんが拒否されなければkojiiさんのところでやらせていただくことにします。

http://kojii.cocolog-nifty.com/blog/2006/12/post_7f03.htmlのコメント欄

 ということで、こちらでの議論を切り上げ、井上@Kojii.netさんの所に向かわれるようです。

 こちらからの問いかけの一切には、ついに答えることなく。

 つまり、ここでは初めから議論は存在しなかった、という結論になってしまいそうです。

 何しろ、対話が初めから成立しなかったのですから。

 

 noharra氏は

今回もはなはだ不十分な発言になります。

 と仰っておりますが、不十分というか、殆ど無回答と同じようなものかと。

 結局noharra氏がウチのコメント欄でやったことは、ひたすら無意味な文字記号列長文を書き込むことだけだった、ということであり、私や井上 @Kojii.netさん、名無しさん、通行人さんはその無意味長文に対して、そもそも意味の無い応答していた、ということになってしまうのであります。私自身は前回書いたようにお帰りになって一向に構わないのですが、私はともかく、何度も誠実に回答し、問いかけていた井上@Kojii.netさんや他の方々に対して酷い話ではあります。*6

 

 最初の方で挙げたリンクと重複しますが、井上@Kojii.netさんはこう述べておられます。

http://kojii.cocolog-nifty.com/blog/2006/12/post_dc41.html

どうして私が野原氏に「あなたはどう考えているのか」としつこく問い続けたのか。

それは、アメリカの対イラク政策について「やーいやーい失敗しやがって馬鹿野郎」となじって、あげつらって、罵倒しているだけなのか。それとも、「自分はこうして解決するのがよいと考えるわけだが、それに照らして現状はこうだから、かくかくしかじか」と、なにがしかの識見を持った上で物事を見ているのか。その違いにこだわったからです。別に、「あなたの考えを持って行って関係者を説得してこい」だなんて無茶はいいません。

失敗をあげつらうだけでは、「おまえの母ちゃん出ベソ」と囃すのと、大して変わらないじゃないですか。そして、「俺は正義の味方だぞ~」という自己満足で終わっちゃうんじゃないですか ? それでいいのでしょうか。ガキの喧嘩じゃないんですから。

 で、結局noharra氏は、この問いかけに答えることは無かった。

 井上@Kojii.netさんのところにへ向かうと仰ってますが、もしもまだはた迷惑な論争を続けようというのなら、出来れば、せめて、そこで井上 @Kojii.netさんや他の皆様の誠実な問いかけ、ここで問い掛けられたものを含めての誠実な問いかけにちゃんと答えて頂ければ、と思っております。自説の主張ではなくて。

 何にせよ、このままでは結局井上@Kojii.netさんやその他の皆様に対する応答の道義的義務をnoharra氏が放擲した、という動かし難い事実には変わりは無い、と。

 まぁ、私個人はこの件でこれ以上の追撃をかける気は無いのですが。

 ……さて、まぁ先方もコメント欄で言いたいことは言い切ったようなので、こちらの本題に入りますか。

 そんなこんなで、私はnoharra氏とこれ以上イラクネタ・反米ネタに関する無駄な論戦、というか無意味な文字記号列に対する応答をしたいとはカケラも思っていないのですが、先方に一点だけ「弁明」を求めたい部分はあるのですね。

 

 という訳で、前回http://d.hatena.ne.jp/settu/20061210/p1に書いたことですが、改めてお伺いします。

 

http://d.hatena.ne.jp/noharra/20061209#1165619206(noharra氏)

悪への荷担を自覚できないばか?

 この一文は、どういう意味なのでしょうか?

