第3・4部 倫理
自由意志
余談:消費者主権(主流派経済学の根柢にある、消費者は自分の効用(満足度)が最も大きくなるように行動するという仮説)。ガルブレイスは企業が宣伝や広告などを通じて消費者の欲求を作り出す現象を「依存効果」と呼び、消費者主権に疑いの目を向けた。(日経新聞0925)
神にも人間にも自由な意志は存在しない 132 意志の主体をスピノザは認めない。
2定理四九 精神の中には観念が観念である限りにおいて含む以外のいかなる意志作用も、すなわちいかなる肯定ないし否定も存しない。
1,この説は、安らぎと最高の幸福を教え、正しい生き方がおのずとできるようになる効果をもたらす。
4,この説は、共同社会のために寄与する。
まとめると、自分を許す、社会を許す である。 134
4 定理二五 何びとも他の物のために自己の有を維持しようと努めはしない。
AであることはAであり続けようとすることだ、コナトゥス
4 定理一八備考:理性は各人が自己自身を愛すること、自己の利益・自己の真の利益を求めること、を要求する。 136
人間は与えられた間違った価値観により、名誉、金銭、性的対象を求めるものではないか?それに抗うためには、禁欲は有効なのでは? 野原
3定義二 我々自らがその妥当な原因となっているようなある事が我々の内あるいは我々の外に起こる時、私は我々が働きをなす〔能動〕と言う。これに反して、我々が単にその部分的原因であるにすぎないようなある事が我々の内に起こり私は我々が働きを受ける〔受動〕と言う。
喜び:喜びを精神がより大なる完全性へ移行する受動と解し、これに反して悲しみを精神がより小なる完全性へ移行する受動と解する。 3定理一一備考
よいものを求める欲望は、こんなふうに求めるべきものの認識がしっかりするほど強度を増し、コンスタントになる。140
4 定理二一 何びとも、生存し行動しかつ生活すること、言いかえれば現実に存在すること、を欲することなしには幸福に生存し善く行動しかつ善く生活することを欲することができない。
幸福にあるいは善く生活し・行動しなどなどの欲望は人間の本質そのもの、言いかえれば各人が自己の有を維持しようと努める努力そのものだからである。> 世捨て人願望はダメ 140
強盗に出会う 起こることは私がどう想像しようが必然的に起こる。
そう腹をくくるとき、期待と恐れに振り回されることは止む。144
余計な恐れを持たない自由人は、自由に闘うあるいは逃げる 恐れは無駄。
憎しみとは、外部の原因の観念を伴った悲しみにほかならない 146
例えば人間が自らを自由であると思っているのは、(すなわち彼らか自分は自由意志をもってあることをなしあるいはなさざることができると思っているのは、)誤っている。そしてそうした誤った意見は、彼らがただ彼らの行動は意識するが彼らをそれへ決定する諸原因はこれを知らないということにのみ存するのである。だから彼らの自由の観念なるものは彼らが自らの行動の原因を知らないということにあるのである。:2定理三五備考
3定理二七 我々と同類のものでかつそれにたいして我々が何の感情もいだいていないものがある感情に刺激されるのを我々が表象するなら、我々はそのことだけによって、類似した感情に刺激される。
自由意志の幻想と感情の模倣、この二つが組み合わさって許せないでいる。
無理に許すのではない、自分の感情を自然現象として説明し理解してやる 147
理解は十全な観念による理性の能動。
悲しむべきとには正確に悲しんだ方がよいのではないか?野原
3定理51備考 その上憎む者に害悪を加え・愛する者に親切をなそうとする彼の欲望が私の躊躇するのを常とする害悪への恐れによって抑制されぬことを眼中に置くなら、私は彼を大胆と呼ぶであろう。次に私の軽視するのを常とする害悪を恐れる者は私には臆病に見えるであろう、その上もし彼の欲望が私のあえて躊躇しない害悪への恐れによって抑制されるということを眼中に置くなら、私は彼を小心と言うであろう。そして何びともこのようにして判断するであろう。
4定理五〇系備考 一切が神の本性の必然性から起こり、自然の永遠なる諸法則、諸規則に従って生ずることを正しく知る人は、たしかに、憎しみ、笑いあるいは軽蔑に価する何ものも見いださないであろうし、また何びとをも憐れむことがないであろう。むしろ彼は人間の徳が及ぶ限り、いわゆる正しく行ないて自ら楽しむことに努めるであろう。
無力のしるしでしかない否定的な感情から自分自身を救い出し、喜びと欲望だけからなる大いなる自己肯定へ向かうための、ゆるし。 149 (「謝罪」であっても、よい?)
エチカ は人間の感情と行動を説明するだけ、「〜すべし」とは言わない
説明そのものに ゆるしの効果がある (少なくとも事態は少しマシになる) 150
彼は自己ならびに自己の感情を認識することがより多いに従ってそれだけ多く神を愛する。5定理一五証明
スピノザは、強さと自己肯定を原理とする
系二 おのおのの人間が自己に有益なるものを最も多く求める時に、人間は相互に最も有益である。
人は他者とともに生きる。
4 定理七一 自由の人々のみが相互に最も多く感謝しあう。
人間を結びつけてきたものは理性ではなく、感情だ。孤立への恐れは万人のうちにある。
ここから、人間たちはその本性からして国家状態を欲求する。 (国家論・岩波文庫)155
国家は、すべての人が、自発的にせよ力あるいは必要に強いられてにせよ、とにかく理性の指図に従って生活するように、制度化されなければならない。 156 国家の肯定
国家は本性上、服従を生産する巧妙な「術策」でしかありえないし、それで良い。157
恐怖によってではなく、「自分は導かれているのではなく自分の意向・自分の自由決定に従って生きているのであると思いうるようなふうに導かれなければならない」。国家論 157
政治を 倫理的な堕落として嘲笑・呪詛する憂鬱な思想 と手を切るべき! >現代的問題!
批判はすべきだが、嘲笑・呪詛は、ありもしない自己の倫理的高みを空想しているだけでありダメ。野原
4定理七三 理性に導かれる人間は、自己自身にのみ服従する孤独においてよりも、共同の決定に従って生活する国家においていっそう自由である。
そんなのは結局、現状是認にすぎない? いや違う。 158
欲望は実現してほしい事態を目的として思い浮かべる
哲学は、この目的を、完全な理想像としてはっきりさせることをすべき
最善の国家を造る 不完全だと批判するのはOK
不完全とは事物そのものに宿る性質ではない 比較する「思考の様態」にすぎない 159
AさんよりBさんの方が走るのが遅い しかしBさんの速度には必然性において生じているものであり(原因がある)、それに不完全・欠如と名付けるのは間違い 160
ところで、スピノザは早いほうが望ましいとは、言っていない(たぶん) 美しい方がよいとは言うが 内在的に最良であるために、ありったけの知恵は絞る。
だが、それ自身で見られれば、存在するどんなものも、そのつど完全である。161