「和解」か裁きか

番組改編問題については、

http://www.bro.gr.jp/kettei/k020-nhk.html 第20号 女性国際戦犯法廷・番組出演者の申立て NHK

で、第三者機関が出演者米山リサさんの主張をだいたい認めている。

http://www.bro.gr.jp/kettei/k020-nhk.html 第20号 女性国際戦犯法廷・番組出演者の申立て NHK

ところが、NHKは申立人が「女性法廷」について重視し、大事だと指摘していた「裁き」に関する部分、たとえば「日本軍あるいは日本政府が、かつて過去に犯した行為が犯罪であったかどうか、その判断ですね。つまり、裁きですね。それを下す手段も経ないまま、したがって、処罰されず免責されたまま」とか、「法廷が和解を前提としたものではない。和解を予め目指したものではない、ということが大事だと思うんです」などの部分を全て削除している。

このようなNHKの編集によって、コメンテーターとしての発言の本質ともいうべき「裁き」の部分が全て削除されたため、申立人の発言内容が視聴者に唐突な感じを与えたり、裁きの場としての「女性法廷」の意義を軽視し和解だけを推進する人物であるかのように誤解されかねない状況が作り出されたといえる。

 日本人は正義より「和解」という言葉を好む。しかし上記のような、NHKとその構成員といった力量に圧倒的差のあるものの意見が対立したとき、そこに形式的中立を求めることは、しばしば強い者の言い分を承認してしまうことにつながる。イスラエルによる自爆テロ非難の強力さにこの典型的例を見ることができる。従軍慰安婦問題も60年以上の時間を隔てた、この<情報を操作する者>と<サバルタン>との対位の展開である。

「和解」という口当たりの良い言葉に早急に飛びつこうとする者には注意が必要である。

よくやっているなぁ

mojimojiさんから下記のコメントをいただきました。1/27の13時ころ、です。

ここの日記では、同じ主題のものは翌日以降に書いてもその日の日記の下に継ぎ足して行くという構成をとっています。1/25の日記もそのように下へ継ぎ足していったのですが、上と下20050125#p3ではかなりニュアンスが違うものになっています。下は慰安婦テーマとは直接関係のない「金正日有罪」というわたしの主張を述べたものになったのです。以下のmojimojiさんのコメントはそれを含まない前半部分へのコメントですので念のため注記しておきます。

# mojimoji 『はじめまして。先日はトラックバックいただき、ありがとう。/外国はどうか分かりませんが、日本の女性運動(も含めて社会運動全般)は、圧倒的に量が足りないと感じています。とにかく、人が足りない。そんな中でもほんとによくやっているなぁ、と頭が下がる思いです。』

# mojimoji 『前日のエントリの毎日新聞の記事ですが、あそこは割と両論併記だから、よく馬鹿な記事が載りますよ。記憶に新しいところでは、サマワの自衛隊派遣に関して高畑論説委員の記事が出て、すぐ翌日だかに布施論説委員による異論が掲載されました。今回の件も、すぐさま反論が出されることを期待したいですが、はてさて、どうなることやら。』

# mojimoji 『サマワの件での肝心の元記事がなくなっているのが残念なのですが、そのときにフォローしていたシバレイさんのブログがあります。雰囲気くらいはつかめるか、と。

http://reishiva.exblog.jp/m2004-11-01#1111392

 女性国際戦犯法廷の全記録、を見ると、規模も大きいし、法廷であろうとする努力をできる限りしていることも分かるし、多種多様なボランティアが緊急に集まった割には、ほんとうにすごいなあと感心します。

 批判すべき点があると仮にしても、まず本を読むなりビデオを見るなりして知るという努力を払うに値するイベントであると思います。

慰安婦問題は問題ではない、と思いたいというデフォルトがあるのは事実である。ただそこで自分たちの欲望に従うことが、国益にそうかどうかは別問題。国益はわたしはどうでもよいのだが、何と言ったらよいのか、「大東亜の大義」を一旦は叫んだ男たちの末裔としては最低限直視する責任がある問題だと思うが、みなさん誇りがないようだ。

