与那国島から台湾を見る

台湾と沖縄、反戦平和とは何か?

https://www.youtube.com/watch?v=SsCUoEH1sR8
 自主講座「認識台湾」第2回:シンポジウム 台湾と沖縄 黒潮により連結される島々の自己決定権―東アジア地域世界の「平和」を準備するために、という長い題のシンポジウムをzoomで聞きました。京大の駒込武先生が中心になって行われているシンポジウム(自主講座「認識台湾」立ち上げ企画とされている)で、台湾人の呉叡人という学者(ひまわり運動にも関わった人)がメインのスピーカーなようだ。

 私は台湾のことはよく知らない。ただ2019年の香港民主化運動が弾圧されその参加者が亡命のように移住している国といったイメージがあるだけだ。最近、石垣島、与那国島に旅行した。与那国では特に台湾まで111kmと台湾への近さが強調されていた。近いとは、日常に必要な物資などもそちらから輸入する方が早いということだ。しかし入管、検疫などいろいろな問題があり、交流を急拡大するのは難しいとのことだった。そして与那国では島論を二分する住民投票で反自衛隊派が敗北し、自衛隊基地が建設されていた。私は大阪の近くの住民なので沖縄のことも台湾のことも身近には感じていない。ただ与那国の最西端に立って台湾が見えるかもしれないと目を凝らしたが見えなかった(雲は見えた)体験をしたので、このようなテーマにも興味を持った。

 この企画は今はyoutubeにもあるので誰でも視聴可能です。
https://www.youtube.com/watch?v=SsCUoEH1sR8&t=9s
54ページもある充実したブックレットなど資料のダウンロードも可能です。 https://drive.google.com/drive/folders/1MPvzjGzDJw-VCl195zd8VxS67cShgQtB

 ブックレットを見ながら、簡単に感想を書いてみます。
 台湾人にとって、戦前はもちろん日本人が支配者であり自分たちは被支配者だった。しかし戦後は国民党がやってきて彼らが支配者になった。従属的人民であり続けることへの拒否を示した人々が1947年228事件を起こしたがそれは苛烈な弾圧にあい、1987年まで独裁体制が続いた。その後ようやく台湾人も参加できる国家(ネーション)形成が開始された。呉叡人は『想像の共同体』の翻訳者として知られている人のようだが、彼のこの本の読み方は日本人のそれと違って、市民が主体的にネーションを作っていくとポジティブな方向で読むようだ(おそらく)。
 台湾は戦後ずっと大陸の中国共産党によって軍事的な圧迫、威圧を受けてきた。最近では去年8月の、台湾を取り囲む六つの海域での大規模な演習があった。このような軍事的圧力に対抗できるものはやはり米国の軍事力しかない、と呉叡人は考える。

 私たち日本人の戦後は、米軍の占領下で始まり、朝鮮戦争開始、自衛隊創出と続き、日米安保条約は現在まで維持され続けている。米軍の勢力範囲内であり続けたわけで、中国の軍事的脅威は直接的なものではなかった。米国軍の存在による、レイプや犯罪の危険といった(本来あってはならない)脅威があり、そういった問題に対して日本政府は住民の側に立たず、米国援護的であるという矛盾があった。日本は民主主義国であるはずなのに、米軍基地問題については住民がいくら意志を示そうが拒否されることが続いた。特に沖縄は辺境の島であり、植民地主義的抑圧とさえ言えるものを受けている。それが米軍の圧力を甘受しつづけなければならないことに結果している。
 
 一方、台湾は冷戦構造のなかで、中国が2つに分断され、より小さな部分が1972以降、中国を代表する権利すら失い、国家としての権利を国際社会から認められないまま、何十年も生き延びてきた。そのとき、中国からの軍事的、政治的、経済的な圧迫は大きくその力はますます大きくなっている。米軍の強大な力は彼らにとって、中国に対抗するために必要な頼もしいものである。
 このように、米軍の存在に対する評価が沖縄と台湾では正反対になる。

 しかし、それは反基地闘争する沖縄県民と中国の侵略に怯えている台湾市民が、対立関係になるということだろうか?そうでもない、と考えることはできないか?このような問いを抱いてこのシンポジウムを視聴することができる。
 
 
(2) 
 「台湾有事は日本有事であり、日米同盟の有事でもある。この点の認識を習近平主席は断じて見誤るべきではない。」2021年の暮に安倍晋三はこう言った。(cfブックレットp40)
 台湾市民はこの発言を歓迎しただろう。台湾を国家承認している国はとても少ない、日本もしていない。だのに突然安倍元首相がこう言ったわけだ。(香港市民は香港には何も言わなかったのに、と思ったかもしれないが。)中国が軍事的に侵攻する時に台湾市民の側に立つという表明として受け取るなら、同意してもよいかもしれない。(どうだろう)
 
 中国政府は平和的手段による「台湾統一」を望んでいるのであり、台湾を標的とした軍事演習も米国による挑発へのやむをえぬ対応である、と理解する人が日本の左翼・リベラルには多い。中国と米国と日本の三者で台湾問題を平和的に解決すべきだ、という考え方すらある。大国の首脳の利害、得失の判断で世界に線を引く合意をすれば、弱小勢力はそれに逆らえない。それを維持することが平和だ、という考え方だ。それはほとんどウクライナ人が戦わず降伏しておれば平和だった論と同じで、平和という言葉を誤解していると思われる。(ただそういう人は多い。)国家単位でしかものごとを考えないならそういう結論になる場合もあろう。
 
