isbn:4480857621 『南京大虐殺は「おこった」のか』筑摩書房 1998
クリストファー・バーナード著
という本が図書館にあったので借りて読んでみた。
以下メモ。(ちゃんと説明するのに手数の掛かる本なので、分かりにくいままですまぬ。)
まとめ
日本の歴史教科書(特に日本史)は偏向している。
この偏向は責任の欠如や強制の欠如というイデオロギーを表明している。
このイデオロギーは日本国の権力保持者の面子を守ろうと努めている。
この本は、日本の高校で1995年に使われた全88種類の歴史教科書を全部比較したものです。
取り上げたのは、いつも論点になる、南京大虐殺、真珠湾/パールハーバー、815など4点。
テーマは書いてあることは事実か、という問いではない。文体レベルの微細な差異によって、受ける印象はずいぶん変わってくる。そのような差異を扱っている。
幸い、日本とほぼ同時期にドイツ・イタリアも開戦し、敗戦した。したがって、ドイツ等の記述と日本に対する記述を比較できるわけである。
教科書からのサンプル1
ドイツはオーストリアを併合し、1939年には独ソ不可侵条約を結んだのち、9月ポーランドに侵入した。p80
教科書からのサンプル2
日米交渉はゆきずまり、12月8日未明、日本軍はイギリス領マライに奇襲攻撃をおこなうとともに、ハワイの真珠湾に空から奇襲攻撃をかけ、アメリカ・イギリス・オランダに宣戦を布告した。これが太平洋戦争のはじまりである。p76
上では「侵入した」という攻撃を示す動詞が最も強調されている。
このような(広い意味の)「攻撃」が本動詞になっている場合が、日本の場合は9%だが、ドイツの場合は40%になっている。
後者の場合、前者と違い、国家ではなく軍が行為主体となっている。
軍が行為主体となっている率は、日本が49%、ドイツは19%である。
ポーランドに侵入した」という切迫した文章に対し、「これが太平洋戦争のはじまりである。」という文章は説話的である。「ストーリーを語ることから一歩下がって、時間を超越した全知の観察者の立場にたち、すでにおきたことについて論評しているのである。」
つまり、日本国や日本軍何れに対しても攻撃の責任はさほど明確に与えられていないし、攻撃は「主たる話」にはなっていない。p82
責任の欠如とよべるイデオロギーに結びついた用法のパターンが教科書に見られる。p82
(以上 メモ)