戦争責任は未済だ、と主張する

N・Bさんから教えて貰ったとおり、「おおやにき」のコメント欄での

田島正樹氏の発言がとても興味深いのでメモしておきたい。

1)「日本はいつまで戦後処理をし続けなくてはならないのか?」と問いかけた人がいました。「いつまで謝罪し続けなければならないのか?」という言説が保守側から出ていてそれを反復した問いだと思われます。

田島氏は言う。

我々がアジアにおいて何者であり、また何者であらうと意志するか、つまりはどのやなヴィジョンと戦略で我々の意志と権力をアジアや世界に及ぼしてゆくのかといふ展望の下で、はじめて我々の過去に対する責任と切断が具体的な形で問題となるのだ。

「戦争責任や戦後処理問題は存在しない」と言うこともできる。だがそれは、逆に「ずるずると過去の亡霊を引きずり、将来の我々自身の政治的選択肢を狭隘化してしまふ」ことになる。

アジアにおける政治的主体性の確立が、歴史に対する決済と不可分であることを理解せねばならない。それは、過去の罪や負ひ目にどこまでも呪縛されることであるどころか、それと決別して新たな権力意志を立ち上げることである。それは国益に反して仕方なく果たされるべき道徳的義務ではなく、極東での我々の権益拡大のための必須の条件である。

http://alicia.zive.net/MT/mt-comments.cgi?entry_id=152

おおやにき: Comment on 法廷と手続的正義・続々々

これは、id:noharra:20050203#p1 で書いたことと同じ趣旨だと読んだ。

悪役から逃れるための「反省」

「ホモ・ホスティリスの悪循環」のホモ・ホスティリスとは敵対人。意味が分からなかったので英和辞典で引くと、ホステスやホスピタリティに音は近いがhostilityという言葉があり、敵意、敵対、反抗、戦争状態のこととあった。

 「残酷な東洋人」というイメージ原型が(十字軍のころから)ある。対日戦争も「褐色の民(アジア・アフリカ)を黄色の有色の民(日本)から救った白色(英国)の民」というレイプ・レスキューの図式にはめ込まれる。そのとき英国は、邪悪な龍と戦って成敗する正義の騎士聖ジョージそのままになる。*1

 で数十年前のヒロヒトに代わり邪悪な龍の場所を占めたのがイラクのフセインだった。日本が米英のイラク占領に加担するとは「自らの悪のイメージをぬぐうために、他のものを悪として、自身は何食わぬ顔をして正義組にはいって安心する*2」という振る舞いだ。そう考えるとたいへん情けない!

 従軍慰安婦問題も自分が聞きたくないから耳を塞ぐという態度では、過去の事実に誠実な誇りある日本人として向きあうことにならない。そして否認することは、このような「残酷な東洋人」としての「日本=レイピスト」イメージを延命させることにもなる(西欧人から見た場合)。中国や韓国朝鮮にとっては、「日本=レイピスト」イメージは国家の独立に関わるもっと必須なものに容易になってしまう。日本の実像がどうであろうとそれを悪と決めつける図式にそれらの国が囚われているわけではない。だが過去においては((現在でもかな)、国家当局がイメージ操作を振りまいたことも確かにあっただろう。

「大東亜戦争」という歴史において皇軍がアジアの過半に展開しそこの民衆を苦しめ、そしてレイプの例も多いというのは、事実である。わたしたちは、こうした事実をどう認めるかについて国民的合意を形成できなかった。A級戦犯の靖国合祀などをしてナルシズムに浸っている場合ではないのだ。今年は戦後60年。国家が自己を他国に向かってどうプロデュースするのかの正念場だ。安倍晋三的なものを排除することが国益だと思うぞ。

*1:同書p129

*2:同書p138

「北朝鮮人権侵害救済法案」支持!

