カテゴリー: idea
中道右派 『>人を売国奴だの無知だのなんだのと罵っておいて、御自分に礼儀があると信じていらっしゃるところに心より憐れみを覚えます。
私もあなたに哀れみを覚えます。私のそのコメントの前に、『私はあなたから得るものは何もない』という、明らかな事実誤認ないし事実と違うことを知った上での印象操作または挑発(しかも覚えているだけで2回目以上)をしていたことが、私の上記発言を招いたことにお気づきにならないとは。
正直に言えば、あなたは私より歴史資料や歴史学説には精通されているようですが、それだけです。法的視点と政治的視点については、私の方が明らかに優れています。それは、ここの数少ないであろう読者には、明らかです。
>>喧嘩を買った?
バカを言いなさんな。あなたが勝手に野原氏を中傷したのが先でしょうが。私はそれを恥知らずの行為だと指摘したまでです。
それについては、ずーっと前に、野原氏にご容赦くださいと謝っております(1回目の誤謬)。あなたはそんな前のことを、しかも他人なのになぜか怒っているのですか?とても不思議です。しかも、私が最初に野原氏を誤解から批判した原因は、あの時は私の非が明らかだったので言いませんでしたが、野原氏が慇懃無礼に挑発してきたことにもあるんですよ。
そして、2回目の誤謬についても、私は自省の念を示したはずです。それでも蛇のように執念深く追及するなんて、やはり被害者ファッショの信奉者で、しかもそれは自分か自分がシンパシーを抱く者が被害者の場合にしか発揮されないという偏頗なものだったとしか思えません。
>それから「印象操作」という言葉が安売りなさっているようですが、それを立証したいなら陰謀論や「(歴史学の専門では全くない)『M2』もこう言ってるよ」みたいな「印象操作」は止めて御自分の力で積み残しを解決なさったらいかがですか?今のところ私の議論にあなたはまともに太刀打ちできていないことをお忘れなく。
また印象操作の繰り返しの天丼ですか。こういう断言って何回目ですかね?多すぎて数えられないかも。左翼系の方はこういうのが本当にお好きなようで、私もつい喧嘩を買ってしまうんですよ。未熟な限りです。
繰り返しますが、あなたが私に勝っているのは、歴史学的視点のみ。法的視点と政治学的視点では私が優勢なのは、ここの数少ない読者が、初めからあなたと私のやりとりを読み返せば分かるので、立証は容易です。
>このコメント欄はあなたの質問に答える為だけにあるのではありません。あなたが長文を貼り付けて容量をオーバーさせれば他の人は書き込めなくなるんですよ。そんなことも分かりませんか?
野原氏以外には、ほとんど私とあなたしか書き込んでいないブログで、他の方に遠慮する必要があるとも思えません。他の方からは、たまに短くて冷静な突っ込みが入る程度でしょ?
>「野原氏にアクセス禁止処分をされたもようです。今後全てのエントリにアク禁される可能性もあるかもしれないので、ここに最後になるかもしれない私の返事を書き込み、ウェブ魚拓もとっておきます。まさか、野原氏はあなたと同一人物で、自分で勝利宣言して直後にアク禁にして、私が逃げたと印象操作するつもりだったのではないでしょうね?」
>これが単なる質問?印象操作はそっちでしょうが(笑)
ん?適切な回答がなされれば不当な印象はすぐに払拭できるようにわざわざ質問し、その結果自分をさらに追い込んでしまったうかつなコメントを、印象操作ととる方がどうかしてますよ。印象操作ってのは、あなた方左翼が良く行うように、あたかも客観的事実であるかのように断言してこそ意味があります。こんなヘナヘナ質問コメントで野原氏やあなたに悪い印象なんか持ちませんよ。あなたが批判したように私の被害妄想と思われるのがオチです。
>ちなみに私は野原氏はアク禁にすべきだと思います。理由は大量のコメントを連日貼り付けてすぐに容量をオーバーさせ他の人がコメント出来ないから。
回答済みです。
>魚拓とりたいならとらせればいいんですよ。自分が勝ったと思っているなら自分でブログでも作って堂々と貼り付ければよろしい。出向きますよ、私は。
なぜあなたのブログをご紹介いただけないのでしょうか?
