この註の前で存在の根底的な揺れを覚えずに通り過ぎるなら、私たちは、<不>可能な刊行作業の継続というテーマに立ちつくすことなく何かを行い、または永久に何も行わないだろう。
(~1996年7月~ 土曜<学校>通信 第<11>号*1 より)
*1:仮装被告団~刊行委員会 気付 永里繁行
かってニフティサーブのFSHISOというフォーラムで採用されていたルール。
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「えふしそのルール」(94/06/22制定、97/10/29改正、98/1/28改正)
(前文)
現代思想フォーラム(FSHISO)は、会議室での議論・発言について、考え方は勿論、
発言のスタイルについても、予め規制することは致しません。
自由に発言し、議論し、そしてその責任を個々の会員が自己責任として担う、この
原則を我々は何よりも大事なことと考えているからです。
かつて、FSHISOでも、会議室での議論から争いになり、その争いがフォーラム運営
問題・ニフティの規約問題となりついには法律問題にまで「展開」してしまったこと
があります。この経験から我々が学んだのは、自己責任原則・論争の「当事者原則」
を徹底させること、これでした。
ニフティのフォーラムでは、一般に発言の削除はSYSOPが行なっています。また、
コ
メントの付いた発言は発言者の自己削除が不可能な仕様になっているため、その発言
を巡って争いが生じたときなどは特に、本来の争いが削除を巡る運営問題へとたやす
く変質してしまい、当事者はカヤの外に置かれがちです。これが争いをフォーラムの
外部へと「流出」させる契機となるのは見易いところです。
発言の登録や掲載の継続については、現行のニフティの仕様で十分に自由であり、
また責任も発言者のID併記により明確になっていますが、削除については十分に自
己責任を保証し「当事者」原則を貫く仕様になっておりません。
これを解消し、発言に関する責任と権利を完全に発言者本人へと明確に付与するル
ールが必要だと、我々は考え、ここに「えふしそのルール」を制定しました。
この「ルール」は全てのFSHISO会員が同意し遵守を約するものです。
<ルール本文>
A 会議室に発言すること、また、掲載を継続すること、削除することは、会員の
権利である。その発言によって生じる事態に対しては、発言者自身が責任を負う。
A-1.(1997/10/29削除)
A-2.
コメントがついた自分の発言を削除したい場合、発言者は、発言番号とそれに付け
られたコメント発言の番号を明示して、 削除したい旨を会議室で表明する。その際、
理由を記すことが望ましい。
SYSOPは、その理由のいかんに拘らず、ただちにコメント・リンクを外す。
(1997/10/29追
加)
B ある発言内容について、自分に不利益になると考える会員は、原則として、会
議室で直接、発言者に向けて、抗議の意思を表明すること。
B-1.
会議室での、発言者に向けての抗議・削除要求は、当然の反論権の行使であって、
これは完全に保証される。
B-2.
会議室で表明があった場合、SYSOPはその理由のいかんにかかわらずコメント・リ
ン
クをはずして当の発言を「削除可」とし、削除を発言者の手に委ねる。
B-3
上記の抗議・削除要求は、止むを得ない場合はSYSOP宛てメールでも受け付けるも
のとする。SYSOP宛てメールでの抗議・削除要求に対しては、SYSOP及び運営陣は、直
ちにコメント・リンクを外すこととあわせて、抗議者・要求者に、会議室で論議する
ように説得するとともに、会議室に報告し議論を喚起することとする。
bogus-simotukare2015/06/13 13:45 id:noharra
でいつになったら野原君は
1)「河野談話否定論者・三浦小太郎が幹部を務める守る会を退会して、三浦への抗議意思を表明」
2)「退会しないが三浦のような歴史修正主義者のデマゴーグは守る会役員にふさわしくないとして三浦の役員解任、守る会除名を主張」するの?
手前が三浦のような河野談話否定派のデマ屋を野放しにしてる時点でこんなお為ごかし文章を100回書こうと200回書こうと何の説得力もないと気づけよ、チンカス野郎。
bogus-simotukarebogus-simotukare 2015/06/13 13:48 noharraくん
悪い、悪い、間違って二度投稿しちゃったけど二度目は削除してくれると助かるわ。
それと浅野については「ある理由」とかぼかさないではっきりと「浅野の米国人学者声明翻訳を誤訳だと小山エミ氏が批判してるから」てはっきり書いたらどうよ?
