<フリーター>考
総務省が5月末に発表した労働力調査によれば、非正規雇用者数が全雇用者数に占める当年3月までの平均割合は34%近くに及ぶという。この数字の背景に進行している労働市場の過酷な実体から湧きあがって来る「生きさせろ!」という叫びが「フリーターユニオン」「派遣ユニオン」といった新たな共同性の端緒を浮上させている。若者を中心とする流動的な労働階層は、経済の同心円上に形成されている大衆の平均的な生存形態から弾き出されてしまう自らの不可避性を求心的に捉え返し、別の生き様を模索し始めているのではないか?
「フリーターユニオンふくおか」の小野俊彦委員長(32才)は、インタビューに応じて、イタリア語のプレカリオから派生した「不安定な雇用を強いられた人々」を表す「プレカリアート」という言葉を軸に「アタラシイ労働運動」を目指し、現代の「生きづらさ」を語りたいと述べている。(6月3日朝日朝刊)
彼らが主宰した「五月病祭」の仮装パフォーマンスが、いつか独自の回路を辿って38年前の或る<仮装>パフォーマンスの意味に橋を架けて飛翔することがあるかもしれないな、という妄想も湧いてくる。その時は死んでいても参加したいものだ(笑い)。
このような妄想は、ネット上でたまたま出会う複数の象徴的な表現の印象にも由来している。例えば「ハトポッポ批評通信」を無料配信している自称文学批評家でフリーターの青木純一氏の表現等がそうである。登録者への配信とサイトでの公開をほぼ同時にやってくれるのでシャイな自分にはうれしい。20才も年長のがさつな文学音痴が識見豊かな深い洞察を心地よく読める文体が不思議でもある。
関心を寄せるのは次のような箇所だ。漱石の「夢十夜」を長期に亘って丹念に掘り下げた後、
『この問いから見るならば、「明治の精神」は明治という時代に所属しているのではありません。しかし、ぼくたち現代人がその精神を所有しているわけでもありません。「明治の精神」はぼくたちの現在をたしかに条件づけながら、なおこの時代の記憶の果てにある時空間の星座として存在しています。漱石もまた明治という時代に所属しようとしたのではないし、また時代の共同観念に侵蝕されたのでもありません。漱石は、明治という時代をひとつの時代として画する危機の意味を、自分の思考の内部にいわば奪い返しているのです。「明治の精神」と漱石が呼んだものの実質は、近代の悪夢の因果律を、ぼくたちの近未来にまで照らし出す「黒い光」の核心であり、近代の心的世界を展開する精神の詩的な核心のことです。』<『夢十夜』というギャラリー(23)>
と述べつつ漱石の表現過程を<無所属化の運動>として捉えなおす。思わず共感の相槌を打ちながら、同時に若い層の幻想世界に拡大し始めている時代や共同性に対する<無所属化>の欲動の適確な<文学>的表現でもあるのではないか、といった深読みに誘惑されるのである。
フリーターやニートと呼ばれる現象は、現象としてみる限り「定職を持てない」多数派と「定職を持たない」少数派に分岐しているだろう。小野氏や青木氏は高学歴~高能力の言わば過渡的に落ちこぼれたエリートの側面も持っているにちがいない。しかし、「持てない」不可避性と「持たない」意識性の内外の葛藤を社会的合流~共闘の方向に解放し、そこからしか見えてこない文明の歪さに<否>を対置し続けてほしいと願う。長続きする職を得るかどうかは切実な問題だが、結果のいかんに関わらず自己に内在する<フリーター>性を生涯に亘って仮装し切ることが重要なのだ。既成の文化やメディアや政治性に足をすくわれることなく生き続ける未踏の条件を秘めているのだから。
