市民運動を、過激派として排除しようとする某氏

自分のこと賢いと言っている菅野氏の発言ぶりを聞いてそれに同意する人も少なかろうが、そんなことはどうでもよい。「その黄色いおっさん」(HTさん)を極左であると決めつけていることが問題。

しかも、「極左暴力集団である中核派関西派に最大限の侮蔑であたる」ことは当然だと言い放った直後なので、HT≒中核派であるかのように位置づけた上で侮蔑したということである。仮にHT氏が中核派構成員であろうが、それだけで侮蔑すべきではない。しかもそれは個人的言動ではない。反斎藤のデモの最中に、ある市民を、極左と呼び排除しようとする。その菅野氏の政治思想が問われるべきである。

https://twitter.com/noiehoie/status/1968649203346735204

菅野氏は、ヒューマンチェーン第4派の主催者および参加者全体を「中核派関西派」と言っているようだ。
少なくとも、上記ツイートによれば、ヒューマンチェーン第4派の参加者全体を、現場で「極左暴力集団」であると決めつけていることになる。

その根拠というのは、このツイートにある「M氏が中核派関西の一員であり、市民デモHYOGOの中で幹部組織である「世話人」の役についている。」というだけである。

市民デモHYOGOは、約40の市民活動団体のゆるやかなつながりにすぎない。ML(メーリングリスト)の他に、月何度かのビラ撒き、集会企画などをするだけの団体である。
来るものは拒まない方針のため、元または現新左翼組織の構成員が会合に参加することもあるだろう。「中核派」というものにアレルギーを持つ人は多く、それには理由がある。しかし、M氏を拒絶しなかったことによって、市民デモHYOGOおよびその企画に参加した市民を「中核派」「極左」と呼び、排除すべきと呼びかけることは明らかに間違っている。

市民デモHYOGOは、あくまで連合体に過ぎず、組織方針を決める幹部組織などというものは存在しない。組織としてありえない、と菅野とドンマッツからは見えたようだが、緩やかすぎる組織だからこそ持続しえた(とも言える)。資本主義社会で通用する組織の常識を絶対視する彼らの方がオカシイのだ。

「長く運動してきたからと言って
市民デモHYOGOのやり方には一切賛同しない。

一時は敬意を持って接したが、蹂躙に蹂躙を重ねられ、今の状態になっている。」とドンマッツ氏は言っているが、「蹂躙に蹂躙を重ねられ」などという事実はなかろう。
去年の集会で、ドンマッツ氏に失礼な行為があったようだが、謝罪はなされている。
なんで「一切賛同しない」と力む必要があるのか?(もちろん賛同してないのだからそのままで良いが、激しい嫌悪のエネルギーを持続する根拠がよくわからない。)

おはようございます。

「新たな、本当に民主的な、県民による兵庫県の民主主義を下支えする運動が必要やから、こないだの県民集会みたいなロートルクソリベラルのやってる自己満足の運動やったからあかんから、みんなで集まってみんなで活動してるんでしょ?」(11577行) 正常会のログから菅野氏発言。

これについて共感できる点もある。 こないだの県民集会の主催者はきちんとした組織ではないので不明確。市民デモ兵庫というMLの中心的活動家がその集会のために集まったもの。

「ロートルクソリベラル」というよりとりあえず「ロートル左翼」と呼んでおく。 1.「ロートル左翼」の欠点。ある目的を達成するために時間がかかる。 また、議論で決めるといいながら、時としてその経過があいまいであり、公開されていないこともあり、あいまいorパワハラ的なこともある。中心メンバーの感覚でものごとが決まっていく。

2.「ロートル左翼」の長所。メンバーの発言や行動について最大限の自由が認められる。意見がちがう人々も活動にさえ同意すれば、一緒に行動することができる。例えば、ある集会をする時、その目的、趣旨などを厳密に定めず、(今回の場合なら、反斎藤の運動を作る、といった)大雑把な目的のために一緒に行動できる。

集会にしろチラシにしろ、お客さんに楽しんでもらえるようなプロの水準というものは想定可能です。正常会ではそうした水準のものを作らなければならないという意識が強いようです。

市民運動(など)において、一番大事なことは、誰に頼まれたわけでもない自分自身の意志で、ある行為を行うことだと思います。twitterで2.3行の文章を書くときも、まじめに考えればけっこう考える時間が必要です。また友人と話あってもいろいろ話をしていくうちに、いろいろなところで驚くほど考え方が違うことに気づくはずです。 そのような悩みにいちいち付き合いながら、行動、発言を深めていくことが、市民活動としての「成熟」ではないでしょうか。 ここでいう「成熟」がないと、例えば各政党などの影響力に振り回され、不満ばかり貯まることになります。

☆「裏側での個人間LINEのやり取り」の禁止など、メンバー同士の二人または数人の直接の意見交換を禁止したいという、思想をはやくからこのグループは持っていたようです。日本共産党的にいう「分派活動の危険性」を警戒してのものでしょう。 とにかく、指導部あるいは討議による結論が先にあり、目標のために異論を唱えず効率的に行動する組織、普通の会社のような組織、をこの会は目的としているようです。 これは私の考える、民主主義的社会運動とは違います。100人居れば100人の考え方があり、相違と議論はいつまでも残るはずです。不和や矛盾をかかえながら、目標において一致すれば良いだけでしょう。

以上、おおむね以前に書いたことの繰り返しになりましたが、私が言いたいことを書かしていただきました。

それと、私が行っている県庁前スタンディングのように、一人でもできる行為をみなさんひとりひとりもっと行われたらよいのにと思います。

いま、どんどん人が抜けてますね。 組織に対して無条件の忠誠を持たない人は黙ってやめてほしい、とメッセージされているような感じだ。 やめるなら、今の気持ちを聞かせてくれ、斎藤を辞めさせたいという当初の気持ちは一緒だったのに、どこで食い違ったのか私たちも考えたいから、という柔軟さを、この組織は持たないようだ。 除名に関するルールと○○委員会をまずきちんと整備すべきでしたね。 野原燐 (正常会 https://hyogo-seijoukai.jp/ を止めるときに書いた文章)

5月に(正常会 https://hyogo-seijoukai.jp/ を止めるときに書いた文章)が出てきたので、参考までに、掲載しておく。
正常会というグループは、異論あるひとを排除するという不健全なグループだったので、もっと早くめんどうでもきちんと批判し、辞めるべきだったね。
だいたい、菅野氏が最初、トキシック・マスキュリニティを口にした時点で、ひっくり返って、戻るべきだった。

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