玄基栄『順伊(スニ)おばさん』について

2000年に「済州四・三事件真相糾明および犠牲者名誉回復に関する特別法」が出来るまで、口にすることもできないほどの強いタブーの下に置かれていた済州島四・三事件。
1978年という早い段階で書かれたこの本は画期的なものであったが、光州事件を起こした全斗煥政権に許されるはずもなく発禁となった。

あまりにも残虐・悲惨だったその事件の全体像を垣間見るためには、この200頁足らずの本はとても有益である。四・三事件に関心を持ったすべての人に勧めたい。
と同時にこれら4つの短編は文学としてもとても優れている(また読みやすい)。

甚だしい残虐行為は被害者にも加害者にも、PTSDなどその存在に大きな傷を与える。(済州島の人々はその後も生活苦が数年続いたが)平穏な生活が何十年続こうがその見えない傷は癒えず、晩年に健康が衰えるとその過去は思わぬ力を振るいはじめる。このような問題は普遍的テーマとして何度も語られているが、順伊(スニ)おばさんはその最も成功した例だろう。

順伊おばさんは済州島からソウルに来た56歳の女性だ。お手伝いさんとして。
「近所の人たちが、わたしの陰口を叩いているだよ。こんど来たミンギとこの食母(女中)は大飯食いの済州島婆だと噂が出てるだよ」
「そりゃあ、ふるさとで畑仕事をしながら、麦飯を鉢に山盛りで食べていた癖があるもんだから、(略)茶碗でご飯をいただいているおまえさんたちよりたくさん食べているのはほんとだよ」つまり、大飯食いというのは「事実に反する中傷」ではない、しかし差別というものはそれが事実であればあるほど効果的である。
都会人は農民に比べると驚くほどちょっとしか米(この小説では麦、粟、芋どころかそれ以下のものを食べて生き延びたことが記されているが)を食べない。しかも都会人はそのことをまったく忘れている。そのような私たち自身の無意識というものが、大災厄をたまたま免れた幸福や、大災厄を通り過ぎそれをむりやり忘れようとしてきた自分に作られたものに過ぎないということ。ふつうの人間が持っている存在の「罪深さ」とまで言うと、違ってしまう。そのような問題を正確に描き出しているのだ。

この小説は、済州市の近くの田舎町の女子供の視点から書かれている。つまり被害者である。政治的情況が襲いかかってきたときよくわからないながら、「山暴徒」の側に参加していくことを選んだ青年たちの意志といったものは書かれていない。しかし、被害者というものがその混乱のなかで、いくつもの決断を強いられること、それは当然被害者だから無罪といった説明で納得できるものではないこと、被害者はアクティブな契機をいくつも持つがゆえにどこまでも自分を責めざるをえないものだということ、それを執拗に書きとめている。
ひとつの事件を最も深く描いているがゆえに、時代を超えた傑作になったのだ。

訳者である金石範氏による解説より、この事件の背景情報を参考までに補充しておきます。

スニおばさん 背景情報
EPSON MFP image