私は、アウェイで戦って勝つことが楽しいので、わざわざホームを作る気がしません。
>それからついでに。私へのコメントは私宛にして下さい。分かりにくいので。
そんな、野原氏宛てのコメントの内容まで熟読しないで下さいよ。しかも性格としては単なる独り言なのに、そんなところも読み落とさないとはw
その一方で、私がノーモア氏に直接宛てたコメントについては、誤解曲解が多いのはなぜなんだろう?
>http://d.hatena.ne.jp/noharra/20070318#c1174804311
ノーモアはなぜ論点のすり替えを追及しないかですが。
(1)まずご自分が論点のすり替えを行ったと認めるんでしょうか(笑)
(2)で、吉見氏が論点のすり替えをやったということを実証してください。
これもまた「検索」でしょうか(笑)
(A1)認めませんよ。あなたが私による論点のすり替えが多いと指摘したこと自体は事実で、そのことを言っています。私はそれを認めませんが。
しかし、あなたがそう指摘したものは、全て私にはこの問題の最終かつ完全なる解決を果たすために必要なものばかりです。
そして、へイデン法訴訟濫発と類似した状況が生じ得る危険があることは、実は誤りではないのです。あなたはまだ気づかれていないようですが、実はヒントはあなたの回答コメント自体の中にもあります。
また、それ以外のあなたが論点のすり替えと指摘したいと思われるほとんどの論点は、実は、あなたのコメントに答えるために必要だから言及した論点にすぎません。これも、私とあなたのやりとりを初めから読み返せばすぐに分かることです。
(A2)それまで議論されていなかった広義の強制説が吉見氏の『資料集』で初めて登場したという事実(私の知る限り)。
これに対する反証は簡単です。上記著作刊行以前に広義の強制説を主張した学説の刊行物を呈示されればいい。でも、吉見氏自身が、自分が初提唱者みたいなこと言ってるからなあw』(2007/03/28 14:14)
* ノーモア 『>明らかな事実誤認ないし事実と違うことを知った上での印象操作または挑発(しかも覚えているだけで2回目以上)をしていたことが、私の上記発言を招いたことにお気づきにならないとは。
明らかな事実誤認?どこがでしょうか?それが誤っている事を実証して頂けませんか?私があなたから新しく得た知識は何もないので私からすればそれは事実としか言いようがないのですが。また検索しますか?(笑)
>法的視点と政治的視点については、私の方が明らかに優れています。それは、ここの数少ないであろう読者には、明らかです。
は?どこが?私がいつどこで論破されたのでしょうかw確かに私は法律家ではありませんが。で、法と政治的「視点」であなたがどこで優れているのでしょうか?
>あなた方左翼
私が左翼であることを実証してください。印象操作極まれりですね(笑)
>私は、アウェイで戦って勝つことが楽しいので
ホームで負けるのが耐えられない人ということですね。
>必要だから言及した論点にすぎません
え?なぜ私が売国奴だの被害者ファッショだのと罵られその為の釈明を求められなければならないのでしょうか?それが必要な論点?
