松下昇~〈 〉闘争資料

1969-09-01逮捕状

逮捕状

     第2527号

住所

職業

罪名

氏名 松下 昇      三四年

左記被疑事実により、右の被疑者逮捕することを許可する。

(略)

昭和四五年五月四日

神戸地方裁判所  裁判官 小野貞夫

被疑事実の要旨  逮捕状請求書記載の通り

請求者の官公職氏名

請求者の官公職氏名  

逮捕時の年月日時および場所

記名押印

引致の年月日時

記名押印

送致する手続きをした年月日時

記名押印

送致を受けた年月日時

記名押印*1



逮捕状請求書

被疑事実の要旨

 被疑者松下 昇は 神戸市灘区鶴甲二丁目所在、神戸大学教養ドイツ語担当教師であるが、


一、

昭和四四年九月一日 同大学教養部B棟一〇九号室ほかにおいて行われる教養部学生に対する授業再開を威力をもって妨害、阻止しようと企図し、学生ら数一〇名と共謀のうえ、

(一).同日午前九時ごろ、学生ら数一〇名とともに右教養部B棟一〇九号室に侵入し、昭和四四年前期授業計画にもとづき、午前九時から午前一〇時四〇分までの第一時限における化学授業を行うため、担当教官小林正光が右一〇九教室の教壇にのぼり、数一〇名の受講学生に講義しようとするや、教壇中央に座り教卓を占拠して登壇を阻止し、あるいは、自主講座と称して大声を発するなどして右第一時限目の授業を不能ならしめ、もって、威力を示し同教授の業務を妨害するとともに、同大学の業務を妨害し、

(たものである。)

(p12-13より『松下昇についての批評集 α篇1』~’88.10~)

(続き)

二.同日午前一〇時頃、右教養部B棟一〇九号室において。看守者である同教養部長事務取扱 湯浅光朝から、同室からの退去を要求されたのにもかかわらず、同日午前一〇時一〇分ごろまで同室から退室せず

註(eili252氏による)

# eili252 『ゲリラ的に展開されていた松下らの自主講座は、同年3月中旬以降B109教室を持続的に活用した。大学当局は、全国的な授業再開強行の線に沿って化学の授業を当日あえて当教室に設定し、意図的に自主講座排除と松下逮捕の口実を策動した。』(2006/01/19 15:08)

*1検察事務官

eili252eili2522006/01/19 15:08ゲリラ的に展開されていた松下らの自主講座は、同年3月中旬以降B109教室を持続的に活用した。大学当局は、全国的な授業再開強行の線に沿って化学の授業を当日あえて当教室に設定し、意図的に自主講座排除と松下逮捕の口実を策動した。

1969-08-08「バリケード解除」

バリケード的表現

バリケード的表現

 全学集会→封鎖解除→授業再開という反革命過程にぬりこめられている犯罪性は、大学の枠をこえて階級社会と人間存在のあらゆる原罪性へいきつく。

 国家権力、右翼秩序派、スターリニストの見事な統一戦線を見よ。私たちは微笑しながら、かれらを出現させている世界(史)的な関係に対立し、打倒し、止揚していくであろう。

 敵でも味方でもない、ある圧倒的な力によって問題提起の正しさが彎曲していくのではないかという一瞬おとずれる感覚のむこうに、はじめて、ほんとうの闘争がはじまっている。

 いま自分にとって最もあいまいな、ふれたくないテーマを、闘争の最も根底的なスローガンと結合せよ。そこにこそ、私たちの生死をかけうる情況がうまれてくるはずだ。

 私たちは、バリケードから、全ての人間たちの真の姿を見てしまった。そしてバリケードの影は、全ての人間の時間と空間をおおいつくしている。この上、何を怖れることがあろうか。

一九六九年八月 < >にて


註(eili252氏による)

# eili252 『白の模造紙に黒マジックで書かれ、神戸大教養部掲示板に貼られた。前日8月7日、機動隊による封鎖解除の動きに対し、全関西から神戸大に結集した全共闘は学内から運び出したロッカー、机などを用いて六甲登山口にバリケードを構築した。複数の大学の学生26名が逮捕、22名が起訴されている。