かつて学生達が労働者予備軍の状態を逆用して、社会及び同比重で自己の変革の起爆剤たろうと夢想した時代よりも<現在>の拘束性は深刻度を増している。数十年前の渦中にあった大多数の若者は「生活はもっと良くなる。チャンスは平等。落ちこぼれるのは努力不足」といった日々増幅される<恫喝>と、周辺国の後進性や社会的弱者を踏み台にした経済動向の重力のもと、<いや、何より各々の「生活」概念の逆バリケードの前に!>予備軍から正規軍へと成り上がっていった。世界史的な<敗北>の過程は、羽振りの良い物質や資本のあふれと裏腹な思いがけない桎梏を蔓延させる。若い夢想の生成~解体の循環時間は極度な短縮を強いられ、自働的かつ自立的な共同化の契機を失って拡散する。屈折沈殿する欲動は孤立した<犯罪>となって社会現象化し<消費>される。
しかし、人類の幻想過程が物質過程を呑み込むように発生した闘争の本質的な表現はまだ共有の場を創り出していないが、確実に<存在>していると言おう。
「~変革可能性の第一歩が大衆的に確認されるまで旧大学秩序の維持に役立つ一切の労働(授業、しけん等)を放棄する」と一枚の宣言文が或る大学の構内に張り出されて40年近い時が流れた。
松下昇は最初の自覚的<フリーター>であった。~刊行委に委託されているパンフ群と未刊資料は「生きづらさ」を変換して生きる始めるための基礎データである。データへのアクセス回路を新しい兆しに向かって公開せよ、とささやき続けている…。
《ところで、前回も言及した「存在と言語」の刊行主体は、「本の販売宙吊り=包括的な会議の実現」という野原氏~の要請に対し、逆に「そちらの勝手なネット販売には何の意義も共感も価値も見出せないから、松下がパンフに収録している自分達の文章を削除せよ」との趣旨を要求してきたらしい。彼が松下の運動に関わったというのは本当か?パンフを受け取った段階で異議ないし意見の開示責任を共有した人間から今頃こんな要求が出るはずがない。恥ずかしいと思わないのだろうか?
「村尾本」に対しても~刊行委に削除とか破棄といった発想はないが、本質的には松下の表現運動と問題を切り離して扱うことはできないことがはっきりしてきた。批評集γ篇に文章を無断で収録された、あるいは自発的に掲載させたと思っているできるだけ多くの人の意見も聞いて見なければならない。より拡大的な<場>の設定を目指すべきだろう。今まで主に本の出現過程を問題にしてきたが、中身についても共同で検証して行ければ面白い。ネットを含むパンフの情宣が「勝手」なことかどうかもその過程で明らかになっていくだろう。》 2007.7.10 eili252
ゴミ(!?)
5月は申告書提出期限の会社が多いので相も変わらず数字の泥沼に浸かり込む一方、3月に他界した母の認知症~についてあれこれ考えをめぐらしながら過ごしていた。
松下<作品>の収録本をめぐるやり取りは意識の後景に退いていたが、5月22日付で「存在と言語」第2巻「後註」のゲラ刷りが送られて来たので、今回もそれについて少し註を加えておきたい。
このテーマで鳴り続けているのは<共通の対象が個体間相互のみならず各個体の内在性においても分離的に社会現象化して来る構造をどう統合~表現しうるか>という問いである。
或る主体の<作品>が、Aにとって対関係の記念碑であると同時に経済性に繋がりうる遺産の位相も持つ。一方、Bにとっては自己史に深く関わる事件を読み解く基本資料であり、Cにとっては内的な飢餓を充たすかけがえのない文芸作品であり、またDにとっては自らのライフワークに欠かせない作業素材であり、Eにとっては表現主体から応用を委託された<武器>である、等々…。
入射角の違いは<作品>と個々の関係付けを様々な方向に分離し、それぞれの心的構造に見合う独自の強調点を見出そうと運動している。相互的には、相容れることのない対立から思いがけない共闘的様相を含む幅で複合的な関係構造を形成する。この内外の差異総体への視線の深まりと働きかけを介して、自己の幻想性の受容パターンに創造主体の<無言>を包括して行くプロセスが、新たな~刊行過程に<作品>を招き入れ応用して行くための基本条件ではないだろうか?
