ほんとうに勢いのある精子なのか?

 上記検索システムより、 衆議院 – 文部科学委員会 – 13号(平成14年06月05日)から引用してみたい。社民党の北川れん子氏の発言。

 今、どうしても、前回もなんですけれども、社会的な議論というのが成熟していない中で、研究者の、研究をやりたい、おもしろい、新しい分野だということでの意欲と、多くの人たちが余り多くの、言葉遣い自身を知らない中でとり行われていくということへのそごをどう埋めるかという議論を前回させていただいたと思うんです。

 例えば、不妊治療の現場ではこういう言葉が使われていますね。精子進入検査、ハムスターなんかの卵に男性の精子がうまく入るかどうか、そういう勢いがある精子なのかどうかということで、受精卵をつくることができる精子かどうかを調べるという検査らしいんですけれども、不妊治療の現場というのは、本当に人数が少ないカップルの中でとり行われる、そこでしか卵とか胚とか受精卵とか、そういうものを入手することができないということで、ここに偏って現場が盛り込まれていくので、今言ったわけです。

 もう一つは、最近報道がありました、卵子を若返らせ受精成功ということで、核を取り除いて若い女性の卵だけ、その核を取り除いて四十五歳前後の方の核、だから遺伝子はその四十五歳の方の遺伝子だからその人の子供だという意味だろうと思いますが、そういうことで、二十代の女性が提供して、幾ばくかの、二十例の中の一つが、子宮に戻すことはまだしていないんですが受精をした、受精卵になったという報道もありました。

 ということで、私たち、やはり不妊治療の現場のことをもっと一般化して、話して、これを言えば、例えば、精子進入検査というのがどういう問題なのか、聞けばわかる。それは自分が不妊治療の状況というものを経なくてもわかる。卵子を若返らせる受精卵とはどういう意味を持つのか、それもわかる。試験管ベビーと言われた衝撃的な言葉遣いが、余りにもわからなかったので衝撃的というふうになるわけですが、そういうものをもっともっと社会に議論を提供しながら、生命倫理の問題と絡め合わせて、日本はどの道を行くのだということをもう少し私は深めていく必要があると思います。

何を言っているのか、分からないのに引用するというのは良くないのだが・・・

「二〇〇〇年に成立しましたヒトに関するクローン技術等の規制に関する法律と、今の再生医療の現場、またES細胞樹立に向けての急速な進展とを絡め合わせまして、不妊治療の問題とも兼ね合って、」という情況が存在するらしいのだが、勉強不足でよく分からない。<若さ>とは何か、ということを考える。歳をとるということは、細胞レベルのバグが増えると言うことなのか。若い女性の卵から、核を取り除き、四十五歳の女性の核を入れる。それは後者の女性の子どもになるのか? 興味深い問題だと思った。

 北川氏は排卵誘発剤の副作用についても質問し、副作用による死亡例として5例あるとの答弁を得ている。それについて彼女は「女性たちにとって、子供を持つことの意味が、女性はどうしても押しつけられて、子供を持たないと一人前に見られないという前近代的な旧弊な考え方、家族制度の中でからめ捕られて、子供を持たざるを得ないというふうに自分を思い込んでいる女性も多い」という情況を指摘し、そのような歪んだ情況は本来正されるべきもの(「ジェンダーの解放や女性の平等施策等々が進む中では意識は変わってくる」)であるのに、そのような情況におけるニーズに答えようとして先進医療技術が進んでいき、その結果死亡例まででていることは「重く見ていただきたい」と強調する。先鋭的医療技術が生命の神秘の領域に食い込んでいること自体を禁止すべきではないだろうが、一方で動機の低俗さが存在すること、このアンバランスさに驚く感覚は大事なものだと思う。(イラクにおいてとても精密な兵器が野蛮に人を殺していることへの驚きと同時に。)

母親の怒った顔

『新潮』200501月号に載った短編「雀」から部分引用。

 彼女は手が震えていたか、さもなければ集中力を失っていた。理由はどうであれ、テイーカップを運んでいるときに倒れ、カップが砕けてしまった。カップとともに彼女の心も砕けた。ガップには甘い紅茶が入っていた。

 廊下に母親の怒った顔があらわれた。怒っているとき母親の顔は恐ろしかった。

(略)

 母親は廊下の端からまだみていた。見続けるほどに歯を強く食いしばっていくようにみえたし、こぶしを握りしめ、腕の毛を逆立たせていた。

 母親がまたぶちに来るようにみえた。髪の毛を引っぱり、嫌というほどつねりに来る。どうしてお母さんは飽きもせずわたしをぶつのだろうと彼女は思った。それどころか、ぶてばぶつほど、お母さんは気持ちが強くなり、ほっとできるみたい。まるでわたしに、わたしのやせた小さなからだに当たり散らすことで、誰かに仕返しをしているかのよう。いったい誰に仕返しをしようとしているの?

