イスラム映画祭2022感想

イスラム映画祭、終わっちゃったが、今年は特に女性映画の傑作が多かったと思う。本当に感動した!
『ヌーラは光を追う』ヒンド・サブリー主演。『ある歌い女の思い出』でやせっぽちの少女だったサブリーが、たくましく美しくなっている。すごく魅惑されてしまった。
テンポの良いストーリー展開。一般公開してほしい。

『ソフィアの願い』モロッコでは婚前交渉を行った者は1年以内の懲役。未婚の女性が突然破水、どうなるのかなと思ったら、これはちょっとびっくりする映画!
(映画には関係ないが日本では婚前交渉は当たり前だが、妊娠すればほぼ自動的に堕胎される。それも実はおかしいと思う。)

辻上奈美江さんによれば、この映画はルッキズムへの異議申し立てを見事に表現しているという。主人公ソフィアは「絶望的な表情を貫き、服装、立ち居振る舞いなど多くの人が美しいとは思えないだろう所作を意識的に演出しています。」そういわれるとなるほどと納得してしまう。完璧なフランス語を話す美貌の姉(しかも完璧に優しい)との対比が常に強調されている。
ルッキズム批判とかさかしらに口にしている人もいるみたいだがあまりピンとこなかった。このマーナーな映画は大きな達成を成し遂げていると評価できるのではないか。
ビンムバーラタ監督になぜそれが可能だったか。欧州とアフリカの境界の街では、美と不美人との落差はあからさまである。フランス的なものは美しくアフリカ的なものはそうではない。この構造を最初から突き付けられるのがモロッコの映画作家だからこそ、このような映画が作れたのだ。

『天国と大地の間で』ナジュワー・ナッジール監督。
若い男ターメルはパレスチナ難民だが1993年のオスロ合意で西岸ラーマッラーの高級住宅地に住んでいる。妻サルマはイスラエルのパレスチナ人でイスラエル市民権を持っている。二人は5年間の新婚生活に倦み、離婚を決意する。ただ映画では二人はそれほど仲悪そうにも見えず違和感がある。この夫婦はオスロ合意あるいはパレスチナ自治政府の暗喩なのだ。「譲歩して譲歩して疲れてしまった」みたいなセリフがあった。
離婚届を出しに夫婦はイスラエル領内に入る。パレスチナ問題というとユダヤ/パレスチナの問題だけかと思うがそうではなく、かってユダヤ人でも反体制派(共産主義者)が存在し、ナクバにおいて新支配者たちに必死の抵抗をしていた。サルマの父もそうでありターメルの父はその中で殺されていた。ターメルの父ガッサンに戸籍の空白があると指摘され二人は調査の旅に出る。彼は若い頃ハジャルというユダヤ人女性と暮らしていたらしいが。云々。パレスチナ人と並ぶユダヤ国家の犠牲者である「ミズラヒーム(=東方系ユダヤ人)」については省略。https://www.motoei.com/eventreport/islam7_0503event/
岡真理さんの解説を読むと、世界から多様性を消し去り、「ユダヤ」対「アラブ」という二項対立的価値観に押し込めること、そのことなしにはシオニズム国家イスラエルは成立しない、というふうなことなのかと思った。
夫婦は離婚したのか?たぶんしなかったのかも。パレスチナ自治政府は存在し、パレスチナ国もたぶん存在するから。絶望とともに。

去年のイスラム映画祭でやった『シェヘラザードの日記』はレバノンの女子刑務所におけるドラマセラピーを扱った映画だった。https://twitter.com/noharra/status/1389948467649286150
ボスニア・ヘルツェゴビナでは1992-1995、セルビア人、ムスリム人、クロアチア人が混住している地域だったが、独立の機運が高まり、3年半に渡り全土で紛争が続いた。
今年の『泣けない男たち』はその戦争で心に深い傷を負った(被害者として加害者として)、男たちにドラマセラピーを施そうとする話である。男たちはどうしても触れることができない心の傷を20年以上も隠し続けている。それを語り演じてみようとすること。それによって初めて凍結させていたタブーを溶くことができるはずだが。男たちは次第にふざけあったりもできるようになる。プールで水を掛け合う場面は印象的。しかし解放は難しく、激しい自傷や加害が起こってしまう。20年前の傷を癒やすために歩まなければならない具体的道行きは長い。
戦争は多くの人に長い長い苦しみを与えるものなのだ。いままであまり語られて来なかったが。

http://islamicff.com/movies.html イスラーム映画祭2022