資料の位置

松下昇氏の『概念集・5』~1991・7~ から、「資料の位置」という2頁の文章を引用する。

資料の位置

 二十年にわたって集積した資料を、炎に変換する直前の視線で一瞬に読み直し、何か魅きつけるものがあれぱ、保存用の場所におくが、大多数は足許のダンボール箱に落とす。古書店で売れそうなものは殆どないし、チリ紙交換に出すよりは、パリケードの掃除の後でよくしたように焚き火の材料にする方がふさわしい気がする。この作業に交差する微かな後ろめたさの底の方に、一種の安心感があり、ああ、これが死者を忘却する感覚にも繋がるのだ、と気付く。それと共に、最後に総体を把握しようとする過程で初めてに近い衝撃で再会ないし発見する資料もある。

 この作業を何年おきかで繰り返してきた契機ないし目的を、現在の位置から考えると、

①そのままコピーして、新しいパンフレットの構成的な素材にする。

②現在の関係性の中で切迫している討論に媒介的に応用する。

③いま気付いていないテーマの感触を排反的に模索する。

というような項目に、とりあえず具体化しうる。

 とはいえ、この具体性は、作業の条件(とくに時間)を自分の意思で自由に設定しうる場合のものであり、この場合を

αとして対象化してみると、

βとして、移転の直前の荷物の整理や、自分の〈死〉後の資料の破棄を想定する場合

γとして、火災で燃え残ったり、家宅捜索で散らかった資料を拾い集める場合

を私は潜ってきており、これらの総体の中で現在の例えばαの手触りが存在している。

 いや、手触りさえ存在しない資料も存在している。何度かの刑事事件で押収されたものや、いくつかの占拠空間への強制執行の際に留置されたもの…。そして、まだ私が出会っていないものや、まだ表現していないもの…。

 このように列挙してくると、後であげたものほど非・具体性を帯びているが、その度合だけ気が楽になるのはどうしたことか。もともと私は、人間が持つことができるものは文字通り自分の手に持つことができるものだけであり、必要なものは必要な時に手にしうるものだ、と心のどこかで思い定めているためであろう。そのためか、初めて入る拘束施設で点検を受けた物品(概念集4でふれた五点セットや国家から貸与されたフトン・毛布が中心)をかかえて、看守に護衛?されつつ指定の独房へ長い何重にも施錠された廊下をよろめきながら歩く時などの感覚は嫌いではない。ある夜ひそかにUFOにn年間の旅に招待されて乗り込む時にはどんな(思考を含む生活過程に役立つ)資料を持っていこうかと今から楽しく想像している。何も持たないかも知れないが…。

 このような気分の中で扱ってきた資料群の変換~応用過程が批評集などの刊行であるといえる。また、このような資料の扱い方はだれにでも可能であり、この作業を自由におこない、それにより幻想的かつ物質的な生存を持続していけるような条件を共同体の水準で準備しうること、それが、まだ実現の遙かな困難の向こうにある共同体が(もちろん質と量の双方において国家を越えて)成立する基本条件の一つである、といいたい。

