私は高慢たりえない?

とここまで書くとまた新たな疑問が湧いてきた。

(1)金比羅は高慢である。また長編小説作家はその限りにおいて全能なので当然高慢である。ということは一般人は高慢たりえないということであろう。

ところが、「3.ふふんふふーん」の場合はどうか。この場合、一般人が「科学の子」と自称しているだけであるのに、高慢である。

 ここで多少説明的になる。誰かが海で遭難するとき、助かりたいと思っていると海上に突然灯がともる。灯は神様の灯だ。この灯を見る人についての説明が上記の断片p15だ。ところが非常に例外的に神様の灯を否定する人がいる。それが断片p14の科学の子だ。

「あるはずのないそんな灯を見る」「当人が助かりたいと思っているから」というのが、日本人の神であり尊いことなのだ。という側に作者は立っているように思える。したがってそれを否定する「科学の子」は一般人として許されざる傲慢であると。でもそうであれば、金比羅=高慢を強調することは話を分かりにくくしているのではないか?

ウィルスに感染

してしまい、ネットもメールもできません。*1

Nsag というワーム、トロイの木馬、で危険度低いと書いてあるがちょっとやっかいな奴。

まだ駆除できない。

http://www13.plala.or.jp/sukiero/erostart/prevent.html スキエロテンプレ 予防措置

http://www.higaitaisaku.com/uninstallinfo.html アンインストール情報ログの取り方と貼り付け方法

などを見て勉強中。最低数時間はかかる。

Win32.Alemod.Aは、「感染」したことを通知する虚偽のメッセージを表示し、「スパイウェア」スキャナと称するアプリケーションをダウンロードさせようとするトロイの木馬です。

これと同じようなものらしい。

http://www.higaitaisaku.com/cgi-bin/cbbs.cgi?mode=one&namber=74416&type=74132&space=225&no=0

PCトラブル質問掲示板 [One Message View / Re[15]: Virus.Win32.Nsag.a (wininet.dll) の処置]

マイコンピュータ→ C ドライブ → WINDOWS フォルダ → system32 フォルダ

と開いていって、その中にある wininet.dll というファイルを 右クリック>名前の変更 から、

wininet.bak とファイル名変更してください。

「拡張子を変更すると~」という警告が出ますけど、この警告は無視してください。

これをしないといけない。そのためには、正しいwininet.dllも必要。ということのようだ。が眠くなったので終了。

*1:もう1台のでこれは書いています

<皇祖皇宗に対し責任をおとり被遊>

 今度の敗戦については何としても陛下に御責任あることなれば、ポツダム宣言を完全に御履行になりたる時、換言すれば講和条約の成立したる時、皇祖皇宗に対し、又国民に対し、責任をおとり被遊、御退位被遊が至当なりと思ふ。今日の趨勢より見れば、或は之は難しき問題なるやも知れざれど、而し現在表面に顕れたる過渡的の動きや、米国其他の諸国の思惑等は度外視し、真理の示すところに従ひ、御行動になるが至当にして、これにより戦没、戦傷者の遺家族、未帰還者、戦犯者の家族は何か報いられたるが如き慰を感じ、皇室を中心としての国家的団結に資することは頗る大なるべしと思わるる。若し、如斯せざれば、皇室だけが遂に責任をおとりにならぬことになり、何か割り切れぬ空気を残し、永久の禍根となるにあらざるやを虞れる。

元内大臣 木戸幸一

(p132『天皇と日本人の課題』伊崎正敏isbn:4896917545

講和条約調印直前の51年秋のことである。引用は、『東京裁判資料・木戸幸一尋問調書』粟屋憲太郎「解説」からだそうだ。

「この伝言はたしかに天皇に伝わり、天皇もまた退位を希望した。*1*2

 わたしたちの憲法はその1条に天皇をいただいているわけですから、やはり天皇という一個の人格に価値の根源を求めてしまうことも或る程度避けられないでしょう。昭和の前半と後半をヒロヒトという同一のペルソナが表象しているという事実は憲法より重い。つまり日本は国民主権の国ではなくそれ以外の何かだったのです。

 ところがそうだとすると困ったことが起こります。天皇制の倫理的根源は皇祖皇宗であるわけです。宣長や篤胤も儒教の理、天、民といった審級をただ単に否定した訳ではありません。言あげせずともそのような価値は自ずから天皇とその背後(皇祖皇宗)に現象しているというのが彼らの考えでした。