70年1月「試行29号」、70年10月「神戸大学教養部広報30号」に転載。』(2006/01/19 15:10)



落書き

概念集の一項目から「落書き」を引用する。

落書き

 表現過程自体を表現する行為。私の場合の原初性を振り返ると六九年のバリケード感覚からである。八月八日の朝から神戸大学の封鎖解除が機動隊の警備下で予想されたので、私だけが前夜からバリケードに存在して、明け方に、人間の気配はないが、ある切迫した何かの息づかいに満ちている構内を歩きまわり、生命体としての空間に〈最後の〉あいさつをした。壁や天井や床には、墨汁やペンキなどで、さまざまな闘争スローガンが記されていたはずであるが、殆ど記憶にない。むしろ、関心は、どこから機動隊が入って来るかということであった。逮捕は勿論ありうるとして、六ヵ月のバリケードで出現したテーマは不滅であるし、そのことを一人でも公然と破壊者に示し、物理的以上のバリケードの開始宣言をしようと考えていた。持続的に自主講座をおこなってきたB一〇九教室で、たたみ位の大きさの白い紙にマジック・インキで〈バリケード的表現〉と題する文章を数枚書き、黒板に一枚を糊ではり、ドアを出て、自分の足音だけが響く暗い広場を横断して、反対側にある掲示板(ここに六ヵ月前に、初めてのマジック表現である〈情況への発言〉をはり出し、その後もずっと実質的に専用の掲示板として使用してきた。)に一枚をピンで留めてから、一箇所だけ灯のともっている最上階のA四三〇研究室にもどり、ドアの外側に最後の一枚をセロテープではった。窓から六甲山系に視線を投げると、宇宙遺跡でもある巨岩=油コブシに暁の最初の光が届き始め、しばらくしてUFOならぬヘリコプターが何機も飛来し、バリケードの上を執拗に旋回して下の様子を窺い始めた。

 実は、これ以後の記憶はない、というか、退去命令を聞いた記憶~聞きうる位置に存在したという記憶がないのである。法廷でも、そのようにのべている。反証もなされていない。記憶にあるのは、太陽が高くなった頃、ドアの外で紙を破る音がしたことである。出てみると、〈バリケード的表現〉が引き裂いて捨てられていた。すぐに新しい、内容の異なる表現を作成してドアにはり、中で寝ころんでいる時に、また破る音がしたので出てみると、同じように捨てられている。人影はない。建物全体は解除作業の騒音で満ちているのだが…。このような経過が繰り返された後、遂に私はドアそのものにマジック・インキで表現を記したのである。これは物理的解除によっては解除され得ないバリケード総体へ記した表現であり、その後の、B一〇九前広場への巨大な白ペンキによる〈 〉表現(これ以降、〈 〉広場と呼ばれ、現在も痕跡を確認できる。)や、教室黒板への表現(そのうち「く」の字形一二個、という呼び方で起訴され、判決では「〈 〉型六対」とやや正確に表現し直されている〈〈〈〈〈〈 〉〉〉〉〉〉や、処分発表~立ち入り禁止通告後の研究室再占拠闘争に出現し、起訴対象とされた「六甲空間は世界を包囲する」などの開始符であった。 (ただし、法廷では私ではなく、〈私〉の表現とのべている。)

 これらの、権力的には〈落書き〉と呼ばれる表現こそ、〈私〉が最も愛着を抱き、その接線方向へ、どこまでも固執する表現過程であり、概念集の試みも、その応用である。

(概念集1・36)

1969-08-01

バリケード的表現、及び註 についてはより正確な日付8/8に移動しました。

eili252eili2522006/01/19 15:10白の模造紙に黒マジックで書かれ、神戸大教養部掲示板に貼られた。前日8月7日、機動隊による封鎖解除の動きに対し、全関西から神戸大に結集した全共闘は学内から運び出したロッカー、机などを用いて六甲登山口にバリケードを構築した。複数の大学の学生26名が逮捕、22名が起訴されている。
70年1月「試行29号」、70年10月「神戸大学教養部広報30号」に転載。

