戦争よりも悪いこと

下記の森岡氏の掲示板に今日書き込みました。以下の通り。

http://6113.teacup.com/lifestudies2/bbs

戦争よりも悪いこと 投稿者:野原燐  投稿日:11月25日(火)20時03分35秒

「田中宇の国際ニュース解説」によれば次のような事件があったようです。

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http://tanakanews.com/d1125iraq.htm

9月下旬、バグダッドから北に70キロほどいったイラク中部の町ドルアヤの近郊で、米軍のブルドーザーが果樹園の

木々をすべて根こそぎにする作業が行われた。付近は旧フセイン政権の支持者が多いスンニ派の地域で、米軍に対す

るゲリラ攻撃が頻発していた。米軍は、付近の村人たちを尋問したが、誰もゲリラの居場所を教えなかったため、その「懲罰」として、村人たちが所有するナツメヤシやオレンジ、レモンなどの果樹を、根こそぎ切り倒した。(関連記事)

伐採するなと泣いて頼み込む村人たちを振り切り、ブルドーザーを運転する米軍兵士は、なぜかジャズの音楽をボリューム一杯に流しながら伐採作業を続けた。ナツメヤシは樹齢70年のものもあり、村人たちが先祖代々育ててきた果樹園だった。伐採を止めようと、ブルドーザーの前に身を投げ出した女性の村人もいたが、米兵たちに排除された。

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田中氏が指摘するように、これはイスラエルによるパレスチナ人のオリーブ林の破壊に似ている。だが私の思うにはこの方がもっと悪い。イスラエルはパレスチナ人を予め狭い地域に閉じこめた上で彼らの生活手段を奪っており、パレスチナ人はイスラエル社会に依存して生きるか難民としてその地域から逃げるかを迫られる。(うまくいくかどうかはともかく)イスラエルのやり方には(少しは)合理的根拠がある。しかし、上記の米軍のナツメヤシ破壊はどうだろうか? 広大なイラク全土に住むイラク人たちに反米の怒りをかき立てる以外にどんな効果があるのだろうか。

野原燐

神道(forビギナーズ)

 石牟礼道子は与那国島へ行った時のことをこう言っている、「山と名がついているから山かと思って行くと、地上から十五センチばかり高くて木が生えていると、そこはもうほんとうに聖なる山で、そういうところに湧いている泉とか、海岸などの直径1メートルもないくらいな湧き水で、イザイホーの祭事の禊ぎをなさる、そういうのを見てますと、ほんとうに神が宿っている雰囲気がいたしますね。」*1

これは島尾ミホと石牟礼の対談で、ミホは子供の頃からカトリック道子は最近得度して浄土真宗になった(と始めて知った)が、ここで言っている神は<日本>古来のものだろう。

 「土曜日の午後や日曜日には、わたしは島のあちらこちらにあるイシバ(石場)へ出かけた。イシバというのは(略)苔むした玉石で囲まれた空間に、尖った石が立っている一種の磐座である。そうした石の神々をイシバサマと呼ぶが、イシバサマのなかには、イシバを持たない神もいて、草ボウボウの、ちょっと見ただけではまったく何でもない場所に、ポツンと御幣が立つという神もある。」とこれは、菅田正昭氏の本の後書きp172から。*2「日本は島国だから島のことを勉強すれば日本が分かる」と考えた若き著者は、東京の南360キロほどの孤島青ヶ島が村役場職員募集のお知らせを見て勇んで応募し島へ渡った、そしてそこでイシバサマに出会ったわけである。

 ついでに思い出したことを書いておくと、去年ウスリー川のずっと上流映画『デルス・ウザーラ』に出てくる川だというところで地元の猟師(ウデゲ族)と川を遡っていると彼らは途中で止まった。巨岩がありそこにウヲッカをこぼして祀る。なんだ神道と同なじやなと、わたし(野原)は思ったのでした。

 上記の三つには共通点もあるが相違点もあるのだろう。でもウデゲ族はかなり遠いから外すとして、上の二つのような神こそが、日本の固有信仰の原点なんだと、菅野氏の本を読むとそのようにも理解してもいいのだと思える。

 要は「神道」と言ったとき、<神>と<道>からなる。道を言説と考えると、神は目に見えないが言説はそうではないので言説の方にどうしても眼を奪われがちだ。神道の言説的起源は神仏習合からになる。圧倒的言説力を持つ仏教を元とし、その応用として神道を記述していく。後、江戸時代には林羅山、山崎闇斎らの儒家神道の流れも大きな力を持つことになる。すなわち神道を理解するためにはこのようなインテリによる言説の流れを学んでいくことが普通の発想だが、それではかなり外れてしまう。と菅野氏は言いたいようだ。

