村尾建吉 様
職業柄、税金の確定申告時期を過ぎるとモグラが春の畑に顔を出すような気分になるのですが、今年はこの時期に母の死も重なり、暗闇をはい出ても季節はうすら寒いまま出口で止まっている感じがします。
2・28付の返信を読ませていただいています。あなたを昔から知っている関係性の中には想定内だという人もいますが、個人的には密かに期待もしていましたのでひどい空しさに襲われます。松下を<部分>とするほどの構想に踏み出しているという自負については「すごい、がんばってください」というしかありません。
しかし、『松下さんの表現過程に「著作権」の発想は皆無か、非常に遠い』と言うのはあまりに都合の良過ぎる曲解です。引用された遺書でもはっきり彼は<著作権>を主張しているでしょう、もう一度読んでみてください。今回のようなレベルの利用も想定して楔を打つために松下はあの部分を書いたのです。「廃棄せよ」とせず、「基本的に廃棄してよい」と書いたのは、~刊行委の発想を自発的に引き継ごうとする未知の人への含みを残しているのです。普通の人にも分かるように言えと皮肉を浴びせる前に、ご自分の感覚や論拠が普通人かどうか検証した方がよいのではありませんか?
八木さんが主張しているように、松下昇気付刊行委名義で執筆、編集、公表されたパンフ群の<著作権>はその後も仮装的刊行委にあります。松下昇個人名で執筆され、公表されたもの、未公表のものについては民法上の法定相続人に帰属します。これは現行法を包括した視点からも明らかです。
私(たち)は松下から直接要請を受けていたとは言え、そのこと自体を何の特権とも考えていません。表現過程の切断面から出立するのは、あなたの言うとおり各個の自覚と責任であるほかないと思っているからです。まして、仮にも刊行委を名乗る以上あなたが言うような批判されない位置を占められるわけがありません。しかし、生前からの経緯を踏まえ、松下昇気付刊行委が本質的に有する<同一性保持権>(著作権法第20条)を包括しつつ、既刊パンフの不当な侵害に抗議する責任(~不可分な権利)もあるのです。
「あんかるわ深夜版」の後記で北川氏は、<私がいつか私の前史的表現について、執筆、刊行、転載……のずれをふくめて表現するだろう>という松下の書簡を引用しています。パンフ<表現集>~はその予告の20年性をこめた具体化でもありました。<私の>という所有格には自らの表現責任と同じ比重で愛着も自負もこめられています。<著作権>と言っているのは言葉を発することの持つ主体性~原本性に対する総体的な視座からです。責任と権利は不可分です。個人の恣意で在ったり、無かったり、放棄したりできるものではないと考えます。運動の中に放り込まれてもそれは存在します。問題にする必然性が生じるかどうかの契機は常に底流しているのだと考えるべきです。そうでないとしたら、言葉はあまりに安易な代物ではないですか。
どんな、誰の表現も、それが交通して行く社会関係のねじれ方によっては様々な位相の侵害も引き寄せるのです。あなたが暗に主張しているように自らの作業に踏み出す責任を対置すれば直ちに松下パンフを利用する権利に直結するわけではありません。表現論的なプロセスが問題なのです。表現は<過程>という本質に貫かれているのですから「どうでもいい問題」などと同調者に便乗して居直っては「活字の背後」を問題にされている資格が泣きます。
この間のわずかなやり取りで実感したのは、村尾さんにとって松下という存在は、その生前から非常に抽象的な存在だったのではないかということです。ご自分の表現意欲を刺激する存在でありながら、表現者としての自負にとっては常に目障りな存在でもあったのだろうと想像されます。でなければ、ここまでの対的関係者の無視はごく普通の人間感情からも考えにくいのです。
松下はあなたに都合の良い共同幻想でのみ存在したわけではありません。彼は幽霊ではなかったのです。対としても個としても< >としても生きていました。彼の闘いが幻想性構造の全方位性をもって展開されたのはご存知のはずです。
松下パンフを変形~利用せざるをえない必然性を感じ、本に収録するという形でご自身の情況への<恋文>を書かれるなら、先ず松下の対として生きてこられた人にも届くように、そういうプロセスを通して書くべきではなかったのでしょうか?それは不可欠な条件ではなかったのでしょうか?この言い方はけっして一般的に分かりにくいものではないと思いますが。
北川氏の「松下昇を神格化する弟子たち」の例を引いて私(たち)の位置をやゆしておられますが、北川氏もあなたもポイントをはずしています。古来より宗教的ドグマを作り上げるのは、先駆者の存在的な温もりを身近に感じながら接していた近親者や友人たちではなく、彼の死後に、彼に対する屈折した表現意識によって抽象化や剽窃を試みる者の存在とその影響下で言説の表層に同化したがる群れであることを、あなた(たち)も自覚の隅に置いておかれるほうがよいでしょう。
冷笑にふされている私(たち)の<思い>と対等に、壮大な構想に基づく作業も、読みやすい立派な本も、過酷な現実にとって何の言い訳にもなりません。<死者>が提起し続ける<表現過程論>を、たとえ数の上では少なくても、具体的関係性を通して展開する度合でしか未知の新たな読者に向かって、<遺産>も、松下や私(たち)がやり残していることも真に活かすことのできる地平を開くことはできないのですから。
あなたの返信は松下恵美子さんに全て届けています。波のように~怒り~が返ってきます。「何ゆえここまで無視されねばならないのか」と。
日々の生活苦の水位を超えてあふれ出せば、70年代風の裁判風景をバックに双方の参加申立を包括しながら出会うのが情況的にもっともふさわしいのではないかと思い始めています。と言う以上に、一般的には<盗用>とも見える村尾さんの方法はそのような<場>への仕掛け(呼びかけ)であるのかもしれません。
2007.3.19 永里繁行