沖縄戦の名誉毀損裁判は、やたら大勢の弁護士がついて、つくる会(自由主義史観研究会)と日本会議の組織あげての取り組みのようです。
沖縄集団自決冤罪訴訟を支援する会
http://blog.zaq.ne.jp/osjes/article/1/
自由主義史観研究会が取り組む当面の三つのテーマ
★全国大会★沖縄集団自決★教科書採択
代表 藤岡信勝
http://www.jiyuu-shikan.org/frontline/index.html
自由主義史観研究会
歴史論争最前線
カテゴリー: idea
独裁とは何か
異論があっても、誰もそれを声に出して言わない時代のことである。
【宮崎学氏の発言より】
自民党、公明党が衆議院の議席3分の2を支配した。
(略)
第58条 両議院は、各々その議長その他の役員を選任する。
2 両議院は、各々その会議その他の手続及び内部の規律に関する規則を定め、又、院内の秩序をみだした議員を懲罰することができる。但し、議員を除名するには、出席議員の3分の2以上の多数による議決を必要とする。
これが3分の2の議席占有の威力である。こうなるとどうなるか。
つまり言えることは、自らに逆らうものは、実体的に殲滅するという「論理」の純化がはじまる。自民党内にとどまらず、その矛先は民主党の一部にも向かうであろう。そうするとである、議員が「職業」、つまり就職としてとらえているような意識水準の議員はひとたまりもなく寝返ることとなる。
それでも抵抗する者には、難クセをつけて議員の首を切ればいいということになる。これは法的には何ら問題はない。
こうして、平成型翼賛政治が完了する。そしてこの翼賛は、社会的にはそれぞれ内部に問題を抱える、警察、検察が下支えすることになる。
まあ、ワシはこう見とる。
http://miyazakimanabu.com/archive/2005/09/20050914.htm 憲法第58条2項 ~スターリン党への変貌~
カン・ゴンさん処刑の危機
http://d.hatena.ne.jp/claw/20051004#p1 経由
北朝鮮に拉致された脱北者、カン・ゴンさんについて、アムネスティ・インタナショナルが緊急行動を呼びかけました。彼は北朝鮮の収容所の映像を入手して日本のテレビ局に渡したことで北朝鮮の工作員に拉致されており、処刑の危機に直面しています。(kazhik)
http://renk-tokyo.org/modules/news/article.php?storyid=124 RENK東京 – ニュース
カン・ゴンは、2000年に北朝鮮から逃れ、大韓民国の市民となった。カン・ゴンは、2005年3月に中国内で北朝鮮の工作員によって拉致され、北朝鮮に連れ去られたと思われる。彼は現在、首都=平壌にある国家安全保衛部の刑務所に拘束され、拷問または処刑の重大な危機に直面しているものと思われる。
アムネスティー緊急行動文書、UA240/05,ASA24/005/2005、北朝鮮「カンゴン氏処刑危機」和文
2004年2月にカン・ゴンは、咸鏡(ハムギョン)南道の耀徳(ヨドク)管理所(政治犯強制収容所)内部の様子をひそかに撮影した映像を日本のテレビ会社に渡し、この映像は同テレビ会社により放映された。これが、カンゴンが北朝鮮工作員によって拉致された理由の一つと思われる。
カン・ゴンは、国家安全保衛部の中堅幹部であったと思われ、上記の理由により、北朝鮮へ送還された後に、極めて厳しい処罰に直面することが予想される。(同上)
参考サイト:http://www.asiavoice.net/nkorea/ 朝鮮民主主義研究センター
彼らはソクラテスのように死んでいった。
換言すれば、ナショナリズムや愛国心というものは、対外交流を持たない排他的国民によって産出されたものというイメージとは全く反対に、グローバルとローカルの活気溢れる交流の産物、つまりコスモポリタニズムなのである。
