とは、ここ のことか?
カテゴリー: idea
確かに一致はする
上のエクセルの式で
A4に a=+D3+C3 と書きました。(a3-b3-c2+c3と同じ)これを、
A4に aa=+b3 に変えてから下にずっとコピーしても、C列の結果は変わりません。
1と0が並んでいますが、これを下から読むと
入力数字の2進法表示になります。
例:1000 ->1111101000
これを最初の1を削って、最後に1を追加し10進法に変えると、答えに成ります。
(2のk乗) > n > (2の(k-1)乗) の場合、( n- (2の(k-1)乗))×2+1
で答えが出るというのがdempax方式ですが、これを2進法で表現すると上記のようになります。
(5/14 22時)
グアンタナモ収容所閉鎖せよ
■ [アメリカ]現代の強制収容所グアンタナモ閉鎖を!
アムネスティが総力をあげてキャンペーンをはっています。アメリカ政府にノーの声を届けましょう。
「ひめゆり」といえば
「青学高等部の沖縄・ひめゆり学徒隊に関する「不適切」な入試問題」が話題になった。
http://www.inter-edu.com/kaito2005/high/aoyama/pdf/eng.pdf
ちゃんとpdfファイルで読めるのだ。
id:claw:20050618 さんのところより。概要と意見も在ります。
わたしもたまには英語をよんでみようか。
モヒカンチェック(7/16追加)
http://ryak.net/fun/mohicancheck.html モヒカンチェック!
あなたはイロコイ族的刹那主義だそうです。
でもイロコイ族とは?? エンゲルス『家族・私有財産・国家の起源』ではイロクォイ族です!
■タイプ7になっちゃった方
[あなたはイロコイ族のようです]
あなたの行動指針は[快楽]です。何より、毎日が楽しい場所を望みます。
反面、厳しい現実から逃避して自分を甘やかしがちです。
楽しいことは共有できても、この人とは苦しみは共有できないかも、そう思われてることがありますよっ。
[タイプ7のあなたならこんなことはしない]
最後まで自分の記事に責任を持つ
毎日毎日、変化のない日常を記事にする
[たまにはこんなことをすれば吉]
一度に書き上げる記事を絞ってみましょう。
最後まで自分の記事に責任を持つ、意志はあります!
ひめゆりの死の上に、戦後のわたしたちの平和と繁栄がある。
ひめゆりに限らず、戦没者に対して、「みなさんの犠牲の上に戦後のわたしたちの平和と繁栄がある。」という言い方がよくされる。
だが、本当だろうか?
全員が生き延びたシムクガマと「集団自決」で多くの犠牲を出したチビチリガマとを見ればわかるように、チビチリの犠牲者は死ななくてもよかったんだ。なにも死ぬ必要もなかった。もし彼らが生きていれば、平和を築くために働くことができただろう。生き残った者が必死でがんばったからこそ現在があるんだ。「みなさんの死があったから、今日の平和が生まれました」というのはちがう。彼らが戦争で死なずに生きていれば、もっともっといい社会を作り上げることができたにちがいない、と。
チビチリガマに避難していた人々は、事実を教えられていたならば、誰も死なずにすんだはずだった。はっきり言えば、そこで死んだことはなんの意味もないことだった。
ひめゆりの女子生徒たちは、軍とともに南部に撤退し、看護婦としての仕事もないまま壕に隠れ、ついには軍に見捨てられた。第1外科壕の生徒たちは脱出したが、戦火の中で多くが犠牲になり、あるいは「自決」をとげた。第3外科壕では脱出前に米軍に包囲され、投降を拒否したため爆雷をなげられて、ほとんどが犠牲になった。病院壕であれば、表に赤十字の旗と白旗をかかげて、投降の呼びかけにしたがって壕を出ていれば、誰も死なずにすんだ。第1外科壕にしても、脱出といっても地獄に放り出されただけのことにすぎず、同じようにしていれば助かったはずだ。そこでの死に一体なんの意味があったのだろうか。みんな生きることができたのに、捕虜になることを許さないという日本軍の狂気によって犠牲にされたにすぎない。生きていれば、新しい沖縄の建設に若い彼らはきっと貴重な役割をはたしたはずだ。(林 博史)
曾野綾子は大江を名誉毀損している。
と言えると思う。
上記で彼女は「一斉に集団自決を命令した赤松大尉を(略)、大江健三郎氏は「あまりにも巨きい罪の巨塊」と表現しています。」と書いている。「あまりにも巨きい罪の巨塊」の出典は下記だ。読めば分かるように、責任者*1のことを「あまりにも巨きい罪の巨塊」と、大江は表現してはいない。「人間としてそれをつぐなうには、あまりにも巨きい罪の巨塊のまえで、かれはなんとか正気で生き伸びたいとねがう。」「彼」は消化しきれない「罪の巨塊」を前に為す術を模索し、「自己欺瞞と他者への瞞着の試みをくりかえす」ことにより、「罪の巨塊」を少しづつ少しづつ摩滅させることに成功する者として描かれる。明らかに「罪の巨塊」は彼とは区別された物として彼の前に置かれている。「赤松大尉を、大江健三郎氏が「あまりにも巨きい罪の巨塊」と表現しています。」というのは明らかな虚偽である。