 ああ、と彼女は破片を片づけながら思った--たぶんみすぼらしいからだに仕返ししているんだわ。なぜ?

 お母さんがわたしをぶてないときは、部屋中を歩き回り、誰かをののしっている。何かが欲しくてたまらないのに、手に入れられないみたい。お母さんは何が欲しいの?と彼女は考えた。破片を片づけているとき、尖ったガラスで手を切ってしまい、血が流れてきた。

 母親は離れたところからしばらく跳めてから、深呼吸した。ぶちたいとは思っていないようだ。たぶん疲れていたか、たぶん手の血をみて怒りがおさまったのだろう。

「怪我をしたのかい?」と母親はいつものようにそっけなく冷たい口調できいた。

 彼女は震えながら立ち上がり、スカートで破片を包んで台所にもっていった。歩いているとき、母親の憎しみのこもった言葉が矢のように感じられた。もうひとつの部屋にいるときにも、同じ矢をいつも彼女に放っていた。母親は自分の部屋に座り、怒りながら黒いタイプライターを打ち、キーを打つ音ひとつひとつが、母親が彼女を狙って発射する弾丸のようだった。

 母親は夢のなかでも彼女を撃った。うなりをあげる戦車のような黒いタイプライターに乗り、彼女を礫いていく。タイプライターのキーを押して、彼女のからだを濾し器のように穴だらけにする。それから彼女のからだをみて、それを貫いているのが弾丸ではなく、タイプライターから飛んできた苦悩の言葉であることに気づく。彼女から隠れるために走って行くが、からだじゅうには同じ言葉。

 彼女はスカートで破片を包み、膝をすり合わせるようにしながら台所に向かった。そこでゴミ入れのふたを開けて、破片をなかに流し入れ、耳を廊下のほうに向けた。米粒ほどのガラスの破片を捨てた。破片をスカートから手のひらに注いだ。

id:noharra:20041218に続き「文学アジア」という特集からもう一つの、部分引用。

 アゼルバイジャンの女性作家、1957年バクー生まれ。アファグ・マスードの短編「雀」から、はじめの部分。「アゼルバイジャンの」女性作家という紹介を後に持ってきたのは、紹介がなければそうは読めないテキストだからだ。タイプライター(今だったらパソコンのキーボードだろうからちょっと古い感じはするが)を打つ母親が子どもを虐待するという情景は、途上国というより先進国に似合うといった意識。それは私だけではなく広く共有されているのではないか。

“アゼルバイジャンの女性というだけで彼女は二重のサバルタンであり、彼女の役割は二重の抑圧を突破して被抑圧者の悲惨と(自然とともに生きる)祈りを表象代行することだ。彼女の役割は、自身が持つ加害性を摘出することなどではない。*1”そう主張する人は、結局のところ、自分がすでに持っている世界解釈の枠組みが歪むことを嫌い、文学の可能性である、世界と初めて触れあうときの痛みを忌避する人に他ならない。

*1:南アの白人男性クッツェーと場合とは違うから

インパクションか

mojimoji 『記事の所在わかりました。

インパクション1997年11月号(通算105号) 「「償い金」は何をもたらしているのか」

年度も掲載誌もタイトルも全部間違い。どういう記憶力・・・。orz』(2/17)

ところで、わたしが1冊だけ持っているインパクションを見たら、西野瑠美子さんの「女性国際戦犯法廷は歴史に何を刻んだか」という短文が掲載されていた。(2002年 通算129号)

彼女が強調しているのは、以下のような点。

  1. 「法は市民社会の道具であり、独自に機能しようが国家と結びついて機能しようが、政府にだけ属するものではない」(判決文より)という点
  2. 当時の国際法においても「慰安婦」制度は犯罪であったことを明らかにした。
  3. 1907年のハーグ条約の付属文書「陸戦の法規慣例に関する規則」第三条を「個人に独立した損害賠償請求権を付与するものであるというカルス・ホーベン教授らの意見を採用した」(判決文より)