 2019年、沖縄での県民投票(辺野古新基地をめぐる)と香港での民主化運動(大デモ)が同時に起こった。反米/反中という冷戦的二項に還元して理解するのではなく、自己決定を求める闘いとして捉えるならば、共通の地平で理解することができるかもしれない。
 政治というものを、冷戦構造的二項対立や国家や政党間のつなひき、勝敗と捉える浅薄な味方をまず退けなければならない。「台湾は、強権によってもてあそばれる客体から、自己決定・自治を担う政治主体に転化しました。(ブックレットp25)」と呉叡人は力強く書く。のいちご学生運動(2008)からひまわり学生運動を、成熟した市民社会が危機を効果的に阻止した体験、と評価しているのだ。国家(ネーション)というものは制度や国会での議決結果だけで計るべきものではない。ダイナミックな市民社会との交流の結果成立、変動するものである。活動家でもある呉叡人がそう言う。日本ではマスコミの報道が抑制的すぎるせいもありそうした認識は根付いていない。投票結果だけが民主主義であるかのようなプロパガンダが浸透している。しかし実際には日本でも市民運動、いろいろな位相に存在する世論、などと国会などは交流し、その結果として政治は生み出されているのだ。
 
 ところで、日本は中華民国に対しても、中華人民協和国に対しても結果的に賠償責任を一切果たしていない。(請求させなかった)日本は台湾に対して加害の歴史がある。加害者は破壊したものを修復しなければならない。中華民国政府と取引することでそれを免れようとしてはならない。

 日本は民主的で平和な東アジアをつくる責務を、世界に対して負っている、と呉叡人は言っている。これは別の文脈でも是認できる。
 敗戦後再度国際社会に承認して貰うにあたり、憲法が諸国家ではなく、「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」と述べたことを思い出す必要がある。このように考えれば、どのような視野で台湾/中国を見るべきかは明らかであるはずだ。自国の利益あるいは日米同盟の世界戦略からみての問題点だけを優先することはできない。

 抽象的理想主義の文脈でこう書いているのではない。二項対立的価値の争いのはるか手前に、現実の市民の努力と絶望に近い希望があるのだ。

(3)
 最後に、張彩薇(ちょうあやみ)のコメントも興味深いので、簡単に触れたい。

 「軍事的(防衛の整備)にも、政治的(自主の維持)にも、価値観(民主の堅持)という点でも、台湾が中国による侵略に有効に対処するには、米国主導の中国包囲網に加盟するほかはありません。」(呉叡人 ブックレットp20)

 呉は明確に述べているが、日本の左翼にとっては認めたくない文章だろう。どう考えればよいだろうか?
 まだ今は台湾は、ウクライナのように軍事侵攻されていない。「米国主導の中国包囲網に加盟する」かどうか?
 ウクライナ戦争を考えるとき、被害者であるウクライナ市民とその戦う意志にまず焦点をあて考えるべきだろう。同じように台湾市民とその戦う意志のことをまず考えるべきであり、「米国主導の中国包囲網」の問題は次の課題だ。しかし、香港のように自由を奪われることはどうしても嫌だとするならば、「米国主導の中国包囲網」についてもとりあえずYESいうことはありうる(日本人は口を挟むべきではないだろうが)

 ある国家は、Aと敵対するためBと同盟することができる。その場合Bが気に入らなければAに再度接近することができる。このように国家は小国であっても一定の自立性を保持し続けることができる。ただ台湾は中国から自立した十全の国家であるとは認められていない。それが辛いところだ。(ところで日本は、立派な国家なのに、中国を始めとするアジア諸国との友好関係を全否定することで、米国一国への従属体制が続いている。それは愚かなやり方だ。)

 香港も台湾も十全な国家ではなかった。しかしそこには民主主義的と言いうる多様な言説と行動があった。独立主権国家になろうとするのは分かるが、そうでなければダメというわけでもない。
 台湾が十全な国家になること、独立を中国が認めることは当分できそうもない。しかしそれを求めるべきだというのが呉叡人であり、まあそうかなと。
 ただ、主権国家を前提とする国際社会のあり方を絶対視することはするべきではない、張さんが言うとおり。
日本国憲法前文もそのように読める可能性がある、。

 台湾人は沖縄の基地強化を望んでいるか?という問いがある。自分を守るためには本音ではそうだ、と呉叡人はいうかもしれない。それは自他の間に利害の対立があることを、認めているということだ。自分に不利な現実を無視して、自分の思想にほころびを生じさせないないようにするよりマシであろう。

 沖縄人は米軍基地に反対する。米軍基地が台湾国家に対してどういう意味を持つかをそのとき第一義的に考える必要はない。ただし、軍隊というのはどんな場合でも反人民的存在だというドグマは正しくない可能性があると考えるべきだろう。
 つまり、「反戦平和」が、自立を求めるひとを沈黙させるための言葉になる可能性もあるのだ。「反戦平和」は第一義的には既成国家(武力)間の勢力均衡を破らず現状を尊重するという意味だろう。そうであるとすれば、必ず正義と一致するわけではない。
 
 彼女の「台湾は中国ばかりではなく、アメリカと日本をも批判しなくてはならない」という発言は印象的だ。
 ただ、批判に関していえば、日本人でも台湾人でも、イスラエル人やミャンマー人(ミンアウンフライン)やウイグル人を弾圧する中国人、人権派弁護士を弾圧する中国政府など、気がついたらどんどん批判すれば良いと思う。「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」を基準にすることは日本人には許されている。どう認識するか、と実際に何ができるか、は分けて考えてもよいと私は思っている。
(文中、敬称略)