2014-12-11
■ インナースペース(内宇宙)
「作品「六甲」は美しい六甲の風景のなかでまどろんでいたい自己に対する告発のインナースペースにおける展開だった。」とウィキペディア「松下昇」で書いた。
おそらくこの間話をした仲間に最大の違和感を引き起こしたのは、この「インナースペース」という言葉だったのではないか、と思われる、が直接の反応はなかった。
検索すると、下記のようなものが見つかった。
・地球から星々へと広がる外宇宙(アウタースペース)にたいし、人間自身の内部に広がる、いまだ解き明かされていない未知の領域をさす言葉。とされている。*1
・「ニューウェーブ」ってのも死語だから辞書的に説明しとくと、それまでのSFが宇宙旅行だの時間旅行だの、空間的外宇宙を探求していたのに対して、インナースペース、つまり自己の内宇宙に入って行こうとする60年代中期のSF文学化運動のことです。/要するに宇宙船じゃなくてドラッグでトリップしようと。*2
・SFにおけるニュー・ウェーブ運動は、1960年代後半に世界的に広がっていた反体制運動に強く影響されている。その主張は「SFは外宇宙より内宇宙をめざすべきだ」というもの *3
68-69年の世界的学生運動やヒッピーのうねりとの同時代性を強調する点で、3つ目のが優れている。ただし、松下の「六甲」はいままでそうした文脈で語られたことはない(ので唐突感は否めないかも)
「六甲」がSFだと誤解されてしまうかも。
■ 自己否定論
ウィキペディアに「自己否定論」というのがあったので、喜んでリンクしてみたが。
あまりにも偏見に満ちた内容、で唖然とする。ただし現在の「右傾化した情況」と我々の距離を測る上で有益。
学生運動をしている自分たちも、実は「学生」という「恵まれた」身分に胡坐をかき、社会的弱者を抑圧しているのではないかという疑問から生じた理論である。
そして遂には、自らが所属している「学生」の立場をも否定することで「加害者性」を克服し、弱者の立場に立たなければならないとする。この自己否定論の登場以降、新左翼は「社会的弱者との連帯」を掲げて反差別闘争に力を入れるようになった[1]。
しかし、この理論は後に「日本人=犯罪民族=民族浄化されるべき民族」という反日亡国論の論理へと行き着くことになった。新左翼活動家の父や祖父は、一部の徴兵免除者を除き、かつては日本軍兵士(中には下士官や将校)として「日本帝国主義の侵略」に加担しており、そんな「侵略者」の子孫である自分たちは、弱者である「アジア人民」に対する原罪を負っている日帝本国人に他ならない。そんな自分たちが為すべきことは、自らが所属する「犯罪国家・日本国」と「犯罪民族・日本人」を徹底的に断罪し抹殺しなければならない。そうしない限り「アジア人民」に対する贖罪は永遠に成立しないとする[1]。
日本国及び民族は償いきれない犯罪を積み重ねてきた醜悪な恥晒し国家・民族であり、その存在価値が全くないので、積極的に民族意識・国民意識を捨て去って「非国民」になり、反日闘争に身を投じよと説く[2]。
また新左翼の自己否定論には、心理学上の自己否定とは異なり、自分自身をも完全否定するものではなかった。つまり「己の所属する国家や民族が犯した過去の犯罪を敢えて追及し、それを断罪している俺様は格好よくて誇らしい」といった道徳的優位性を誇示するなど「自己否定する自己」の無批判な自己肯定が見え隠れしていた[3]。
そのため1970年代は新左翼活動家(東アジア反日武装戦線や加藤三郎 )による反日テロが相次ぎ、警察関係者などの「権力側」のみならず、「自己否定しようとしない道徳的劣位者」として一般の日本人も断罪され、多大な被害を与えている。東アジア反日武装戦線の小冊子『腹腹時計』には「日帝本国の労働者、市民は植民地人民と日常不断に敵対する帝国主義者、侵略者である。」と一般日本人を十把一絡げに断罪している。
新左翼活動家だった外山恒一は、この自己否定論を「日本人であるということは、それだけで罪である。」という言葉で表している[4]。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E5%B7%B1%E5%90%A6%E5%AE%9A%E8%AB%96
反論していきたい。
■ 検証可能性
ウィキペディアの記事は、検証が可能である必要があります。文献が示されていれば、文献を入手するか図書館で閲覧することにより、どのような情報が書かれているか確認することができます。
■ 自主ゼミ
目次http://666999.info/matu/mokuji18.php の
30 自主ゼミ 2-9 内容
項目が「自主講座」につながっていて、自主ゼミがでない。
おかしいな!と思い、あわてて「自主ゼミ」の文章を探したがないので、(ocrした乱丁の多いものから)作りなおしたが、良く見ると、データベースに「自主ゼミ」(idd=30)の項目が2つあり、一つが間違っていたのでそれを削除すれば解決!