「君と三浦小太郎の関係みたい」に浅野をかばわないといけないい、腐れ縁、しがらみでもあんの?。本当に君ってくだらないゴミ野郎だよね(毒)。
>http://www.donga.com/fbin/output?f=f__&n=200703130324
韓国語がおできにならなくても、翻訳サイトを通せば、機械翻訳ではあるものの大意はつかめます。
残念なことに、私の予測は杞憂には終わらなかったようです。』
ノーモア 『読みました。感想を申し上げるとするならば「so what?」の一言です。』
さて最初は、天です。(ちなみに仏教では下位の神さまのことになる。)
『儒学のかたち』関口順 東京大学出版会 によれば、
人倫社会の根拠をなすもの、ということです。
儒学は教育を重んじます。その目的は、性つまり<内面化された天>を完全に実現することです。そしてその修養は必ず他人とのつながりの中で行われるのが特徴です。+天子の務めは民の養であり教である。p32
民は天子にも国君にも責任がない。物みたいなもんである。p33
えーどうもそのなんだ日本という国は、根本原理というものがないのかね。
大東亜戦争に負けて、国土が焦土になったのだからヒロヒトは皇祖皇宗に詫びるべきだったのではないのですか。よーわからんくにじゃ。
(11月14日記)
滝沢克己氏が、ヘーゲルの核心を簡明に語っている。
『現象学』の数年前に書かれた『キリスト教の精神とその運命』において
神さまが見てらっしゃるのよ!!、とそれを知らずに「絶対知への到達なんてそんなに都合良くいくものか」と言ってるのは無知。というか神がいなくてもそう考えるしかない、と(もちろん)ヘーゲルは言っている。
「限定経済学から一般経済学へ」のレジュメを書かないといけないのに、他のことに気を取られてばかりだ。ところで、バタイユはやっぱり良いね。
「19世紀に、人間の知性が高度に研ぎすまされ、自分を世界の中心であり極致であると見ることができなくなった瞬間が来た。無限の尊厳という感情のあとに、悲嘆と孤絶との感情がつづいたのである。皮肉が尊厳を切りくずし、飢えと激情とが尊厳を憎むべきものとしていった。*1」
「ヘーゲル以前の古い観念論は、たしかにわたしたちの、がさつで、おちつきのない精神にはきわめて無縁な哲学大系である。わたしたちはその偽善性が気に入らない。マルクス主義や実存主義にあっては、いずれの場合にも、仮借のない唐突さと「確固とした決断」とが、永遠の諸観念にわたしたちを対立させてくれている。」*2
「マルクス主義の立場は必ずしも実存主義の立場と対立するものではない。思考に対する生の優位性は双方の理論に共通である。」
実存主義とは何か?この文章「実存主義から経済の優位性へ」ではそれは「わたしたちが自分自身と世界とについて抱いている概念を変革しようとする」*3一流派と捉えられている。
これは1947~48年に書かれた文章だが、戦後、<新しい地平に向かって解放された>時期の空気をよく伝えている。わたしはいまもって実存主義というものがよく分からないが、生きることが問題なのであれば生きればいいから別に実存主義は必要ないか。
こうした実存主義を甘やかすような時代の雰囲気を対しバタイユは無批判なわけではない。「それは必ずしも立派なものではない。苦悶する感動へのしまりのない欲求や感傷的な悪趣味」を指摘できる。しかしそれは、「<生のどろどろした深み>にのめりこむ自在性」の裏面でもあるのだ。<新しい地平に向かって解放された>かのような時期は1968~69年以後にもあった。ここで指摘されている感傷性(短絡性)と自在性の二面性ということについては、わたしもすこしかいま視た。わたしはわたしが思っているより自由である、これが真実である瞬間は存在する。
「生きていても死んでいても」と書くと囂々たる非難がやってくる可能性があるがとにかくイラクの3人の日本人は日本中の注目を集め続ける、しばらくの間は。それに対して死んでしまったり囚われているイラク人には日本人は誰も注目しない。人の命は地球より重いというが、その重さのコロニアルな落差は百倍を越えていよう。<三人>の方はその落差を埋めようと志し自らの存在を駆り立てた方たちのようにも聞いている。もし三人が殺害されたら世界はより暗くなる。
私自身は、この不可解な歴史的事実を< >とよびうる根拠と資料をいくらかもっているが、、いま強調したいのは次の諸点である。
< >に立ち上がったものも、鎮圧にあたったものも、自分が、いまなにをしつつあるのか分からなかったこと。この歴史的事実をどのように判断するかによって現代史の評価軸が転倒してしまうこと。そのような契機をはらんでいるのに、もしも放置しておけば事実の集積の中へ埋没していくこと、などである。
この文章は“<ハンガリー革命>--<六甲>”という松下昇の1966年の表現の一節である。*1< >は、<革命>と元はなっていたものである。< >という記号は松下においては、その中に別の記号を入れてみる場合の変移を量るという問題意識とともに用いられるものなので、元の文脈から離れ、新しい言葉を入れてみる。わたしたちがこの間ずっと囚われてきたイラク人質問題を考える。<誘拐>あるいは<内乱>という言葉を代入することができるだろう。