(ところで、かって中国には「鬼道->神道->信道->聖道」というレベルの区分があり、卑弥呼時代の日本は鬼道レベルだった。仏教伝来時の日本の固有宗教はまあ神道レベルか、といった中国人の感覚で、そもそも神道とは、名付けられたものではないか。とこの本にはある。p75)

*1:p37 isbn:4902116006

*2:現代書館ビギナーズシリーズの『神道』isbn:4768400957

経血染めの力

 たとえば、長田須磨『奄美女性誌』(農文協・人間選書、昭和53年)によれば、かつて奄美大島には経水染めのミンサーなるものがあったという。ミンサーとはマフラーあるいはス力一フ状の布のことで、古代の肩巾(女性が肩に掛けたり、左右に垂らしたりした飾り布)に似たものらしい。小舟(さばに)を操って遠くの漁場へ出かける夫や恋人たちの安全を祈って、奄美や沖縄の若妻や乙女たちは自らの月経で染め上げ、自らの手で織ったミンサーを贈ったのである。もちろん、男たちは喜んでそれを首に巻いたり、懐に忍ばせたりしたのである。そして、娘が恋人に経水染めのミンサーを贈り、男性がそれを受け取ればそのとき婚約が成立したという。*1

この真っ赤なミンサーには彼女たちの生御魂(いきみたま)が宿っていたと言える。「つまり沖縄風に言えば<をなり神>の、柳田国男の言葉を借りれば<妹の力>が男たちを守護したのである。」

ところで戦時中の日本には<千人針>というものがあった。「母や妻が街頭に立ち、一片の布に千人の女性が赤い糸で一針ずつ千個の縫い玉を作って縫うのである。」この赤い糸は女性たちと出征兵士を結びつける<玉の緒>だった。古代における月経への畏敬、そこに神秘的力があるする信仰が突然よみがえったものと考えられる。と菅田氏は論じる。なるほど。

考えてみれば例えば、葡萄酒をイエスの血などと言ってありがたがっているがあれも、バッカス(大地母神)の信女たちからさらに遡り、経血の力という信仰に行き着く(だろう)。

千人針の画像は例えば下記にあった。

http://www.nishi.or.jp/~kyodo/tenji/senji/12/sen1.htm

「しらみが湧いて困った」とか多くのひとが書いているがこんなものだったのか。ふと思ったのだが、国旗は日の丸はやめてこれにしたらどうか。日の丸のミニチュアとも解釈できるし日本の固有信仰の原点とこの本で保証されているし、日の丸嫌いの反戦派、平和派も自分の思いを込められる。万歳。

*1:同書p154

神道の男女平等論

戦争中教師が小学生全員を神社に引率していったが、数人の五,六年生だけが鳥居の外に残された、というようなことはよくあったらしい。つまり「生理の血」を<穢れ(けがれ)>としてその時には神社に入ることすらできない。「晴れやらぬ身の浮雲のたなびきてつきの障りとなるぞ悲しき」という和泉式部の和歌があるそうだ。<血の穢れ>観にもとずく差別は確かに存在した。しかし、と菅田氏は言う。わが国の固有信仰には太古は、本来はこうした不浄視は存在しなかった、はずだと。*1その主張のために、経血染めの例を挙げているというわけである。

 ところで、男尊女卑の儒教に対し神道は男女平等なんだと主張している文章があったので引用してみよう。増穂残口(のこぐち)(1655~1717)の「神路手引草」*2。凡俗に分かりやすい通俗神道を説いたらしい。

「我神化陰陽和合と祝ぐは、男女一双にして、高下尊卑なし。然るに女は男の奴(やっこ)の如く、何事も男にしたがふはずと思ふは、支那の礼格に迷いて、わが国の道をうしないたるなり。是男の意地賤しきより、己が権を高ふして、女を随えんとする法を、是ともてはやすに至り、夫婦別有の格、去すつるに七つ、去らざるの三つなんどの、人作の支那物語をもって、無理おしに女をないがしろにする。いつしか国俗それを好(よみ)して、国神の化にそむくともしらず。

 そもそも人は一箇の小天地なり。天のみさかえ地のみはびこりて、立つべきいわれなし。天は覆い、地は載せてそむかず、一方不順ならば万物成就する事なし。男女の中に一毛も高下尊卑を論じ、私意邪僻有りて、天徳の覆いのみほこりて、地載の功をうしなはば、いかんぞ温淳の子孫を生ずべけんや。我が国神の天七地五は唯その事のみ*3、一貫の通理は言語に絶えたり。秘とすべからず。」

 「我が国、我が国」とか高唱するのは嫌いなのだが、日本にもそれなりに想起すべき伝統はいっぱいあった、という例として(苦労して)打ってみました。300年前にしてはわりとちゃんとした平等論だと思うが如何?