  1. …宇宙空間の生存に必要な条件-固定した重力場、空気、水、食料などの供給方法を含む-を(1)とし、監獄での対応条件を(2)とし、この落差~振幅を止揚しうる資料が資料の原像であり、その資料を作成する手段の欠如のままに無意識に同位相の資料を生きているのが〈大衆の原像〉(むしろ〈存在の原像〉)の条件であろう。
  2. …早朝の家宅捜索の際に、登校前の幼い娘のランドセルの中に重要な資料を投げ込み警察官の間から悠々と送り出したことがあった。娘に意味を伝える余裕がなかったので、学校で捨てたりしないかと段々と不安になったけれども、タ方ぶじに娘と資料がもどってきた。その資料は数年後の娘の誕生日のプレゼントに応用されている。
  3. …私(たち)が刊行してきたものを例外的に届けている人(相手も自分が本を出すと必ず贈ってくれる例外的な人である。)から、「いつも資料を送っていただき…」という礼状が来た時に、ああ、私(たち)の刊行してきたものは、本でも機関誌でもない、名付け難い資料なのだ、とあらためて感じ、カが湧いてきた。
  4. …前項では資料と表現されたことに異議があったわけではない。私自身も菅谷規矩雄追悼集に関して「60年安保闘争で詩的出発をした菅谷が、その後の大学闘争や三里塚闘争をくぐりつつ、いかにして表現の根拠を追求し続け、苦痛と発見の日々をへたかを、既成文壇・詩壇による形式的追悼を粉砕しつつ明らかにする資料。」と〈百字アピール〉している。(模索舎通信90年11月号、納品者による広告欄参照)また、78年に刊行した〈時の楔〉の副題も、〈 〉語に関する資料集であった。
  5. …菅谷に限らず、ある表現(者)を批評した人が批評の誤りないし不十分さを指摘されて資料が公開されていなかったからだと言い訳するのは誤りないし不十分である。なぜなら、資料が公開されようとされまいと潜在していた誤りないし不十分さが問題なのであり、また、資料は先験的ないし制度的に全ての批評者に等距離に公開されているのではなく、公開への模索の根拠の共有度が問題だからである。
  6. …獄中では房内に持ち込むことを許可される資料の数は制限されるから、制限以上の資料を読みたい場合には、ずでに手許にある資料を領置用の倉庫に戻す願い(!)を出さなけれぱならない。(不要な資料を廃棄する場合にも)         一方、私たちの日常における資料廃棄の衝動の一つは居住ないし活動空間の狭さであり、前記との関連でいえば、無意識のうちに〈獄〉での〈願い〉を出していることになる。本質的に考えれば、〈闘争〉に関する資料の整理~開示~応用は〈闘争〉に関する全空間~関係性の占拠を経てのみ可能であろう。このことへの原初的な言及として、批評集α篇1ぺージ参照。
  7. …しかし、最終的には、資料は、それを媒介して存在の次元を変換し深める場合にこそ意味をもつのであるから、この意味を越えて保存される必要はない。むしろ、二度と目に触れなくなる瞬間の直前に読み返す場合の印象のみが資料の本質を開示するのであり、この瞬間の資科と世界の関係こそが応用に値いするのではないか。

 いま資料を媒介してのべていることは、勿論なににおきかえて受け取ってもよい。その位置があなたと世界の関係を資料として開示するであろう。

p18-19 松下昇 『概念集・5』~1991・7~

碁を打つ女

 シャン・サの『碁を打つ女』isbn:4152085851(平岡敦訳) はなかなか名作だと思う。

 霧氷につつまれ、千風広場で碁を打つ人々は、まるで雪だるまのようだった。鼻から口から、白い息を吐き出している。縁なし帽の端から、小さな氷柱が地面にむかって伸びていた。空は真っ赤な夕日に染まり、螺鈿細工の輝きを放っている。沈みゆく太陽の墓場はどこにあるのだろう?

 碁を楽しむ人たちが、いつからこの場所に集まるようになったのかはわからない。御影石の小卓に刻まれた碁盤は、幾千もの対局を経て、いつしか沈思と祈りの表情を宿していた。

 わたしはマフのなかで青銅の懐炉を握りしめながら、血の巡りが鈍らないように足踏みをした。対戦の相手は、駅からまっすぐにやって来た外国人の男だった。戦いが白熱するにつれ、わたしの体もほんのりと熱を帯びてきた。迫り来る夕闇に紛れ、碁石が見えなくなってくる。唐突に、誰かがマッチをすった。男の左手に蝋燭が握られていた。(後略)

 匪賊はいくら追っても捕まらない。おかげでわれわれは、狼や狐たち相手に新年を迎えるはめになった。

 新雪が昨日の雪を覆いつくしている。敵が食糧と弾薬を使い果たすまで追い続けるのだ。

 支那北部の冬の厳しさには、筆舌に尺くしがたいものがある。あたりでは風がうなり声をあげ、凍りついた雪の重みで木々が折れた。樅の木は、まるで墨絵に描かれた墓碑のようだ。ときおり、斑点模様のある鹿がそっと姿を見せた。びっくりしたようにこちらを見つめ、逃げ出していく。

 一時間も歩くと、暑くて息苦しいほどになる。けれどもひと休みすると、たちまち寒さが外套のなかまで疹み入り、手足が凍えてきた。

 狡滑で土地勘のある敵は、奇襲を仕掛けてはすぐに身を隠した。わが軍は被害を受けながらも、持久戦をもちこたえた。

 疲弊に耐えた側が、この戦いを勝利者として終えることになる。

12

 新たな指令が届いた。匪賊たちの物資補給を絶つべく、村という村の納屋を焼き払うのだ。

 略奪にあった集落は、墓地のように陰鬱としていた。黄色い炎と黒い煙に包まれた家の前で、打ちひしがれた農民たちが泣いている。その声に混じって、ひゅうひゅうという風の音が聞こえた。

