水俣病は語りうるか

 そン頃はな、チッソの安賃闘争(昭和三十七年の反合理化闘争)が終わってしばらくした頃じゃったで、工場も町も部落もメチャクチャ荒廃しとった。会社行きが第一組合(合化労連)と第二組合(御用組合)に分裂(わかれ)ちゃって、部落づき合いや親戚の間まで「一」と「二」に分裂させられて、そもそも出月の部落自体が狂ってしまったじゃもん。なんもかも薄ら寒い季節やった。生活保護が打ち切られてなぁ。母ちゃんの荒れて荒れて誰も手のつけようがなかったっじゃ。家がつぶれかかって、借金がかりられなくて、それだけ気になってたんやろなあ。母ちやんの何かあったなて思て、フスマ開けたら、ぶわあ~って吐いたもんな、焼酎一升五ン合分のヘドば。六畳いっぺえ吐いたんだよ。

 家ン中は暗くて昼も電燈つけてたから、そン薄暗い部屋いっぺえのヘドの中でのたうってる母ちゃん見てたら、俺もオエーッとこみあげてきた。鬼じや。鬼じや。もうこの世の者とは思えんかったよ、そン時の顔は。ああ、この野郎さえ居なければ……。俺、もう我慢出来んかったもね。ぶち殺そうて思て、首しめたったい。母ちゃんの、飲んで部落歩くどが。それ止めさそうて思たわけたい。その事でどっだけ俺がつらい目みとるか知っとるのかぁ。「お前(め)が母(か)ちゃんな、化物(ガゴ)じゃがね」「ガゴン子じゃがね」ち。みんなから囃されて誰一人寄りつきもせんじゃないかぁ。止めさそうて思たら、転落(ころげ)らったもん。ころげた拍子に頭ば打って、泣いて吠(おめ)くとたい。「親ば殺そてしたあ~Z」(笑)。父ちやんのす~ぐ飛んで出て来(ご)らって、もう足の立たん如(ご)つ殴(う)ちまわされてね、そこに爺ちやんの来らって、今度あ爺ちゃんと父ちゃんがケンカおっ始めて……、メチャクチャ、あの日は。

 俺ぁバタバタ便所ン中に逃げ込んだけど、父ちやんな一日中便所の出口で番しとらっった。光童園(町の孤児院)さたたき込んでくるる」ち。「親ば殺そうてした。末恐ろしい……」ち。小坊主やみなし子が修業してるだろ、光童園で。恐ろしくて出て行かれんかったよ。便所ン中からカギ閉めて、父ちゃんの寝らってから出て来た。まああの臭え~所によく一日もしゃがんでいられたもんだなあ、俺も(笑)。

 しかし、人間ちなどうゆうもんかね。母ちゃんな饅頭に毒入れてもう一家心中せんばんてブツブツ考えながら、焼酎飲んどらったちがな。それがお前、自分が実際首しめられたら、「助けてくれ~ッ」じやろが(笑)。

 んで、この俺が首しめて母ちゃんの目ば覚まさせんば、俺達一家は全員毒殺されとったかも知れんとたい。ヘン、ざまあ見やがれってんだ。

 とは言うものの、これを手始めに親をぶち殺そてしたのは、二度や三度にゃとどまらねえてんだから、我ながら嫌ンなるぜ。

p36-38『下下戦記』(吉田司・文春文庫・515円+税)

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4167341026/249-0324697-0483570

