松下昇~〈 〉闘争資料

1970-01-03なにものかへのあいさつ

なにものかへのあいさつ

 私が、年代や情況の表面的な変化とは関係なく格闘しなければならないテーマは、私が、この数年間追求してきたテーマ、α・不可能性表現論、β・情熱空間論、γ・仮装組織論(連続性論)などを、包囲し、つきうごかすようなかたちで訪れてきている。それは、いますぐに、ここで展開させうるものではない。むしろ、私は、それ~―らの星雲状の総体~⌒―からやってくる波動を、この紙片でうけとめることによって、私のように闘争とかアピールから最も遠い位相にある人間を最前線に押し出してしまう何ものかの残酷な力と対抗しようとねがっているのだろう。それゆえ、残りの数十行に私が断片的に、一気に埋める言葉は、純粋に私だけのものである。しかし……いや、やめておこう。時は迫っている。

 この世界で最も幻想性にあふれた領域で、固有のスローガン、戦術を媒介として問われているのは、おそらく、つぶやきからゲバルトをへて国家、さらには宇宙に至る全ての表現の根拠の変革である。とりわけ、表現の階級性の止揚。死語のなだれ、自己と他者に本質的な死をもたらす沈黙への怒り。倒錯した現実へのなしくずし感覚の根底にある自然さを、どのように粉砕するのか。報復と一行の詩。汝の表現論を示せ。汝の原罪性がそこに、ひっそりと息づいているはずだから。

 橋を、広場を、部屋を、かんたんに通りすぎるな。権力にも、寄生虫的な参加者にも視えない空間が存在するのだ。汝はなぜここにいるのか。もはや、ここから脱出することはできない。ここに集中してくる全てのテーマを一人でも生涯かけてひきずっていく力を獲得するまでは。何よりもまず、バリケードとか、占拠とかという言葉を汝だけの言葉に変化させ、その方法の追求ないし総括の場が、そのまま闘争となるような場を創りださなければならない。

 風のヘルメットによる恒常的武装。火焔ビンを投げつけざるをえない関係そのものへ火焔ビンを投げよ。真の断絶をこえた連続性。憎悪の対象や愛のしぐさが固定しているとき、汝は汝の敵のものである組織論を内部に育てている。日付けを超え、政治を越え、一片の綿毛に生命を吹きこみつつ、最後の日付け、最後の政治へたどりつこう。固有の、不可避の闘争としてだけではなく、それを無視するはど巨大な闘争の不可避の応用として。

一九七○年一月三日

註(eili252氏による)

# eili252 『松下処分を議題とする教授会公開闘争から一月後、<1969>年の情況的年の瀬を越えてガリ刷りのビラとして出現した。その一月後(2月2日)に最愛の長男未宇が誕生。傑出した闘争表現であるのみでなく、新しく生まれようとするものへの深い祈りと決意の躍動であった。しかし、過酷にも闘争の深刻な影響は母の胎内にまで及び、幼子は<障害児>として世界に送り出された。

70年4月「あんかるわ24号」、70年5月「試行30号」に転載。』(2006/01/19 15:02)

eili252eili2522006/01/19 15:02松下処分を議題とする教授会公開闘争から一月後、<1969>年の情況的年の瀬を越えてガリ刷りのビラとして出現した。その一月後(2月2日)に最愛の長男未宇が誕生。傑出した闘争表現であるのみでなく、新しく生まれようとするものへの深い祈りと決意の躍動であった。しかし、過酷にも闘争の深刻な影響は母の胎内にまで及び、幼子は<障害児>として世界に送り出された。
70年4月「あんかるわ24号」、70年5月「試行30号」に転載。