松下昇~〈 〉闘争資料

2010-01-03

決意の準備

ほぼ、三か月ほどここに書けなかった。*1

六甲も 今確認すると4章までで、5章は掲載できていない。

http://d.hatena.ne.jp/noharra/20051114#p5


任意の一行から出発できる。それだけの用意は整えてきたのだ、とあえて書き付けてみる。

例えば、


前項の経過の有無に関わらず、1969年の大学闘争以降、わたしたち全てに問われているのは、ある人がある空間に存在しうる根拠は、決して管理や決定の表層的名目に求められない、ということである。

(松下昇)時の楔通信 第7号 p21

批判することは、批判する私を肯定することだ。だがしかしつぎのような要請がある。

わたしたちの社会の常識・秩序に〈 〉をつけていくことと、それを分析しているわたしという主体性に〈 〉をつけていくことの二重性。わたしという主体性に〈 〉をつける、という問題意識はまわりをみまわしてもほとんど見当たらず貴重なものだと思える。

しかし、被拘束者やマイノリティに関わろうとする時人は安楽椅子に座ったままでは相手に近づくことができないことに、気づかざるをえない。それが言い換えれば、主体性に〈 〉をつけていくということなのだと理解しても良いのだと思う。

今後の〈 〉焼きプランについて(応答)

eili252さんから、「今後の〈 〉焼きプランについて」というメモが提出された。http://from1969.g.hatena.ne.jp/eili252/20091227


「1・継続性の模索」 に 「② 「(仮称)仮装被告団〜刊行委員会」ブログの積極的応用。」という項目がある。また、「2・〜資料集〜刊行」の 「③ 先行作業との交差〜公開方法の創出。」に野原燐ブログへの言及がある。

松下氏の表現で手に取りやすいものとしては、概念集など「刊行リスト」にリスト化されたパンフ群がある。

そのごく一部を、電子テキスト化し、インターネットで公開する作業を進めてきた。この10年以上でなしえた量はおどろくほど少ない。

目次は こちらにまとめてある。http://666999.info/matu/mokuji18.php

これについては次の3つの項目を立て、少しづつ作業を進めたい。


α、概念集 「1」についてはほぼ掲載した。漏れているものをチェック、掲載。

α-2、あと2以後について、何を優先するか計画を立てる。でその計画の問題意識を明確に文章化していく。


β、「不確定な論文への予断」をきっかけに、六甲のテキスト化を少し進めた。表現集1(あんかるわ版と同じ)のテキスト化を進めたい。

β-2、先行者の「六甲」論を参考にするために「松下 昇(についての)批評集 α篇1(88年5月) 」から読もうとする。

ところで、一昨年11月に、神戸で詩のセミナーが行われた。ここで実は北川透氏にお目にかかった。彼は運動がもっとも高揚した時期、松下の同志だった。わたしには現在彼への批判も挑発もあえてするエネルギーがない。たまたま出会ったある若い詩人の断片に触れて、次のような戯文を作った「40年ぶりに 像/飢餓 に出会った!」これを出会いのきっかけに深化させることは出来ていない。しかし、言葉/像の臨界を思考せざるをえない詩人たちがわたしたちと遠いところにいるわけではないことを知ることができたのは収穫だった。

http://d.hatena.ne.jp/noharra/20081105#p2 及び#p1


γ、時の楔通信のテキスト化の準備も行うことができた。これについては固有名詞と違法性との関わりなどが多くでてくるものなので、直接net公開するにははばかりがある。そうした外的理由だけでなく、当時の自己と直面する勇気(思想性)に欠けているという理由があるのであろう。

2段組みの通信をOCRでテキスト化しているのだが、順番が乱れるため、レンタルサーバーで動かしているmySQLというデータベースで順番を変えるということをしてみた。これも何かの比喩としてはおもしろいことだったろう。

γ-2、「時の楔通信」は分量が多いので、OCR化した誤字脱字だらけのテキストを校正するのに友人の力を借りたいと考えた。これはまだ実現していないが。

〈徳島〉地裁についてのテキストを送ってみた徳島のY氏との関係、金本「書簡集」との交錯、遠くからの読者S氏からの手紙 など具体的関係への広がりを予感させる。


δ、「2・〜資料集〜刊行」の「② 未公表資料(例・書簡〜レジュメ)の発掘」については、去年新しい展開があった。

西岡本に保管されているダンボール群を、開けてみせてもらったこと。そこにあったのは多量の茶色い封筒。その表面に書かれたいくつかの日付のような文字たち。

あまりに不思議だったので、それについて問い合わせを行った。

δ-2、以上の経過について、数人の方に報告しようと思いながら出来ずにおりました。それをしていく中で、さらに原資料の調査もしていきたい。


以上の4項目について続けていきたい。そして中断しているときはその原因について考えてみたい。

以上今年の目標。


ところで、先日パソコンのハードディスクが壊れたため、松下関係でも作業中のデータがたくさん失われたと思う。幸い、net公開済みのものはレンタルサーバなどにおいてあるので大丈夫だったわけだが。きちんと確認していないが、失われたものはかなりあるはず。とりあえずあるものから利用していくとともに、データ再作成も考えていきます。

*1:何をしていたかというと、まあ言ってみれば本を読みつづけていた。中島某の中国哲学の本、坂口ふみの中世神学の本、田島正樹の神学・政治論、アマテラス関係、滝沢馬琴など、手を広げすぎである。rubyでプログラミングもした。わたしの書斎と同じく、散らかりっぱなしである。

2009-11-16

東京工芸大学で講師がボイコット!