ゲラ刷りによれば、私(たち)とのやり取りをそのまま本に収録する方法で読者に公開し、<村尾建吉著>を<村尾建吉編・著>に改め、収録表現の著作権が自らに帰属しない旨を明記して刊行を進めると言う。こうすれば異論者に対する公平性と現行法を含む<著作権>問題に対応しうると考えているのだとすれば、やはりひどい倒錯だと言わねばならない。
著作権者の承諾~委託、あるいは<著作権>に関わる関係性総体の討論過程が熟さないまま、先のように明言するだけで他者の<作品>を収録して出版販売することが許されるなら、任意の他人の作品を「自分に著作権は在りませんよ」と公言しつつ独自に編集して自費出版し、可能な販売網を使って海賊版を自由に販売することも正当だということになる。それも正当だという論拠は無視しないが、その論拠に立つなら、既成出版界で旬の人や作品についても同じ条件で刊行し販売するのでなければ既成性への戦闘的意味を持たないだろう。
むしろ、直接抗議できない死者の表現や、明確な<権利>性を主張できない表現位相のビラ~といった事実性に依拠して他者の表現を扱う場合の退廃と権力性は逆に極めて深刻な領域にあり、既成出版から少しだけ外れた販売網を潜らせることで問題性がクローズアップしにくいこととあいまってより陰湿な事態を招きよせている。『存在と言語』の刊行主体はそのことに自覚的に振舞っているようには見えない。これは赤字覚悟とか収録する表現の選択基準に主観的真実性をどうこめるかといった個別恣意以前の、表現に対する<道義>的基本問題である。
ゲラ刷り261ページ下段には「この大竹の試みを『存在と言語』の作業にかかわらせていえば、膨大なゴミを枠に収めて作品化するという大竹の試みは、不用になったものとしてのゴミを< >化しているように思えてくるのである。」とあり、己の刊行作業を言葉の次元におけるゴミの< >化と捉えたいイメージが見えてくる。
表現位相に散乱する文字の集合物を物質文明から排出されるゴミに対比する発想は、彼が或る紙片を不用になったゴミと判断すれば文字のみ拾い上げて自分の本という枠に収め、新たな<作品>へ変換できるのだ、それは忘れ去られる運命にある表現を復活させ< >化する作業であるという自負に行き着くだろう。社会的<権利>性の枠を外れた廃棄物の山に向き合っている(テレビが今日も追いかけていた或る意味荘厳でもある孤独者の)像も浮かんでくるが、この場合は社会の下層性を潜っているわけではない。こういった発想の必然性がやはり当初の<村尾著>を引き寄せたのだなと思い至る。「後註」の言い換えによっても本質はそのままである。
言葉の次元では(かなりの時間性に耐える<船>でもある)紙という物質的側面の朽ちることが即ゴミになることをもちろん意味しない。6対の< >の描かれた黒板の除却が記憶の痕跡として存在する表現位相の意味や像のゴミ化を意味しないように。
松下は< >の中身ではなく、< >そのものを問うことで文明の偏差に根底から対決し続けた。村尾氏は本という枠が< >に対応しうると思うのであれば、まず松下に習って本そのものを問わねばならない。
しかし、本は< >ではないし、< >は枠ではない。本という枠は思想の伝達~保存手段と、それゆえ逆立した幻想性拘束の手段でもある双頭の蛇なのだから、本への収録をもって< >化と気安く発想する自分の根拠をまず< >化すべきだろう。
私(たち)とのやり取りについても、パンフ化して第1巻の販売圏で無料交付する等のステップなしに一挙に定価のついた本に載せてしまうやり方は、対等性を考慮した方法どころか抗議の本質に耳を傾けようとしない強引な対応である。<神戸>大学教養部広報や裁判調書の水準への退行さえ思わせる。値段が付いている分なお気色悪い。
今後、各販売書店に直接<著作権>者位相から問題性を指摘する文書を送付する等の対応が必要になるが、別に急ぐ必要もないし、基本的には個々の作業を本質的に深化し展開可能な水準を獲得する度合だけこのテーマへの批判の根拠も運動性を開示するのであるから。
ちなみに、村尾氏は私に一度も出会ったことがないそうだが、私の方は2度出会い言葉も交わしたことがある。
