第六圏とは、1984年の年末から1985年四月までの松下の被拘束期間~を下記のように六つに割ったその六つ目をいう。*1
ちなみにこの発想はダンテの神曲・地獄編の影響を受けているのでしょう。*2地獄編には九つの地獄があるらしい。
この号の構成は、〈 〉獄の第一圏から第六圏への疾走の過渡的集合として構想していた。この方法の必然性を述べると、
一九八四年一二月一七日に、東京高裁第八二二号法廷で拘束され、制裁裁判で監置二〇日間の言渡の後に東京拘置所へ収容されてから、二〇日後に拘置所門前で形式的に釈放される一九八五年一月六日までを第一圏とし、
前記の一月六日朝に、監置決定の理由と同一理由による告訴にもとづく逮捕令状により逮捕されてから、丸の内署~警視庁本部をへて起訴後、再び東京拘置所へ逆送される一月一八日までを第二圏とし、
一月一八日から、身体的情況の悪化にもかかわらず大阪拘置所へ移監される一月二七日までを第三圏とし、
一月二七日から、集中審理(大阪高裁)と勾留理由開示裁判(東京地裁)をくぐる二月二八日までを第四圏とし、
二月二八日から第一~三回公判をくぐる四月三〇日(第四次保釈請求の実現)までを第五圏とし、
四月三〇日からこれを執筆しつつある現在までを第六圏とし、
総体として〈 〉獄の巡礼過程を対象化する時間軸として各圏が設定されている。
(後略)
『時の楔通信 第〈12〉号』{序}p1 より