*1:同書p153

*2:p214『近世神道論・前期国学』 岩波 日本思想体系

*3:わが国の神に天神七代地神五代があり、天神地神あって国土が生成し、万民生育しているのは、天地陰陽を平等に尊ぶことを示したもので、我国では天地の等しい如く、男女は平等であるの意。上記本の註より

韓神とはなんぞや?

http://homepage2.nifty.com/mino-sigaku/page263.html

上記サイトによると、

韓神 「からのかみ」に同じ。 神楽歌、韓神「われ-韓招せむや」 からのかみ (朝鮮から渡来した神の意か) 守護神として宮内省に祀られていた神。大己貴(おおむなち)・少彦名(すくなぴこな)二神をさすという。(広辞苑)

とのことである。

オオナムチ(大国主)とスクナビコナが天下を経営し(日本の開き)、それを天孫族に譲った、記紀によれば、ですねよ。(天孫族が朝鮮から来たかどうかはともかく)その前代は朝鮮からきたのかなー??

ところで、新羅明神というのもある。こちらは、9世紀の僧円珍が入唐求法を終えて帰朝するとき、船中に示現し、のち圓城寺へ鎮座したという神。北極星の供養法、尊星王法(そんじょうおうほう)という秘法の守護者となった。朝鮮の山神と関係があったのかもしれない。ホミカシという謎めいた名も伝えられている。*1

http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20031123#c

極東ブログさんのところで、彼が「朝鮮半島に関しては、そこにこそ日本の皇室の起源もあるというのに、日本人は蔑視するんだね。」という田中康夫発言を彼がバカにしてたので、質問してみた。ただ、わたしは実は「日本の皇室の起源」がどこにあるのかについて明確な見解を持っているわけではない。(直接関係ないが本居の古事記伝は読みたいと思っている。)皇室のDNAがどこから来たか保留したとしても、「皇室の文化は朝鮮半島から来た」とは言えるだろうと思う。

*1:p93~『異神』上isbn:4480087680

外務省職員の死から

え、わたしは<悼むな>派です。叩かれるのは嫌だが、旗幟は鮮明にしておこう。昨日書いたあるところに書いた文章と7月にある掲示板に書いた記事とを貼ります。

アナキスト?の意見 投稿者:野原燐 投稿日:2003/11/30(Sun) 22:31 No.44

 突然失礼します。問答有用掲示板の「イラク日本人大使官員の犠牲は私の身代わり」発言にRESしようとしましたが、わたしのブラウザソフトが悪いのか書き込めませんでした。ここに書き込ませていただきます。「哀悼の気持」を口にすべきではないとわたしは思う。

|突然結論になりますが、MMさんやSSさんのように日本人であることを拒否した人が、|日本の将来について何を言っても説得力は無いのでは…、ということでした。

 わたしはべつに日本人であることを拒否しているつもりはない。ただし、日本という視点から物事を考えるべきだ、という発想には拒否感を持っています。わたしは権利が無いとは思っていないが(税金払っているからね)、「日本の将来について何かを言」う場合、それでも結局は“きみたちの国だからきみたちの好きにすればいいが”という気持ちを持ってないこともない。

              野原燐

>>亡くなられたお二人の方に、心からお哀悼の気持を持っております。

わたし(野原)の気持ちをここに書くつもりはない。思想の問題としては、パレスチナや北朝鮮の死者(可視のまた不可視の)より今回の二人の日本の公務員をより大きく悼まなければならない理由は存在しない。

「国民は君を悼まない」(7/28)

KKさま 横RES失礼します。

| 私の提案は、派遣予定自衛官の全てが、派遣を拒否すべきだというものではなく、各人がその意義について自分自身で考え判断して、そ

| の上で従軍しないことを選択する人があってもこれを認めるべきだという主張です。

| つまりイラク従軍は自衛隊内での志願制とすべきという提案です。

公務員は一部に対する奉仕者で有ってはならず、全体に対する奉仕者でなければならない。ですから今回の自衛隊派兵が国益に反すると考える(あるいは<自衛>という大義に反すると考える)自衛官は直接の上司の命令より、自己と国民全体との直接的関係を優先すべきです。そう思うので上記のKKさんの意見に賛成させていただきます。

わたしが数日前から思っていたのは、死にたくない自衛官は退職するべきだということでした。はっきり反対する国民は半分以下ですが、派兵に大義があると考えている国民は1割以下じゃないかな。そんなとこ行って死んでも犬死です。