(p3大貫恵美子『ねじ曲げられた桜』isbn:4000017969)
戦後左翼はナショナリズムや愛国心というものを一貫して、遅れたもの、マイナスの価値しかないもの、つまらないものと見なし続けてきた。*1しかしながらわたしたちの敗戦を象徴する<特攻隊員>たちの内面をかいま見るならば、それは嘘だったことが分かる。彼らはマルクス主義を含む世界のすべての知と美を吸収咀嚼しその上で<自己を死に与える>ことに赴いた。
本書の主要なテーマとなる学徒たちは、理想の世界に住み、真実や人生の「美」を追い続けていた。書き残したいずれも数百頁に及ぶ手記は、いかに彼らが当時のさまざまな思想潮流から影響を受けつつ人生の意義を追い求めていったのかを如実に物語っている。彼らは「近代化」と「近代の超克」を同時に挑戦し、また高度に発達した西洋の文明に憧れる反面で、西洋の文化的・政治的覇権に抵抗したのである。若さに特有の理想主義の立場から、「個人」対「社会」の問題に取り組んだ結果、たとえそれが死を意味するものであっても、彼らは「社会の一員としての責任」を果たす義務を負わなければならぬと感じ、悩んだ。彼らが徴兵された時には、日本の敗戦はすでに時間の問題であった。彼らはまるで最後の衝突に向かって恐ろしい勢いで降下していくジェットコースターにむりやり乗せられたようなものであった。死が間近に迫り、自らの人生がまだあまりに短いものであったことに気付いた時、「生きたい」という願望が強烈な勢いで、まるで身心を引き裂くかのように走った。(略)政府のイデオロギー方針を支持し、自分自身を納得させようとしているかと思えば、その全てを否定しようとしている箇所も見られる。(略)彼らは知的探求に対しすさまじいまでの情熱を持ち、広範囲にわたって古今東西の哲学や文学の名著を貪り読んだ。 (同書p6)
彼らの読書リスト(著者名だけ列挙)
アリストテレス、プラトン、ソクラテス、キプロスのゼノン、カント、ヘーゲル、ニーチェ、ゲーテ、シラー、マルクス、トーマス・マン、ルソー、マルタン・デュ・ガール、ジイド、ロマン・ロラン、レーニン、ドストエフスキー、トルストイ、ベルジャーエフ、シュバイツァー・・・原書で読んでいる者すらいる
田辺元、保田與重郎、宮沢賢治・・・
(この本の巻末には40頁に及ぶ「特攻隊員4人の読書リスト」計1355タイトルが付いている。)
*1:一方で、自らの価値観=平和と民主主義にそった国家建設を推進しようとしながらも、それは愛国的とは呼ばれず、愛国的などの言葉は戦前回帰的臭いがあるものに限って使われた。
六甲 第四章
かって六甲山上には、いまの神戸大学付近と摩耶山天
上寺付近に砦があり、南北朝時代前夜の戦乱にまきこ
まれたが、六百年以上も前、東の砦へ押し寄せた六千
の六波羅軍を、摩耶山の西の砦へ逃げるとみせかけて
曲りくねった谷間へ誘いこみ、一気に襲いかかって全
滅させた。
* 第四章にむかってにじみでる〈 〉の運動をメモしていこう。
あるいは同じことだが、〈 〉の運動を展開しようと考えるときにじみ出るイメージの変移を促進しよう。この促進が通過する道の標識には、次のような言葉が書いてある。
変移の徹底化。主体や文体の不定化。可逆関係の拡大。発想の枠が交換可能になって、走りまわるようにせよ。循環、往還、ジグザグ状、ラセン状という風な運動方式の軸そのものが揺れるようにせよ。
飛び去るメモの例……
かすかにきしむ音を立てる霧につつまれはじめた油コブシ。海賊船の船先。
子宮の重量と共に増えている諸関係。何ものかのへの届出用紙。
日付の順序を狂わせても解読できる文書。非合法活動の他領域での応用。
行為の同時性だけでなく、論理の同時性を示している 接続詞indem……その誤訳。