でこの文の主語たる彼、あるいは「責任者」は「自己欺瞞と他者への瞞着の試みをたえずくりかえす」者である、つまりそれを悪であると大江が指弾していることは確かだ。しかしながら「自己欺瞞」というキーワードが明らかに示すように、この文章は大江特有の実存主義的臭気にみたされている。罪といっても権力の発語する罪とは違い、Aという実在の人を白日の下に罰に導く力を持っているものではない。「たえずくりかえしてきたことだろう」という述語により「責任者」という主体は現実世界からズレ、自己(他者)瞞着を逃れえない実存の世界の住人となるのだ。そこにおいては、「彼」を指弾することは、「かれの内なるわれわれ自身」を指弾することでもなければならない。
「あまりにも巨きい罪の巨塊」はわたしの前にごろんところがっている。つまり予めわたしと罪が結ばれているわけではないのだ。だのにわたしたちは、否認しなければという思いに駆られ、その「巨塊」をかみ砕きすり減らそうとする。それは確かに見たところ希薄化していく。しかしその努力こそが“わたしの内に罪を”根付かせるのだ。大江が言っているのはこういうことに近い。
したがって「赤松大尉を、大江健三郎氏が「あまりにも巨きい罪の巨塊」と表現しています。」というのは何重にも虚偽である。
曾野氏がこれを語ったのは、「第34回司法制度改革審議会」という公の場所である。しかも沖縄問題はテーマではないから強い自発性の元に語っている。そこで“大江はAを罪の巨塊とよんだ”という虚偽発言をした以上、曾野綾子は大江を名誉毀損している、ことになるのではないか。
「慶良間の集団自決の責任者も、そのような自己欺瞞と他者への瞞着の試みを、たえずくりかえしてきたことだろう。人間としてそれをつぐなうには、あまりにも巨きい罪の巨塊のまえで、かれはなんとか正気で生き伸びたいとねがう。かれは、しだいに希薄化する記憶、歪められる記憶にたすけられて罪を相対化する。つづいてかれは自己弁護の余地をこじあけるために、過去の事実の改変に力をつくす。
(略)
(「沖縄ノート」210頁 )」
生き延びて本土にかえりわれわれのあいだに埋没している、この事件の責任者はいまなお、沖縄にむけてなにひとつあがなっていないが、この個人の行動の全体は、いま本土の日本人が総合的な規模でそのまま反復しているものなのであるから、かれが本土の日本人にむかって、なぜおれひとりが自分を咎めなければならないのかね?と開きなおれば、たちまちわれわれは、かれの内なるわれわれ自身に鼻つきあわせてしまうだろう。 (「沖縄ノート」69、70頁)」
上記、大江の引用は下記より孫引き。
http://amo-ya.blogspot.com/2005/08/blog-post_13.html
サイトの文章にも共感します。記して感謝します。
ただ、urlを記すことで先方がコメントスクラムの被害にあう可能性もあるなと考え少し躊躇した。前科があるし。コメント欄とか閉じて居られるようなので一度だけリンクします。
上記サイトにあったリンク集もメモしておこう。
http://www32.ocn.ne.jp/~modernh/paper11.htm
http://home.kanto-gakuin.ac.jp/~hirofumi/study411.htm
http://www.joy.hi-ho.ne.jp/byakuya/334.htm
http://www.geocities.co.jp/WallStreet/4053/1999-after-1b.html
http://www.okinawainfo.net/oba.htm
*1:大江は赤松などという固有名は書いてないようだ
海は不在である
モンゴルには海がありません。でもそのためにモンゴル人は逆に
海という言葉を崇拝しているみたいなところがあるのだそうです。
モンゴル語で海のことをダライと言い、一番大きなものという
意味にもなります。ダライラマのダライですね。
飛行機の窓からちらっと見た以外に海を30歳過ぎまで見たこと
が無かったのがこの本の作者のボヤンヒシグさんでした。
彼の海との最初の出会い。その後何度も海に行き、海藻なども
よく食べてみる。だが彼はその短い文章の最後に書きます。
「しかし、海は僕にとって相変わらず、遠い存在で在るのだ。*1」と。
私たちが言葉を体験するということがどういうことなのか、
に関わりイメージと思索の広がりを誘う文章でした。
以上、過去のメールからの自己引用。