「行く以上は国民の理解が欲しい」なんて甘ったれたことを言うんじゃない!!もし死んだら自己責任であり「国民は君を悼まない」ことを、予めはっきり言っておかなければならないと思う。

                   野原燐

Re:「国民は君を悼まない」ー少なくとも悼む者はいる(7/29)

|野原さん、はじめまして

TTさん はじめまして  「悼む者はいる」のは真実。

「悼ない者がいる」のも真実です。しかるにあなたは、悼まないものを「心の貧しさ」と非難する。あらためてお聞きしますが、「悼まないものは心がの貧しい」、と主張されますか?

|何が国益かどうかは後にならなければ判りません。

判らないといいたいのなら後になっても判りません。

|今回の法案、派兵には反対ですが個々の自衛官に好き勝手にしろとは言いません。

「好き勝手にしろ」とは言っていません。市民の重大な権利侵害に対しては、命令だけでなく「自己判断」という基準もクリアーした場合にだけ行えと言っているのです。

|シビリアンコントロールも何もありゃしない。

シビリアンコントロールというものはわが「大東亜戦争」の無責任な拡大に歯止めを掛けるべきだった、という反省において強調されます。わたしの主張は少なくともこの「歯止め」と整合的です。

| 自衛隊員の友人や身内に自衛官がいる友人もいますが、今回のことだけでなく自衛官はそのつど仕事に挑むときやはり覚悟をしています。そうした覚悟を無駄とみる心の貧しさには悲しいものがあります。

反対でも命令なら行くのですか? ふーん・・・

                野原燐

現在のイラクへの出兵問題について

1)アメリカのイラク出兵に大義が在ったかどうか?という論点はしばらく置く。

これは(70年ほど前の)日本の満州進出(侵略)が悪だったということを全面的には前提にしない、ということとパラレルである。(野原は悪だったと認めている、と言っても良いのだがあえて言わないでおく。)

2)現在強調すべきは、次の点である。

  1. 米軍はナツメヤシの破壊を行っている。
  2. 住宅地を空爆するという作戦を行っている。

http://www12.mainichi.co.jp/news/search-news/892243/83C838983N-120-124.html

米軍が「アイアン・ハンマー」(鉄つい)と呼ぶ新たな掃討作戦は、11月になって始まった。航空戦力の使用には、低空飛行しながら集中砲火を浴びせるAC130、戦車の装甲も貫く機関砲などを搭載したA10攻撃機、最大1トンにもなる大型爆弾、精密誘導ミサイルなどが含まれる。また、抵抗勢力が潜む家屋を確認すると、本人らを殺害・拘束するほか、住人家族を追い出したうえで建物を破壊している。ポスト紙が自宅を失った人物の怒りの声を伝えながら「イスラエル軍と似ている」と指摘するのは、こうした強引な手法だ。

  3.今回の戦争で劣化ウラン弾を使用した。

http://www12.mainichi.co.jp/news/search-news/892243/83C838983N814097f289bb83E83898393-0-8.html

http://www12.mainichi.co.jp/news/search-news/892243/83C838983N814097f289bb83E83898393-0-7.html

3)以上の三点により現在の米軍の粗暴な態度がイラク人の反感を買っていることは明らかである。日本政府はこの三点についてUSA当局に強く申し入れ納得のいく回答がない限り出兵すべきでない。

12/6の毎日新聞の酒井啓子さんの記事でも、スンニトライアングルに対する米軍の攻撃がイラク人の反占領感情を高めている。掃討作戦の過程で行われる米軍のイラク人に対する粗暴かつ強引な捜査、拘禁が反発を生む。生活基盤が回復しないことへの不満。などを挙げて、米軍の同種と見なされる以上、自衛隊はイラク人の反発の対象になり現地の治安を悪化させる効果さえ生む。と論じている。さらに、社会不安の原因である失業問題克服のためには雇用を創出しなければならないが、アメリカは民主化の名の下に経済自由化を急ぎ逆に失業を増大させている。と書いている。ただ自衛隊派遣しないだけでは事態の改善は望めない。積極的に米軍の統治政策の失敗を正すべきだ、と。酒井さんはサイードなどとは自ら一線を画す慎重な学者です。その彼女がここまで断言するほど米軍による統治はひどいということなのだろう。自分の身勝手な価値観を押しつけることを普遍性であるかのように勘違いする事に慣れ「歓迎されるはずだった」という思いを棄てきれないまま占領を始めてしまった。かって中国大陸における日本軍もそうだったのだろうか。「テロ」という言葉を使うことを躊躇しない人たちは、かって日本軍に対する攻撃はすべて「匪賊」によって行われていたのだということを思い出してほしい。