>へイデン法訴訟濫発と類似した状況が生じ得る危険があることは、実は誤りではないのです。
実に興味があります。では法的「知識」に優れた海老さんの講釈をお聞きしましょうか。
>それまで議論されていなかった広義の強制説が吉見氏の『資料集』で初めて登場したという事実
不十分ですね。吉見氏が最初に「従軍慰安婦問題はまさに慰安婦の官憲による強制連行の問題こそが核心(本質)である」という趣旨のことを述べていなければ「すり替え」にはなりません。さあ、お得意の検索をどうぞ(笑)
あなたの積み残しの「検索」をまとめます。
・ホンダ議員の真の意図或いはそれを伺わせる発言
・事実ではない・認めるには不十分であったがバーターで仕方なく認めたという政治家(ちなみにあなたの論法を使うなら対外的に責任とるのは首相クラスでないといけないようですから宮沢氏、百歩譲って河野氏となります。また韓国から打診してきた人間がそのクラスであることもお示しください)
・横田氏の言及しているNGO中韓のロビーであるかどうか
・私が左翼であることの根拠
・吉見氏が論点のすり替えをしたことの根拠
大変ですねえ。宿題を溜め込んでしまうとw』(2007/03/29 08:20)
* ノーモア 『あなたが「野原氏を中傷したのが先」というのは認めてらっしゃると、で、こうなったのも相手にも原因があると言い訳がましく責任転嫁しようとして(左翼にウイルスメール送られたことがあるとか←知らんがな)、案の定その後すぐに同様のことをやらかしたと。いや、何ともはや素晴しい反省ぶりで。またやらかすんじゃないですか?あなた。
>私のコメントを誤解曲解して断言したり印象操作をされることが多いが
あなたの書き方がまずいのかもしれませんよ。何しろあなたは最初「政府や軍が主体的に関与していなかったら、それは朝鮮人が多かったという業者の責任です。」と言っておきながら私が主体的に関わっていたことを示すと「公安(←ここは大爆笑ポイント)と風俗業者の関係と何の違いもない」と言い出して、ではどこに「公安慰安所」があるのかと突っ込まれれば、「解釈の違い」だと逃げ、「ゆーき」さんからツッコミが再度入ったら、今度は問題は法的責任の問題だとすり替えた。しかもこだわっていた「公安」のくだりは単なるミスで最初から法的責任の問題を言っていたのだと。
こんな議論をする人の意図を全て酌める人なんていませんよw』(2007/03/29 08:50)
356 Re:春の弱酸
山尾悠子さんは幻想小説作家ですが短歌も作っているそうです。
http://lapin.ic.h.kyoto-u.ac.jp/tanka/tanka20.html
よりコピペさせていただきました。
>>
角砂糖角(かど)ほろほろと悲しき日窓硝子唾(つ)もて濡らせしはいつ
腐食のことも慈雨に数へてあけぼのの寺院かほれる春の弱酸
吉本隆明について立岩氏が
次のように言っているのに共感しましたので引用します。
私は吉本隆明という人が言っていることの多くはわからないのだが、ただ、「「市民」にならねば」という強迫のないところ、基本的に政治は仕方がないからするものだという感じで捉えているところは、それでよいのではないかと思い、共感する。ここから見ると、そうでない立場もまた特定の立場のように、はっきりと見えてくる。http://www.arsvi.com/0w/ts02/2004026.htm
健常者の喜び
去年8月に踵に小さな魚の目ができた。魚の目って今まで体験してなかったので我慢していたら、大きくなりいつまで経っても痛む。体重が掛かるから歩くときけっこう痛む。市販の薬を貼ってみたりしたが直らない。仕方ないので医者に行った。3回行ったがまだそれは完全には取れずまた復活してきた。市販の貼り薬と自分でその部分をこそぎ取ることにより、最近やっと魚の目から解放されたようだ。嬉しい。
わたしたちは自分の身体が支障無く動いている時、それを当たり前に思う。障害や欠損は、それがないのだから、考えようがない。直ったすぐ後は覚えているがすぐ忘れてしまう。次ぎにどこが悪く成るのかは決定不可能だ。(若く運が良ければ何十年も出会わないこともある。)わたしたちにとって何が一番大事か、わたしたちは意識することができない。
東アジアの未来
mkimbaraさんに教えて貰った古田博司氏の本が図書館にあったので借りてみた。『東アジアの思想風景』isbn4-00-001917-1。面白かった。