2007.6.1 eili252
< >様
古代ローマの格言に「60歳になった人は橋から投げ落とせ」というのが、あるそうです。若返りによる活性化が維持条件である共同体の本音をあまりに端的に表現しているので、思わず笑いもこみあげてきます。高齢化問題が叫ばれる昨今ですが、60才が古今東西かわらず微妙な転回点なのは同じのようです。こころなしか日々の時間感覚に付きまとう<焦り>や<不安>に陰の量が増してくる感じがあります。
国家~大学・マスコミ・個人等が自分に関して行った<批評>総体の捉え返しを表現運動への新たな<パン>に換えつつ、<資料の原像>をさらにn次の展開に繰り込んでいく過程で、松下さんは60才になったばかりの初夏、「橋から投げ落とされること」=「既存の共同幻想に収監されること」を拒否して、自らが提起~要請し続ける< >幻想の渦中に命の橋から加速的に飛翔して行きました。
もうすぐ11周目の命日が巡ってきます。
彼のパンフに触れる人は誰も皆平等に直接の要請を受け取っているのと同じです。
そう直感するが故にご遺族も、制度的恩恵からはじき出されている苦しい老いの生活に耐えながら、内外から染み出て来る既成出版の誘惑とも闘って来たのでした。
間口は誰にも対等に開かれている、しかし同時に、死後の身体性でもある既刊パンフ自体の要請する刊行の方向軸~その提起にこめられた強度が、著作権消滅後も永続する<著作権>であると私は言っているのです。
私たちが松下を「めざすべき山脈」のようにとらえているという<あなた>の言い分は、ご自分を上昇志向なき職人だととらえていることと同じ位ずれています。
松下の声は、けっして老いることのない自分(たち)の<69年>性の声なのです。個々の肉体は次々に終っても、~刊行委を名のろうとし、松下の声を自らの内心の声として聞こうとする人~聞かざるをえない人が一人でも出て来るかぎり、彼の示した方向軸は社会的~法的にも<著作権>の帰属する「人格なき社団」として生き続けます。
私やご遺族を含む関係性が、権利的な基準を設けて自由な松下との接触を疎外してしまうというあなたの逆批判も、自由が生者の側に専有~固定される危うさを視野からはじき出した詭弁に堕しています。
開かれているということは対応する自由の具体性が問われないということではありません。むしろ逆ではありませんか。表現論的な原則を欠けば松下の思想性を無視した野放図な利用~資本制への解消があるだけです。その事態をも逆方向からの<共闘>として応用して行く責任は~刊行委的に問われるとして、原則的に拒否する自由は死者の側にも厳然と存在します。
「松下をめざさないなかで<松下昇>に出会う未知=途」などと斜に構えず正面から向き合えば、私が代弁するまでもなくパンフの行間から聞こえてくるはずです。
本当は他者からの批判は不要なほど、既に出現している<あなた>の本そのものが根本的な発想を内側から批判しているのです。自分も一読者だと位置づける文言をもってしても、松下に再度出会うために、彼の文章が80%近くを占めるという<自著>に定価を付けて本屋で販売することも必要~それも自由だ~今後の刊行作業の生命線だ、といった理屈は今もってどうにも理解できません。
それは~闘争の深部から影響を受けなかった位置で、<大学>闘争情況についての資料出版自体を自己目的化する発想にかぎりなく近づいているように見えます。職人という自己規定の仕方もそれを物語ります。もちろんどんな動機で出て来る本でも社会の有り様に沿って何事かでありうる可能性を否定するわけではありません。しかし、一方で「目を見開いて」の飛び越しであると言われている以上、たとえ本からビラ一枚に姿を換えても、収録される表現の持つ力を当て込んだレベルから現在的かつ関係的応用に転倒しているかどうかが生命線でしょう。
菅谷氏や北川氏や萩原氏~の表現についても同レベルでの収録が発想上の必然あるとして、当事者や読者の疑問はこの間の比ではないことが予想されます。完全無視より反発がある方が良いとは思いますが。
ただ、それもこれも、松下が自分に関するn次の<批評>を<パン>に換えて自分と読者の飢餓に応えようとしたのとは全く別次元の問題です。私(たち)が彼に続いて可視化したいテーマ群とも。
