松下昇~〈 〉闘争資料

1972-01-19

国有財産管理権を侵害する

前略。

 貴殿は、昭和四十七年一月十日より土曜日、日曜日、祝日をのぞいて教養部構内に立ち入り連日午後一時前後から午後三時前後までB一〇六号教室西出入口付近で、無断で同教室のガスストーブ等を使用し、〈 〉焼きと称し、食品を販売しているが、かかる行為は、大学の国有財産管理権を侵害し、公秩序を乱す著しい違法行為といわざるを得ない。かかる行為を速やかに中止されるよう要求する。 以上


昭和四十七年一月十九日

神戸市灘区鶴甲一丁目二番一号

神戸大学教養部長

湯浅 光朝

 *1

松下 昇 殿

*1:住所省略

1971-04-30舞い上がるタンポポの綿毛

タンポポの綿毛

85年4月30日

4月30日夕刻、第五圏の東京拘置所の構内を埋めているタンポポの綿毛は、比喩としてではなく一せいに舞い上がり、第六圏への出立を祝福してくれた。静まりかえった獄舎の一つ一つの窓の内側に、まだこれからも拘束され続ける人々の夢を飛翔させてほしい、と望むかのように旋回しつつ……。

--『時の楔通信第〈13〉号』p23

http://d.hatena.ne.jp/noharra/20051230#p8 で書いた

松下氏が85年4月30日に保釈になった時のイメージ。

このブログでは、1969年から1970年頃の松下昇たちの行動と思想を転写していくつもりです。

もちろん、松下はそれから26年ほど生きました。したがってその間の年譜の必要はあります。

しかしながら、このブログでは一つの試みとして、1971年までで時間を止めてしまうことにしました。したがってそれ以後のどんな日付も1971年のそれに転写されることになります。

循環する時間。

循環から脱出できない。

しかしながら、日常のふとした隙間から滑り落ちるように〈脱出〉することができる瞬間もある。

1970-01-03なにものかへのあいさつ

なにものかへのあいさつ

 私が、年代や情況の表面的な変化とは関係なく格闘しなければならないテーマは、私が、この数年間追求してきたテーマ、α・不可能性表現論、β・情熱空間論、γ・仮装組織論(連続性論)などを、包囲し、つきうごかすようなかたちで訪れてきている。それは、いますぐに、ここで展開させうるものではない。むしろ、私は、それ~―らの星雲状の総体~⌒―からやってくる波動を、この紙片でうけとめることによって、私のように闘争とかアピールから最も遠い位相にある人間を最前線に押し出してしまう何ものかの残酷な力と対抗しようとねがっているのだろう。それゆえ、残りの数十行に私が断片的に、一気に埋める言葉は、純粋に私だけのものである。しかし……いや、やめておこう。時は迫っている。

 この世界で最も幻想性にあふれた領域で、固有のスローガン、戦術を媒介として問われているのは、おそらく、つぶやきからゲバルトをへて国家、さらには宇宙に至る全ての表現の根拠の変革である。とりわけ、表現の階級性の止揚。死語のなだれ、自己と他者に本質的な死をもたらす沈黙への怒り。倒錯した現実へのなしくずし感覚の根底にある自然さを、どのように粉砕するのか。報復と一行の詩。汝の表現論を示せ。汝の原罪性がそこに、ひっそりと息づいているはずだから。

 橋を、広場を、部屋を、かんたんに通りすぎるな。権力にも、寄生虫的な参加者にも視えない空間が存在するのだ。汝はなぜここにいるのか。もはや、ここから脱出することはできない。ここに集中してくる全てのテーマを一人でも生涯かけてひきずっていく力を獲得するまでは。何よりもまず、バリケードとか、占拠とかという言葉を汝だけの言葉に変化させ、その方法の追求ないし総括の場が、そのまま闘争となるような場を創りださなければならない。

 風のヘルメットによる恒常的武装。火焔ビンを投げつけざるをえない関係そのものへ火焔ビンを投げよ。真の断絶をこえた連続性。憎悪の対象や愛のしぐさが固定しているとき、汝は汝の敵のものである組織論を内部に育てている。日付けを超え、政治を越え、一片の綿毛に生命を吹きこみつつ、最後の日付け、最後の政治へたどりつこう。固有の、不可避の闘争としてだけではなく、それを無視するはど巨大な闘争の不可避の応用として。

一九七○年一月三日

註(eili252氏による)