ビルマ国軍による性暴力

ビルマ(ミャンマー)のシャン州というのがどこら辺なのかまるで分かりませんが、下記に「ビルマ軍政によるシャン州における戦時下性暴力の行使」というレポート(日本語仮訳版)がありました。

http://www.ajwrc.org/doc/LtoR/LtoR_01.html License to Rape (日本語仮訳版)

 「強かんの許可証」では、ビルマ国軍部隊がシャン州で起こした強かんなどの性暴力事件173件について詳細な報告がなされている。大部分は1996年から2001年の事件で、被害者は幼い少女も含む625人の女性だ。

シャン州の少数民族を威嚇し従属させる目的で、ビルマ軍政が組織的かつ広範囲にわたり部隊に不処罰で強かんを行わせていたことがこの報告で明るみに出た。

プライバシーを抜き打ち検査

例えば、次のような記事になんとも思わないような社会では個人の自律性を説くなど画に書いた餅である。

警官不祥事防止へ「大切な人」同行 兵庫県警が写真携帯

 現職警官が強姦(ごうかん)致傷や加重収賄容疑で逮捕されるなど、昨年、不祥事に悩まされた兵庫県警が、全警察職員に家族や恋人の写真を携帯させて勤務にあたらせることになった。5日から本格的に実施する。勤務中は常時、携帯を義務づける。抜き打ち検査で所持しているかどうかもチェックする方針。 「大切な人を思えばこそ、仕事もきちんとこなせるはず」という狙いだが、現場からは「犯人を追いつめる危険な任務の時にはちゅうちょしてしまう恐れがある」といった声も出ている。 【04年1月5日 朝日新聞】

http://d.hatena.ne.jp/swan_slab/20050305#p1

こんな話は全然知りませんでした。「大切な人」などいないという人はどうなるのでしょう。というかそんな言い訳をしなければならないことが情けない。警察官であろうともわたしたちは勤務時間のあいだ職務に専念することとひきかえに給料を貰っているだけであり、存在丸ごとを組織に預けているわけではない。そうではないアプリオリに支配される世界に徐々に移行しつつあるというわけか?

脱北者の証言

 昨日、日本に住んでいる脱北者たちの証言を聞く会があった。

十人近くの人が順に話をした。それぞれ深刻な話なので圧倒される。

飢餓が最も深刻だったのは、97、98年ごろだったようだ。

道で倒れて死んでいる人をよく見たと言っていた。

また、そのころ公開処刑が毎週のようにあった、と。

金正日体制は人民を抑圧する不正義に満ちた全体主義であり、糾弾しなければならない。

言挙しない、神ながらの道

(野原)

N・Bさんが参照を要請されるレイコフというのがよく分からず(参照先urlをやっと見ましたが)、どうも応答しにくいです。

わたしはただのあまのじゃくなのかもしれない。*1

 どんな国家も自らを普遍的な理念として自己規定していると。その点で、スワンさんによれば、フランスのあり方と、アメリカのあり方は全く違うと。そうすると日本の状況はどうかというと、憲法の理念は平和主義と象徴天皇だという。平和主義も理念でありうるかも知れないが*2、そのような理念を現在の日本が持っているとは思えない。そうするとやはり“言挙(ことあげ)しない、神ながらの道”みたいな感じを受ける。「強い者=アメリカに随順する、それが一番抵抗が少ないやり方であり、ベターな方法だと」ということに直ちにつながるのかどうか分かりませんが、そんな感じを持ってしまいます。

「実質的正義」=「モラル」というものがよく分からない、みたいなところから先に進めません。「保守は厳しい父親のモデル、リベラルは慈しむ親の家族モデルに基づくため、」という二項対立は日本では成立しないのでないか。天皇とは男性であると同時に女性でもある。神話学とかのレベルでは明らかにそう言い切れると思います。

「葦原の 瑞穂の国は 神ながら 言挙げせぬ国」というのは柿本人麻呂の歌です。下記にありますが、「反反日、反ジェンダーフリー」ですので、批判のサンプルに良いかも。

http://www2.ocn.ne.jp/~nozakigp/2661.htm

*1:「丸山の観点からすれば、権威主義に対する解毒剤とは「あまのじゃくの精神」ということになるのであろう。http://homepage.mac.com/biogon_21/iblog/B1604743443/C1028182794/E320095057/ より」