国家あるいは、一般社会との関わりにおける、水俣病とは何か?は 下記でスワンさんが見事にまとめている。文章の順番を年代順に変えました。

1)1968年、国が「チッソ水俣工場の排水中の有機水銀が原因」との公式見解発表し、公害病に指定するまで、チッソの工場廃水はたれ流されていた。

2)熊本水俣病の裁判闘争のはじまりは1969年だ。「今日ただいまから、私たちは国家権力に対して、立ちむかうことになったのでございます」と患者らが立ち上がって

3)そして2004年10月の今日、最高裁がようやく国家の責任を肯定した。

59年には行政は企業の排水をやめさせるべきだったと最高裁は判断した。半世紀近くもたってやっとね。

http://d.hatena.ne.jp/swan_slab/20040613  はてなダイアリー – +   駝  鳥    +

 それに対し、上の発言は胎児性水俣病患者(である)敏(とし)くんのものである。 『下下戦記』という本の「下下の下下、下下の世界の……」という章にある。ゲゲゲの鬼多郎みたいなタイトルみたいだが、人間でありながら化物(ガゴ)そのものであった我が母と我、を語った文章だ。下下とは貧困である。貧困つまり貧しさとは何か,誰でも知っている、だが本当に知っているのか、少なくとも私は知らない。生まれ落ちた瞬間から愛情に包まれて育ち、人並みの屈折は経験しつつも安定した生活を踏み外さずに生きてきた。バタイユやバロウズや松下昇など趣味で読んでいただけだ。*1

それよりなにより、俺が母(か)ちゃんたい。ありゃもう人間じゃなかったもん。神経(気狂い)と一緒ッ。ひーどかったなあ。もう毎晩のように飲んでてなあ。焼酎でも飲まんば水銀で脳ン中がジリジリジリジリ焼けて来てしょんがなかったっじゃもん。で、飲めば終(し)めえさ。魂のどっかへうっ飛んでしもて。ウォンウォン泣きながら外にさまよい出て、あっち行ったりこっち行ったり、うろうろうろうろ。もぉ夜中の四時頃までも部落中吠(おめ)て歩(され)く。歩くともつか~ず、走るともつか~ずッ。下駄なんかどっかうっちゃらかしてしもて。裸足で。髪なんかバッサバサにふり乱して。そっで誰かの家の戸でも少し開いとろうもんなら、突然そっから押し入るわけたい。飯を食っとろうが、お客が来とろうが関係なしにあがり込む。大声上げてよお~ッ。「昨夜(ゆんべ)、道で俺(お)が悪口ば言いおったろがあ~」ち。「奇病、奇病ち馬鹿(ばけ)えすっとかッ、んなら、お前が責任ばとれ~ッ」ち。「元ン身体にしてもどせえ」ち。(p34-35 同上)

敏の存在様式とわたしのそれは交差しない。わたしは文章を転記したが、そのとき何が出来て何が出来ないのか?

 狂った母がいる。だが父や祖父とてそれより上のレベルに立ち母を牽制することはできない。幼い敏はなおさらのことだ。だが幼いといっても、「俺、俺だって引き止めるよ、人前ちゅうもんがあっだろ、子供心にも。」といった自覚くらいはできたのだ。そうした日々が続き、敏は少しづつは大きくなる。「一家心中」をブツブツ唱える母を呪いながら。学校で「化物(ガゴ)ン子」と囃されながら。そしてある日、母が畳みいっぱいに吐いたとき、今まで溜まっていたものは殺意となって噴出する。「ぶち殺そうて思て、首しめたったい」といっても子どものことである。大人が本気になったら跳ね返せるのではないかと思うが、母は予想外のことに戸惑い転けてしまい頭を打つ。そして父、祖父を巻き込み暴力の水位は容易に下がらない。そのように<へど>にまみれた生の時間があった。

 それに対し、法的言語というものは、現実を、「Aは水俣病として認定しうるが、Bはそのカテゴリーからはずれる」、といった書類上に記載しやすい現実に翻訳することしかできない。極めて限られたことしか出来ないにもか変わらず、それでも成果が得られれば、それは極めて大きい。やはりなんといってもそこでいちおう「正義」というものがどこにあるのかが示されるのだから。法的言語、マスコミ言語、そして科学的言語や支援者の運動言語それぞれ力を持っている。しかし、それらの言語で語りうるものはいずれも氷山の一角であり全てを合わしても極一部でしかない。当事者つまり患者の身体のなかには、それでは語り得ないものが「ヘド」のように悪臭を放ち高温を発し渦巻いている。

 語り得ない領域といいながら実際上に語られている。しかしそれはそうであるかのように見えるだけだ。表現者=敏が物として語る言葉を、読者は暗喩として理解するそうした誤解によって、あたかも表現が受け渡されたかのような幻が生まれるだけだ。言説として成立していない。