「とにかくバラバラであり、バラバラであるにもかかわらず運命共同体とみなされる東アジアに我々は今住んでいる。そして、その宿命から逃れることは決してできないのである。安易に「儒教文化圏」を謳い、各々独りよがりの「中華」に耽溺していた時代は明らかに終わった。
これからは、各々が謙虚に他者について考える時代である。近代化という山を登りつづけてきた我々は、実はそれが無理な西洋化であり、「苦難の行軍」であったという事実に思いをいたすべきなのではないか。これからは一途に進むだけではなく、退く視点も重要であろう。」
小さな本とはいえ一冊、すでに消え去った東アジアの情緒をさまざまに経巡った後、これを読むと感慨がある。中国/朝鮮(韓国)/日本を併せて語る語り口をわれわれはまだ持っていない。(儒教文化圏言説というものは安易なものだ、という古田氏の判断を受け入れておく。)日本人は中国のことも朝鮮のことも何も知らない。まず知ることから始めるべきだという古田氏に同意する。現在、相互排外主義が増加している、これに敵対し抑圧していかなければならない。
北朝鮮食糧難
イラクについても北朝鮮についてもそこに暮らす庶民のことを知らず彼らに対して一切愛情を持たないから知ろうともしないままに、“国益”とやらを基準にいっぱし意見を言う人が増えている。もちろんわたしたちが日本人(や西欧人)を媒介にしないと、そもそもそこについて知る(なんらかのイメージを持つ)ことができないのは事実だ。だがそれはきっかけにすぎない。3人の日本人は解放されたが、ファルージャで死んだ数百人の女性や子供は帰らない。北朝鮮住民も困窮しているらしい。下記より一部抜粋しました。
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2004/04/09/20040409000036.html
「北朝鮮住民、配給制廃止で深刻な食糧難」
北朝鮮の一般住民が最近、国定価格(コメ1キロ当たり40~46ウォン)で食糧を購入できる「配給制」の廃止により、深刻な食糧難に陥っていることが分かった。
北朝鮮は2002年7月1日の「賃金および物価の現実化措置」以降、一般労働者に必要量の50%だけを食糧配給所を通じ国定価格で供給、残りは一般市場で購入するようにしていたが、今年3月からは必要量全量を市場で買わなければならなくなった。
最近韓国入りした脱北者によると、平安(ピョンアン)北道・新義州(シンウィジュ)や咸鏡北道・清津、茂山(ムサン)などの市場ではコメ1キロ当たり350ウォンから最高500ウォン(一般労働者の平均月給は2500ウォン)にまで跳ね上がり、住民たちが苦しんでいるという。
ファルージャはあらたなホロコーストか
http://homepage1.nifty.com/thinkbook/
ニューヨーク・タイムズは、4月30日、イラク占領米軍の空軍将校が前日29 日に証言した内容を次のように報道した。
「過去48時間に、F-15E 、 F-16 戦闘機、艦載機の F-14 、 F-18 戦闘爆撃機が36個の500ポンド爆弾をファルージャに投下した。日中はAH-1W スーパーコブラ・ヘリコプターが上空をホバーリングし、ヘルファイアー・ミサイルを撃ち込んだ。夜間は、AC-130武装ヘリコプターがイラク人武装兵を輸送中のトラックと車を攻撃した。――空軍は、民間人に被害が出ていることを承知している。」 人口10万の都市を包囲し、住民が避難することを困難にしたうえで、大量の爆 弾を集中的に投下したというのである。
学童保育の映画
今日は、「ランドセルゆれて」 http://ransel.com/ という映画を見た。つき合いといえば、つき合いで見たのだが、思ったより良かったので書いておきたい。学童保育とは、働く親を持つ子どもたちの豊かな放課後を守り続けるためのシステムです。そうした子供たちを集めある時間だけ居住する空間を確保し保護者の代わりとしての指導員が見守り一緒に遊ぶ、といったことをしています。
http://ransel.com/arasuji.htm(あらすじ)より、
今、さつき学童のみんなが夢中になっているのは三年のダイキとユウマの二人が校庭のはずれの池で見つけてきたトンボのヤゴ (名づけてダイマ) です。ダイマがトンボになる日が待ち遠しく、みんなは心待ちにしています。