2014-12-04
■ 松下昇
http://666999.info/matsu/matsu1.html
「松下昇」を紹介するための文章が、永里氏によって書かれました。
全共闘期最大の思想家ともされる松下氏は、その難解さから最近は言及されることもまれになってきました。
ぜひ読んでみてください。
■ wikipedia「松下昇」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E4%B8%8B%E6%98%87
「Wikipedia:スタイルマニュアルやWikipedia:出典を明記する、Wikipedia:検証可能性を満たすように記述を直す」べきという条件付きで現在掲載中。(12/9以降)
1973年6月20日、神戸大学の「造反教官」松下昇や徳島大学の山本光代などが滝田捜索のため家宅捜索を受ける[10]。
1973年6月28日と29日、池田浩士、菅谷規久雄、坂本守信などが家宅や研究室の捜索を受ける。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%B9%E6%9C%AC%E4%BF%A1%E5%BC%98
「竹本信弘(滝田修)」の欄に上記のとおり記されており、そこからのリンクとして「松下昇」が空白ページとして存在したので、そこに挿入して作成した。
吉本や北川、池田浩士からのリンクではなく、汚名にまみれた竹本からのリンクというのも、松下らしい。
■ 存在しない項目
上記のように、ウィキペディア「滝田修」にはたくさんの人名が登場する。その中で、池田浩士、土本典昭、安田好弘らは自分の項目が立っている。
それに対して、山本光代、菅谷規久雄、坂本守信は、自分の項目がない。しかし、本来項目を立てるべきと「滝田修」を書いた人が判断したらしく、次のようなページにリンクされる。
松下昇もこのような状態であった。
「山本光代」を作成中
ウィキペディアには現在この名前の項目はありません。
項目を新しく書くには、まず下のテキストボックスに内容を書き込んでください。その際、著作権に注意してください。その後、ページ下部の■投稿する前に以下を確認して下さい■以下の注意事項をよく確認した上で “以上の記述を完全に理解し同意した上で投稿する” ボタンを押してください。そうすればすぐに見えるようになります。
もしあなたがウィキペディアに初めて投稿するならば、先にガイドブックを読んでください。
あなた自身やあなたのウェブサイト、製品、また仕事を宣伝する項目を作らないで下さい。
投稿のテストをしたい場合、サンドボックスを利用してください。一度作成した項目はあなたが削除することはできません。
他の項目から山本光代を検索する
姉妹プロジェクトのウィクショナリーに項目 山本光代 が存在するかもしれません。
この項目を作成したばかりなのにこのメッセージがでる場合、データベースの更新が遅れているために表示できないのかもしれません。項目を書き直す前にしばらく待ってから、再読込してみてください。
項目名(山本光代)に全角英数字・半角カナ・ローマ数字・丸付数字が含まれている場合は、それらを半角英数字・全角カナ・半角英字による代替表記・半角数字に置き換えた名前で項目が存在するかもしれません。
以前この項目を作成したのに削除されている場合、このページの再作成が適切であるかどうか検討してください。削除依頼や即時削除の方針に削除された理由が記載されているかもしれません。
2014-11-30
■
概念集の1項目のUPという作業を久しぶりにやってみた。
やり方を忘れていたが、できれば良いのだ。
UPはできたのだが、データベースに搭載しないと、
http://666999.info/matu/mokuji18.php に載らないのだが、
その作業がうまくいかなかった。
さて、載せたのは「プロジェクト「猪」御中」という、
概念集らしくないタイトルのものだ。
http://666999.info/matu/data0/inosisi.html
先日、10.8山崎博昭プロジェクトと、山本義隆の動画のことを
メールで話題にしたのでその関連もあります。
http://yamazakiproject.com/syuisyo.html
しかし基本的には、きまぐれでたらめな順番でUPしていると
しか言えないものです。
先日の「松下昇」紹介文の作成作業をしないといけないので、
リハビリ的に作業してみました。
追記:データベースのpw分かって、目次に搭載されたようだ、まずは良かった。
ところで、プロジェクト猪というのは、HPがあるようだ。
2014-09-05
■ 松下昇とは誰か?
松下を主題にしたサイトをやろうとしたら、
その問いに答えそれを掲示することから、始めるのが当然なのに、
それなしで、十数年やってきた。
先日、N氏から、それについての長大な文章をいただいた。
それに刺激を受け、それを一部利用して、次のように書いた。
下記の「松下昇」(本文と1六甲まで)は、ウィキペディアへの原稿として書いたもの。
12・7にウィキ松下昇のこの文を含んだ文章を載せようとしたところ、「著作権違反で削除」された。
このブログとしては著作権放棄するため、削除する。
松下 昇(まつした のぼる
■ 松下概要・N4次案
松下 昇(まつした のぼる、1936年3月11日~1996年5月6日)は、60年代末から70年代初めにかけて大学に集中した闘争状態の渦中、いわゆる造反教官としてマスコミや文化領域で盛んに取り上げられたが、大学闘争とも呼ばれる情況を生み出した歴史段階の本質を「ある事件とされるものの現実と、それに交差する幻想過程の比重が、ほぼ拮抗し、あるいは後者が前者をのみこみつつある世界(史)的な段階」と捉え、問題意識を持続して空間に存在すること自体がひきよせてしまう〈罪〉を未踏のテーマに包括し飛翔させるべく、闘争収束後もユニークな表現運動を展開〜提起している未だ名付けがたい表現者である。70年1月、バリケードで配布したビラ〈なにものかへのあいさつ〉において、「年代や情況の表面的変化とは関係なく自分が格闘しなければならないテーマは、私が、この数年間追求してきテーマ、α・不可能性表現論、β・情熱空間論、γ・仮装組織論(連続性論)などを、包囲し、つきうごかすようなかたちで訪れてきている。」と述べ、闘争とかアピールから最も遠い位置を最前線に押し出してしまう力との永続的な闘いを予感している。