 読者の側からは、例えば次のような評価が生まれる。水俣がわたしたちの歴史においていつまでも語り継がれなければならないのは、既成の諸言語とは違った<他者の言語>つまり<患者の言語>をうち立てた、点にある。この点で石牟礼道子と並んで、この本の著者吉田司氏の功績は圧倒的である、と評価していいのではないか。しかしそのような評価はそうも言えるというだけのことである。*2

 わたしとは何か?私のうちにも<悪臭を放ち高温を発し渦巻いている「ヘド」のごときのもの>が存在するのか?と問うことができる。というか、その問いに出会わなければ書き始めるべきではないのだ。

 なお、「へど」とは辞書によれば「反吐・嘔吐」「一度飲みくだしたものをはきもどすこと。またそのはいた汚物。たぐり。たまい。」とある。

*1:松下についてはそう言うことは禁じられているが。

*2:もちろんわたしはこちら側に立っているので『下下戦記』は名著であるので復刊させないといけない、と強調しておきたい。

華やかなクリスマスのイルミネーションとキリスト教の愛は何の関係もない。キリスト教の愛は、酒鬼薔薇を愛せるか、という不可能性に存在する。

NHK・ETV特集から消された戦場の証言

NHK番組改ざんに抗議する!

政治圧力によって消された 

元兵士による戦場の証言

は下記で読めます。

http://www.ne.jp/asahi/tyuukiren/web-site/syougen/nhk_special.htm

一部引用する。

元陸軍伍長・金子安次さんの証言*1

――こうした証言をするには勇気が必要ですね。

 撫順でもこの強姦の問題は深く告白をしたわけではなかったんです。というのは、強姦というのは表面に出にくい問題で、管理所側は証拠がない問題は追及をしませんでしたから、強姦の問題は黙って済まそうと思えば済ますことができたからなんです。もちろん、その時には人間としての良心が芽生え始めていましたから、ある程度は告白したんですけれども、それはただ「強姦をした」という内容で、具体的なことは私は書きませんでした。…強姦というのは、これはちょっともう…。本当に残酷な問題なんですよ。

――戦場では強姦は頻繁に行われていたのですか。

 作戦中はね、それはもう毎日のようにやっていました。私もそうです。当時、中国の女性は纏足をしていて逃げられず、家にいることが多かったので…。

――こうした証言をするようになったきっかけはなんですか。

「慰安婦」だった人が名乗りをあげて、この問題が出てきたとき、これは言わなければいかんかなと思い始めたんです。その後、「慰安婦」問題で、戦争の実態を何にも知らない人間がこの問題でもウソを言い出してきて、これは言わなければいけないと、そう思ったんです。戦友会の連中は言わないでしょう、黙りこくっちゃって。年もとって体面もあるしね。

 しかし、事実は事実として伝えなければならない。そしてそれは戦争を行った我々にしかできないこと、我々の責任なんです。生きている限り、ありのままの事実を語りつづけていきます。

追記:上記に引用した部分ではないが下記にあるのは、「最後の3分にカットされた部分」に当たるようです。

http://www.ne.jp/asahi/tyuukiren/web-site/syougen/nhk_special.htm

長井:

まず最初に最後の三分でカットされたのは中国人の被害者の方の紹介と証言部分、もうひとつは東チモールの元慰安婦の方の紹介と証言部分、あと加害兵士、元日本兵士の証言部分その三点が全く抜け落ちました。

http://d.hatena.ne.jp/swan_slab/20050115#p1 + 駝  鳥 + から孫引き

*1:正確には証言後のインタビューより

法が最小限の正義であることをやめたとき

2/5

# mojimoji 『過分に褒めていただいてありがとう。乗せられるとのめりこむ人なので、どんんどん焚きつけてください(笑)/今述べていることは「法が最小限の正義であることをやめたときには、法を尊重せよというクレイム自体が無効」という、女性国際戦犯法廷の中身の検討抜きにできる議論をしています。なので、当初の主旨とはだいぶ違っている気はするのですが、まぁ、「アイロニカルなサポート」ということになるんでしょうか。/女性国際戦犯法廷の中身については、天皇有罪を言おうとする動機は理解できるのですが、それを法解釈として正統なものとできているかは、ちと悩んでいます。できてなくても擁護しますが、それはそれとして、確認したいところではあります。/ただ、日本政府の賠償責任についてはせいぜい時効の問題くらいしかないのですから、「死者を訴えた」ことを理由にこの民衆法廷を全否定するのはまったくうなづけないかなぁ、と考えてます。』