*2:国民国家の常識を越えていくという方向での理念

小熊善之氏批判

(1)「azamikoさんの行動は突飛である(段階を踏まずにいきなり最終手段を取っているような感じ)と私には思えます。」という評価自体が甚だ偏向している。

(2)ネットにおいて、少数意見を唱える者が袋叩きにあうのは自然なこと、という事実認定。

 この「事実」というのは、小熊氏によって捏造されたものではないか。全く異質な二つの「文化」を混同している。

α:15~10年前くらいのアメリカ(及び日本)において見られた、“フレーム”文化。インターネットが一般化する前のメーリングリストの頃の“華”とも言われた。これは発言者の強い個性を前提とするもので、「少数/多数」という布置が予めないからこそ成立する。β:それと去年日本の“イラク三馬鹿”騒動以降顕著になった、ナルシスティクな愛国言説による少数派叩き。「自己=多数派」という前提だけに依拠していると評価できるほど、発言者の自立した思想性は低い。

「言論の淘汰圧」という聞き慣れない言葉を使うことで、捏造が行われる。

(3)1,2からの結論として少数派は「より手段の妥当性にも拘るべきで、それらを失すれば非難を受けるのは致し方ない。」と結論する。

野原から見ると、(1)も(2)も誤りなので、全く納得できない。最初からazamikoさんを否定したいとするプチウヨ的イデオロギーそのものであるのだろうに、自己がそうであることを認めず、一見中立的な論理構成で目的を達成しようとしている悪辣な奴、ということになります。

うし 『小熊さん、はじめまして。

他人の行動が違法だと言い張るなら、どの部分がどのように法に触れるのか指摘すべきでしょう。あなたがどうして「見えない」のか野原さんには伝わりません。』(2005/04/08 23:07)

N・B 『 どうも、また書き込みです。とりあえずひとつ誤解していたことに気づいたので。小熊さんの書きこみは文字どおりに解釈すべきのものだったんですね。調べてみると、自分の意見を主張するためにブログのような突っ込みの入りやすい形態をとらない日記を実践なされているのを発見しました。野原さんは批判の内容からみて日記を読んでいるようですね。

 それにしても、小熊さんが主張する人間の本性が自らの行動がぴたりと一致なされるのはすばらしいですね。たいへん(特に人間に対して)純粋な方と認識しました。しかし日本国家への帰属意識がひときわ強いと思われるだけに昨今の情勢には内心忸怩たるものがあるのではないでしょうか。

>小熊さんへ

 ひとつだけ質問をすれば、現状をそのまま受け入れれば結果的に多数派になるはずですね?しかもazamikoさんの行動を突飛なだと感じて、同様に受け取ることが多数意見だからazamikoさんが袋叩きにされると書かれたのですからこの件に関しても多数派ですよね?2重の意味で多数派の立場にいるにもかかわらず、小熊さんが最初に中立として意見し、後では自分は多数派ではないという根拠はなんなのでしょうか(4月8日)?根拠がないと私はまだ反感を抱いたままになるのでたいへん知りたく思います、ぜひお答えをお願いします。

http://www.sumire.sakura.ne.jp/~oguma/tron/bottom.html

 なおもし書きこんだ方が別人でしたら深くお詫びします。』(2005/04/09 09:48)

ドイツにおける戦争犯罪者

6千人が多いか少ないか。日本では日本人に対する戦争犯罪者は一人も裁かれていない。逆に「軍人と遺族に40兆円(すべてのアジアへの賠償総額は1兆円)という巨額の恩給を支払い続けているのである。」*1

一方、ドイツでは、ニュルンベルク裁判のあと、ナチス戦犯を裁く特別法を作り、時効も無効にして、10万人以上を捜査し、6千人に有罪判決を出して処罰したのである。英仏の裁判所も今にいたるまで自己民のナチ協力者も含めて、終身刑などの厳しい有罪判決を出し続けている。

http://blog.goo.ne.jp/yayori2005/e/d3e1031f45e8ed5bd897d79626e2b72a

*1:軍人と遺族を戦争犯罪者と同一視しているわけではない。