〈共同体〉とは何か?

ふじのにできて、あなた〜わたしにできないこと、とは現在何だろうか?

わたしたちは一つの幻想あまりにも強く存在を拘束されているため、もはや自由とは何かが分からなくなっている。〈働かなければならない・稼がなければならない〉がそれだ。一見それから免れているかに見える専業主婦なども、毎晩の晩飯を作らなければならないという形でそれに縛られている。

しかし、すこし世界を見渡すとそうした思い込みは特殊なものに過ぎないことがわかる。例えば古代ローマのストア主義者の場合は、いかに良く死ぬかだけを考えて生きるべきだとされていた。
わたしたちはわたしたちの自由を自分で定義することができる、生活と語り方のスタイルを共有することによって。非暴力の自らの生活基盤や身体性の根底からの再検討をめざす表現過程において。

自己/あなた/第三者の3つの位相において、常に〈開放〉を志向すること、つまり、

自己が自己であり続けようとする固執を常に解除し続けること。

存在論的対等という要求をあいてに示し、自己もまたそれに開かれているようにすること。

形成されつつある関係性が疎外し忘れている人物、また無関係な外から飛び込んでくる人物を
最重要視し、一旦は考えてみること。

このように考えるなら、いまここから、再度〈共同体〉を作っていくことは可能なのではないか?

                     2016.7.8   野原燐