 

 恐らく、コメントのつけ方から判断するに、私のコメントに対しての、ご意見だと思われますが。

 そもそも、こちらの文章を「詐欺師の文章」呼ばわりしたり、「チャチなレトリック」呼ばわりしたり、「やれやれ。settuさんは自分の思考方法に自信をもっておられるようだ。うーん。」と仰ったり、「あなたはブログで議論する意思も能力もない! で良いのですね。」と仰ったり、その他色々と見下しモード、煽りモードの書き方をなさったり、他にもこちらでの議論に関して、「なんでも「対案を出せ」といっておけ!」「対案を出せ攻撃」「大笑い」などと品評なさったり(井上@Kojii.netさんの表現をお借りするなら、くだを巻いたり)と、色々とお忙しい方だ(今回の「うまく思考できないようですね。」も相当なものですなw)とは思っておりましたが、上記引用の一文だけは、流石に、ちょっと看過することは出来ませんw

 いわゆる、「侮辱罪」にも相当する可能性があったりするのかなぁ、とも。あれはあれで犯罪なんでしたっけか。いや、自分は法律に関して全くの素人ですので、そういう面はよく分かりませんが。

 

 という訳で、これはhttp://d.hatena.ne.jp/noharra/20061128#p1でnoharra氏がなさっている、井上@Kojii.netさんや名無しさん、通行人さんのコメント削除等の意図的編集を加えた上でのコメント転載等の話*7よりも遥かに気になるところです。いや、こっちはこっちで何とも微妙な印象、というか弁明を求めたい所ではありますけれどもねw

 まぁ、井上@Kojii.netさんに、

http://d.hatena.ne.jp/settu/20061122/p1#c1165388909

# 井上@Kojii.net 『noharra 氏が自分の日記に、ここでのやりとりをコピペしているのだけれど、私の前回の発言×2 だけスルーしているのにワロタ。』 (2006/12/06 16:08)

 とか、

http://kojii.cocolog-nifty.com/blog/2006/12/post_7f03.html

もうひとつ。

あなたが、私の主張に対して説得力がある反論をしていると考えておられるのであれば、御自身の日記にせっつさんのところのやりとりをコピペした際に私の発言をオミットしているのは、どういうわけです ?

 とか、突っ込まれたりしてから、

http://d.hatena.ne.jp/noharra/20061209#p9

以上はnoharra11/28の続きですが、論争の原本はsettuさん及び井上さんのコメント欄にあり、こちらは(百%ではない)コピーです。

 とか後から言い訳を書き加えたりする辺りもいかにも微妙な訳ですが。

 

 ……他にも、

http://d.hatena.ne.jp/noharra/20061128#c1166338231 

# anatanomakedesune 『野原様

>はいはい、遅れておりまして申し訳ありません。

休日を挟んでもアップされないと言うのは、実は遅れているのではなく、都合が悪いのでアップする気が無いのではありませんか?

 とか向こうでも突っ込みが入っていたりしておりますね。「http://d.hatena.ne.jp/noharra/20061209#p8に載せてるから良いんだ!!!」と主張なさるのかも知れませんが、妙なところで転載テキストを切り離して、また分けて転載ってのも微妙な話ですね。

 ……閑話休題。

 とかく、世間ではスルー力云々とかいう議論があるようですが*8、残念ながら上に挙げたこれはスルーテーマ全開でスルーするにはいささか厳しい。

 

 前回書いたように、これでも、これまではそれなりに丁寧な論議を心がけていたつもりでしたので。

 という訳で、少なくとも、最低でもこの件に関してのみは、是非とも弁明をお願いたい所ですね。ええ、是非に。

 

 これは、如何なる意味なのか。

 

 これはイラク云々、思想云々以前の、一文明人たる資格、あるいは一文明人として他者に認定されるに足りうる資格を備えた者か否か、としての最低限の礼儀(言い換えれば最低限の知性と教養)のお話なのであります。

 そこが問われているのであります。

 

関連:この辺りの件に関して頂いたメッセージやweb拍手コメント等

http://d.hatena.ne.jp/settu/20061217/p2

Permalink | コメント(25) | トラックバック(2) このエントリーを含むブックマーク