# eili252 『松下処分を議題とする教授会公開闘争から一月後、<1969>年の情況的年の瀬を越えてガリ刷りのビラとして出現した。その一月後(2月2日)に最愛の長男未宇が誕生。傑出した闘争表現であるのみでなく、新しく生まれようとするものへの深い祈りと決意の躍動であった。しかし、過酷にも闘争の深刻な影響は母の胎内にまで及び、幼子は<障害児>として世界に送り出された。

70年4月「あんかるわ24号」、70年5月「試行30号」に転載。』(2006/01/19 15:02)

eili252eili2522006/01/19 15:02松下処分を議題とする教授会公開闘争から一月後、<1969>年の情況的年の瀬を越えてガリ刷りのビラとして出現した。その一月後(2月2日)に最愛の長男未宇が誕生。傑出した闘争表現であるのみでなく、新しく生まれようとするものへの深い祈りと決意の躍動であった。しかし、過酷にも闘争の深刻な影響は母の胎内にまで及び、幼子は<障害児>として世界に送り出された。
70年4月「あんかるわ24号」、70年5月「試行30号」に転載。

1969-12-03教授会(松下処分についての)

逮捕状(被疑事実の要旨)(3)

三.

 昭和四四年一二月三日、右大学教養部定例教授会において、自己の処分問題が議題となる予定を知り、これを威力をもって妨害阻止しようと企図し、ヘルメット姿の学生ら多数と共謀のうえ、

(一).同日午後四時ごろ、約一〇〇名の学生らとともに同大学教養部定例教授会開催中の教養部事務取扱湯浅光朝看守にかかる教養部会議室に故なく侵入し、

(二).同日同時刻ごろより同日午後八時ごろまでの間、多数の会場乱入により教授会の審議を不能ならしめたほか、議長として会議を主催する右湯浅光朝および教官約七〇名に対し、取り囲み、ば声を浴びせるなどしたうえ、「教授会を公開し、自己の処分問題を審議するよう」アジ演説して要求し、これを拒否されるや所持していたマイクを各教官に対して順次突きつけて、「教授会公開の是非」「自己の処分に対する意見」を述べるよう強く要求し、発言情況にあわせて、「人間失格」「教官失格」「不可」等の侮辱的言辞をあびせ、あるいは、机上に落書きし、要求に従わぬ場合は「報復措置がとられるであろう」等と発言し、もって多数の威力を示し、湯浅光朝および約七〇名の教官の業務を妨害するとともに、右大学の業務を妨害し

たものである。

(20060202追加)

1969-11-08試験を威力をもって妨害

逮捕状(被疑事実の要旨)(2)

http://from1969.g.hatena.ne.jp/noharra/19690901/p1 の続き

二.

昭和四四年一一月八日、右神戸大学教養部において実施される昭和四三年度後期試験を威力をもって妨害しようと企図し、ヘルメット姿の学生ら多数と共謀の上、

(一).同日午後一時二〇分ごろ、同大学教授荻野目博道担当の英語後期試験実施中の同大学教養部長事務取扱 湯浅光朝 看守にかかる教養部C棟四〇一号教室南側出入口より学生ら数一〇名とともに故なく侵入し、

(二).同日同時刻より約一五分間に○○○*1学生ら数十名と共同し、受験生答案用紙を奪取し、同教室○○○○○○○○て*2、教卓、黒板に試験粉砕などを落書するなどして、右英語後期試験を不能ならしめ、もって、多数の威力を示し右荻野目博道らの業務を妨害するとともに、同大学の業務を妨害し

(たものである。)

註(eili252氏による)

# eili252 『69年9月1日に化学の授業を妨害したとされる事件の逮捕状が、松下被告とする刑事告訴に連結して行くのに対し、英語の試験を妨害したとされるこの事件は松下本人を起訴するまで至っていない。一方、大学当局(神戸大学評議会)は懲戒免職処分理由12項目の内2項目をこの事件からでっち上げている。権力間のズレと連携プレイは技術的根拠以上に、担当官らの幻想性に加えられた<傷>と<憎悪>の質的差異を物語る。』 (2006/01/20 10:34)

*1:「わたって」か?リソグラフ?印刷の質が悪く読めない。

*2:読めない。「焼き捨て」か?

eili252eili2522006/01/20 10:3469年9月1日に化学の授業を妨害したとされる事件の逮捕状が、松下を被告とする刑事告訴に連結して行くのに対し、英語の試験を妨害したとされるこの事件は松下本人を起訴するまで至っていない。一方、大学当局(神戸大学評議会)は懲戒免職処分理由12項目の内2項目をこの事件からでっち上げている。権力間のズレと連携プレイは技術的根拠以上に、担当官らの幻想性に加えられた<傷>と<憎悪>の質的差異を物語る。