一度でも表現したこと、為した行為は取り消したり撤回したりすることのできない本質を持っており、引き受け深化するプロセスを対置するほかないということは<69>年性の表現運動の根幹に開示されています。その意味でも、私(たち)は初めから<あなた>の「刊行作業の息の根を止めよう」などとは露ほども思っていません。ご遺族から悲痛な問いがやって来なければ、直接手紙を出すことも無かったでしょう。
八木さんの提起は、「異議が出た場合は中断して討論する」という自主ゼミ的原則の共有を目指したのだと理解しています。それが一瞬で伝わらないのであれば、本当は松下と<あなた>は何処までも無縁なのです。
前便の私の裁判の予感は「決着方法」ではなく、こういう事例が一般的に行き着く事態も想定して、双方の恣意性から遠い<場>でテーマに<参加>していく共通項を確認しておいたのです。松下存命中に関わった複数の裁判を想起しながら…。
どんな些細な対立でもマジでやり合うならお互い退路を断ってやらねばなりません。
今回のレジュメに、<あなた>が自己正当化だけに終始されていたわけではなかったこと、松下夫人に関しては第1便の終わりの方に出てくる一行しか書くことができない心境に多分在ったであろうこと、誤りの自覚を繰り込みながら作業を続けようとされていること等が(あらためて沸き起こる異和感の狭間からではありますが)、私には初めて垣間見えました。最低限そのことを松下さんの命日に向かう位置から夫人に届けていこうと思っています。とても納得はされないでしょうし禍根はいつまでも残ります。
人が人と理解しあうのはとてつもなく難しいことです。
こちらから<手紙>を送り続けるのはしばらく差し控えます。批判されれば批判し返す無限連鎖が相互に問題を深化させているとは限らず、逆行さえしてしまう事例に世界はあふれています。(初めからそうだったのですが)遺族的位相にどう対処されるかは<あなた>の信義の問題です。既成事実となった本に固執するなら、知らぬ顔の半べえを決め込んで私(たち)への逆切れで済ましているのは男らしくありませんよ。同じ区に居所も在るのですからきちんと出会う条件は私より豊富なはずです。双方が望めば出会いの仲介や立ち会いの労はいといません。
第2巻目以降を構想される際、これまでの経過が偏りなく読者にも開示されていくことを望みます。
最後に、冒頭の格言に戻りますが、関連して思い浮かぶのは概念集・8の「老人医療への救急医療」という文章です。松下は一応65才に達した人を想定しつつ、「苦しまずに死ねる薬の入手権利」⇔「実行に先立つ<遺言>(特に他者の身体~生命の解放をもたらす内容)の実行」という一対の原則を挑発的に提起し、こういった原則への反応の有り様に個人及び社会の本源的若さの条件を見ています。不思議に老いの自然性に向き合う勇気を与えられます。では…。
2007.4.18
村尾建吉 様
職業柄、税金の確定申告時期を過ぎるとモグラが春の畑に顔を出すような気分になるのですが、今年はこの時期に母の死も重なり、暗闇をはい出ても季節はうすら寒いまま出口で止まっている感じがします。
2・28付の返信を読ませていただいています。あなたを昔から知っている関係性の中には想定内だという人もいますが、個人的には密かに期待もしていましたのでひどい空しさに襲われます。松下を<部分>とするほどの構想に踏み出しているという自負については「すごい、がんばってください」というしかありません。
しかし、『松下さんの表現過程に「著作権」の発想は皆無か、非常に遠い』と言うのはあまりに都合の良過ぎる曲解です。引用された遺書でもはっきり彼は<著作権>を主張しているでしょう、もう一度読んでみてください。今回のようなレベルの利用も想定して楔を打つために松下はあの部分を書いたのです。「廃棄せよ」とせず、「基本的に廃棄してよい」と書いたのは、~刊行委の発想を自発的に引き継ごうとする未知の人への含みを残しているのです。普通の人にも分かるように言えと皮肉を浴びせる前に、ご自分の感覚や論拠が普通人かどうか検証した方がよいのではありませんか?
