日本のユダヤ人問題といえば、朝鮮人問題ということになる。1910年以来民族の独立を奪い民衆を抑圧したという事実の存在は、同時期におけるアウシュビッツにいたるユダヤ人抑圧~虐殺の事実とパラレルである。(第三世界人、つまり予め植民地化されるべき民、であったのかもしれない韓国朝鮮人とユダヤ人は違うが)現在の問題は次の点にある。
「イスラエル政府の残虐性はいうまでもなく甚だしい。」
「北朝鮮政府の残虐性はいうまでもなく甚だしい。」
後者は自国民に対する抑圧であるために他国からは直接観察~批判しにくいという差異はある。
だが1945年以前における被抑圧者が(あるいはおそらく)抑圧者に転じたとき、1945年以前における抑圧者はそれを指弾するのを躊躇するという<良心>において、残虐な抑圧が継続し続けるという構造が存在する。そのことにおいて北朝鮮問題とパレスチナ問題の構造は一致する。
第一野原燐からして、このブログでは、より語りやすいパレスチナ(~イラク)問題よりも北朝鮮問題にできるだけ触れたいと思いながらも果たせていない。
http://www.asiavoice.net/nkorea/ 朝鮮民主主義研究センターなどを見て、リンクして行きたい。
http://f33b7ad9e960c670ac32f8fe131228ce.blogtribe.org/entry-e42b097d64af69210d0788be91337f58.html に「 北朝鮮難民基金の野口孝行さん・加藤博さんの講演録」があります。
生きているかどうか分からないめぐみさんなるものに大騒ぎするわりには、半年以上中国に拘留されながら野口さんに対しては何故国民的救出運動が盛り上がらなかったのか。右翼の立場からすると、難民救済する日本人は日本人ではないのか。であればおそらく北朝鮮の国益のために生きている(生きざるをえない)横田めぐみ救出を叫ぶのは矛盾していないか。
ところで(生きて帰ってきた)野口氏は上記で自己の活動の原点を確認する。「ある特定の国籍もしくは宗教・集団に属しているという事から迫害を受け、受ける可能性があり、国を離れた場合、その人達は難民である」。中国も批准している国連の難民条約である。脱北者は難民であるから保護を受ける権利がある。ところが中国当局は難民である彼らを北朝鮮に送還している。わたしたちは野口氏と共にこの点を中国当局に強く訴えていかなければならない。
しかしながらよく考えると(野口氏は長期に渡り拘留されていたから考える時間はたっぷりあった)、日本人は偉そうに言えないのではないか?
そういう風にしながらですね、いざその自分の日本の国というものを見てみますと、先日ですね、私はちょっと日本の状況を調べていたんですが、2001年の1年間で日本が難民認定を与えたケースというのはですね、たったの26ケースなんです。そして更に2002年、これは14人なんです。そして去年はですね、336人申請したうちのたったの10人しか難民の認定を与えていないんですね。これは毎年減って来ている訳です。そして先進国と言われる国を見ると、毎年数万人単位で難民認定を与えています。一番少ないイタリアでも2002年、2100人という人達に認定を与えてますね。そうするとですね、日本の団体である私達、私が中国に対して「あなた達、北朝鮮の難民を難民認定して保護しなさい」と言っているのはですね、とても空しい風に感じる訳ですね。で、よくよく突き詰めると、これは矢張り日本人のですね、我々一人一人の人権意識というものが非常に低いと言わざるを得ないと思うんですね。
http://f33b7ad9e960c670ac32f8fe131228ce.blogtribe.org/entry-e42b097d64af69210d0788be91337f58.html
北朝鮮問題とパレスチナ問題の構造の一致、というより差異の問題になった。(北朝鮮に対する報道は少なくない。必ずしも排外主義一色でもないとも言える。)横田めぐみさん、拉致された日本人を北朝鮮から奪還せよ、というストーリーばかりが叫ばれるが、めぐみさんはまだ帰ってこない。帰ることが大事なのか。そうではなく大事なのは移動の(国境を越える)自由だろう。一人でも多くの脱北者に保護を与えることに積極的に成るよう、わたしたちは日本政府と中国政府に働きかけるべきだろう。