 前にも書いたように3/13に大阪経済大学での北朝鮮・脱北者についての集会に参加した。その会の終わりに「集会決議」という文書が読み上げられ皆が拍手で確認した。そのなかに次の文章があった。

1.北朝鮮の人権改善と被害者救済にわが国が実効ある政策を実施できるよう、日本政府ならびに国会に対し「北朝鮮人権法」の制定を求めます。

拍手はしたものの、北朝鮮人権法案というものを読んでないので気になっていた。今、ネットで確認することができた。

まず、民主党・北朝鮮問題プロジェクトチームの中川正春座長(衆院議員)は(2/25日)に国会へ「北朝鮮人権侵害救済法案」を提出した。一方、「北朝鮮人権法・自民党案の提出は、3月半ばごろになるもようで、今国会での成立を目指す。」とのことで足並みがそろっていたが、自民党は法案の今国会提出を見送る方針を固めた、らしい。

http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__1008500/detail北朝鮮人権法 民主座長に聞く

http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__1010594/detail北朝鮮人権法 自民座長に聞く – livedoor ニュース

http://www.asiavoice.net/nkorea/ 3/12朝鮮民主主義研究センター

で、民主党が提出した法案はここにある。

http://www.masaharu.gr.jp/nkjinkenhou_050225.htm 民主党北朝鮮人権侵害救済法案050225

興味あるところを抜き書きしてみる。

第一条 この法律は、拉(ら)致問題への対処に関する国の責務を明らかにするとともに、脱北者の保護及び支援、北朝鮮に対する支援に係る基本原則等について定めることにより、拉致問題の解決その他北朝鮮当局により侵害されている人権の救済及び北朝鮮における人権状況の改善に資することを目的とする。

   第三章 脱北者の保護及び支援

 (脱北者の保護及び支援に関する国の責務)

第六条 国は、脱北者(北朝鮮を脱出した後生活の本拠を有することなく我が国に保護を求める者(北朝鮮に戻った場合に迫害を受けるおそれがないと認められる者を除く。)をいう。以下同じ。)を保護し、及び支援する責務を有する。

2 政府は、脱北者から在外公館に対して保護の要請があった場合には、その安全の確保に努めるものとする。

3 政府は、脱北者がその希望に応じて本邦に帰国し、若しくは入国し、又は他国に出国することができるよう努めるものとする。

4 政府は、脱北者の安全の確保等について、関係国の理解と協力を得るよう努めるものとする。

5 政府は、脱北者の保護及び支援を行うに当たっては、脱北者及びその関係者の安全を確保するため、これらの者に関する情報の取扱い等について、十分に配慮するものとする。

6 政府は、関係国及び国際連合人権委員会、国際連合難民高等弁務官事務所その他の国際機関との緊密な協力の下に、北朝鮮を脱出した者の保護及び支援に積極的な役割を果たすものとする。

脱北者=(北朝鮮を脱出した後生活の本拠を有することなく我が国に保護を求める者(北朝鮮に戻った場合に迫害を受けるおそれがないと認められる者を除く。)、という定義が目を引く。経済難民なんていう言葉を使い、脱北者の難民性を薄ようとすることは、彼らを北朝鮮に帰国させて迫害にさらされることにつながる。そうした今までの経験に照らし、脱北者の生身の人権に配慮した定義になっている。強く支持したい。

 (脱北者の保護及び支援を行う民間の団体との協力並びにこれに対する支援)

第七条 政府は、脱北者の保護及び支援に当たって民間の団体と協力するとともに、脱北者の保護及び支援を行う民間の団体の活動に係る安全の確保及びその活動の促進を図るため、情報の提供、財政上の措置その他の必要な措置を講ずるよう努めるものとする。

 (脱北者の認定)

第八条 法務大臣は、北朝鮮を脱出し本邦にある者から法務省令で定める手続により申請があったときは、その提出した資料に基づき、その者が脱北者である旨の認定(以下「脱北者の認定」という。)を行うことができる。