 敗戦を皇祖皇宗に恥じない天皇というものはありえません。にもかかわらずわたしたちはそうした天皇を大事にしてきました。

 この矛盾を解決するためにはどうしたらよいでしょう。わたしは天皇から憲法という拘束を外すべきだと思います。憲法からいえば、1条~8条の削除ですね。こういうとすぐ天皇制廃止論者か、とか言われるわけですが、一体ひとは天皇制を何だと思っているのでしょう。*3千年以上続いた天皇制を守りたい、のではないのですか?天皇の憲法からの自立が天皇制廃止だなんて一体誰が決めたのか。解答いただきたいものだ。

*1:同上伊崎p133

*2:だが実際には、時の実権者マッカーサーと吉田茂に反対され実現しなかった。

*3:天皇制という言葉はあまりよくないとわたしも思うのですがここでは便宜上使っています。

嫌韓・嫌中はアメリカの陰謀!

http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20051114#1131904594 カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの虚業日記

そして現在の日本の「民族差別主義者」は、アングロサクソンのポチとして、イギリスに統治されていた時代の、つまり19世紀のインド民衆やミャンマー民衆や中東・アフリカの民衆と同様に、アングロサクソンが引いた民族境界線によって民族対立を煽りあっている。バカかと。朝鮮で反日を煽っているのも同じ連中の片割れだ。東アジアが協力し合うと、アメリカや中国に都合が悪いから、東アジア間で感情のエスカレート工作を行なっている。東アジアの、ことに日本の「力」を弱めることがその「工作」の目的だ。

つまり現在の日本の「民族差別主義者」は、戦前の「軍国主義者」ほどの統治への意志も理性も知性も持ち合わせていない、真性のアングロサクソンの奴隷だ。欠片も「愛国」的ではないどころか、真に売国的である。

(余談だが、戦後の昭和天皇は、アングロサクソン帝国が植民地を現地酋長を使って間接統治した伝統に習い、アメリカによる日本間接統治のマシンとして在位し続けた。敗北によってケガレた昭和天皇が戦争責任をとって退位して、次の天皇が即位したら、「天皇」というものが真に「愛国」のシンボルになってしまうから、アメリカはそれを嫌い、昭和天皇を在位させ続け、昭和天皇とその側近はアメリカのその意図に協力した。つまり昭和天皇はやはり最大級の売国奴であり、最大級のケガレである)

 差異はあるが、わたしの主張に近いのでコピペ。

近代の超克

中島岳志という人が『中村屋のボース』で大佛次郎賞を取ったそうだ。

自らを西田幾多郎ら京都学派の哲学に依拠すると位置づける。

「近代の超克は可能か、という問いを捨ててはいけない。西洋近代が生んだものに、アジアの側から基礎づけを与えていきたい。」

(朝日新聞12/14朝)

「削除記事:唐吉田氏は送還」

艾未未氏 RT;@liuweilawyers: 16日、陳光誠のために集まった唐吉田、江天勇、滕彪は警察に連行されたが、5日午前、唐氏は東北の郷里に送還された。他の江氏と唐氏については消息不明。RT @aiww :

RT @liuweilawyers: 2011年2月16日为陈光诚聚餐后,唐吉田、江天勇、滕彪先后被北京市公安局带走。3月5日上午,唐吉田已经被北京市局送回东北老家。江天勇和滕彪至今没有任何的消息。

posted at 3月8日10:07:39

(2011.3.8追記)

海老蔵中道右派 『ノーモア氏のブログを拝見しました。

3月20日から作ってるなら、さっさと教えてくれればいいのにw

まず感想を言わせてもらえば、誤解曲解印象操作が多すぎて、どこがどう間違えているかをこれから一々説明しなければならないとは、今後費やす時間のロスに気が遠くなる思いです。

しかし、これもあなたに売られた喧嘩を買ってしまった私の不徳の致すところ、誠意をもって対応せねばなりますまい。

もうすぐ休暇も終わり、母校の後輩の指導や本来の業務で余暇が大幅に減ってしまう(今でも雑務は多くてそんなに実質的な余暇の時間はないのだが)私ですが、可能な限り対応させていただきます。

とりあえず、私への呼称で厚顔氏(つい自称してしまいましたが)とか歴史修正主義者とか浅薄とかその他レッテル貼りや罵倒語は極力減らしていただきたいものです。お互い本筋の議論以外の感情的軋轢は減らしましょう。海老ちゃんくらいなら許します。』(2007/03/30 19:55)

* 海老蔵中道右派 『一部訂正

×3月20日

○3月19日』(2007/03/30 19:58)

