松下昇~〈 〉闘争資料

2010-01-03

決意の準備

ほぼ、三か月ほどここに書けなかった。*1

六甲も 今確認すると4章までで、5章は掲載できていない。

http://d.hatena.ne.jp/noharra/20051114#p5


任意の一行から出発できる。それだけの用意は整えてきたのだ、とあえて書き付けてみる。

例えば、


前項の経過の有無に関わらず、1969年の大学闘争以降、わたしたち全てに問われているのは、ある人がある空間に存在しうる根拠は、決して管理や決定の表層的名目に求められない、ということである。

(松下昇)時の楔通信 第7号 p21

批判することは、批判する私を肯定することだ。だがしかしつぎのような要請がある。

わたしたちの社会の常識・秩序に〈 〉をつけていくことと、それを分析しているわたしという主体性に〈 〉をつけていくことの二重性。わたしという主体性に〈 〉をつける、という問題意識はまわりをみまわしてもほとんど見当たらず貴重なものだと思える。

しかし、被拘束者やマイノリティに関わろうとする時人は安楽椅子に座ったままでは相手に近づくことができないことに、気づかざるをえない。それが言い換えれば、主体性に〈 〉をつけていくということなのだと理解しても良いのだと思う。

*1:何をしていたかというと、まあ言ってみれば本を読みつづけていた。中島某の中国哲学の本、坂口ふみの中世神学の本、田島正樹の神学・政治論、アマテラス関係、滝沢馬琴など、手を広げすぎである。rubyでプログラミングもした。わたしの書斎と同じく、散らかりっぱなしである。