1969-02-02情況への発言

情況への発言

  〈神戸大学教養部〉の全ての構成員諸君!  二月一日の団交は評礒会が〈寮問題〉に関する解決能力を持っていないことを暴露した。

  しかし、これだけをスト続行か中止かの基準にしてはならない。まして〈時間〉が切迫しているからといって、〈しけん〉のための秩序に復帰してはならない。

  〈スト〉に入る契機自体よりも、一ケ月以上にわたるスト持続によって、一切の大学構成員と機構の真の姿がみえはじめ、同時に、自己と、その存在基盤を変革する可能性がうまれていることの方が、はるかに重大なのだ。

  〈神戸大学教養部〉の全ての構成員諸君!  このストを媒介にして何をどのように変革するのか、そして、持続、拡大する方法は何か、について一人一人表現せよ。

  少なくとも、この実現の第一歩が、大衆的に確認されるまで、〈私〉は旧大学秩序の維持に役立つ一切の労働(授業、しけん等)を放棄する。

  この問題提起に何らかの共有性を発見する諸君は、自己にとって最も必然的な方向を創り出して闘争に参加せよ。

一九六九年二月二日〈六甲空間〉にて


註(eili252氏による)

eili252 『バリケード封鎖のまま<1969>年に突入したのは、東大東京教育大、東京外大、電通大、日大、中央大青山学院大、明治学院大、芝浦工大、山梨大、富山大、大阪大、神戸大、関西学院大、長崎大。さらに、静岡大京大横浜国大東京工大~と拡大し、ほぼ全国の大学に及んだ。 1.18~19東大機動隊導入に示された権力側の圧力も厳しさを増す。

神戸大では、2月1日に「全学四項目要求」をめぐり当局との大衆団交が決裂。翌日、松下はこのマジック表現を大学掲示板に出現させる。複数の学生が連名の立て看「永続的自主ストライキ宣言」=<未知なるものへの祈り>で応じ、追加署名者も続出する。

転載メディアは権力やマスコミを含め多数。

<情況への発言>から1年後の2月2日が松下に関わる新しい命の誕生日であったことは何か象徴的だ。』(2006/01/19 15:14)

eili252eili2522006/01/19 15:14バリケード封鎖のまま<1969>年に突入したのは、東大、東京教育大、東京外大、電通大、日大、中央大、青山学院大、明治学院大、芝浦工大、山梨大、富山大、大阪大、神戸大、関西学院大、長崎大。さらに、静岡大、京大、横浜国大、東京工大~と拡大し、ほぼ全国の大学に及んだ。1.18~19東大機動隊導入に示された権力側の圧力も厳しさを増す。
神戸大では、2月1日に「全学四項目要求」をめぐり当局との大衆団交が決裂。翌日、松下はこのマジック表現を大学掲示板に出現させる。複数の学生が連名の立て看「永続的自主ストライキ宣言」=<未知なるものへの祈り>で応じ、追加署名者も続出する。
転載メディアは権力やマスコミを含め多数。
<情況への発言>から1年後の2月2日が松下に関わる新しい命の誕生日であったことは何か象徴的だ。

1696-06-28

教養部大衆団交議事録(抄)

http://www.joy.hi-ho.ne.jp/byakuya/

「白夜通信」サイトから次の2項目をリンクします。

1969年6月28・29日の〈 〉大学における、団交の議事録。

06.10.25 558-1960年代末の日常的な光景-〈  〉大学教養部大衆団交議事録(抄)・後

06.10.25 557-1960年代末の日常的な光景-〈  〉大学教養部大衆団交議事録(抄)・前

http://www.joy.hi-ho.ne.jp/byakuya/Taro11-557.pdf

Taro11-557.pdf (application/pdf オブジェクト)

http://www.joy.hi-ho.ne.jp/byakuya/Taro11-558.pdf

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