2 法務大臣は、脱北者の認定をしたときは、法務省令で定める手続により、その者に対し、脱北者認定証明書を交付し、その認定をしないときは、その者に対し、理由を付した書面をもって、その旨を通知する。

 (脱北者の認定の取消し)

第九条 法務大臣は、脱北者の認定を受けている者について、偽りその他不正の手段により脱北者の認定を受けたことが判明したときは、法務省令で定める手続により、その脱北者の認定を取り消すものとする。

2 法務大臣は、前項の規定により脱北者の認定を取り消す場合には、その者に対し、理由を付した書面をもって、その旨を通知するとともに、その者に係る脱北者認定証明書がその効力を失った旨を官報に告示する。

3 前項の規定により脱北者の認定の取消しの通知を受けたときは、脱北者認定証明書の交付を受けている者は、速やかに法務大臣にこれを返納しなければならない。

6条の3では、脱北者がその希望に応じて本邦に帰国し、若しくは入国することが認められる。だがそのまま在留資格を得るわけではなく「脱北者認定」というステップを踏む、ことになっている。11条には、認定にあたって「入管法第二条第十二号の二に規定する難民調査官に事実の調査をさせることができる。」との規定もあり、入管法という言葉には良いイメージをもっていないわたしとしては大丈夫かなとも思うのですが、でもまあそういうものなのだろう。

 キム・ハンミちゃん事件の映像を見ても、<難民>とは、国と国の境、領事館の壁の上に何年も生きることを強いられる存在だ、といえるように思う。

 領事館の壁の上みたいな不安定な場所におかれる時間を短縮し、一度日本国内に移動させてから、(判断が必要なら)その判断を行うとするこの法案は大変な進歩であり、強く支持してよいと思う。

国旗国家法

(野原)

この対策として設けられたのが、国旗国歌法である。それにより、形式的・儀礼的あった国歌と国旗が正式に日本国の国旗かと国旗と制定された。

 これにより、公の職務を持つもの、即ち教師らはそれに従い、法に基づいた行動をしなければ習い。

http://d.hatena.ne.jp/foursue/20050401#p4 より

http://d.hatena.ne.jp/blackeye2025/20050328 の引用の一部

「教育現場で強制しない」旨約束のうえ、国旗国歌法を制定した。という経過だったはずですが。

国旗国歌法はべつに、「歌いなさい」とか書いてないし。

foursue 『noharraさんの言いたいことが全然解らないので、とりあえず解ってくるまでROMしますね。私にリンクを張る理由も同じく解りません。』(2005/04/02 14:33)

「教師らはそれに従い、法に基づいた行動をしなければならない。」の「法に基づいた行動」が意味不明なのですが。(野原)

# foursue 『法に基づいた行動くらい、野原さんなら自分で理解できると思いますけど・・・釣りですか?

いろいろあると思いますが、この場合は法を犯さない行動とするのがいいのではないですか?

前も思ったんですが、引用するならもうちっと具体的に文章に対して批評しては?まどろっこしい言葉遊びが多すぎますよ。』

(野原)えっと、話がかみ合いませんね。

「教師が国家斉唱するべきだ」と命じている法律はない。というのが私の主張です。

3入学式や卒業式などにおいては,その意義を踏まえ,国旗を掲揚するとともに,国歌を斉唱するよう指導するものとする。

小学校学習指導要領(平成10年12月告示、15年12月一部改正)-第4章:特別活動

学習指導要領自体が学校教育法の範疇外である疑惑がある。

それに指導要領は法ではありません。

「まどろっこしい言葉遊びが多すぎますよ。」などという暇があれば、「野原さんなら自分で理解できると思いますけど」など言わず、的確に自己主張してください。

大八島国とは

  1. 淡路島
  2. 四国
  3. 隠岐の三子の島
  4. 九州
  5. 壱岐島
  6. 津島(対馬)
  7. 佐渡島
  8. 大倭豊秋津島

 この八島を先に生んだので大八島国と謂う。

cfp21-22『古事記』岩波文庫 より

国家を訴える者は非国民か?