大量の紫外線の照射をうけて、他の菌の染色体をつかんだまま亡命するヴィルス。
快活な対話者の内部で、無関係に機能している腸管たち。
海と山にはさまれた細長い都市を並行に走る鉄道の同じ名前の駅。著明な丘の反対側に位置する同じ名前のレストラン。
自分では知らないまま、暗い湾をとりまく光の帯を形成している都市下層住民の灯。
非人称の風に、ひびの入った頭蓋のようなバスからはみでた不安をさらしている到着者と土着者。
孤立しているために突入し、埋没する儀式。
街が、そのかかとで軽く踏まれるために作られた夕焼け色の靴。
統一行動に関する二派の乱闘を、それぞれの党派についても、それらと自分との対比においても、トッカータとフーガのように聞くこともできる二種類の構成メモ。
このようなイメージを、自在に、また制約されて変移させていくとき、それらが、別の時間=空間のリズムをもつ境界を訪れていると仮定してみる。異質の領域をα、β、γと名付けておくと、いまでは無意識におこなわれていたα、β、γの相互の対話や劇を意識的につくれるようになるかもしれない。
情熱の形式が変移し、所属組織が分裂し、生活基盤が複雑化するとき、たとえば
α1→←α2 β1→←β2 γ1→←γ2 と対比でき、
α1→←β0→←α2 γ1→←β3→←γ2 という風に中間項を媒介することもできる。
ぜひとも、いつか、γをあえて無視してαとβを公差させねばならなかった状況と存在をかきたい。γから切断することで、ある意味ではαとβがより深く衝撃し合い、それによってγの瞬間的位相をぐらつかせたが、γの持続性に復讐されることになった。しかし、その問題をはじめて提起しえたのは、αとβのみに賭けたからであるという逆関係の苦しみを忘れてはならない。
* ある時間=空間の重力偏差をもってα、β、γという系をつくってきたとして、それを普遍的なα、β、γの系に変移させることが必要ではないか。
また、それらの項を区分する根拠をあいまいにして放置しておく態度は、たとえば、関係としての被告団を内包する、と語っただけで放置しておく態度と同じである。おそらく、そのことが、被告になる意味であり、この非合法性をとらえかえし変移させなければならない。
そうでない限り、6・15被告団とは最も異質な六甲空間へこの発想を投げこむ意味は大きいとはいえ、発想だけで自己満足してしまい、αをβで、βをγで、γをαで批判することによって、逆に全ての欠陥を内包してしまう。
〈 〉変移のとどかない部分に光を当てよ。岬の灯台に打ち寄せる鉛色の波へ。
まず、〈 〉変移につきまとう、自己増殖的な幻想性の根を断ち切れ。その幻想性を生んだ関節をバラバラにとき放てば、その関節と同じ時間にいたものたち……
虐殺されたもの
イデオロギー的批判で組織的に切り抜けたもの
その関節を無視したもの
知らずに生活し、病み、死んだもの
なしくずしに利用しはじめたもの
叙情的に旋回しつつあったもの
などの時間的変移をさぐることによって、別の主体の運動に入りこんで行ける。
次に、この〈 〉変移の幻想性を、ここで、いま、とりかこんでいるものたち……
事実性にしがみつき判断するもの
恐れや反撥をアルコールで緩和するもの
かかわりのない領域だと無視するもの
組織活動に免罪符を求めるもの
などの空間的変移をさぐることによって、別の主体の構造へ入りこんで行ける。
そして、この操作を、ちがった関節、ちがった幻想性についてもおこない、いわばβ領域からα、γへも変移させる。
* 油コブシに〈 〉をつけはじめている……と書くとき、それは序章から第三章までに〈 〉をつけていくことと、第四章以後に〈 〉をつけていくことの二重性を含んでしまう。この二重性を、どのように越えればよいのか、まだ分からない。