八木さんが主張しているように、松下昇気付刊行委名義で執筆、編集、公表されたパンフ群の<著作権>はその後も仮装的刊行委にあります。松下昇個人名で執筆され、公表されたもの、未公表のものについては民法上の法定相続人に帰属します。これは現行法を包括した視点からも明らかです。
私(たち)は松下から直接要請を受けていたとは言え、そのこと自体を何の特権とも考えていません。表現過程の切断面から出立するのは、あなたの言うとおり各個の自覚と責任であるほかないと思っているからです。まして、仮にも刊行委を名乗る以上あなたが言うような批判されない位置を占められるわけがありません。しかし、生前からの経緯を踏まえ、松下昇気付刊行委が本質的に有する<同一性保持権>(著作権法第20条)を包括しつつ、既刊パンフの不当な侵害に抗議する責任(~不可分な権利)もあるのです。
「あんかるわ深夜版」の後記で北川氏は、<私がいつか私の前史的表現について、執筆、刊行、転載……のずれをふくめて表現するだろう>という松下の書簡を引用しています。パンフ<表現集>~はその予告の20年性をこめた具体化でもありました。<私の>という所有格には自らの表現責任と同じ比重で愛着も自負もこめられています。<著作権>と言っているのは言葉を発することの持つ主体性~原本性に対する総体的な視座からです。責任と権利は不可分です。個人の恣意で在ったり、無かったり、放棄したりできるものではないと考えます。運動の中に放り込まれてもそれは存在します。問題にする必然性が生じるかどうかの契機は常に底流しているのだと考えるべきです。そうでないとしたら、言葉はあまりに安易な代物ではないですか。
どんな、誰の表現も、それが交通して行く社会関係のねじれ方によっては様々な位相の侵害も引き寄せるのです。あなたが暗に主張しているように自らの作業に踏み出す責任を対置すれば直ちに松下パンフを利用する権利に直結するわけではありません。表現論的なプロセスが問題なのです。表現は<過程>という本質に貫かれているのですから「どうでもいい問題」などと同調者に便乗して居直っては「活字の背後」を問題にされている資格が泣きます。
この間のわずかなやり取りで実感したのは、村尾さんにとって松下という存在は、その生前から非常に抽象的な存在だったのではないかということです。ご自分の表現意欲を刺激する存在でありながら、表現者としての自負にとっては常に目障りな存在でもあったのだろうと想像されます。でなければ、ここまでの対的関係者の無視はごく普通の人間感情からも考えにくいのです。
松下はあなたに都合の良い共同幻想でのみ存在したわけではありません。彼は幽霊ではなかったのです。対としても個としても< >としても生きていました。彼の闘いが幻想性構造の全方位性をもって展開されたのはご存知のはずです。
松下パンフを変形~利用せざるをえない必然性を感じ、本に収録するという形でご自身の情況への<恋文>を書かれるなら、先ず松下の対として生きてこられた人にも届くように、そういうプロセスを通して書くべきではなかったのでしょうか?それは不可欠な条件ではなかったのでしょうか?この言い方はけっして一般的に分かりにくいものではないと思いますが。
北川氏の「松下昇を神格化する弟子たち」の例を引いて私(たち)の位置をやゆしておられますが、北川氏もあなたもポイントをはずしています。古来より宗教的ドグマを作り上げるのは、先駆者の存在的な温もりを身近に感じながら接していた近親者や友人たちではなく、彼の死後に、彼に対する屈折した表現意識によって抽象化や剽窃を試みる者の存在とその影響下で言説の表層に同化したがる群れであることを、あなた(たち)も自覚の隅に置いておかれるほうがよいでしょう。
冷笑にふされている私(たち)の<思い>と対等に、壮大な構想に基づく作業も、読みやすい立派な本も、過酷な現実にとって何の言い訳にもなりません。<死者>が提起し続ける<表現過程論>を、たとえ数の上では少なくても、具体的関係性を通して展開する度合でしか未知の新たな読者に向かって、<遺産>も、松下や私(たち)がやり残していることも真に活かすことのできる地平を開くことはできないのですから。