トンボのヤゴの映像がたびたび挿入されるのだが、この映像が良い効果をあげていた。ヤゴは泥や有機物のもやもやしたものを身にまとってしまい、そこにいるのだがいっこうにはっきりしないのだ。そのはっきりしなさを映像的に定着しておりなかなかのものだと思った。子供たちのなかにあるいじめや登校拒否や反抗といった問題、親たちの失業や失踪、暴力といった問題、指導員自身親でありながら、仕事にエネルギーを吸い取られわが子に当たってしまうという問題、そういった諸矛盾の象徴としてヤゴの不鮮明さがあるわけだ。
http://d.hatena.ne.jp/noharra/20040518 でラファでの寺畑さんのボランティア活動を「学童保育」と書いてみた。日本では学童保育は多くは小学校3、4年までこの映画のように長くて6年までなので、中学生を相手にする寺畑さんのプロジェクトをそう呼ぶのはちょっと違うのだが。でも今日の映画の小さなクライマックスシーン。我が儘な子がいて、いつもブドウのゼリーしか食べない。その子が皆の説得とかによりついにミカンゼリーを食べる。第三者から見ると馬鹿かと思われるだろうが、彼がそうする一瞬を指導員たち、学友たちは息をつめて、見守っているのだ。反抗的なパレスチナ人の少年がその頑なさに隙を見せたときの喜び、を寺畑さんは話してくれたのだが、あれと同じだなと思った。
パレスチナのことに関われるのに国内問題には関わりがない、といった場合もあっても良いと思う。(そういうことがあるのだ。)ただ自分の子供のことを考えることが同時により大きな問題にもつながるというのは喜ばしいことだろう。
強制移住の補償
(1)今朝(8/21)の朝日新聞では、「ドイツ・ポーランドの強制移住者問題」が取り上げられている。第二次大戦の戦後処理でポーランド国境は大きく西に移動した。ドイツ人約1500万人がドイツやオーストリアに強制移住させられた。ドイツでは戦後、強制移住者に保証や年金として計約10兆円が支払われた。
(2)これに対し、規模はずっと小さいが八重山には「戦争マラリア補償問題」というのがある。
戦争マラリア問題とは、①「沖縄戦末期(一九四五年)、石垣島や西表島のマラリア有病地である山中に、軍によって「疎開」させられた非戦闘員である住民がマラリアに罹患(りかん)し、三千六百名以上の犠牲者を出した悲劇を「戦争マラリア」と呼ぶ。八十年代後半、当特の琉球大学教授・篠原武夫氏が「マラリア有病地への疎開は軍命による強制疎開だったとして、国に国家賠仁を要求する論陣を地元新聞などに発表した。一九八九(平成元)年五月、犠牲者の遺族、関係者らが国家補償を求めて「沖縄戦強制疎開マラリア犠牲者援護会」を結成した。このことにより、「戦争マラリア」は社会的関心事となり、新たな証言や報告が数多く寄せられるようになった。
②八重山(主に石垣島・西表島)における住民のマラリア有病地への避難は、敗戦間際の四五(昭和二十)年二月から六月にかけてであり、敗戦によって軍の解体、避難地から戻ることができたのが九月である。その間、三~六カ月の短期間で罹息者数が一万六八八四人、死亡者が三六四七人(死亡率二一・六%)の犠牲者を出した。*1
という事件のことである。当時の八重山の人口3万6千人のうち丁度1割が失われた。
沖縄強制疎開マラリア犠牲者遺族補償援護会が結成され(提訴はされなかった)7年後の1995年12月、一応政治決着した。(1)国は個人補償はしない(2)遺族の慰しゃ事業は県が措置する(慰霊碑祈念館建設に2億円、他1億円)という内容だった。
日本国は国の責任を認めなかった。「軍命による強制退去」の事実は公文書的証拠は残っていないものの、すでに各証言で明らかになっている。また「軍命」が発せられた状況証拠は存在するのである。*2
(3)後に大きな話題となる従軍慰安婦が最初に声を挙げたのが、1995年ではなかったか。その結果、<<告発する朝鮮人(あるいは中国人)被害者対日本国家>>という構図がより強く(大衆的に)浸透することとなった。(2)が明らかにすることは、被害者=非日本人というカテゴライズは正しくないことだ。(1)の例においては、ドイツ国家はドイツ人(ドイツ系住民)に補償した。また、国境を越えた補償請求を求める動きも、進んでいる。
戦争は国家が行うものであり、人民は被害を受けるだけだ。被害は民事的感覚で補償してもらうべきだ。もちろん相手は巨額すぎる云々といって値切ってくるだろうし、平時の常識による額は取れないだろう。問題は責任を取らせると言うことである。この問題に(変な)ナショナリズムを絡ませることは、国家の免責につながるだけだ。