〈 〉をつける箇所や、〈 〉をつけてから変移させていく方法が、さまざまに変移していくことへの不安。ある箇所、ある方法へ決断した場合、他の場所、他の方法の疎外の上に立って決断したのだという重さ。
二重性を含んだまま、〈 〉の変移を可能な限り展開していくことが第一段階。
必ず、これに対する粘着的な抵抗が生まれてくるはずだが、その抵抗力のかたちを分類し、そのまま〈 〉の変移の新しいかたちとして組み入れていくのが第二段階。
このような操作の外部から加わってくる圧力も同じようにして組み入れていくのが第三段階。
おそらく、待ちかまえている抵抗力は、序章から第三章までの空間的な表現へ〈 〉をつけるときに現われ、待ちかまえている圧力は、第四章以後を表現する時間的な契機へ〈 〉をつけるときに現われるだろう。
この予想は、いま不意に襲ってきたのであるが、〈六甲〉の表現が内部から裁かれていく過程を逆転したい。
何ものかの挑発に乗ってしまうかもしれないけれども、序章から第三章までの表現からひびいてくる時間のリズムと、第四章以後の表現から立ち昇る空間の匂いに〈 〉をつけて交差させてみよう。これが、新しい罪を、打ち寄せる波のように引き寄せるであろうことを予感しながら。
ところで、いま、虹がかかっているよ、といって通り過ぎるのは何ものか。〈 〉からはみだしていくものたちか?
* 何ということだ! 表現についやす以外の全ての力を注いでいた試み……失われた時間=空間の意味を、油コブシの見える闇の中でとりだそうとしてきた試みが、他者から舞いこんだメモによって中断されている。他者が、メモの裏側へ自己を引き離そうとして、祈りに近い決意を示したために。
完了形の胎児と未完了形の胎児が同じ運命に陥ることを怖れているのだ。
第四章へのメモをかいていく気力がない。物象が反乱する。情念が錯乱すると、物象がそのすきにつけこんでくる。
完了形と未完了形にはさまれて、いままでのメモを支える場が不安定になっている。〈 〉を用いて表現しようと試みたとき、思いもかけない方向からやってきた〈 〉が、表現しようとする意識をつつみこんでしまった。
もはや、第四章をかくのを放棄してもよいと覚悟して、他者からのメモから、完了形と未完了形にはさまれたまま、しぼりだされてくる触感や声をかきとめておこう。
最も美しいときに開かれるメモ、あるいは眼。
血族の住む洞窟へ予定より早く帰ったとき、日没までの空が、じっとりと汗ばんで、青いまま変移しない。
港内遊覧船の上で、工場廃液のしぶきを浴びながら、あえて山肌に触れない感覚を皮膚の裏側へ蓄積する。六甲は反対側へ変移しても、太陽や星はついてきてくれる。
静か過ぎる風景に吊るされたために、塔の風鐸が微かに独語する。この都市のマークは六甲の弯曲と防波堤の弯曲を交差させてつくってある、と。
傷ついたようにけいれんし、上から抑えるのでかえって異質な触感を固定してしまう手。
たぎりたち、消え去り、しかも世界の体温を未完了のまま交換してしまう舌。
中絶の時間=空間が挿入されたのは、再起と深化のためにはよいことなのかもしれない。しかし、これは地下水道からの放棄の中絶と無関係ではないはずだ。
* いままで走り書きしてきたすべてのメモにまつわりつくすべての〈 〉を払いのけたい凶暴な衝動にとりつかれている。しかも、もがけばもがくほど〈 〉が何重にもからみついてくる。
ちぎれて散らばったメモ……無人の高山植物園でも、こんな風に、まるで、ばらまいたようにタンポポが咲いていた……を拾い集めて、〈 〉を抜けだす意図を捨てたようなふりをしながら、さまざまな〈 〉の根拠をさぐってみよう。
〈 〉が生まれてくる契機は、ほぼ次の三種類に分けられる。
α、〈 〉の変移を徹底化しようとするとき。
β、αの運動に対する表現内からの不安を放置するとき。
γ、αやβの運動に対する表現外からの不安を放置するとき。