あなたの返信は松下恵美子さんに全て届けています。波のように~怒り~が返ってきます。「何ゆえここまで無視されねばならないのか」と。
日々の生活苦の水位を超えてあふれ出せば、70年代風の裁判風景をバックに双方の参加申立を包括しながら出会うのが情況的にもっともふさわしいのではないかと思い始めています。と言う以上に、一般的には<盗用>とも見える村尾さんの方法はそのような<場>への仕掛け(呼びかけ)であるのかもしれません。
2007.3.19 永里繁行
2007.1.29付八木孝三様宛村尾建吉氏の書簡について
*1月31日に届いた八木氏宛書簡の写しは、1月4日付の永里の問い合わせに直接応答されたものではないけれども、私(たち)を一枚岩と捉えた上で発送されたものと解しています。その上で過渡的に若干の感想~意見を記しておきます。
*お手紙の全体的トーンは「松下の表現過程から切断されているという事実の前で、きみらと自分は対等なのだ。その上で自覚的かつ責任的に何ができるかという現れの違いに過ぎないではないか」と読めましたが、違っているでしょうか?
*死による表現過程切断の<絶望>を強調的に語る人は「松下の表現に関しては何もできない」となるのですが、村尾氏の場合は「自分の責任で松下の表現を扱える」となるところがスゴイと言えばスゴイと思いました。
*既に出現している本は私個人に限って言えば、購入条件なしといえども自分がたどっている<現在>への~なにものか~からの批判でもあると受け取っています。その上で本の出現過程が或る重大な拘束性を生み出している可能性を感じ、あえて質問を送ったのです。
*「ネット販売」は、松下の死後何度か報告をお送りしたように、既刊パンフの増刷~発送だけでも継続しようとする当初からの作業に連続するものです。ネットで松下パンフの所在を示し内容を少しずつ公開しながら、入手希望者には、カンパの目安として生前実験的に付けられた価格でコピーして<販売>するという方法です。アナログ人間にはネットを扱うのは未だほとんど不可能なので、もっぱら八木さんの主体的作業にかかっています。この方法自体に過剰な思い入れがあるわけではありません。「松下さんのオリジナルをできるだけ壊すことなく、今ここで何かできることはないか」という思いの集合をこういう形で実行しているに過ぎないのです。
*その意味で「どんなに非力でも松下の表現過程が今もささやきかける要請に対応したい」という遺族的位相を含む模索の共同性が存在するのであって、「継承者」を自負する固定的共同性が存在するわけではありません。
*想像で恐縮ですが、おそらくご自分の表現に関して「死後~考える会等の作業の持続を願い、表現を含む<遺品>への対応について遺族や関係者への指針を示すことなど仮にも自分にはありえない、死ねば死にきり、どう扱われようが知ったことではない」と思っておられるから、松下の表現についても独自の割り切り方が可能なのでしょう。
*しかし、「死によって村尾の~著作活動は宙吊り、誰もその偉大な活動を継承できない。本質的著作権は情況そのものに在るのだから、遺族も他の動きも関係ない。各個の責任で<全>表現を本に収録し書店等で販売することも自由なのだ」と、任意の人物が<絶望>を根拠にいきなり自分流の出版に踏み切った時、商品価値があるかどうかに関わらず、ご家族やその周辺にいる人たちは「本質的だ」とこれを受け止め支持できるでしょうか、ご本人たちのご意見を直接お聞きしたいものだと思います。
*個人に<著作権>があるかないか、法定相続人が継承するかどうか以前に、過酷な闘争過程で生活を共にして、今もかろうじて生きておられる存在位相の<共闘>者たちの情念~を包括~配慮しない<死者>の表現の扱いは、どんな内容の思い込みに基づくものであれ権力的と言わざるをえないのではないでしょうか?