 この三ヵ月、われわれは雪に覆われた森にこもったまま、外部から閉ざされていた。兵士たちのあいだに、日々暴力が膨れあがっていく。みんな酒に酔っては、些細なことで喧嘩を始めた。どこまでも続く白と灰色、照り返し、果てしない歩みが、徐々にわれわれの精神を蝕んでいった。おととい、ひとりの伍長が服を脱いで逃げ出し、小谷のなかで気を失っているのが見つかった。われわれは伍長を縛り、首に縄をかけて引っぱらねばならなかった。かん高い笑い声と呪いの言葉を繰り返し聞かされ続けているうちに、私の頭まで同じ思いで共鳴し始めた。

 やがて狂気に取りつかれるまで、雪のなかを、雪にむかって、ひたすら歩き続けねばならないのだ。

 主人公は清の宮廷に仕えた家柄の少女。古い町の広場で男たちに混じって碁を打つ。それだけではなく、出口のない退廃の中で反日本軍国主義の幼い蜂起に傾斜しようとする若いブルジョアたちと恋もする。もう一人の主人公は侵略者、日本の若い軍人だ。彼は厳しい軍事行動のなかで暴力にむかって自己崩壊してゆく戦友たちをみながら、崩壊しない自己を持ちこたえる。

 女、男変わりばんこに短い断章が並ぶことにより物語は進行する。囲碁のようにこの進行は最後まで乱れない。*1主人公にとってたった一つの外部との通路は広場での碁だった。もう一人の主人公もここに引きつけられ、二人は碁をはじめることになる。

 戦いは上記のように簡潔に美しく書かれる。カフカのようでもあるが、フランスや中国文学の伝統にも負っていよう。匪賊(今で言えばテロリスト)と名指すことにより困難な戦いは始まる。「疲弊に耐え」戦い続けなければならない。周辺住民は付随的に家を焼かれ拷問される。満州での討伐はやがて中国全土に広がっていく。60年前に終わった戦争だが日本はまだそれを総括できずにいる。一方中国では、匪賊という言葉を使うことは、つまり現在の権威に通じる解放勢力としての位置づけを明示せずに使うことは承認しえないことであるだろう。ただいつまで経っても政治的話題であることはそのようにしか話題に出来ないことであり、多様な現実の一面だけを捉えることになってしまう。

 私と情況を越えた不可能を求めようとする者たちは恋を演じてしまう事もある。

*1:章数=奇数は女性の語り、章数=偶数は男性の語りとなる。

正義は遂行的に

N・Bさん

はじめまして。コメントありがとうございます。

「「正義」は論理的根拠としてではなく遂行的に現れるとすると、これは案外おおやさんの立場と近いのではないでしょうか?」

なるほどそうかもしれませんね。(従軍慰安婦問題とか言うと議論がすぐに感情的に過剰に対立的になる危険性があり注意しなければいけませんね。)

北田さんの「責任と正義」ですか。前から気になっていたのでこの際買ってみよう。わたしは勉強不足で、N・Bさんが前提にされているのであろう多くの本を全然読んでいません。(2,3冊読んだのは立岩氏くらい)

「「責任のインフレーション」(北田暁大)という事態が思わぬ反動的効果を現す」ということも分かったようで分からない。

梶さんやおおやさんと「共有してしまっている」何かがある、というのは、そうだと思います。ただ、「歴史からの反省」、というのがよく分からない。

孫歌と結託した溝口一派がいつまでものさばっているのが気にいらんというようなのはどこにでもある関係性なのかもしれないけど、学界外部にはほとんどないのでは?