「法が最小限の正義であることをやめたときには、法を尊重せよというクレイム自体が無効」の議論、難しいですね。というか私にとっては、たぶん「法の外に正義がある」のは当たり前のことであり、それを頭から否定する論を立てられても絶句するかキレるかしかないのに、ちゃんと論理で丁寧に返しておられるので感心してしまいます。で論理を追おうとするとそれはそれで難しい・・・

「全記録1」については、証言のところ、なかなか興味深く読むことができました。残酷な場面もあるがそうではない場面もある。(不謹慎ですね)

日本国家がやったことと思うともっと反省の痛みを持たないといけないのでしょうが・・・

とにかく無視しているより、読んだり見たりする方が良いと思う。

「何の問題もない」といえる人がどれだけいたのか?

# botaro 『

(略)

まず冒頭の「慰安婦制度は犯罪であった」というのがよくわからんです。それそのものは別に違法な制度ではなかったでしょう。正当な対価が支払われ、納得の上で応じたのなら何の問題もないはず。問われてるのは、軍による強制連行等の事実であるはずです。

私は「素顔の慰安婦たちの本音に近づくことが善であるという立場に」必ずしも立っていません。mojimoji氏の論述より、学究的に意味のあることである、という認識は持ちました。学究の徒でないのならば、「救済にかなうならば」という条件が付きます。「そっとしておいてほしい」という人にあえて近づくのは、むしろ悪である、と考えます。

お察しの通り、私は一次資料にはあたっていません。ですが、聞きたくないわけではありません。どっちかといえば聞きたいです(一番の関心事ではないことは確かですが)。1/25と2/3の引用部分は読ませていただきました。』

「まず冒頭の「慰安婦制度は犯罪であった」というのがよくわからんです。それそのものは別に違法な制度ではなかったでしょう。正当な対価が支払われ、納得の上で応じたのなら何の問題もないはず。」

「国際法廷」に提出された数十名のケースでは、契約解除の自由がなく、逃亡すれば死の危険すらあり、また「労働」の内容も内地の娼家に比べても一日数十人の相手をするのなど、実質的に人間の尊厳と自由を奪われた奴隷状態だったと思われます。

納得の上で応じた形がかりにあったとしても契約の一方が銃を持った占領者であった場合、自由意志による契約というには瑕疵があると言える余地は充分あると思いますが。

「正当な対価が支払われ、納得の上で応じたのなら」そういうことがあったとしても、対価といっても実際には払われなかったり軍票で払われたりで家に現金を持った帰れた人などいるのかしら。

「「そっとしておいてほしい」という人にあえて近づくのは、むしろ悪である、と考えます。」彼女たちが「そっとしておいてほしい」と思っただろうとなぜ思うのですか。彼女たちが日本に来たのは自らの意志ではなかった、と推測しているのでしょうか。であればその根拠は?

その発言は「素顔の慰安婦たちの本音に近づくことが善であるという立場に」立っているわけではないのですか?

(2/13 18.49追加)

大東亜戦争は日本人の悲劇ではなかった?

id:noharra:20050226#p2 の続き。

 テニヤン島のバンザイクリフの悲劇について、書こうと思ってグーグルしたが歴史的に詳細を記した頁は(いまは)見つからなかった。

 要するに私が言いたいことは、「生きて虜囚の辱めを受けず」という命令は兵士だけでなく民間人にも適用され、テニヤン島に住んでいた2万人以上の民間人のうち1万人弱は死に至ったということ。この悲劇をどう捉えるか?現在わたしたちはあの戦争が国民にとって悲劇だった事自体を忘却しようとしている。(文部省の必死の努力の成果?) 