<ファルージャ>*2が含む戦車のような重さと<インターネット>が含むタンポポの綿毛のような軽さ--その婚姻の時が迫っている……と私はふと考えてみた。革命者と制作者は互いに結合されつつ論じられているとは知らずに存在しているとしても、私に<ふと>そのように考えさせる力が<ファルージャ>にも、<インターネット>にもあることは確かなのだ。両方を結ぶ関係=共通点をあげてみよう。*3
○ 固有の時間、空間に規定されながら、それによって逆に、普遍的な時間、空間へ出ていく契機をつくりだしている。
○ 敗北、未完成という事態が、そのために一層あきらかに、状況や存在の危機を告発している。
○ 意識の平衡が転倒するほど現実過程の中でたたかい、模索しているときに、はじめて手に触れてくる。
○ はじめのヴィジョンが、何かの力によって、みるみる変移して自分を追い越していく怖ろしさを当事者に与える。
○ 対象を変革する(表現する)だけでなく、変革する(表現する)方法そのものを対象の中に加えていく必要を感じさせる。
銃を手に立ち上がることは悪だ、と私たちは教えられてきた。だがしかし、<誘拐>は本当に悪だったのだろうか。誘拐は被害者を拘束し、そのことにより日本人の関心をファルージャに引きつけることに成功した。銃撃の報復として居住地区の破壊を行う米軍の行為への疑問を導き出した。ある客観的事実がまずあり、それが中立的なメディアによって報道されるだけという図式に安住することはできなくなった。何かを知ろうとすると<その場>へジャーナリストが出かけていく必要がある、だかしかし出かけていくと彼/彼女は、米軍によって、あるいはイラク人によって狙撃あるいは誘拐される恐れがある。メディアは中立ではあり得ない。わたしたちも、与えられた情報をただ信頼して受容していればよいということでは全くない。「はてなダイアリー」において顕著な事実は、例えばファルージャという文字列を書き込むことにより自動的にリンクされ、自分の頁がデータベースの一部になることにより、他者の頁との対話が不回避的にもおこり自分の頁が増殖していくということであった。わたしが日記を書くという能動的行為をしないとあるファルージャについての情報は流れてこないといった関係が確かにある。それはわたしがすでにイラク情勢について持っていたイメージが転換を強いられる度合と関連している。ファルージャについて知るためにジャーナリストが必要というのではなく、知る方法そのもの、つまりいままで黒子として意識されることのなかったジャーナリストたちの身体こそが中心的な報道対象となったという転倒。そして後者によって、わたしたちが知ることを欲していなかったファルージャ情勢は広く知られるようになったという逆説。こうした逆説が教えるものは、家に座っていればメディア(テレビ)が真実を運んできてくれるし、運んでこないものは私たちが知るに値しないものだというわたしたちの常識の否定だ。
また、現代史の時間の構造にくいこんでいる<ハンガリー革命>をどのようにささやかな情念のざわめきと置換してもよい。私たちは、生ぬるい怠惰な世界の中で極限まで生きぬこうとするとき、一瞬ごとに<革命>と触れあうことになるのだから。
つまり、現実から逸脱しているようにみえるこの<幻想性>は、世界最初の反戦ストや新しい創作理論や、やさしい愛などと、必ずどこかで交差し、それらを支え、おしすすめているのである。
松下昇が< >とともに私たちに差し出すもの、は何か?現実の生というものは、むしろ一瞬ごとに< >(未知の位相)と触れあうことにより、非存在~存在しているのだ、と松下は主張する。もちろんそれは、「意識の平衡が転倒するほど現実過程の中でたたかい、模索しているときに、はじめて手に触れてくる」ものである。わたしたちが現在観察しているのは「自分は無罪だと立証したいと思ってあがく者は逆に自らの有罪性を立証する」という逆説だろう。彼らは< >をあまりににも敏感に拒否しようとしてドツボにはまる。
*1:『松下昇表現集』p10
*2:http://www.jca.apc.org/~kmasuoka/ 益岡賢氏のページにあるいくつもの文章を参照してください。
*3:<ハンガリー革命><六甲>の代わりにファルージャとインターネットを入れてみた。
1995年1月17日いわゆる阪神淡路大震災が起こった。翌日の新聞にはチェチェン紛争についての記事も載っていた。「チェチェンでの戦闘で市民や戦闘員の死傷者が異常に増えている」死者数は双方併せて3万人以上とも読みとれる。いずれにしても当時このことに注目した日本人はほとんどいなかった。*1
チェチェンではそれ以後も戦乱が続いた。最近も事件があった。常岡さんのサイトから引用する。 http://www2.diary.ne.jp/user/61383/
5/9 偽チェチェン共和国ロシア傀儡政権のアフマド・カディロフ偽大統領がチェチェン独立派の殉教作戦で爆死したらしい。カディロフはチェチェンの元ムフティ(イスラム法学者)。ロシア諜報機関・連邦保安局(FSB)のエージェント出身で、チェチェン民族と全イスラム教徒に対する裏切り者だ。第一次チェチェン戦争期にはドゥダエフ初代大統領の懐に潜り込み、チェチェン政府のNo.3に登りつめていた。今回は市民を傷つけることなく、市民の無差別殺戮を繰り返してきた侵略者の頭目だけを狙い定めて倒した作戦で、どんな基準から考えてもテロと呼ぶべきではない。
「チェチェン戦争はロシア国家がチェチェン市民を侵略、大量殺戮している戦争だ。」と常岡さんは言う。わたしは勉強不足なのだが彼は(たぶん)正しいのだろうと思う。
*1:松下昇『概念集・12』p23に言及有り