* 海老蔵中道右派 『ノーモア氏のブログはあまりにも間違いや印象操作のための自分に都合のいい歪曲編集が多いので、とりあえずウェブ魚拓を取っておいて後ではてなIDを取得して一つ一つ間違いを指摘して説明しようと思った訳ですが、まず、風俗営業法を検索して、該当部分を原文を残した上で訂正することをお勧めしますよ。罵倒語を使ったことが全部ご自分にブーメランのように跳ね返ってきますから。』(2007/03/31 00:50)

* 海老蔵中道右派 『ノーモア氏のブログはあまりにも間違いや印象操作のための自分に都合のいい歪曲編集が多いので、とりあえずウェブ魚拓を取っておいて後ではてなIDを取得して一つ一つ間違いを指摘して説明しようと思った訳ですが、まず、風俗営業法を検索して、該当部分を原文を残した上で訂正することをお勧めしますよ。罵倒語を使ったことが全部ご自分にブーメランのように跳ね返ってきますから。』(2007/03/31 01:06)

トラックバック – http://d.hatena.ne.jp/noharra/20070319

* http://d.hatena.ne.jp/nomore21/20070329

* http://d.hatena.ne.jp/nomore21/20070319

わたしの毎日は

1.図書館に行く(書店、古書店に行く)

2.本を読む

2-2.引用、感想を掲示板などにカキコする。

3.図書館に本を返す

からなっています。

村上一郎はずっと前に死んでしまった

 村上一郎という名前をテレビで聞く、何かの犯人らしい。それはそれで問題なのだろうが、私は別の村上一郎を思い出す。思い出したのは、最近北海(http://bbs9.otd.co.jp/908725/bbs_plain)で、山中智恵子の短歌を引用したのだが、わたしは山中のことを知らず、村上が論じている人としてだけむかし知っていたのでした。それと三島の決起について論理的でなくシンパシーを寄せる文章が二つほどあって(hatena周辺に)、批判してやりたいと思ったときも村上のことを思いだしました。で今日村上一郎がちゃんとはてなのキーワードになっていることを知り嬉しく思いました。

http://d.hatena.ne.jp/mkimbara/20031227 mkimbaraさんは村上の軍隊論とか社会科学系に興味を持っておられるようだ。わたしは歌人、短歌評論家としての村上にもわからないなりに興味を持つ。検索したら村上の短歌を引用した文章があったので、無断引用してみよう。

冥らかに思想の鞍部見さけつつけふをいのちと旅果ててゆけ
                     村上一郎『撃攘』  
 この頃、しきりに村上一郎のことが思い出される。私は彼の作品の良い読者ではなかったし、あの壮絶な自死から何年経ったのかさえ今では朦であるほど彼についてのディティールに乏しい者であるが、村上一郎が常に抱えていた絶望の感覚は、現在の私たちの前にある索漠とした不安に繋がっているような気がしてならない。        昭和十六年極月、対米開戦の前夜に。
  憂ふるは何のこころぞ秋の涯はからまつも焚け白樺も焚け
  ひとひらの雲ながるる夜さらされし屍をおもむろにめぐり去るもの           昭和二十年八月二十一日夜半、一切に挫折。
  たまきはる曠野のいのち夏草をおほいて遠く果てきいくさは
  遅れなく立たむと記すたまづさに涙か汗かしとど滲みゐし
       「六十年安保」殿戦の歌。
  いっさいのことば死に果て夜は白み己れを責めることしげきかな
  野のはてにわが葬棺を曳かしめて或る日は越えむかげろふの丘
   初版一九七一年六月二五日の『撃攘』には、(私たちの知らないところの)さまざまな日本の節目における、いかにも「国風」の短歌が収められている。虚妄としての「党」や虚飾としてのイデオロギーをすべて剥ぎ取られたところから書かれているこれらの作品をあらためて読みなおしてみれば、私たちの歌壇から失われた短歌の極北の姿を示していると言ってもいい。  村上一郎は、戦争と「党派」と安保という、まさにその背後に虚無の立ち現れる時代を生き、それらがすべて失われた、いかにも平穏な時代に死んだ。そして、私たちは、それらがあらかじめ失われてしまった時代を生きている。

「きちょう」34号評論    1998/11/29

感想とかをもう少し書くべきだとは思うが、いまはできません。せめて村上の文章を1行引用しておこう。

 人間にとって、自身の底にある一貫性は、首尾、理路を有するはずでありながら、それをただ“感じる”ほかにないもどかしさ、--短歌は長くその憂悶と期待とを伝えてきた。p10『日本のロゴス』