侵略=(にほんが他の多くの多くのアジア人たちを殺し苦しめたこと)を強調するのは大事だが、多くの日本人自体が被害者だったことも忘れてはならない。誰が多くの日本人を死に追いやったのか?「生きて虜囚の辱めを受けずという命令」がその責を負うべきことは間違いない。そしてヒロヒトにその責を負わせたくなければ「誰が」を特定し糾弾し続けなければならない。なぜそれが分からないのだろう?!

  日本に原爆を投下した B-29 が発進した平坦な島、テニアンの北部の滑走路は、今では使用されずにジャングルの中の遺跡化しています。

  サイパン島ではかつて彩帆神社のあった、島の中心ガラパンの町も、戦後はチャランカノアにとって代わり、バンザイ. クリフ(サイパン攻防戦の末期に米兵に追いつめられた在住日本人達が、 米軍の投降勧告を拒否して次々と島の北端にある崖から投身自殺した地点) では、日本の若い観光客の男女が死者を悼むことも知らず、単なる観光スポットとして、嬉々として記念写 真を取り合っています。これでは非業の死を遂げた多くの方々の霊も浮かばれません。

  自分の国が歩んで来た過去の歴史を知らず、また知ろうともしない、精神的無国籍の若者が多すぎると私は思います。

大橋よしひとさん<投稿日/2000.10.31>

http://www.dd.iij4u.or.jp/~pagan/MINNA/minna.htm みんなの声

在留邦人約2万人のうち1万人弱が戦没したと推定される。

 モリソン戦史による日本側捕虜数は1790名 うち軍人921名、抑留民間人は14560名にのぼった。

http://yokohama.cool.ne.jp/esearch/sensi1/sensi-tyubu22.html 戦史 中部太平洋陸軍作戦2 サイパン島作戦

田中貴子『性愛の日本中世』

isbn:4480088849 ちくま学芸文庫 という本をやっと読み終わりました。

ちょっと雑然とした論文集ですが、非常に鋭い考察にあふれた好著です。最初の文章は「稚児」(ちご)と僧侶の恋愛を取り上げる。男色つまり同性愛である。しかし同性愛という現代のカテゴリーをそのまま中世に当てはめてはいけない、と著者は強調する。中世には中世特有の知と身体の配置があったのだ。そうして稚児の詠んだ和歌を調べ、「「夜離れ」を恨む「女歌」を多く詠んでますから、女のジェンダーになっていると考えてもよいと思うのです。」p22と言っている。そして稚児のセックスについても、それを単純に男性としていいのか?と問う。そしてジュディス・バトラーを引きつつ、「そのセックスもまた中間的なものへと変化したと思われます」とする。その当否については判断できないが、古くさいだけの古文書にも現代的問題が眠っていることを明らかにしており、スリリングである。

「愛は平等」という近代的な恋愛観に縛られていた人は「愛のかたち」がさまざまであること、しかしそれは決して常に対等なものではなく、時には搾取と被搾取者の関係になりうるということを、心の片隅に刻んでおいて頂きたいと思います。

ぶっちゃけて言えば関係は、大なり小なり常に「搾取と被搾取者の関係」である。しかしそう居直るのではなく、また搾取でしかないものを「稚児が神仏に等しい存在になる」などと仏教的観念で飾り立てることのグロテスクさをひたすら糾弾するのでもない。著者は実はひたすら幸せをめざす現代の性愛も、同じくらいグロテスクだと知っている(たぶん)。大なり小なり歪んだ関係のなかでせいいっぱい生きるものたちをせいいっぱい読みとろうと著者はしている。

 

このごろ「政治的」文章ばかりでしたが、本当は日本思想史とかのいろんな本を読んだりするのがメインのブログなのですよ!