ここで用いるα、β、γの記号は、前のメモで用いた記号と同じではないが、意識的に錯乱をひきおこすつもりで同じものを用いる。
α、β、γのいずれも、何ものかが〈 〉から疎外されようとしているときの回復の衝動から発生している点では同位である。けれども、〈 〉の運動は、それなりの必死の必然性をもっているのも事実なのだ。
いま、疎外されようとしているときの回復の衝動と書いてしまったが、比喩的に次の文をかいておきたい。
α、β、γが、たとえば政治の領域において、相互に、時間的脱落感、空間的脱落感、組織的脱落感をもっているとして、これらの脱落感は同位であり、どれか一つに拠ることも、循環することも虚しい。
このような関係が、政治の領域だけにとどまらず、全ての存在をひたしはじめていることこそ〈 〉の発生の根拠であろう。
α、β、γは、どんな危機にあるのか想像してみる。
それぞれの間に、変移しない一種の双極性があるのではないか。たとえば、ある一つの事件の因子だけでは倒錯した現代史に触れられない場合のように。
双極性は、求心力と遠心力に似た、一方だけでは運動を論じられない因子をもっているらしい。
それらが統一されないことが危機なのであるが、この危機は、徹底的な模索と状況の転換が一致した場合にのみとらえられてきた。
しかし、その場合、危機がとらえられたのは、ある一つの事件によってではあっても、その危機への問いかけは、歴史的な形でなく、本質的な形をとってくる。
α、β、γが、この危機の部分をとらえていながらも、全てを自己の責任として引きうけられないまま放置することが、〈 〉の根拠であるし、このメモを超える表現が不可能になるかもしれない理由である。
遅れからの復帰は、遅れそのものの中にある時間的=空間的な責任の力学をつつみこんでくるとき、はじめて許されるだろう。逆に、そのときはじめて、復帰すべき対象が実現されるのだ。
*このままでは、生きた形象は、生まれてきそうにない。メモをかきはじめた段階と同じように、表現したい意識と、したくない意識の間隙に、あるいは、かいてきた表現とかいてこなかった表現の間隙にはさまれたままである。
第四章を書こうとする試み自体が〈 〉に入ってしまう時間がやってきた。あるいは〈 〉からこぼれ落ちる時間からはさまれている。
けれども、むしろ、その時間に突入しなければならない。そのことによって時間をひきよせるのだ。ちょうど〈六甲〉をひきよせてきたように。
第四章を展開しようとするときのメモ、この項をも含めて全てのメモに〈 〉をつけていこう。そして、六項のメモたちよ、汝らのメモ相互の間隙に生成し崩壊するドラマをかいま見よ。時間=空間の責任の力学を追求するために、自らをメモとメモをつなぐ間隙とは直角の方向へ参加させながら。
(2009.09.06UP)
存在の根底的な揺れを覚えずに
3:ちなみに、この喩えを持ち出したことに、アポロは月に行っていない論を主張なさる皆様を貶める意図は御座いません。あくまで喩え話です。
3/21 まず、ここをお読みになることを
中道右派 中道右派 『http://blog.goo.ne.jp/pontaka_001/e/af4531aa5c4741cac16c64c16fdd1467
まず、ここをお読みになることをお勧めします。
数回の連続で、素人にも分かりやすく書かれています。
コメント欄は玉石混交ですが、鋭い意見もあります。
法的責任と道義的責任の区別を、まずはよく考えてみることをお勧めします。』
noharra noharra 『>>>法的責任と道義的責任の区別を、まずはよく考えてみることをお勧めします。
道義的責任を定義、提出する主体を、きみたちが一貫して用意できない、かろうじて成立したものを潰してしまうのが問題なのです。かわいそうな日本!