*1:『懐情の原型』ボヤンヒシグ 英治出版 より
TBするのは良いが
中味がないのできていただいた方に申し訳ない。参考urlだけあげておきます。
八木秀次については
http://d.hatena.ne.jp/noharra/20050618 とコメント欄
http://d.hatena.ne.jp/noharra/20050609
西尾幹二と「NANA」
http://d.hatena.ne.jp/noharra/20041007
在日朝鮮人帰国事業への小泉の父親の責任
同じくid:milkbottle:20051021#p5 【オバカ通信】さん経由で。
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2005/10/20/20051020000042.html 朝鮮日報 Chosunilbo (Japanese Edition)
「小泉首相の父親、在日朝鮮人の北朝鮮送還事業を主導」
日本の小泉純一郎首相の父親で自民党所属の国会議員だった小泉純也氏(1969年死去)が1950年代末、在日朝鮮人の北朝鮮送還事業に中心的な役割を果たしていたことがわかった。
在日朝鮮人の北朝鮮送還事業は、1959年末から1984年まで、計9万3340人の在日朝鮮人が「地上の楽園」というふれこみで、北朝鮮に送還された事件だ。当時、日本では韓国政府の激しい反発にもかかわらず、政界と文化界など各分野の要人が名を連ねる「在日朝鮮人帰国協力会」が1958年11月17日に結成され、在日朝鮮人の北朝鮮送還支援活動に乗り出した。
その後、北朝鮮に送還された在日朝鮮人たちは、「不穏分子」「親日」「日帝のスパイ」などと濡れ衣を着せられ、弾圧された。そのうちの多くが強制労動収容所に収容させられ、消息を絶った。
小泉首相の父である純也氏は当時、自民党の国会議員でありながら「在日朝鮮人の帰国協力会」の代表委員に就任し、在日朝鮮人の北朝鮮送還のため積極的に活動したことが確認された。
小泉首相の父親のこのような過去は、2002年の小泉首相の訪朝以後、日本の会員制雑誌である『インサイドライン』の発行人、歳川隆雄さん(58)の追跡取材によって明らかになった。
歳川さんは20日、本社の記者に会い「小泉首相の父親が、在日朝鮮人の北朝鮮送還の中心人物だったことは、小泉首相にとって最大のタブー」とし、「靖国神社参拜にこだわる小泉首相の姿勢と一見、矛盾するかのように見えるが、日朝国交正常化にこだわっている理由も父親の政治的背景と決して無縁ではない」と主張した。
歳川さんによると、在日朝鮮人帰国協力会は、共産党と社会党の影響力が強かった「日朝協会」の主導によって結成され、日朝協会の山口熊一会長、自民党の小泉純也議員、岩本信行議員の3人が代表委員を務めた。
歳川さんは、小泉首相の父親が在日朝鮮人の北朝鮮送還に積極的だった理由について「当時、純也氏の選挙区である神奈川3区に多数の在日朝鮮人が居住している川崎市が含まれていたためと推定している」とし、「冷戦の真最中だった当時、自民党議員の身分で社会党や共産党と超党派の会合を開くこと自体が異例だった」と述べた。
当時の毎日新聞は、自民党議員が在日朝鮮人の北朝鮮送還を推進する団体に加わったことについて、韓日国交樹立を進める岸(岸信介)内閣とは関係のない個人レベルの活動だと報じた。
歳川さんは2002年に小泉首相が訪朝した直後、自分が発行する雑誌でこの事実を報じたが、注目を集めることができず、また放送に出演した際にこの事実に触れたことで司会者から制止されたこともあると明らかにした。
また歳川さんは、小泉首相の父親である純也氏が、1930年代に朝鮮総督府で事務官として働いたこともあったと述べた。純也氏は、総督府に勤務していた当時、小泉又次郎郵政長官と知り合いになり、その後小泉逓信(郵政)大臣の娘婿になって選挙区まで受け継いだ。
東京=鄭権鉉(チョン・グォンヒョン)特派員khjung@chosun.com
上記記事では、「北朝鮮に送還された在日朝鮮人たちは、「不穏分子」「親日」「日帝のスパイ」などと濡れ衣を着せられ、弾圧された。」と書いている。少なくとも過半はかなりの抑圧を受けた(受け続けている)らしい。
甘言に乗せて日本から帰国させた事業の片棒を担いだ(父親が)ことに対して、なんらかの責任、悪かったなという思いを感じているのなら、それはまっとうなことだろう。ただ日朝国交回復を成し遂げることが、その責任に応えることになると思っているとしたら見当違いだ。
本来破産している独裁国家北朝鮮は、中国の支援が無くなれば崩壊する。ある国家を敵視することは悪であるが、悪である国家に宥和政策を取ることも悪である。日本は北朝鮮を崩壊させる方向に意志決定すべきだ。(産軍複合体と嫌朝厨は敵が居なくなると困るでしょうが)