邪悪な愛国心と正しい愛国心

# swan_slab 『hal44さんこんにちは

ちょっとよくわからないのですが、かりに愛国心が信仰心と同価に扱われ、それは魂の救済の問題だと捉えられたとします。しかしそうだとしても、ロックの制度制度の構想によれば、統治機構は世俗的事項にのみ関わると考えられていますから、たとえどんな形で愛国心を表現しようとも、それが社会公共の利益を害さないかぎりにおいて、寛容に扱わなければならないという理屈になると思います。

そして、もし仮に愛国心の涵養という問題が、公共的関心事項ではなく個人の良心の問題だとするならば、世俗的であるべき公教育(憲法20条)の場において、愛国心教育は忌避されるべきということになるでしょう。

しかし、愛国心とは、自発的結社によってさらに自己実現を目指すべき個人主義的な意味での信仰の問題と同視しうるかといえば、むしろ、共同体(アソシエーション)加入の契約(17世紀ニューイングランドにおいて観念されていたような契約)とパラレルなのではないかというふうに思います。

恐らく、日本においてロックの議論が当てはまりにくいのは、ロックが前提とした宗教的個人主義と宗教的多元社会を日本人が拒絶してきたからでしょう。極端な話、「一億総~」という形で、くに全体がロックが寛容の対象と見定めた結社(アソシエーション)と同視しうるからです。かりにロックの市民社会論が日本において流通、制度化されていたとしても、滅私奉公を是とした日本の社会では、戦前の天皇制はあのように機能した可能性はあると思います。

これを乗り越えるには、フランス的なドグマの革命で用いられた手法、すなわち既成の権威(カトリック)を、特定のイデオロギーの普遍性(自明の真理として事実性のなかに埋め込む、ある種のエッセンシャリズム)を強調することによって打ち砕く、大陸法的なやり方も適合的なんじゃないかという気がします。

しかしその場合、社会契約によってアイデンティファイされる個々人と国家との関係を常に再確認する教育システムが求められることになるでしょう。「我々は理念によって国家に集っているのだ」ということを再確認しなければ普遍的正義の自明性が崩れる恐れがあるからです。この功罪はフランスの近現代史をみればある程度、察することができると思います。

もうひとつは宗教的、文化的な多元的社会を目指すやり方。

日本はどの方向に舵をとるべきでしょうか。

hal44さんは>個人的には愛情の対象として国家を選ぶというのは、アニメ美少女でオナニーするくらい虚しい行為だと思うのですが>とアイロニーを表明します。

その「気づき」は、また別のアイロニーによって「虚妄」とみなされるかもしれない。自己の認識したアイロニーは、表現の自由市場において淘汰され社会に蓄積されない知恵かもしれない。しかし、「現時点ではこう思う」というアイロニーを人々が出しあっていかなければ、真理には到達しない。そのためには自己のアイロニーを主張し、他者の主張するアイロニーを正しくないという機会を十分にもたなくてはならない。それを目的論的に眺めれば、民主主義に資するからだということなるでしょうけれども、動機の面からとらえると、ウェーバーのプロテスタントの倫理じゃありませんが、個人の内的な自律性と自己実現の要求を不可欠の要素とすると思います。

例えば、クェーカーの教義は特定のドグマに毒されている、あの教派の洗礼の考え方はおかしい、あの集団のなかにいると不幸になると誰がが「気づいた」とします。しかしロックは、そんなのはある意味で自己責任だというわけです。ロックはそれ以上のことはいわない。しかし、この個人の尊重の考え方が前提になくては民主主義は成立しえなかった。私見ですが、ロックの寛容書簡の読み方としては、現代の民主主義と人権に関するエッセンシャリズムにどの程度の射程をもっているかという観点から読むようにしています。

>日の丸や君が代によって「愛国心」なるものを刷り込まれることにより、そのような「愛国心あふれる」人間に成る可能性が大である文化的構築物としての人間主観>hal44さん

についてちょっと雑然と感じることですが、愛国心というのは、結局、共同体の自己保存に関する態度ということだと思うのです。フェチということではなく。そこで「正しい愛国心」と「不正な愛国心」という本質主義的なものがやっぱり観念されざるをえないのだろうか、そんなことを悩みます。刑法学でいう行為無価値的な発想ですが。

例えば、私たちが自ら、イデオロギーについて社会学的なアイロニーを認知しえた(気がついた)とします。例えばですが、かつてひとびとは軍国主義イデオロギーに突き動かされていた、とかいったことです。そしてそのアイロニーは実質的正義によって動機付けられるとします。