「区別を、まずはよく考えてみることをお勧めします」は議論の放棄ですね。よっぽど自信がないのか。』
中道右派 『>で、今度はホンダ議員の「事実誤認の有無」ですか?議論のすり替えを何度行えば気が済むのでしょうか。もとの論点とは似ても似つかない論点になっていることが分かりませんか?
議論のすり替えと思ったのは、あなたの誤解ですよ。
あの決議案って言うのは、4項目の上に色々書いてあった事実関係を客観的事実と認めて、その上で4項目を要求するという内容です。
仮に日本が決議成立後にこれにしたがって国会決議をする場合、法的拘束力は無いので事実関係についても当然受け入れなくてもいいんですが、ホンダ議員らの意図は、あの事実誤認だらけの内容を事実と認めて謝罪し将来の教育もしろということですよ。日本独自の事実認識に基づく新たな謝罪をしたら、ぜんぜん法的拘束力は無いのにおそらくまた叩かれる。本当に事実関係部分が真実だと思い込んでいる節があるというのは、ホンダ議員はいわゆる売春婦的慰安婦は他の国にもいたが奴隷制的慰安婦は日本だけだという差別化を報道で強調していたんですよ。この報道はソースが必要かもしれないのでこれから検索します。
>ただしそれについて散々それを台無しにするような発言が繰り返されてきた経緯も御存知ですよね?ホンダ氏も諸外国もそういう経緯を知っているんですよ。だから「曖昧でない謝罪を」と言っているんじゃないですか。謝罪というのは加害者が頭を下げた回数で決まるんじゃないんです。謝罪は一人じゃ出来ないんですよ。
これは本当に安倍首相のうかっりうかつ発言の悪影響。発言するなら練りに練ってから発言すべきでした。揚げ足を取られるようなら河野談話修正は言い出すべきでなく、事実関係の再調査と文言案が出来てからにすべきでした。それに米左系マスコミの歪曲報道でダブルパンチ。
>まあ加害者が犯罪被害者に謝るとき「俺には俺なりのやり方があるんだ」と言いだして謝罪が成り立つかといえば、その可能性はゼロに近いでしょうね。
そうかも・・・国家犯罪の問題と思われている点が、世界的に蔓延している誤解でしょうね。
この問題の本質は、法的には救済不可能な事例を道義的見地から救済した、ということだと私は理解していますが、おそらくマスコミでは世界的に賛同者は少ないでしょうね。
>私だけの主観ではありません。それは諸外国でも「日本の謝罪は曖昧だ」という認識の方が多数派なのでは。。今回安倍氏が「謝罪しない」と言った時の諸外国のメディア・政界の人たちのあまりの反応にこれまで「日本を悪く言うのは特アだけだ」と言っていた人たちがうろたえていたのを見て不謹慎ですが笑ってしまいました。まあこれは蛇足ですが。いずれにせよ謝罪は一人では出来ないという「リアリズム」に立ち返って欲しいものですよね。
同意せざるをえませんね。犯罪解決ではなく道義的救済だという本質(私見)を世界に伝えるには、大変な労力が必要かも・・・
>>町山氏のブログ
>知ってますよ。しかしそれが今回の件と何の関係があるのか私には全く分からないので正直困惑してます。
批判や責任追及は、あくまで正確な事実に基づいてすべきであって、インチキ=事実誤認をほうっておくと大変なことになり、一旦広まった世界的一般的イメージは修正するのにものすごく労力がかかるという点で、天安門事件と慰安婦問題のそれとは、共通すると私は思っています。あなたは事実誤認は無いという立場かも知れませんが。
>>先に外交信義を破ったのは韓国側なのだから、日本だけ墨守することを押し付けられるいわれはありません。
>これもよく分からないんですが詳しく経緯の御説明を願います。
それでは、説明のために必要なソースを検索してきます。
しばらくお待ちを。』
算数
突然ですが算数の問題です。
ある整数で、61,89,161をそれぞれ割ったときの
余りの和は38になりました。ある整数を求めなさい。
分かった方はコメント欄に。