http://d.hatena.ne.jp/noharra/20050418#p5 の続き

id:noharra:20050418#p5 コメント欄より)

# hizzz 『「歴史観」と「歴史」は違います。右派「愛国史観」、左派「自虐史観」どちらも、歴史「観」=歴史の解釈とは「思想」そのもの。そして、「思想」=正義ではない。だから「国家犯罪」を問う問わないのは、政治思想以上のものではない、と言っているのです。無論、恣意的な政治思想と司法がセットになるのは、まさに軍国ファシズム=全体主義のオハコだったのではないでしょうかね。「民衆法廷」「東京裁判」という、「一方が一方を裁く」のが問題なのは、そういうことです。

構造に無自覚というのなら、大日本帝国/日本国を認めない=反国家という思想スタンスでいながら、戦前戦後を通し現日本政府に国家犯罪を認め謝罪しろというのは、カナリ大きな論理矛盾があるのですが。』 (2005/04/24 22:04)

# hizzz 『「天皇(&国家)を犯罪者と断定したい!」という思想プライオリティが幸先にあって、「マイノリティの切り札として登場したのが従軍慰安婦(20050423#p1)」で、罪を認めない相手(天皇&国家)が悪い=我々は常に公平正義というスジ以外考えないとするならば、永遠に該当女性の保証にたどりつかないですねぇ。で、それは当該者の為にすこしもなっておらず、PC側反PC側のネタとしてこうして消費され消耗するだけではないですか。そういうことはひたすら強調する「国家」という抽象的大物語に比べれば、とるに足りないものという風に見受けられるのですが。相手の無謬性を問うなら、自己の無謬性を何度も検証すべきです。>「国家」と同様に「民衆」「法廷(司法)」「マイノリティ(弱者)」という言葉にはりついた権威性』 (2005/04/24 22:39)

(野原)

a:一番のプライオリティは何ですか?「慰安婦」をどう保障すべきかという具体的提言なのではないでしょうか。

現在目の前に現れた「慰安婦」の具体的苦悩を早急に救うのが最大の獲得目標の筈だ。というのは違います。「慰安婦」はその当時死んでしまったそしてその後の長い戦後の間に死んでしまった死者たちを引きずって生きています。「今までこの世の中に生きて、幸せを感じたことは一度もないです。(金順徳)」とまで言うのは何故なのか。彼女たちは皇軍によって<辱め>を受け、その屈辱は祖国が独立した戦後も継続し続けた。もちろん戦後において抑圧したのは(家父長制的)韓国社会でしょう。しかしその原因を作ったのは皇軍です。したがって、いくら目の前に具体的苦悩があろうとも、そのことだけを要求することは彼女たちにはできない。すでに死んでしまった同僚を裏切ることになるから。彼女たちがまず、求めているのは「謝罪」です。

b:(国家は謝罪できるのか?謝罪すべきなのか?)

戦後日本は「かつて植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えた」*1ことへの反省の上に成立している国家である。

謝罪が必要なら、謝罪できることは言うまでもない。

c:「東京裁判」という、「一方が一方を裁く」のが問題なのは、そういうことです。

そして東京裁判の最大の欠点はそゆ「権力」が一方的に裁いて死刑にしてしまったことです。>「やられたらやりかえせ」

日本がおこなった行為に対する戦勝国家による一方的裁判、に対しその限界を指摘し、乗り越えて行こうと考える事には賛成します。

「女性国際戦犯法廷」自体、東京裁判の枠組みを肯定した上で、被害者として取り扱われて当然だった(オランダ人「慰安婦」の場合と比べて)アジア諸国の「慰安婦」たちを取り上げたものです。さらに被告として、開催前から「天皇(裕仁)無罪」帰結を裏取引していた東京裁判、と違い、天皇(裕仁)をも取り上げた。