わたしは全くの素人です*1。ただ、いまや戦争のことは誰も実体験としては知らないわけで、そこで声の大きい方が勝つ(大衆のイメージ操作に成功する)ということは事実起こってきていることだと思います。

緻密な議論は必要ですが、慰安婦あるいは兵士の声に耳をかたむけるという行為がまずは必要だということになるのではないでしょうか。傾けたからと言ってヒステリックな慰安婦主義者にはならないでしょう、だいたいそういう者がどこで実害を及ぼしているのかが、よく分からない。(わたしもあまりできていないが)

ぜひ、もう少し説明してください。

*1:デリダや岡野氏の文章の一部をむりやり引用して書いているだけで、それらの文章がふつうどう読まれているのか分かっていません。ですからコメントはとてもありがたいです。

北朝鮮難民受け入れ

日本は北朝鮮から難民を大量に受け入れる用意があると宣言せよ!

日本国民はその覚悟をせよ。

百万人程度ならさほど混乱も起こるまい。

そうすれば金正日体制は崩壊し、めぐみさんも帰ってくる(だろう)。

排外主義者たちこそがつねに隣の独裁政権を維持し続けることを洞察せよ!

日露戦争

 丁度百年前の日露戦争がどのような色合いで回顧されているのか知らないのだが、体験者の櫻井忠温の回顧などよりずっと口当たりのよい物語ばかりが反復されているのではないかな。

 JMM最新号に山本芳幸氏の「 ■ 戦争と人道支援 番外編「Fallujah 3」」にも、日露戦争の話が載っている。日露戦争は「有色人種が初めて白人と戦って勝った」話として、世界中の非白人の間に有名だ。有名なのは事実だし、日本人としてはそのことに誇りを抱いてしまう。

 でも本当にそうなのか。それが事実であるならそれと同じくらい下記も事実なのではないのか。日本人は英国の遠大な外交政策の道具の一つとして使われただけだ。

 日本は国家の生死をかけてロシアと戦った。ちょうど、オスマン・トルコの圧制から脱して自分達の国を作るために懸命に戦ったアラブ人のように。しかし、アラビアのロレンスは本気でアラブ人の解放を信じて戦ったかもしれないが、ロレンスもアラブ人もイギリスの道具に過ぎなかったのだ。ロシアと戦う日本がイギリスの道具に過ぎなかったように。

 ロレンス、アラブ、日本は、ロシアの南下政策を阻む強固な防衛線を築くための金太郎飴政策の道具であったということ、かつそれが主観的には国家の独立のための戦いであったという点で、20世紀前半における歴史の運命を共有していたと言えるだろう。

http://ryumurakami.jmm.co.jp/recent.html

 日本はアメリカと戦争して負けた。60年経って日本人はアジア人アイデンティティを喪失し疑似白人意識のまま、イラク占領に加担している。それでいて東京裁判史観粉砕とかまじめに唱えているつもりの馬鹿もいるから可笑しい。

山本氏のサイトとブログ。

http://www.i-nexus.org/yoshi/indexJ.html

http://yoshilog.exblog.jp/

プライバシーを抜き打ち検査

例えば、次のような記事になんとも思わないような社会では個人の自律性を説くなど画に書いた餅である。

警官不祥事防止へ「大切な人」同行 兵庫県警が写真携帯

 現職警官が強姦(ごうかん)致傷や加重収賄容疑で逮捕されるなど、昨年、不祥事に悩まされた兵庫県警が、全警察職員に家族や恋人の写真を携帯させて勤務にあたらせることになった。5日から本格的に実施する。勤務中は常時、携帯を義務づける。抜き打ち検査で所持しているかどうかもチェックする方針。 「大切な人を思えばこそ、仕事もきちんとこなせるはず」という狙いだが、現場からは「犯人を追いつめる危険な任務の時にはちゅうちょしてしまう恐れがある」といった声も出ている。 【04年1月5日 朝日新聞】

http://d.hatena.ne.jp/swan_slab/20050305#p1

こんな話は全然知りませんでした。「大切な人」などいないという人はどうなるのでしょう。というかそんな言い訳をしなければならないことが情けない。警察官であろうともわたしたちは勤務時間のあいだ職務に専念することとひきかえに給料を貰っているだけであり、存在丸ごとを組織に預けているわけではない。そうではないアプリオリに支配される世界に徐々に移行しつつあるというわけか?