その場合、戦意高揚を煽る新聞を毎日みながら、頭に日の丸のハチマキをして工場動員されたひとたち、日の丸をふって兵隊を送り出したひとたち、あるいは戦争の早期終結と被害の最小化という経済的合理性を信じて日本に空襲を行った兵士の価値観についてどう考えるべきでしょうか。これは野原さんの問題意識ともつながると思います。

ひとつのやり方は、戦後のドイツでみられたやり方で、事後的に、実質的正義の立場から、過去の”間違った観念や価値観”を徹底的に糾弾し尽くすという方法。例えば当時、ナチスドイツで、合法的だと思い、愛国心から夫の叛逆を密告した妻の行為を事後法によって断罪した。戦後ドイツにおいては、自然法の再生というスローガンのもとに積極的に罪刑法定主義(これも一種の自然法)が無視された経緯があります。この自然法への回帰は、日本国憲法にも色濃くみられ、国民主権は「人類普遍の原理」であり(前文)、人権は「侵すことのできない永久の権利」11条、97条とされ、憲法的価値観の相対化を拒絶します。

これは法実証主義への反省の意味をこめていると理解されることが多いのですが、しかし、ナチスの犯罪は、法実証主義的配慮から自動的に行われたというよりも、当時信じられていた実質的正義(あるいは科学)の観点から虐殺が正当化された側面があります。また日本を空爆せんとするアメリカの兵士たちが地上にいる無辜の人たちの姿を想像し、自らの不正な行動に「気がついた」としても、自らの不正と折り合いをつけることができたでしょうか。

実質的正義の見地から、「悪い行為」を断罪するというやり方の功罪についてもう少し考えていきたいと思っています。

邪悪な愛国心と正しい愛国心は観念しうるか。この点について、野原さんやみなさんはどう思いますか。』(2005/03/21 16:16)

君が代斉唱は強制されない

http://www003.upp.so-net.ne.jp/eduosk/tisiki-kokkaitoubenn.htm

文科省が隠したがる「国旗国家法」国会審議での政府・文科省の答弁

不起立、不斉唱で子どもたちが不利益をこうむることがあってはならない

○「子どもは当然、通常の場合に、学校が定められた教育活動に主体的に参加していく、これは教育活動の本来持っております作用でありますし、教員はそういった教育活動の本来的な作用に従って児童生徒を指導していくと言うことでございますけれども、指導の結果、最終的に児童生徒が、例えば卒業式にどういう行動をとるか、あるいは国旗・国歌の意義をどのように受け止めるか、そういうところまで強制されるものではないという意味で、強制するものではないと申し上げているところでございます。」

                (御手洗政府委員 1999年8月4日文教委員会)

「法律を楯に強制的に無味乾燥な議論に入ってはならない」

学校現場で、「日の丸・君が代」の歴史をしっかり教えること

○「これからもこの法律を盾にして強制的に無味乾燥な議論に入っていくのじゃなく、教育の中で正確に、日の丸の歴史とそして君が代が生み出されてきた歴史、また一時期これがゆがめられて使われた事実、そういうものをきちっと教えることによって学校現場の教育が生かされ、それが民族のアイデンティティとなって国際的な人間として我が国の国民が育っていくように私どもは努力していかねばならないし、またこの席で私は文部大臣にも要請をしておきたいわけです。」

       (野中広務官房長官 1999年8月2日国旗及び国歌に関する特別委員会)

(同上 より)

本物はすごい

http://www.lib.ehime-u.ac.jp/SUZUKA/115/image/005.jpg 005.jpg(JPEG 画像、1920×1284 ピクセル)

こんなところにも国生みが。

http://www.lib.ehime-u.ac.jp/SUZUKA/ichiran.html

鈴鹿文庫一覧

「恐るべき古代史料の電子画像データベース。」

と、久遠の絆 さんが評されていますが目次だけみてもすごいですね。

本を買わなくてもいくらでも勉強できる!

http://www.lib.ehime-u.ac.jp/SUZUKA/025/index.html

竹内式部奉公心得書 なんてマイナーな人の文章まである。げげ。