d:「女性戦犯法廷」が本当に求めたはずの国際法での(考えられるかぎりの公平な)ジャッジは離反しますよ。

「戦犯法廷」は証拠に基づき、権威ある裁判官が公正な判断をしたものだ。少なくとも当事者はそう主張している。そこまでは認めてもらったわけですね。

e:「天皇(&国家)を犯罪者と断定したい!」という思想プライオリティが幸先にあって、「マイノリティの切り札として登場したのが従軍慰安婦(20050423#p1)」で、罪を認めない相手(天皇&国家)が悪い=我々は常に公平正義というスジ以外考えない

にもかかわらず、実際はe のパフォーマンスになっている。とhizzzさんは認定する。

犯罪があったとすれば、罪を認めない相手が悪いのは当然です。相手がたまたま(天皇&国家)であった場合には、被害者の側が特殊な「反国家」的イデオロギーに染まりきった者 として差別されるべきだ、ということでしょうか。それがhizzzさんのお嫌いな全体主義的イデオロギーなのですが。

f:相手の無謬性を問うなら、自己の無謬性を何度も検証すべきです。

というのは一見もっともらしい意見だ。しかし、法廷で(具体的審理プロセスで)国家を訴えるものを「反国家イデオロギーの所有者」と決めつけるhizzzさんは、国家の無謬性を一貫して擁護している。(おそらく或る程度は無自覚に)

(野原)

hizzzさんは、慰安婦支持者を非国民とみなしているわけではない。そうではなく「我々は常に公平正義」に凝り固まった人たち、と見ている。そのことにより、慰安婦の具体性や多様性を抑圧している結果になっていないかと危惧している。一般的に言ってこのような危惧を抱くことが不要かというとそんなことはなく、逆にそういう問題意識は常に必要である。hizzzさんの誤りは、「正しくないことはない理屈」によって、運動側にだけ高すぎるハードルを課し、結果的に国家の無謬性を一貫して擁護しているのに、そのことに無自覚である点にある。

*1:バンドン小泉発言

根津公子さん停職1ヶ月

(朝日新聞 2,005年5月28日朝刊 武蔵野版)

「君が代」不起立、初の停職  都教委

都教育委員会は27曰、今春の入学式で「君が代」斉唱時に起立しなかったなどとされた公立学校教職員十人の懲戒処分を発令した。直前の卒業式の「不起立」で減給十分の1(6カ月)の処分を受けた多摩地区の女性の中学校教員(54)は、停職1カ月を受けた。都教委が教職員に君が代斉唱時の

起立を義務づけ03年秋以降、停職処分は初めて。(以下略)

 “日本という同一性への忠誠”を価値として立て、それに従わないものを処分することには、激しく反対したい。

あなたが存ればよい。

五倫は惟(た)だ夫婦に在り。此の夫婦は男女にして一人なり。(略)此が自然の五倫なり。(略)然るに、聖人、私の制法を以て君臣、父子、夫婦、兄弟、朋友の五倫を立て、推して上に立てて君臣と為し、自然の五倫を盗んで自然の直耕を貪り食う。

(安藤昌益『統道真伝』)

『ブックガイド日本の思想』p52から孫引き。

今日ではむしろ、恋愛=欲望=消費主義やマイホーム=マンション購入主義への批判を先行させなければいけないかもしれない。一方、靖国をはじめとする国家主義は君臣、父子、兄弟、朋友の関係を(わたし=たちに先立つ)倫理として定立していこうとしている。

安藤昌益について何も知らないのだが、「五倫は惟(た)だ夫婦に在り。」という思い切った断言は興味深い。

(このテーマについてわたしを支配しているイメージは、先日も書いたとおり、戦後60年戦死した恋人の腐らない屍体を小舟に乗せて彷徨っている<元ちとせ>、にあります。「靖国がいらない」とはこういうことだ。http://otd9.jbbs.livedoor.jp/908725/bbs_plain?base=95&range=1