*出版経費の回収が結果的に不可能でも、一旦商品価値の問われる領域に他者の表現を引き寄せる限り、<著作権>は資本制的権利の位相を明確に帯びます。この時民法上の関係も踏まえた上で対応するのは制度への屈服ではなく、最低限の思想的<礼節>だと考えるのです。ご自分の退職後が現行制度によっても支えられている現実を直視すれば資本主義的法制を一面的に唾棄もできないでしょう。
*松下の<遺書>は複数存在します。村尾氏が書簡で部分引用しているのは、「死の<瞬間>」に関したもので、90年6月~に記された山本聖氏を連絡先としたものがありましたが、同氏の関係的<離脱>を経て92年の誕生日の日付で再構成され、同年6月に入院中の松下から緊急に面会要請があってかけつけた高尾和宜氏が病院で直接託されたものです。その後松下本人から2箇所に、高尾氏からコピーが1箇所に届けられ、96年5月、遺体の周辺に集まりえた人たちに高尾氏の判断で公表し、八木さんのコピーや友田清司氏のメモを経てマスコミ等にまで伝わったものです。
遺族への<遺書>や関係者への書面等による直接間接の<遺志>表明を総体的に把握する姿勢の必要を感じられないまま、部分的<遺書>を自分にとって「励まし」と引き寄せてみても今回の<動機>にとって本質的意味を持たないのではないかと思います。<遺書>は他者の表現を扱う場合潜るべき関係性の比喩でもあります。
*松下は<著作権>を視野に置かなかったのではありません。むしろ「匿名性に貫かれた」ビラ一枚~の<著作権>も活かそうとしたと言うべきでしょう。言い回しの問題ではなく、可能な限り表現主体ないしその関係者との連絡を試みておられたのも事実です。
生じうる法的<著作権>を巡る自主ゼミ性も視野に入れて、連絡不可能性に引き裂かれている表現主体相互の関係の転倒と、表現の交換契機として<無断>引用や転載も応用したのです。< >焼き業とも情況的清掃業とも自分の仕事を呼び、散乱~集積している自他の表現の破片群を清掃~< >焼きしながら、その生命性を取り出す情念を貫きました。<著作権>は或る表現が浮上してくる回路の不可避な下向性を指示します。全く考慮の外に置いて、他者の表現を情況に対応させようとする発想は彼にとってありえないことです。自らもそんな扱われ方を拒否するにちがいありません。
*本という形式に慣らされた資本主義下の現代人はコピーにコピーを重ねていくようなパンフの形にまどろこしさや扱いにくさを感じやすいのですが、松下が金銭面の理由からのみでなく、あえてこういう形を選んでいる意味を何度でも考えるべきではないでしょうか。読みにくいとか、コピー状態が悪いとかいう問題をマイナスとして軽く見ないほうが良いと私は思います。~考える会メンバーの写経的読み方については強い共感も覚えましたが、ただ、その作業が本に変換されていくプロセスには、私(たち)が自分のこととして自覚している<宗教性>とも異質な<宗教的>飛び越しが感じられます。
以上をとりあえず…。 2007.2.16 永里繁行