しかも飯田氏は「学校には授業を無期限で中止する旨を伝えた。当然単位も出せない。次は君たちのターンだ。なんとかしてみろ。ゲームだと思ってやってごらん」と学生たちに『Twitter』で宣戦布告。

http://getnews.jp/archives/37938

2009-10-03

空間的な表現に〈 〉をつける

油コブシに〈 〉をつけはじめている……と書くとき、それは序章から第三章までに〈 〉をつけていくことと、第四章以後に〈 〉をつけていくことの二重性を含んでしまう。この二重性を、どのように越えればよいのか、まだ分からない。

六甲 4-3

油コブシに〈 〉をつけはじめている:わたしたちというものがすでに天皇制によって汚染されていることを知ること、それはいままで不動であると信じていたモノが浮動することを知ること、である。

油コブシに〈 〉をつけはじめている……と書くとき、わたしたちの社会の常識・秩序に〈 〉をつけていくことと、それを分析しているわたしという主体性に〈 〉をつけていくことの二重性を含んでしまう。この二重性を、どのように越えればよいのか、まだ分からない。


〈種〉は育っている。

大学は中世から講義とゼミによって構成されています。講義はlectureですけれども、語源的には「読むこと」です。決められたテクストを皆で一緒に読んだり、あるいはそれをもとにして教師が解釈を加えるというのが「講義」です。他方で、ゼミナールは、むしろ学生と教師がともに真理をめざして議論をする、そういったスタイルです。ゼミナールの語源は「種 same」で、ゼミナールは「苗床」のことです。教師と学生がともに知の種をまくという作業にあたります。講義とは違って、教師と学生とが共に問いを発しあうことがゼミナールでは重要になります。今回のゼミでは学生発表の回も設けていますけれども、それぞれの回で質疑応答の時間をとりますので、その時間に積極的に発言されることを期待します。

http://utcp.c.u-tokyo.ac.jp/blog/2009/10/post-280/

2009-09-20

トッカータとフーガ

自分では知らないまま、暗い湾をとりまく光の帯を形成している都市下層住民の灯。(六甲 4章)

http://d.hatena.ne.jp/noharra/20051114#p5

街が、そのかかとで軽く踏まれるために作られた夕焼け色の靴。

都市機能の下半身を支える低賃金労働者たちは、集団化しており華やかさを発揮しているのに自分では気づかない。その子弟たちは自らが作成した夕焼け色の靴を履いているのに*1、街をもっと自由に歩行しうることに気づかず足をひきずっている。

主観的な希望/絶望にとらわれるのは無意味である。「快活な対話者/無関係に機能している腸管たち」という自覚してない次元をどんな存在者も抱えている。α、β、γの相互の対話や劇は無意識におこなわれている限りすぐに不理解・軋轢に陥りがちだ。だがしかし、私たちの2元性が持つ時間=空間のリズムを把握できるなら、トッカータとフーガのように組み合わせ音楽を構成することだってできる。

*1:神戸の下層労働者の代表的職場はゴムと靴作り。

2009-09-18

私たちの生死をかけうる情況

人間解放の物質的条件を洞察する科学的真理と、そこに解放される人間の実存的支柱とは、解放の過程にあってもたえず触れ合っているものでなければならない。

梅本克己*1

敗戦後すぐ、マルクス主義者を中心に非マルクス主義者をも巻き込んで行われた学際的論争「主体性論争」というのがあった。その核心として田島正樹氏が抜き出したのがこの1行。

「「実存的支柱」とは「科学的真理」を己の生き方として選択する主体の信念の実存的投企のよりどころのことである。梅本は、河上肇を例に引き、その「科学的真理」としてのマルクス主義への実存的献身を支えていたものが一種の宗教的信念(実存的支柱)であることを鋭く指摘している」*2


いずれにせよ、我々はここで再び「主体性論争」の問題に出会っているのである。唯物論の「物質の運動」(自然史的過程)であれ、「仏の本願」であれ、「神の摂理」であれ、なんらかの包括的原理は、いずれ主体性と激突する。むしろ、この激突によって初めて真の主体性が生成するのだ。(同書 p205)

 いま自分にとって最もあいまいな、ふれたくないテーマを、闘争の最も根底的なスローガンと結合せよ。そこにこそ、私たちの生死をかけうる情況がうまれてくるはずだ。(松下昇 一九六九年八月 http://members.at.infoseek.co.jp/noharra/matu1.htm

「闘争」という言葉の背後に、梅本のように科学的真理、全体性、革命といった概念の連鎖(マルクス主義の伝統)を想起することは明確には求められていない。当時の若い学生にとっては闘争への駆りたてが先に存在し、マルクス主義の伝統や全体性への信念はむしろ希薄だった。マルクス主義の伝統への不信がむしろ行動的ラディカリズムへの傾斜に加担した。最も誠実敬虔な人物であったヨブとは真逆の方向から、つまりここで松下が語りかけている学生は、「真の主体性」に近づいていくことになるわけだ。


「私たちの生死をかけうる情況」というフレーズは奇妙だ。普通は「私たちが生死をかけうる」に形容されるべきは「信念」とか「党」であろう。全体性(信念)や党と言うものを信じない地点まで歩み出でて、なお“自己と状況の接点”に、(全体性をそれなりに包括しうる)思想を見出しうると松下は考えた。というより、「私たちが生死をかけてしまう情況」はすでに〈山崎君の死〉において到来していたのだ。*3

だから、「いま自分にとって最もあいまいな、ふれたくないテーマを、闘争の最も根底的なスローガンと結合せよ」とは、むしろそこに存在すべきなのに不在である神の、仮の名であった。

*1:p88 田島正樹「神学・政治論」isbn:9784326154050 から孫引き

*2:同書 p89 文章を少し変えて引用

*3:「神学・政治論」という本には、1967.10.8、羽田闘争で亡くなった山崎博昭に対する言及がある。あとがきp322に。献辞はないがあってもよかったように思える、そうした本である。