実質的正義/法実証主義

ひとつのやり方は、戦後のドイツでみられたやり方で、事後的に、実質的正義の立場から、過去の”間違った観念や価値観”を徹底的に糾弾し尽くすという方法。例えば当時、ナチスドイツで、合法的だと思い、愛国心から夫の叛逆を密告した妻の行為を事後法によって断罪した。戦後ドイツにおいては、自然法の再生というスローガンのもとに積極的に罪刑法定主義(これも一種の自然法)が無視された経緯があります。この自然法への回帰は、日本国憲法にも色濃くみられ、国民主権は「人類普遍の原理」であり(前文)、人権は「侵すことのできない永久の権利」11条、97条とされ、憲法的価値観の相対化を拒絶します。

(スワンさん)id:noharra:20050321#p3

 「国民主権は「人類普遍の原理」であり(前文)、人権は「侵すことのできない永久の権利」11条、97条とされ、」憲法のこの思想には賛成です。わたしは絶対護憲派ではない(憲法1条削除派)なのですが。 

 法実証主義/実質的正義の背反という構図自体、法学に暗いわたしにはわかりにくいですが、実質的正義の名の下に、多数派の価値観による抑圧がまかり通ってしまうことへの警戒みたいな感じ、ですね。そういう問題意識は大事なのだろうと思います。

 もう一つの相対化の方法としては、「”間違った観念や価値観”を徹底的に糾弾し尽くす」とは云っても、それは結局(右翼的には)戦勝国の正義、(左翼的には)帝国主義者の正義にすぎないじゃないか!というもの。例えば現在アウシュビッツを言う言説に対しては、現在のイスラエルの暴虐を口にせずアウシュビッツだけ言うのはシオニズム寄りの態度だと批判することができる。(ちょっと話がズレたが要は間違いを名指す主体にも偏差があるという話。)

大東亜戦争の総括においては、竹内好の「対英米戦争は悪ではない、対中国戦争は悪。」という有名な発言があります。わたしは竹内のこの態度は基本的に良いと思っています。

「多数派としての」批判

terutell 『azamikoさんのブログに投稿したのですが、反映されないので、こちらに再投稿します。

azamikoさん、はじめまして。noharraさんのブログから来ました。

まるで2ちゃんねるみたいなコメントがたくさんありますね。

azamikoさんへの批判的コメントのなかで、気になるのは、おまえは少数派だ、ということを言い募るものです。

これまでしばしば、そういう態度を相手への批判非難に使う意見を、Yahooの掲示板でも、ブログでも、見てきました。おまえは少数派だ、サヨクだ、プロ市民だ、わたしは世間の多数派だ、良識派だ、常識がある。

この図式化にのっとって、相手を批判することに疑問を抱かない。

多数派であることにあぐらをかく。

こういう批判非難のしかたは、民主的だと思いません。信用できません。多数派であることが正しいことの証明にはならないのに、数をたよって相手をおとしめ黙らせようとする。そのことに自分で気がついていない。今のブログや掲示板に蔓延するサヨクたたきの大部分は、自分達は論理的で正しくて常識があるというだけならまだいいのですが、たいてい多数派だと主張する、そこに卑怯さ、醜さを感じます。』

(野原燐)

terutellさん コメントありがとうございます。

いつぞやは大変失礼いたしました。(911の直後のことです)

 azamikoさんの方も沈静化しつつあるようでまずは良かった!

今後ともよろしく。

今日は飲んでいるので

http://d.hatena.ne.jp/kamisamasedori/20050415#p1

楚狂接輿。歌而過孔子曰。鳳兮鳳兮。何徳之衰。往者不可諌。來者猶可追。已而已而。今之從政者殆而。孔子下欲與之言。趨而辟之。不得與之言

上記ブログで上のような引用があった。白川静先生の好きな微子第十八 ですね。岩波文庫p366。でまあ彼kamisamasedoriは、左翼が機会に乗じて靖国反対とかいうのがいかがなものか、と言っているようだ。ただ私から見れば、接輿から最も遠いのが靖国であり、儒教の<天>を裏切った非普遍性であるから、靖国はどちらからも馬鹿にされるしかない、のだが。

秩序の真の姿

  〈スト〉に入る契機自体よりも、一ケ月以上にわたるスト持続によって、一切の大学構成員と機構の真の姿がみえはじめ、同時に、自己と、その存在基盤を変革する可能性がうまれていることの方が、はるかに重大なのだ。(松下昇)

http://members.at.infoseek.co.jp/noharra/matu1.htm 情況への発言

 百人を超す死者たちを生んだ惨事は、わたしたちに少しの間、<秩序の真の姿>=おぞましいイジメでしかないものを公務と言いつのって恥じない倒錯 をかいま見させた。